37 『ユーはショックどころの衝撃じゃなかったよ?』
「…………」
ワタシは、『花子』と王都の街中を歩いていた。撫で肩気味の肩を二つ並べて、小粋に歩幅を合わせて。
服装も、二人して似たようなおしゃまなワンピースを着てお揃いのおめかしをしていた。
ワタシたちは面立ちもよく似ていたし、知らない人が見れば仲良しコーデ中の双子だと思うのではないだろうか。
ああ、勿論ワタシがお姉さんだよ?
…なので、この街の誰も、『花子』が『邪神の魂』だとは、思わない。
「…………」
そう、この子は『邪神の魂』が人の形を成したモノだ。人として扱っていいのかどうかも、最初は分からなかった。けれど、この子は無差別に瘴気を撒き散らしたりはしないし、無分別に人に危害を加えたりもしない。『邪神の魂』にしては、あまりにも邪気がなかったんだ。それどころか、身体能力的にはワタシと大差ないくらいだったのだ。『邪神』っぽさを見せたのは、最初にあの洞窟から飛び去った時だけだ。しかも、あの時の『花子』は、意識がまだはっきりしてなかったみたいなんだよね。
だから、ワタシや慎吾たちも『花子』を『邪神』としては扱わなかったし、それで不都合はなかった。
ただ一つ不都合があるとすれば、この子も『花子』を名乗っていることだけか。さすがに『花子』以外の名前にしてくれと要求を出したが、中々これといった名前が出てこなかった。最終的には慎吾が、『邪神』なのだから『邪神ちゃん』でいいんじゃないかと言い出したが、そこはワタシと雪花さんが全力で却下した。
マズいからね。
その名前でドロップキックとかやりだしたら、非常にマズいからね。
「…………」
で、結局は『花子』で定着してしまった。元々は『花子』本人が望んでいたし、最終的にはワタシが根負けした形だ。
そして、そんなワタシと『花子』は王都の街中を並んで歩いていた。
なぜかというと、『花子』の『心残り』を探していたからだ。
この子が…『花子』が人の形を成したのは、この子に心残りがあったからなのだそうだ。その心残りとやらを解消するために、『花子』は今こうして人の形を取っている。けれど、その心残りは『花子』本人にも分からないらしい。ただ、記憶の片隅に置き去りにされた心残りがあることだけは、分かったのだそうだ。そして、その心残りを解消しなければならないという使命感に『花子』は突き動かされていた。
「…………」
正直、雲を掴むような話ではある。
…なんだよ、『邪神』の心残りって。
いつの時代の心残りなんだよ。
そんなの、もうとっくに風化しちゃってこの世界には残ってないんじゃないのかな。
けど、そんなことを『花子』には言えなかった。困ったことに、どうやらワタシは『花子』がガッカリする顔を見たくないらしい。
…他人って気がしないしね、『花子』とは。
「…………」
だから、こうして『花子』とワタシは歩いていた。当てなんかないけれど、その心残りとやらの手がかりを得るために。それに、その心残りが解消できなければ、『花子』はワタシの中に戻れないようだった。『花子』が戻れないと、ワタシの中のおばあちゃんの記憶も、戻らないのだ。
「とはいえ、もう少しくらいヒントが欲し…」
ワタシが独り言を呟いたその刹那。
空が。割れていた。
比喩。ではなかった。
何の前触れも。なかったのに。
稲光が走った。などではない。
晴天の空に。黒い亀裂が走った。
それが 世界を 引き裂い た 。
「あれ、は…なに?」
空は、今も、割れていた。
蒼天に刻まれた罅割れは、少しずつ伸びていた。
上空から、大地に向かって。
めりめり…という幻聴が、聞こえてくる。
それは、世界の悲鳴だ。
それだけの負荷が、世界にかかっていた。
『花子サン…』
どうやら、『花子』にもアレが見えているらしかった。
ワタシにだけ見えている白昼夢などではなかった。ワタシだけが見ている幻覚ならば、ワタシが自分の頬っぺたを引っ叩くという対処法だけで終わるというのに。
…けれど、本当に、何だあれは?
世界が、割ける?
亀裂は、さらに伸びていた。
空から、大地に向けて。
「このままじゃあ…」
世界が、分断される。
真っ二つに。修復不能に。何の先触れもないままに。
世界が、終わりを告げる。
不意に、息苦しさを感じた。呼吸がままならず、視野が狭窄する。意識が混濁して、足元から体が融解していく…錯覚を感じた。
「…………」
不意に、解放された。
ワタシの体に圧しかかっていた負荷の全てから。
喉元を過ぎて忘れた熱さのように、それらはなかったことにされた。
空の亀裂は、いつの間にか消えていた。
「…なんだったの、今の?」
わけが分からなかった。
理不尽という言葉すら理不尽なほどの、圧倒的な説明不足。
そもそも、ワタシ程度のちっぽけな存在には、そんなモノは不要で、ワタシをとことんまで無視しただけの、傲慢な混沌。
一方通行を凝縮し尽くした現象だった。
『滅びかけましたね』
不意に、『花子』が口を開いた。
滅びという言葉と共に。
「滅びかけたって…何が?」
『世界が、です』
滔々と、『花子』は語った。
ワタシは、そんな『花子』についていけない。
なぜ?どうして?あっていいことじゃないよ?
ワタシは、かすれる声で呟いた。
「え…でも、世界だよ?」
『ええ、世界がです。終わりかけました。たった今』
やはり、『花子』は断言した。世界の終焉という特筆すべき災厄を。いつもと同じように、涼しい顔をしたままで。
…いや、表情はそのままだったけれど、『花子』のこめかみの辺りには、一筋の汗が滴っていた。
この子は、元は『邪神の魂』だ。
理不尽という意味では、この子の存在だって大概だ。その『花子』が、今までに見せなかった焦燥を見せていた。
「それ…具体的には、どういうことなの?」
おそらく、聞いたところでワタシには分からない。寧ろ、聞かない方がいいはずだった。なのに、ワタシは『花子』にそう尋ねた。分不相応にも。
『わたしにも、何が起こったのかは具体的には分かりません。わたしにも分かるのは、ただ、この世界が概念的に分解されそうになった、ということだけです』
「概念的に…分解?」
ワタシは、オウム返しに問い返していた。余計な言葉を挟むだけの余裕なんて、とっくになくなっていたからだ。
『世界というモノは、奇跡の賜物です』
ワタシにも分かりやすいように、『花子』はゆっくりと語り始める。いや、それは『花子』自身が気持ちを落ち着かせるために必要な余白だったのかもしれない。
『そもそも、世界というものはそれぞれの物質などが集まれば構成されるというものでは、ないのですよ』
「え…それ、どういうことなの?」
『世界を世界として始めるためには、世界そのものが概念を持たなければなりません。その概念がなければ、世界はいまだに塵のままです』
「ええと、今、こうしてこの世界が形作られたのはこの世界が概念を持ったから…ってことなの?その概念がなかったとしたら、この世界はずっと、ただの大きな石ころだったってことなの?」
正直、『花子』の話の半分も理解できていないワタシだったけれど、それでも、『花子』の言葉を咀嚼しようと試みる。
…『花子』の言葉が正しいかどうかも、分からないのに。
『大雑把に言えば、そのような感じです。こうしてわたしたちが地面の上を歩けているのも、こうして酸素を吸って呼吸ができるのも、世界が理想の形として『こうあるべし』という概念を得たからなのですよ』
「世界が…『こうあるべし』?」
またも、芸のないオウム返しをしてしまった。
けど、こうして繰り返さなければ、『花子』の突拍子もない言葉を嚥下できなかったんだ。
『そうです。花子サンも考えたことはありませんか?この世界は、『出来過ぎている』と。これまでの長い歴史の中で、たくさんの生物が繁栄や衰退を繰り返しました。繁栄をしたのは、主に世界に合わせることのできた生物たちでしたけれど、そうして世界に合わせることができたのも、世界が後押しをしてくれていたからなのですよ』
「生物の進化が…世界の後押し?」
『もう少し具体的に言えば、概念を得た世界の後押し、でしょうか』
「それが…世界が概念を得たということなの?」
ここが異世界とはいえ、ワタシの知っている世界の歴史とは、まるで異なっていた。
『そうです。でなければ、世界がここまで多彩な環境を整えることはできませんでした。太陽があり、星があり、海がある。多種多様な環境が整えられたのは、これほどまでに多種多様な生物群が生まれたのは、世界の始まりに、世界が『こうあるべし』と概念を得たからです。本来なら、この世界だってずっとずっと、闇の中だったはずです』
こうして『花子』の言葉が綴られるたび、ワタシの中の常識が、そっくりそのまま引っくり返った。
ワタシが元いた世界でも、生物の進化については分からないことだらけだった。キリンの首は長いけれど、それが『いつ』伸びたのかは誰にも分からない。どうやって伸びたのかも、誰にも分からない。その過程となる化石が、まったく発見されていないからだ。
そんな進化というものを、たくさんの偉い人たちが調べ上げた。徹底的に調べ上げた。進化の原因、または遠因となった生物の事例はいくつもあった。けど、そのどれもが完全な説得力を持っているわけではなかった。
そんな綱渡りのバランスで成立している世界という存在を奇跡と呼ぶことに、ワタシは何の疑問も抱かない。
…そうか。
世界が『こうあるべし』と望んだから、世界は今の姿になったのか。『花子』の言葉が正しいかどうか、ワタシには分からない。それが嘘か本当かを断じられるほど、ワタシは勉学を修めたわけでもない。ただ、妙に納得だけはしてしまった。
「あ、でもさっき『花子』は言ったよね…この世界が概念的に分解されそうになったって」
ワタシは、先ほどの『花子』の言葉を反芻した。
この子は、確かに言った。
『そうですね。この世界を世界たらしめているのが概念です。しかし、先ほどの亀裂は、その概念を引き裂こうとしていました』
「…そんなこと、できるの?」
『わたしにはできませんし、やり方すら想像もつきません。けれど、先ほどの現象は、世界の概念に干渉していました。すぐに消えてしまいましたが』
「じゃあ…その概念がなくなったら、この世界が、消えちゃうの?」
ワタシの声は、震えていた。
オカルト雑誌ですら鼻で笑うほどの与太話にもかかわらず、それを真に受けて震えていた。
『いえ、世界の抵抗力はそれほどやわではありません』
「大丈夫なの…?世界は消えないの?」
『ええ、この世界がこの形になるために得た概念、そして、これまで積み重ねてきた時間の重みが、そのままこの世界の強度になっています。そうした概念に裏打ちされたこの世界は、そう簡単に消滅したりはしないはずです』
「そう…なんだ」
ワタシは、『花子』の言葉に安堵のため息をついていた。その『花子』こそが、破壊の権化である『邪神の魂』から生まれた存在だったのだけれど。
それでも、今はワタシの妹だ。
「…………」
今、ナチュラルに『花子』のことを妹だと思ってたな、ワタシ。まあ、あの衝撃の後だしね。いや、でも本当に焦ったよ。
ユーはショックどころの衝撃じゃなかったよ?
愛で空が落っこちてくるかと思ったよ?
けど、『花子』が教えてくれた。この世界は、そんなに弱っちくはないのだと。
ワタシも、そんな世界の一員だということに、少しだけ誇らしくなった。
「よし、行こうか『花子』」
ワタシは、『花子』にそう呼びかけた。空元気を総動員して、だったけれど。
『どこに行くのですか、花子サン』
「そうだね…ユメが降る場所だよ」
『…………?』
ちょっと気障だっただろうか。ワタシの中の詩人が妙に張り切ってしまったようだ。
けど、ワタシは『花子』をあの場所に連れて行くことにした。
そして、ワタシたちは歩き始めたのだけれど、その足がすぐに止まった。
「…ウソ、でしょ?」
いつの間にか、ワタシの目の前に、あの魔法使いが現れていた。
あの、どれだけ贔屓目にみても出鱈目な、ローブの魔法使いが。