33 『さすがにマズいんじゃなイカ?』
「…………」
…これは、さすがにマズいんじゃなイカ?
全くもってその通りでゲソ。
自問自答にもならなかった。
問いかけるまでもない。最初から、答えなど決まっていた。
ワタシは、おばあちゃんの記憶…『邪神の魂』を取り返したい。そのためなら、多少は危ない橋だって渡る覚悟はできている。できては…いるのだが。
「さすがにこれは無理があるよ…ワタシ、スネ〇クじゃないんだよ?」
ニヒルな声で『待たせたな』、とか言えないよ?
誰にも聞こえない声(心の声)で呟いた。
周囲は、耳が痛くなるほどの静寂に包まれていた。
人垣が、できていたというのに。
それでも、彼ら、彼女らは一切の音をたてない。深い緑色のローブに全身を包んでいたのに、衣擦れの音すらしない。それどころか、呼気や心音すら感じられないほどの静けさを保っていた。
そんな彼ら、彼女らを薄く発光する魔石だけが照らしていた。他に、光源と呼べる物は一切ない。この場所は、人里離れた山の中の、洞窟だった。
「…………」
やっぱり、ワタシには無理だよ。無理を通り越して無謀だよ。
…潜入任務なんて、看板娘のやることじゃないよ?
だって、周りにいるのはみんな、源神教徒なんだよ?
しかも、これ、源神教のお祭り…いや、秘祭だよ。
信者以外は立ち入り禁止のヤツじゃん。
そんなとこに潜り込むなんて、正気の沙汰じゃないよ!
狂気の沙汰ほど面白いね、じゃないんだよ!
入り口にいた見張りの前を通り抜けるだけでワタシの心臓は悲鳴を上げてたんだよ!?
「くそ…あんな人の口車になんて乗るんじゃなかった」
勿論、あんな人とはディーズ・カルガのことだ。あのきわめて胡散臭い、リリスちゃんのフィアンセを自称するペテン師だ。
「一緒に祭りをぶっ潰さないか」
あの人は、ワタシにそんな提案を持ち掛けてきた。
源神教徒たちの祭りが行われるから、そこにワタシも潜り込まないかと誘いをかけてきたんだ。
当然、ワタシだって最初は断ったよ。そんな祭りに潜り込んで、素性がバレてしまった時にどんな目に遭わされるか分かったものじゃないからね。そこまで分別のない子ではないのだ、ワタシは。
「…………」
けど、あの人は「リリスの秘密を一つ、教えてあげるよ」なんて言ったんだ。
そんなこと言われたら、ワタシだって『ノー』とは言えなくなるんだよ。ワタシは、リリスちゃんを復活させると約束した。そのためには、まだまだ知らなければならないことが、たくさんある。
…というか、あの人だけが知っていてワタシが知らないリリスちゃんの秘密があることが気に入らなかっただけかもしれないけど。
「なんだかそわそわしているみたいだけど、そんな様子じゃ他の信徒たちに訝しまれるよ」
音にならない声で、隣りにいたディーズ・カルガに諭された。
「…分かってますよ」
とりあえず口答えをしておいた。けど、ワタシの心臓はさらに乱れ、ちょっとしたエイトビートを刻み始める。
周囲は無音の静寂に包まれていたが、なんとなくの気配で分かった。そろそろ、その『祭り』とやらが始まる、と。
…落ち着け、大丈夫だ。
切り札となる味方が、ワタシを守ってくれている。それは当然、この人…ディーズ・カルガのことではない。この人も知らない味方が、ワタシの傍でワタシを守ってくれているはずなんだ。
そもそも、こんな胡乱な場所にディーズ・カルガと二人きりで来るほど、警戒心が薄いワタシではない。
雪花さんと慎吾、それに地母神さまであるティアちゃんも、この場にいたのだ。
「…………」
ただ、雪花さんたちはワタシと同じように信徒の変装をして潜入しているわけではない。毎度おなじみ、雪花さんのユニークスキルの『隠形』だ。このスキルを発動させれば、雪花さんの姿は誰にも見えなくなる。それどころか、誰も雪花さんに触れることができなくなる。どこかに忍び込むには、うってつけのスキルだった。
そして、雪花さんの体に触れている間は、その接触している相手も姿を隠すことができる。そうやって、慎吾とティアちゃんも透明化をしてワタシのことを守ってくれている。
ただ、『隠形』を発動している間は、ワタシのユニークスキルである『念話』も雪花さんには届かない。どうやら、『隠形』で身を隠している間、雪花さんはこの世界でありながらこの世界ではない位相に身を隠しているという話だった。ワタシどころかスキルの保有者である雪花さんですらよく分かっていない仕組みだが、そういうことのようだ。
…とりあえず、今の雪花さんに『念話』が届かないってことだけ分かってればいいよね。
「…………」
けど、雪花さんたちが傍にいてくれていることは確かだ。それだけで、ワタシは足の震えを抑えることができた。本来なら、相手の懐に忍び込むようなスニーキングミッションがワタシに勤まるはずはない。痛いのも出張るのも嫌なので、ワタシは安楽椅子探偵を気取りたいタイプなのだ。
…そこで、周囲がざわつき始めた。
まだ静寂のままではあったが、肌に触れる気配が変わる。それは、無遠慮にワタシの首筋あたりにまとわりつく。真綿で首を締めるように、念入りに。
始まる、んだ。
源神教の、秘された祭りが。
「…………」
やはり、ワタシは来るべきではなかったのではないだろうか。今更ながらに、そんな思いが鎌首を擡げる。
だって、この場所に来るにあたり、ディーズ・カルガはそもそも何の説明もしていないかったんだ。
「源神教徒のお祭りって、何をするんですか?」
「それは行ってからのお楽しみだね、花子さん」
「どこで行われるんですか、そのお祭りって?」
「王都のどこかだよ、花子さん」
「お祭りをぶっ潰さないかって、具体的にどうするんですか?」
「そこは臨機応変だね、花子さん」
「そのお祭りに、ワタシが潜入する意味はあるんですか?」
「あるかどうかは神のみぞ知るってところかな、花子さん」
「…ワタシ、あなたのことを信じていいんですか?」
「信じるか信じないかは、花子さん次第だよ」
…以上、ワタシとディーズ・カルガの会話を抜粋したものの一部だ。
なんでワタシはコイツと一緒にここにいるの!?
そりゃ、リリスちゃんの秘密ならワタシは知らないといけないし、全部が終わったらジン・センザキさんの件で騎士団に出頭するってこの人は言ったけどさ!?
などと、遅まきながらに後悔を始めたワタシだったけれど、周囲の状況はワタシの事情など知ったことではない。
周囲のざわつきが、さらに大きくなる。
そして、足音が、響いた。仄暗い洞窟の中、その足音は少しずつ近づいてくる。
「ほら、司祭さまのお出ましだよ」
ディーズ・カルガは、なぜか嬉しそうに笑っていた。
ワタシには、そんな余裕はない。余裕のないまま、この人が司祭と呼んだ人物に視線を向けた。人垣がワタシを遮っていたので、その全身を確認することはできなかったが、黄色…いや、黄土色で立襟の修道服に身を包んでいた。
そして、その表情は…薄暗くてよく見えなかった。よく見えなかったが、ワタシはその人物に見覚えはなかった。
「よくお集まりいただきました、みなさん」
ワタシたちの前まで歩いて来たところで、司祭は口を開いた。ややかすれ声のようにも感じられたが、その声は地声のように感じられた。
司祭の声を聞いた教徒たちは、さらにざわつき始める。口を開いたりはしていないが、息遣いや衣服の衣擦れの音でそれが感じられた。
…祭り、か。
こうして、人目を忍んで行っているんだ。それが真っ当なお祭りだとは、思えない。
まさかとは思うけど、生け贄とか捧げたりしないよね?
「本来ならば、今日は祀りの日ではありません。ですが、敬虔な源神教徒であるみなさんには是非とも知っておいて欲しかったのです」
司祭が言葉を重ねるたびに、信徒たちの熱量が膨張していく。
「我々が崇めるのは『邪神』さまです。彼の神は、強欲な人間たちによりその魂を穢され、その魂は冥府に堕とされました。これは、許されざる行為です」
司祭の声も、熱を帯び始める。
熱が熱を呼び、場に異様な気配が集積され始めた。
「我々には、そんな『邪神』さまをお救いする義務があるのです!」
司祭が断言すると、信徒たちからも歓声が上がる。
野太い声。悲鳴に近い声。金切り声に近い声が入り混じる。
ワタシたちを除く全ての人間が、トランス状態に陥っていた。
「そして、我々が『邪神』さまをお救いする時がきたのです!」
司祭は、端的な言葉で言い切った。
…『邪神』さまをお救いする、と。
周囲の気迫に気圧されながらも、ワタシの耳はその言葉を逃さなかった。
当然、他の教徒たちはワタシ以上に司祭の言葉に酔い痴れていた。酩酊したような蒙昧の瞳で、全員が司祭にその視線を向けていた。
…あらためて思い知らされた。ワタシは、場違いな場所に足を踏み入れてしまった、と。
「我らの手に、『邪神』さまの魂が降臨してくださったのですから!」
それは、今まで以上に聞き逃せない言葉だった。
…『邪神の魂』が、降臨した?
「…………」
先ほどまでワタシを蝕んでいた怖気が、そこで薄れた。ほぼ全ての雑念が、ワタシの中から駆逐された。当たり前だ。優先順位の最上位のモノが、ここで出てきたのだから。
ワタシも、司祭を凝視した。
その一挙手一投足を、見落としたりしないように。
…さあ、早く見せろ。
ワタシのおばあちゃんの記憶を、早く見せろ。
あるのなら、さっさと出せ。
ワタシはもう、待ちきれないぞ。
「それでは、『邪神』さまにご降臨いただきましょう」
司祭は、そこで洞窟の入り口の方に視線を向けた。その視線の先から一人の信徒が…いや、ローブに身を包み、その表情を隠した人物が、姿を現した。
その姿を確認したワタシは、それまでの熱が一気に冷めた。いや、醒めた。
…顔が見えなくても、分かった。そこにいたのは、あのローブの魔法使いだ。その所作が、あの魔法使いと同じだった。
やはりというかなんというか、ローブの魔法使いは、源神教の教徒だった。
「…いや」
ローブの魔法使いは、周囲の信徒たちが持つ熱量を微塵も持ってはいなかった。『邪神』降臨というお祭りにも、高揚した様子はない。
…あの魔法使いは、信徒ではない、のか?
関係者であることは間違いないが、信徒ではないのかもしれない。
だが、そんなことはすぐにどうでもよくなった。
ローブの魔法使いが近づいてくるにつれ、身に覚えのある気配が感じられた。
それは、ローブの魔法使いが手に持った箱から漂ってくる。
…ある。
あの箱の中に、ワタシのおばあちゃんの記憶が、ある。
あの箱の中に、『邪神の魂』が存在している。
ワタシの中で、焦燥と高揚がラインダンスを踊る。
…どうやって、おばあちゃんの記憶を奪おうか、と。
「おやおやおやあ」
そこで、場違いな声が発せられた。
それも、ワタシのすぐ隣から。
声の主は、ディーズ・カルガだった。
…何してくれてんの、この人?
「そちらの方がお持ちなのは、ホンモノの『邪神』さまの魂でございますね」
大仰な台詞を、抑揚の利いた声で口にした。舞台役者もかくや、といった風情で。
ただし、この場においてはひどく場違いでしかなかったけれど。
…そう言えば、この人はこう言ってワタシをこの祭りに連れて来たんだ。
「源神教の祭りをぶっ潰さないか」と。
ワタシだけでなく、全員の視線がディーズ・カルガに集約される。
この場違いなピエロが、何を言い出すのか、と。
「それでは、ついに我々の悲願である『邪神』さまの復活が果たされる時がきたのですね!」
ディーズ・カルガは、面白おかしく不謹慎な言葉を不遜に謳う。
…いや、ていうか何してんの、この人!?
周りみんな源神教徒なんだよ!?
異物なのはワタシたちなんだよ!?
「『邪神』さまが復活とは…どういうことでしょうか」
司祭が、穿つような視線をディーズ・カルガに向ける。当たり前だ。こんな展開はこの祭りのプログラムにはない。
それでも、ディーズ・カルガは口を慎んだりはしない。
寧ろ、その活舌は饒舌になる。
「そのままの意味ですよ。長きに渡る源神教の雌伏の時は終わりを告げるのです。そこには『邪神』さまの魂がある。そして、ここには『邪神』さまの生まれ変わりとなる御方がおられるのですから!」
ディーズ・カルガは、身振り手振りで場の空気を捻じ曲げる。
…というかなんだよ、『邪神の生まれ変わり』って!?
ブラフにしてもそんなのすぐバレちゃうよ!
「『邪神』さまの生まれ変わり、ですと?」
ほらもう、司祭も眉間にしわを寄せちゃってるよ!?
当然、逆鱗に触れられた司祭は叫ぶ。
「そんなモノは存在しない!」
「いますよ、ここに」
いくら怒気をぶつけられようと、ディーズ・カルガには暖簾に腕押しだった。のらりくらりと、その怒気を受け流す。
「『邪神』さまを冒涜するつもりですか!ナニモノなんだ、『邪神』さまの生まれ変わりなどと嘯くソイツは!」
「それは、ここにおられる、この方ですよ」
ディーズ・カルガは背後からワタシの肩に両手を乗せて、そのままワタシを一歩前に押し出した。
「やっぱりワタシかよ!?」
なんとなくそんな気はしてたよ!
っていうかなんだよ、『邪神』の生まれ変わりって!
ここからどう穏便に収集つけるんだよ!?
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございます。
そろそろ夏本番となってきそうですので、みなさんも熱中症などにはご注意ください。
それでは、次回もよろしくお願いいたしますm(__)m