35 『いい悪夢は見れたかよ?』
「…………」
ワタシは、このごろ流行りの『転生者』だ。お尻の小さな『転生者』だ。
元の世界で病で命を落としたワタシを、女神であるアルテナさまがこの異世界ソプラノで生まれ変わらせてくれた。
病気とは無縁の、元気な体をもらった。
ユニークでチートなスキルもいただいた。
そして、ワタシの、ワタシによる、ワタシのための異世界ライフが始まった。
この世界には不思議な魔法などがあり、人間以外にもエルフやドワーフといった異種族もいた。お伽噺の住人たちが、当たり前のように闊歩していた。この世界には、常識という境界が存在しなかったんだ。
そんなリージョンフリーな世界で暮らしていれば、大抵の不思議にも耐性がつく。
元の世界では考えられないような突飛な出来事が起こっても、この世界では「そういうものか」でスルーできるようになってくる。
「…………」
けれど、コレは、無理だった。
理解も無理解もありやしない。
異世界だからといって、ここまでの不条理が許されるはずはない。
封印の箱から解き放たれた『邪神の魂』は、周囲に昏い瘴気を撒き散らした。
これはまだ、理解ができる。理屈などは知らないが、辛うじて納得はできる。『邪神』とは、そういう存在だと。
次に、解き放ったはずの瘴気を、『邪神の魂』は集め始めた。
これもまだ、理解はできる。
放出することができるのなら、収束させることもできるのだろう、と。
…問題は、ここから先だった。
収束した瘴気は球状となり、肥大化した。
その球状の瘴気の中で、変化が起こった。
しょうきが。ひとの。かたちを。なしたんだ。
「…………」
…これが、理解できなかった。
どれだけ異世界脳にチャンネルを合わせようとしても、ワタシの精神はそれを拒絶した。
認めることが、怖かった。
…『邪神の魂』が、ヒトになったのだ、と。
つまり、アレは、『邪神』なのか?
復活したということか?あの『邪神』が?
ワタシだけでなく、先刻まで与太話のような軽口を口にしていたディーズ・カルガですら硬直していた。源神教徒たちも、司祭も、あのローブの魔法使いも、世界そのものが凍結したように固まっていた。
最初に動いたのは、先ほどワタシと『邪神の魂』を奪い合っていたあの源神教徒の男だった。
「突入…突入だ!」
男は、ローブの中から何かを取り出し、ソレに向かって叫んでいた。
ワタシは、それに見覚えがあった。
なぜ、源神教の教徒であるこの男がアレを持っている?
男が手に持って叫んでいたのは、『テレプス』だ。
この世界で唯一の遠距離通話が可能となる、センザキグループ謹製の魔石機だ。
いやそのプロトタイプだが…なぜ、あの源神教徒がそれを持っている?
ローブのフードで顔は隠れていたが、この人は、ワタシが街中で出会ったあの人なのか?
あの人は、なぜか源神教徒にもかかわらず『テレプス』を持っていた。
けど、声の質が全く違っていた。おそらく、あの人ではない。
そして、男の声が響いてから数秒ほどが経過した後、無粋な靴音を鳴らし、洞窟内に闖入者たちが現れる。
「…おや、これは厄介だね」
乱入者たちの姿を確認し、ディーズ・カルガはそんな剣呑な言葉をこぼしていた。
ワタシだって、矢継ぎ早に起こる想定外の事態に脳の情報処理が追い付かない状態だった。
けれど、ワタシはその侵入者たちよりも『邪神の魂』(?)の方に目が釘付けになっていた。
何の前触れもなく人の形をとった瘴気の塊は、ワタシたちと同じようなローブにその身を包んでいた。ただ、ワタシたちと違うのは、彼女はローブのフードで顔を隠していなかった。
「…どこかで、見た顔なんだよね」
人の形をとった『邪神の魂』は、なぜか女の子だった。
しかも、ワタシはその顔になぜか見覚えがあった。
…そして、ようやく気付いた。
見覚えがあって当たり前だ。
その『顔』は、今朝も鏡の前で見ていたのだから。
「アレ…ワタシ、じゃないか?」
…その『邪神』は、ワタシに似ていた。
いや、もうわけが分からないにもほどがあるよ?
「なんで、伝説の『邪神』がワタシに似てるんだよ…」
…まさか、ワタシの方が『邪神』に似ているなんてオチはないよね?
『…………』
そして、伝説の『邪神』は何をするでもなく、ただただ静かにたたずんでいた。既に、あの昏い瘴気は纏っていないし、瘴気の放出も止んでいた。
…それでも、無害かどうかは判別できなかった。
相手は、何度もこの世界を滅ぼしかけた(?)あの(?)『邪神』(?)だ。
「あ、あの…」
ワタシは、ほぼ無意識のうちに彼女(?)に声をかけていた。
けれど、ワタシのことなど歯牙にもかけない闖入者たちは、ワタシを無視して『邪神』を無遠慮に取り囲む。
「う…動くな!」
あの『テレプス』を持っていた源神教徒が『邪神』に叫んだ。乱入者たちは皮の鎧に身を包み、マスクで顔を隠していた。その手には、それぞれに木の棒などの武器を握っていた。刀や槍のように殺傷力の高いものではないが、それでも、本気で殴打されれば致命傷になりかねない。
というか、ワタシとしてはこれ以上、事態をややこしくして欲しくはない。
この人たち、源神教徒じゃないよね?
なら、この人たちもこの集会に紛れ込んでいた招かれざる客じゃないか。
『…………』
そんな無作法な乱入者たちに、『邪神(仮)』は冷ややかな視線を向けていた。いや、眼球がそちらを向いていただけで、意識すらしていないようだった。
「聞いているのか!?」
男は、恫喝するように叫ぶ。けど、それが恐怖の裏返しということはワタシにも分かった。分からないのは、この人たちの目的だ。
これだけの恐怖を感じているということは、『邪神』に対する知識はあるはずだ。にもかかわらず、この状況になっても男たちは撤退しない。逃げずに、震える手で『邪神(仮)』を包囲している。
…次の瞬間には、全員が輪切りにされていてもおかしくはない、というのに。
「おひ、なんとは、言えよ!」
男は、過呼吸になるほどのストレスを感じていた。
それでも、あの『邪神』は蛙の面に水だ。小首を傾げるように周囲を窺った後で、とんだ?
…跳んだ?
…飛んだ?
「…え?」
ワタシたちは、全員が『邪神』に注視していた。
彼女(?)から目を離していたモノは、一人もいない。
けど、全員が『邪神』を見失っていた。
一瞬、彼女(?)が浮いたように見えた次の瞬間には、その姿が消えていた。
跳躍の軌道から察するに洞窟の天井を突き抜けていた。だが、天井に穴が開いた様子もない。彼女(?)は、煙のようにこの場から消えてしまった。
後には、呆けたように立ち尽くすワタシたちが残されていた。
なんだか、「いい悪夢見れたかよ?」を喰らった気分だったよ?
「…………」
というのが、コトの顛末だ。
この後は大した補足も必要ない、ほぼ蛇足のような展開だった。
あの『邪神』が飛び去った後、ワタシたちは三竦みのような状況になっていた。ワタシとディーズ・カルガの凸凹コンビに源神教の信徒たち、そして、謎の闖入者たちだ。
けれど、主賓にして景品でもある『邪神』さまは、既に飛び去ってしまった後だ。残ったワタシたちは、何をすればいいのかも分からなかった。
もはやワタシたちには、悲劇も喜劇も行う気力はなかった。かといって「はい、解散」という号令がかかるわけでもない。お互いが、お互いの様子を近くにいるのに遠巻きに眺めているようなものだった。
「それじゃあ、こちらはそろそろおいとましようか」
ディーズ・カルガがこっそりワタシに耳打ちをしたが、それを耳聡くあの『テレプス』を持っていた男に聞かれていた。
そこからは「逃がすか!」という台詞や、司祭の「こちらの台詞なのですが」という台詞が飛び交いながらの乱戦が始まった…のだけれど、どうしても消化試合の域を出なかった。そもそも、ワタシたちに本気で戦う意思はなかったし、それは向こうも同じだった。しかも、『邪神』はもういないのだ。モチベーションも何もあったものではない。こんな状況では、命がけで戦えるはずもなかったんだ。
なので、正直ぐだぐだだった。
信徒たちも謎の乱入者たちも、適当にしか戦闘行為を行っていなかった。
そんな中、ワタシとディーズ・カルガは何とかこの場を離れることができた。さすがというかなんというか、ディーズ・カルガは他人の目を掻い潜るのが巧みだった。けど、懐から煙玉とか出した時にはさすがに呆れたけど。
「いやはや、とんでもない目に遭ったねえ」
洞窟から抜け出し、教徒たちや乱入者たちから距離を取ったところで、ディーズ・カルガがそんなことを呟いた。洞窟の外は、とっくに日が暮れていた。
そんなこの人に、ワタシは問いかける。
「あれが…あなたの目的だったんですか?」
「あれというのが『邪神の魂』が人型になったことなら、私だって想定外だよ」
「…まあ、そうでしょうね」
あんな、やけくそとも言える超展開を予想できる人間がいるはずはない。いや、神さまだって予想できないはずだよ、あんな雑な展開は。
「結局、あなたは何がしたかったんですか…というか、ワタシに何をさせたかったんですか」
ここまで振り回されたのだ。ワタシにはそれを知る権利がある。
「え、花子ちゃんと一緒にいたかっただけだよ?」
「はい…?」
この男は、今、何を言った?
「だから、花子ちゃんと一緒に潜入ミッションがやりたかったんだよ。そしたら、なんだか面白そうな展開になったからね。私としては大満足だったよ」
「まさか…ただ楽しむためだけに、ワタシにこんなことをやらせたんですか?」
それが本当なら、ワタシは本気でコイツをアゾることになりそうなのだが?
「まあ、他にも理由はあったりするんだけど、それはまた今度だね」
「また今度って、そんなの…」
ワタシが言い終える前に、ディーズ・カルガは宵闇の中に消えてしまった。夜の中に溶けるように、音もなく。
「あ、逃げられた…」
追いかけても無駄なことは分かっていた。
そのすぐ後、『隠形』で隠れていた雪花さんや慎吾たちが姿を見せてくれたので、ワタシは慎吾たちに守られながら帰路についた。
「盛大な骨折り損だったよ…」
何の収穫もなく、ただただ疲弊しただけだ。
ワタシは、くたびれた体を引きずりながら家の扉を開いた。
「あ、おかえりー、花ちゃん」
「ただいまー、繭ちゃん」
疲れた体に、繭ちゃんスマイルが染み込んでいく。
やっぱり、一家に一人、持つべきものは繭ちゃんだね。
「ほら、『花ちゃん』。もう一人の花ちゃんも帰ってきたよ」
…ん?
繭ちゃんが、何やら妙なことを言い出した?
しかも、その声はワタシに向けられたものではない。雪花さんでも慎吾でも、ティアちゃんに向けられたものでもなかった。
「繭ちゃん…もう一人の花ちゃんって?」
ワタシ、一人しかいないのですが?
恐る恐る、聞いてみた。
「え、ほら、あそこにいるよ」
繭ちゃんが指を指した先には、ローブ姿のもう一人のワタシがいた。
…いや、アレ、ワタシじゃないんだわ。
「なんで『邪神』がうちにいるのおおぉ!?」
繭ちゃん、白ちゃんと一緒に、『邪神(仮)』は神経衰弱に興じていた。
ブドウジュースで、喉を潤しながら。