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転生者なんか送ってくるな! ~看板娘(自称)の異世界事件簿~  作者: 榊 謳歌
Case 4 『駄女神転生』 1幕 『祭りの支度』
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39 『ダテにあの世は見てないよ!』

「次、サード!」


 軽快なかけ声と共に、慎吾は木製のバットで白球を打つ。

 勢いよく弾かれたボールは、グラウンドの三塁側を転々と転がる。その白球を、白いユニホームの少女がグローブで捕球しようとして…落球してしまった。捕球に失敗した少女は、ボールと一塁手を交互に見ながら狼狽(ろうばい)していた。


「大丈夫だ、ちょっとくらい落としたって問題ない。落ち着いてボールを拾ってから一塁に投げればいいんだよ」


 慎吾は、エラーをした少女に声をかけていた。大きな声ではあったけれど、それは叱責(しっせき)排斥(はいせき)などのネガティブなではなく、激励だった。その声に奮起した少女は、すぐさまボールを拾って一塁へと送球する。少女の投げたボールは真っ直ぐに、ファーストの構えたミットへと吸い込まれていく。捕球にミスはあったけれど、送球は満点だ。


「オーケー!それなら一塁でアウトにできるぞ」


 慎吾に褒められた少女は、「はい!」と元気に返事をしていた。顔中を汗で濡らし、ユニホームも泥だらけだったけれど、その笑顔には一点の曇りもなかった。それだけ楽しんでいるんだ。こうして、慎吾と野球の練習ができることが。


「慎吾、はい、ボールだよ」


 そんな慎吾に、ワタシは新しいボールをトスした。ワタシも、何度かこうして慎吾たちの練習を手伝っていたので、それなりにサマになっているはずだ。「ああ、ありがと」と、慎吾はボールを受け取った後、「それじゃあ、ショート!」とノックを続けた。

 ワタシたちが元いた世界では、子供たちがこうして白球を追いかける光景はよく見られた。けれど、ここは異世界だ。


「…………」


 元々、この異世界に野球というスポーツは存在していなかった。キャッチボールくらいならこの異世界の人たちもやっていただろうけれど、こうしてきちんと体系化したのは『転生者』である慎吾だ。

 慎吾も、この異世界に来た頃はキャッチボールから始めていた。ただボールを投げ合うだけ…そんな単調な動きのはずなのに、やけに楽しそうだった慎吾が印象的だった。二度とできないはずだったキャッチボールができたことが、慎吾にとってはきっと、望外の喜びだった。

 それから、慎吾が野球のルールをみんなに伝え、道具などもそれっぽいのを少しずつ揃えていくと、ほんの少しずつ、この王都に野球が根付いていった。

 …暇な冒険者さんたちが流行らせたという側面もあったけれど。


「野球って、スポーツとしてはハードルが高い方だと思うんだけどね」


 サッカーなら、ボールが一つあればそれっぽいことができる。バレーボールも似たようなものかな、ネットとかはいるだろうけど代用なんていくらでもできるからね。

 でも、野球は違う。

 野球には必要な道具の数が多いのだ。ボールやバットは勿論、グローブも必要となる。可能なら、ホームベースなどのベースも一式揃えたい。勿論、ちゃんとした試合をするためにはそこそこの人数も必要になってくる。

 そういった点がネックとなり、野球を広めるのが難しいという話を聞いたことがある。だから、世界規模で見た場合、野球というスポーツはそこまで浸透していないのだそうだ。

 それに、野球のルールってちょっと複雑だよね。(はた)で見ているだけじゃあ、何をやっているのか分かりにくいところが多いんだよ。


「…それでも、この異世界では、野球が浸透し始めていた」


 多分、慎吾のお陰だ。

 ただ、慎吾が特別、野球を教えるのが上手だったというわけではない。他の人たちに野球の面白味をプレゼンするのにも、口数の少ない慎吾はやや不向きだった。

 それでもこの異世界で野球というスポーツが軌道に乗り始めたのは、慎吾が心底から楽しそうにプレイしていたから、だ。きっとそうだ。

 ただのキャッチボールでも、ただバットでボールを打つだけでも、慎吾は笑顔でやっていた。それだけじゃない。慎吾と一緒に遊んでいた子供や大人たちが例外なく、みんなが楽しそうにやっていたんだ。

 その笑顔を引き出したのは、慎吾がそれだけ野球に対して直向(ひたむ)きだったからだ。慎吾が誰のことも否定せず、誰のこともバカにしたりせず、一人一人と真摯(しんし)に向き合っていたからだ。だから、他のみんなも心置きなく野球を楽しむことができたんだ。

 そして、笑顔はさらなる笑顔に伝播(でんぱ)した。色々な人たちが、慎吾たちの野球を見に来たんだ。少しずつ少しずつ、その輪は大きくなっていった。『人は楽しそうな場所に集まる』という言葉をどこかで聞いたことがある。慎吾は、それを体現できる側の人間だったんだ。


「…これって、すごいことだよね」


 誰にでもできることではない。

 そして、人が集まってくると、今度は道具を作ってくれる人たちも出てきた。そして、その人たちは難しいはずの野球の道具を再現する技術も持っていた。慎吾の指示通り…もしくはそれ以上の腕でバットやボール、それにミットを再現して見せたんだ。すごいよね、異世界の職人さんたちも。

 あと、これはあくまでもワタシの素人意見なんだけど、野球って『音』が醍醐味のスポーツという気がするのだ。ちゃんとしたボール、ちゃんとしたバットで行われる野球は、ボールがミットに収まる音、バットがボールを弾く音が違う。その音が、やけに心地よく聞こえるんだよ。

 …まあ、テレビで高校野球とかを見ていただけのど素人の意見なんだけど。

 でも、そうした『音』まで再現できたことで、王都の野球熱は加速していった。

 そして、その野球の『音』をこの異世界に響かせたのは、やっぱり慎吾だ。すごいよね、慎吾は。


「なあ、花子…最近、無理してないか?」


 子供たちの練習が終わった後、グラウンドの整地をしながら慎吾がそんなことを呟いた。


「え…無理?」


 ワタシも、慎吾の隣りで一緒に地面を(なら)していたが、唐突にそんなことを言われて面食らった。


「なんていうか、ここのところ…花子は危ないことばっかりしてないか?」

「危ないこと…かぁ」


 面食らったままのワタシは、気の抜けた返事をしていた。

 だから、この時のワタシは気付いていなかった。慎吾の口調が、変わっていたことに。


「昨日だって…前に花子が殺されかけた相手と、一緒にいたんだろ」

「ああ、ロンドさんのこと?確かに最初に会った時は殺されかけたけど、それだってお互いに誤解があったからだし、そこまで悪い人じゃなかったよ、ロンドさん」


 昨日は、ロンドさん…ローブの魔法使いと会っていたけれど、危ないことは何もなかった。ただ、ロンドさんから聞きたいことの全ては聞くことができなかった。話し合いの途中で、シャルカさんから連絡を受けた騎士団の人たちがあの場に現れたからだ。「残念、ここまでだね」というカッコいい台詞を残し、ロンドさんはあの場を立ち去った。

 あの人が語った、「一緒に世界を救わないか」というアクの強いその言葉の意味も、ワタシは聞くことができなかった。それどころか、ロンドさんが何者なのかすら聞けなかった。あれだけ規格外の力を、あの人はなぜ易々(やすやす)と行使できるのか。なぜ、あの人も『邪神の魂』を求めていたのか。そもそも、この世界を崩壊させようとしている『魔女』とはどんな存在なのか。そのどれもが、宙ぶらりんのまま棚上げになってしまった。

 …ただ、最後にロンドさんがこんな言葉を口にしていた。


「『魔女』は、この世界に(ふた)をしようとしているんだ」と。


 それは、ロンドさん以外にも、聞いたことのある言葉だった。

 この異世界ソプラノと天界をつなげている回廊というか抜け道というか、そうした世界のつながりに蓋がされている、と。

 そう口にしたのは、女神であるアルテナさまだった。

 そして、その世界同士のつながりが閉ざされたから、アルテナさまは天界に戻れなくなってしまった。

 そのことを思い出していたワタシを、慎吾は険しい瞳で眺めていた。


「殺されかけた相手が、悪い人じゃなかった…?」


 慎吾の声は、低かった。

 元々それほど高い声ではないけれど、この時は、さらに低い。


「ふざけるなよ…花子」

「え…ふざけてない、よ?」

「ふざけてるだろ!?どうして殺されかけた相手にほいほいついて行ったりしたんだよ!」

「で、でも…昨日は、あの人からは敵意みたいなものは感じなかったんだよ?」


 慎吾の圧は重く、強い。ワタシは、それに気圧(けお)されていた。

 今の慎吾、ちょっと怖かった。

 …というか、なぜ、慎吾は怒っているのだろうか。


「敵意だとか悪意だとか、そんなのがはっきり分かるのは漫画の中だけだろ!?悪い奴ほど上手く隠すんだよ、そういうのは!」

「だけど…昨日は『花子』も一緒だったんだよ!?大体のことならなんとかなるって思ったんだよ!」


 慎吾の声に呼応して、ワタシの声も大きくなっていった。大きな声を出しながら、ワタシは、自分で出した声にも怯えていた。

 そして、慎吾はワタシに近づいてくる。その眼光は、ワタシを射竦(いすく)めるように、鋭利だった。


「その『花子』だって元は『邪神の魂』だったんだろ…というか、あの時だって何が起こるか分からなかったのに花子は!」

「…うるさいうるさいうるさあーい!」


 ワタシは今日、初めて慎吾が怖いと思っていた。

 …慎吾は、慎吾だけは、ワタシの味方だと甘えていたから。


「今の慎吾…おかしいよ!?急にどうしたの!?怖いよぉ!?」


 だから、ワタシは叫んでいた。その声には涙が混じっていた。既に、その涙はワタシの頬を伝っていた。

 …慎吾にだけは、拒絶をされたくなかった。

 ワタシにとっては、この異世界に来て、慎吾が初めてだったんだ。


「…………」


 この異世界に来てからずっと、ワタシは自分が『お客さま』のような疎外感を感じていた。どれだけ気をつけても、どれだけ気を配っても、この世界には馴染めない気がしていた。この世界には、ワタシの居場所がないように、思えた。

 だけど、慎吾が、初めて希望を見せてくれたんだ。

 ワタシみたいな途中乗車の『転生者』でも、この異世界の人たちと分かり合えるのだと、慎吾が野球を通じて見せてくれたんだ。

 …だから、そんな慎吾にだけは、ワタシの存在を拒否されたくなかった。


「すまない、熱くなり過ぎた…本当は、もっと冷静に花子とこの話がしたかったんだけど」


 慎吾は、深々と頭を下げた。

 …悪いのは、きっと、ワタシの方なのに。


「ううん…ワタシこそ、ごめんね、慎吾」


 だから、ワタシも謝った。

 嗚咽(おえつ)混じりだったから、ちゃんと聞こえていたかは分からなかったけれど。


「いや、オレが言い過ぎた…でも、花子のことが心配なのは、本当なんだ」

「…心配?」


 慎吾が?ワタシを?

 …なんで、だろ?


「最近の花子は麻痺してるんだよ」

「え…ワタシ、そうかな?」


 というか、麻痺ってなんのだろ?


「してるよ。花子からおばあちゃんの記憶が消えて、アルテナさまが目覚めなくなって…それだけでも大変なはずなのに、「リリスちゃんを復活させてあげるんだ」とか言い出したり、『邪神の魂』だった『花子』の心残りを解決してあげるとか、どう考えても花子は抱え過ぎだ。それなのに、今度は世界を壊そうとしている『魔女』だって?」


 慎吾は、現在のワタシが直面している問題を羅列した。

 …まあ、確かにちょっと多いかな。

 しかも、ここにセンザキグループが世界征服を目論(もくろ)んでるとかって話まで出てきてるんだよね。


「だから麻痺してるって言ってるんだよ。花子はただの女の子だ。『念話』っていうちょっと不思議な力は持ってるけど、結局はそれだけのかわいい女の子だ。花子一人がどうこうできる規模の問題じゃないんだよ。それなのに、花子は平気であちこちに首を突っ込もうとしてるし…花子に何かあってからじゃ手遅れなんだよ。人生なんてどこで命を落とすか分からないのは、オレたちが一番よく知ってるはずだろ?」

「そう…だね」


 慎吾は、すごい剣幕で(まく)し立てる。けど、それはすべて正しい。『転生者』としての人生経験に裏打(うらう)ちされた、実体験からくる正解だ。

 所詮、ワタシなんて、ただの女の子だ。人に自慢できることなんて何一つない。「ダテにあの世は見てないよ!」なんて大見得(おおみえ)を切れるわけもない。

 そんなワタシを、慎吾は心配してくれている。きっと、慎吾の目には最近のワタシが危なっかしく映って仕方がなかったんだ。


「あの…コーチたち、喧嘩してるの?」


 そんなワタシと慎吾の傍に、いつの間にか、ユニホーム姿の少女と少年がいた。不安そうに声をかけてきたのはミトン・キャロラインという女の子だ。ちなみに、この子は先ほどのノックでエラーをしていたあの女の子だ。上手というわけではないけれど、いつも笑顔で練習をしている健気な子だ。


「いやいや、喧嘩なんてしないよ、オレたちは」


 慌てた慎吾が即座に否定していた。面倒見のいい慎吾は、特に子供たちには気を遣うことが多い。


「そ、そうだよ…ワタシたち仲良しだから」


 その流れに乗り、ワタシも笑顔を見せた。慎吾と違い、ワタシは子供たちとは上手く接することはできないけれど、それでもここは頑張った。頑張って、慎吾の腕とか握ったのだ。

 それを見て、ミトンちゃんも安心してくれたように一息ついていた。


「ほら、だから言っただろ、ただの犬も食わないってやつだって」


 そんなことを言い出したのは、少年の方だ。


「いや、あのね、少年…」


 ワタシはなんとか取り繕おうと言葉を探したが、カバンの中も机の下も探したけれど見つけられなかった。

 そうこうしているうちに、少女がぺこりと頭を下げた。


「二人が仲良しでよかった。じゃあ、慎吾コーチに花子お姉ちゃん、今日もありがとうございました」


 別れの挨拶を済ませた少女は駆け足で立ち去って行った。

 その背中を見送ってから、今度は少年が別れの挨拶を口にした。


「それじゃあ、俺も帰るよ。バイバイ、コーチ…あんまりグラウンドでイチャイチャするなよ」

「別にワタシたちイチャイチャなんてしてないからね!?」


 大人げなく子供の冗談に反応してしまったワタシだった。そして、大人げないついでに意趣返しの言葉を投げかけるワタシだった。


「そういうあなたこそ、ミトンちゃんと仲良くなりたいんじゃないの?」

「そ、そんなんじゃねーよ!」


 という少年特有の初心(うぶ)なツンデレが返ってくるかと思ったが、そうはならなかった。


「あいつと仲良くってのは無理だよ」


 それは、簡素な言葉だった。年不相応の、()びついた諦念(ていねん)が混じっていた。


「そんな…無理なんて言ったら、あの子にも悪いよ?」

「だって仕方ないよ…アイツの親は、センザキグループって会社のずっげえお偉いさんなんだってさ」


 少年は俯き加減だった。

 空を見上げれば、それを罰せられるかのように。


「だからきっと、これから先、俺とミトンはすぐに離れ離れになるよ」


 少年の声は、整地の終わったグラウンドに、静かに染み込んでいった。

 少年少女のほろ苦い想いすら、このグラウンドが受け入れてくれるかどうかは、ワタシには分からなかったけれど。

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