32 『「一緒に本屋で広辞苑でも盗まないか?」みたいなこと言わないでくれますか?』
『祭り…?知らないな』
シャルカさんは、少し考え込んだ後でそう答えてくれた。
「お祭りがあるの?ボクも行きたい!」
繭ちゃんは無邪気にはしゃいでいたが、祭りそのものについては何も知らなかった。
「拙者のシマでは、同人誌の即売会イベント以外は祭りとは呼ばないのでござるが」
…雪花さんに聞いたワタシがバカだった。
『源神教とやらの祭りがどこでやっているかじゃと?わらわ様も知らぬな』
地母神さまであるティアちゃんですら、何も知らなかった。
…奇妙、だった。
源神教徒たちが祭りを執り行うという話を聞いたのだが、うちの面々は誰も知らなかった。ワタシと同じ『転生者』である繭ちゃんや慎吾、雪花さんが知らないのなら分かるが、昔からこの王都にいるシャルカさんやティアちゃんですら、その祭りの存在を知らなかったのは不可解だ。
「…何かの間違いだったのかな」
ワタシに、源神教の祭りがあると教えてくれたあの少女が、何らかの記憶違いをしていた…ということだろうか。
けど、そんな風にも見えなかった。あの子は、その祭りについて知っているようだった。もう少し詳しく聞いておくべきだったのかもしれないが、あの後、少女もすぐに立ち去ったので細かいことは聞きそびれてしまった。
「源神教の…お祭りか」
誰にも聞こえない声で、小さく呟いた。
今日も今日とて街中を歩いていたが、雑踏の中だったのでワタシの独り言を気にする人などいない。
源神教の信徒たちが崇めているのは、あの『邪神』だ。
その祭りについて聞いた時はピンとこなかったが、源神教の祭りとなると、何らかの形で『邪神』が関わっている可能性はある。
そして、ワタシからおばあちゃんの記憶…『邪神の魂』を持ち去ったローブの魔法使いが源神教の信徒だという可能性も、あるはずなんだ。
「…………」
正直、怖い。
できれば、あの魔法使いとは、二度と会いたくない。それだけの恐怖を、ワタシたちは味わわされた。
その恐怖がワタシを鈍らせていたのか、あのローブの魔法使いが源神教の信徒である可能性にも、すぐには気付かなかった。
しかし、一つだけ確実に言えることがある。ワタシがおばあちゃんの記憶を取り戻すためには、あの魔法使いの足跡を追わなければならない、ということだ。
「…………」
そして、源神教といえば気になることはまだあった。
センザキグループの本社が襲撃…というか源神教徒たちに侵入された事件があった。
そこで、『テレプス』と呼ばれる遠距離通話が可能となる携帯型の魔石機が紛失した。
…その失われたはずの新型の魔石機を、源神教の信徒の一人が持っていた。
あの『テレプス』は、まだ世に出回ってはいない。なら、あの人が持っていた『テレプス』がセンザキ本社から失われた『テレプス』である可能性は、高い。
「…問題は、どうしてその『テレプス』を源神教徒のあの人が持っていたのかってことだよね」
やはり、本社に侵入した時に持ち出したのだろうか。
けど、センザキの秘書であるスージィさんが「『テレプス』は厳重に保管されていました」と教えてくれた。だとすれば、ちょっと本社に入り込んだだけの部外者に持ち出せるシロモノではないはずだ。
…それなのに、あの人はそのシロモノであるはずの『テレプス』を持っていた。
それはなぜ、だ?
「…というか何のために、かな?」
あれは、この世界におけるスマートフォン…というか、携帯電話の先駆けとなるものだ。
それを奪って…仮に源神教徒たちが奪ったのだとしても、持て余すはずだ。『テレプス』はこれまでこの異世界に存在しなかった、革命を起こす魔石器だ。裏を返せば、それだけ未知数なギミックということでもある。それを、開発者でもない源神教徒たちが持ち去ったところで猫に小判となるのは目に見えている。それに、源神教の信徒たちは魔石器については『魔石を使うな!』などとデモを起こしていたはずだ。
…そもそも、もう少し待っていれば誰でも手にできるはずのものを、このタイミングで奪う必要があったのか?
源神教に関しては、分からないことだらけだった。
「分からないことだらけで、さしもの花子ちゃんだって眉間に皺が寄っちゃうよ?」
などと、お道化てみても独りだった。
いや、一人だと思っていたが、そうではなかった。
「やあ、花子さん」
背後から、ワタシに声をかけてくる人物いたからだ。
その声を聞いたワタシは、背筋に冷水をかけられたようにびくりと震える。
「ディーズ・カルガ…」
振り返ったワタシは、苦虫を嚙み潰した表情もかくや、という渋い面持ちをしていたはずだ。
「そう、リリスの婚約者であるディーズ・カルガです」
「紳士っぽく言っても、ワタシはあなたがリリスちゃんのフィアンセだなんて認めませんからね」
この人は、何らかの思惑を持ってリリスちゃんに近づいている。そんな裏表のある人にワタシのリリスちゃんは渡せないね。
「…というか、あなたは騎士団から指名手配をされてるはずですよね」
自分で言っておいて、ワタシの緊張は高まった。
ここが街中で、さらには雑踏の中とはいえ、この人はジン・センザキさんを殺害しかけた凶悪犯だ。
「確かに、花子くんの言う通り、私は指名手配はされているね。まだ捕まるわけにはいかないけれど」
「…人を殺しかけておいて、それは筋が通らないですよ」
「前にも言ったけれど、ジン・センザキを殺すつもりはなかったよ。寧ろ、私は彼を守ったんだ」
「守った…?」
どれだけ伸縮性のある神経をしていたら、そんな虫のいい言葉が出てくるのだろうか。
「ジン・センザキはあのままなら、殺されていたよ。センザキグループのダレカの手によって、ね」
「そんな、ことは…」
ないと断言できない自分に、ワタシは大して驚かなかった。
センザキグループというのが想像以上の伏魔殿だったと、今のワタシは知っている。
そこで口籠ったワタシの代わりに、ディーズ・カルガが口を開く。
「私に殺されかけたお陰で、彼はセンザキの過激派たちの標的からは外れたんだ。半死半生の状態なら計画の邪魔にはならないだろう、と」
「でも、このままあの人が目覚めなかったら…」
「ああ、それは心配いらないよ。彼ならそのうち目を覚ますはずだ」
「え、でもそんなこと…」
「分かるよ。そうなるように刺したんだからね」
ディーズ・カルガは、そこで微笑んでいた。どこまでが本当で、どこからが虚構なのか判断できない言葉と共に。
「じゃあ…あなたがリリスちゃんに近づいた目的は何なんですか?」
もう少しセンザキさんについて踏み込んだ追及したいところではあったが、真っ当な返答があるとは思えなかった。だから、ワタシはこちらの質問にシフトした。こちらの問いかけにもまともに答えるとは思っていなかったけれど。
「それはまだ言えないよ」
…やはり、ディーズ・カルガは答えない。
けれど、適当にはぐらかしたりはしなかったし、ワタシを見据えるその視線にブレはなかった。
「ただ一つだけ言えることは、私にはあの子を傷つける意志はない、ということだ」
「それを、ワタシに信じろというのですか…」
「いや、信じろなんて言わないよ。花子くんはリリスからは距離を取れ、とは言うけどね」
以前にも、ワタシはそう言われた。いや、以前よりも強く言われた。
…けど。
「ワタシだって、「はい、そうですか」って引き下がれないですよ…リリスちゃんと約束したんですから、「ワタシがリリスちゃんを復活させてあげるよ」って」
リリスちゃんは、『悪魔』だ。
けど、悲しい『悪魔』で、やさしい『悪魔』で、ワタシの友達だ。
放っておけるはずが、ないんだよ。
「あのリリスは…本体ではないよ」
軽く瞳を閉じてから、ディーズ・カルガはそう言った。ひどく、乾燥した声で。
「本体…じゃない?」
ワタシは、あの子と手をつないだ。そこには、あの子の温度ややわらかさが、確かにあった。
…あれが、ホンモノじゃないというのか?
「正確に言うなら、あのリリスは『端末』だ。本物のリリスじゃないんだよ」
「…それが、何だって言うんですか」
正直、『端末』云々の話は理解ができなかった。
ただ、この人の言葉に素直に頷きたくなかっただけだ。
「だから、花子くんはこれ以上リリスに深入りをするべきじゃないんだよ」
「だから、自分の正体も明かさない嘘吐きおじさんの話なんて信用できないんですよ、ワタシは」
「とんでもない。私ぁ、神さまだよ」
「…またワタシの中であなたの好感度が下がりましたからね」
心の中で『ドゥン!』って音が鳴りましたからね。
本当に、この人の言葉は、何一つ信用できない。
この人はジン・センザキさんの胸に刃物を突き立てた。ワタシにだって、鋭利なナイフを投擲してきた。
ただ、なぜだろうか…リリスちゃんに関する言葉だけは、全てが嘘だとも思えなかった。
「うーん、見事なまでに信用されていないね、花子くんからは」
「寧ろ、こうして話をしているだけでも奇跡と思って欲しいくらいなんですけれどね…」
さっさと騎士団なり憲兵さんなりに突き出すべきなのだが、我ながら、どうかしている。
…それでも、この人からじゃないと聞き出せない話はあるはずなんだ。
特に、リリスちゃんに関することは、この人はまだ多くを隠している。
もしかすると、それはリリスちゃん自身も知らない秘密という可能性が、ありそうだった。
「じゃあ、花子くんは、他に私に何か聞きたいことはないかい?」
「どうせ煙に巻くようなことしか言わないじゃないですか…ああ、そうだ。源神教のお祭りについて、何か知りませんか?」
ダメ元で、ワタシはその話題をこの人に振った。
「ああ、それはちょうどいい。私も、源神教の祭りの話を花子くんにしようと思っていたんだ」
「え…え?」
ワタシは、耳を疑う。
源神教のお祭りについて、ワタシに話をするつもり…だった?
…この人、が?
ということは、この人はその祭りについてナニカを知っている…ということだ。
ワタシは、何度も瞳を瞬かせた。
そんなワタシに、ディーズ・カルガはさらに畳みかけてきた。
「花子くん、一緒に祭りをぶっ潰さないか?」
「…そんな、『一緒に本屋で広辞苑でも盗まないか?』みたいなことノリで言わないでくれますか?」
とんでもない結末が待っていそうで怖いのですが…。