31 『ヤッチマイナー!』
「…………」
ワタシと雪花さんは、王都の街中を並んで歩いていた。
ナナさんのお見舞いの帰り道だ。ナナさんの怪我が大したこともなく、想像以上に元気な姿が見られて、ワタシとしても一安心だった。
…ワタシの前だから、ナナさんが気丈に振舞っていただけかもしれないけれど。
本当は、ナナさんだって怯えていたのではないだろうか。ワタシたちは、二人揃って殺されかけたんだ。あの、ローブの魔法使いに。
「…………」
ナナさんは、ワタシがおばあちゃんの記憶を諦めることを、望んではいない。
おばあちゃんの記憶を諦めれば、絶対にワタシは後悔すると、ナナさんは言ってくれた。
もしかすると、ナナさんもナニカを諦めてしまったことが、あるのだろうか。
だから、ワタシには諦めるなと言ってくれたのだろうか。
意外とやさしいんだよね、ナナさん。
…あれで奇行さえなければ、彼氏のニ、三人くらいはすぐにできるだろうに。
「…………」
となると、ワタシが取るべき選択肢は、あの魔法使いからおばあちゃんの魂を取り戻すことなのだけど…それができれば苦労はないんだよね。そもそもどこのダレなんだよ、あのトンデモ魔法使いは。
せめて、おばあちゃんの記憶…『邪神の魂』を奪った目的さえ分かれば、その正体に近づくこともできるんだけど。
「おっ…と、すまないね、お嬢さん」
考え事をしていたワタシは、そこで、一人の男性とぶつかりそうになってしまった。ワタシの不注意が原因なのに、その人の方が先に謝ってくれた。しかも、にこやかに。ワタシもすぐに「こちらこそ、すみませんでした」とお詫びの言葉を口にする。その人は、そのまま笑顔で歩いて行った。
背中にリュックを背負い、黄色い装束を、着ていたけれど。
…あれ、源神教の人だよね。
「…………」
源神教は、この王都でたまに見かける、新興宗教だ。いや、新興と感じるのはこれまで王都では目立っていなかったからだ。源神教自体は昔からあったらしい。何しろ、祭神があの『邪神』なのだから。
ただ、その『邪神』をただの邪悪な神さまと決めつけるのも早計だ。『邪神』が『邪神』に堕ちてしまったのは、強欲な人間たちの所為なのだから。
そして、源神教の信徒たちは、その『邪神』が世界を救うと信じていた。
まあ、どれだけ崇高なお題目があろうと、センザキの本社を襲ったりしていい理由にはならないけど。
「…………」
昨日、センザキグループ本社を、源神教の信徒たちが襲撃…というのは、少し大袈裟か。源神教の信徒たちが、本社の敷地内に無断で入り込んだっていうだけのことなんだから。
…いや、それでも事件は事件なのか。
会社勤めの経験がないワタシでも分かる。部外者が無許可で入り込んでいい道理はない、と。
けど、注意で済ませてるあたり、センザキ側が大事にしていないみたいなんだよね。これ、下手したら源神教の活動を制限させることもできそうなのに。
「…………」
そして、センザキグループで秘書をしているスージィさんが気になることも言っていた。
源神教徒たちの襲撃があった昨日、携帯型遠距離通話可能魔石器…通称『テレプス』の試作品と幾つかの書類が紛失していた、と。
…それ、企業側としては大問題なのでは?
正確には源神教の襲撃とそれらの紛失は関係のないことなのかもしれないけど、それでも、なあなあで済ませいいい問題ではないはずだ。
なのに、軽い調査だけでその件は終わりになった、とスージィさんは首を傾げていた。どうやら、スージィさんもかなり腑に落ちていないようだ。とはいえ、それ以上のことはスージィさんにも調べようがなかったそうだけれど。
「大丈夫でござるか、花子殿?」
「え…何がですか、雪花さん?」
そこで、唐突に雪花さんが話しかけてきた。いや、隣りを歩いていたのだから、唐突というほどでもないか。
「花子殿が、色々と抱え込み過ぎているのではないか…ということでござるよ」
「抱え込み…ですか」
雪花さんに言われ、ワタシは少し俯いた。
確かに、ワタシの手に余る出来事ばかりが、矢継ぎ早に起こっていた。正直、何から手を付ければいいのか分からない。
「あまり、深刻にならない方がいいよ…と言っても、花子ちゃんからすればそれもできないことなんだろうけど」
雪花さんは、いつもとは違う声で、いつもとは違う口調で、ワタシに語りかけてくれた。
それは、少しだけこそばゆくて、少しだけ温かかった。
「人間一人ができることなんて、たかが知れてるんだよ…危なくなったら、じゃなくて、危なくなる前に逃げなくちゃいけないし、しんどくなる前にダレカに相談をしないといけないよ。一匹狼を気取っているのは、強い人間じゃない。周りを頼れない弱さをさらけ出せなくて、一匹狼を気取らないといけないだけなんだ」
「雪花さん…」
ワタシは、『分かりました』という言葉の代わりに雪花さんの手を握った。お嬢さまだけれど、ずっとペンを握っていたその手には、硬いタコができている。その感触が、ワタシは嫌いではなかった。
そして、そのまま手をつないで帰ろうとしていたワタシたちだったけれど、そこに、粗野な怒声が聞こえてきた。
「うるせえ!黙ってついてくりゃいいんだよ!」
…それは、ひどく耳障りな声だった。
発していたのは、そこそこ年を喰った初老の男だった。
「おら、こっちにきやがれ!」
男は、天下の往来にもかかわらず大声を発している。そして、少女の手を掴んでいた。そのまま、少女どこかへ連れ去ろうとその手を引っ張る。
「事情は分からないが、見過ごすこともできないなあ」
割って入ったのは、カバンを背負った黄色い装束の男…先ほど、ワタシがぶつかりかけたあの源神教の信徒の人だった。
「あ、邪魔すんじゃねえ…痛い目に遭いたいのか?」
少女の腕を掴んでいた初老の男が、口角泡を飛ばしながら分別のない言葉をぶつけていた。
「痛い目って…その子をどうするつもりなんだ?」
源神教徒のあの人は、臆する様子もなく男の前に立ち塞がる。
その様子に、粗暴な男の言葉が、さらに粗暴になった。
「あ?手前に関係ないだろうが」
「人攫いの類だとしたら看過なんかできないだろ」
「うるせえ、殺すぞ!」
語彙の少なさを露呈させながら、粗暴な男は源神教徒のあの人を突き飛ばした。あまりに短絡的な暴力に意表をつかれたのか、源神教徒のあの人もたたらを踏んでしまう。あの人が手を出さなかったのをいいことに、粗暴な初老男が追撃を放つ。あろうことか、彼の鳩尾のあたりに蹴りを入れたんだ。体勢を崩していた源神教徒の彼はまともに喰らってしまい、そのまま後方に倒れ込む。
「は、最初から引っ込んでいたら怪我なんてしなかったのによぉ!」
調子に乗った粗暴な男は、さらに源神教の彼を踏み躙ろうと近寄る。
「拙者は別に、男らしくとか女らしくとかにこだわる方ではないでござるが…これはさすがに、男の風上にも置けないでござるよ」
いつの間にか、ワタシの隣りにいた雪花さんがあの人たちの間に入っていた。
「なんだ、女…お前もわしの邪魔をするのか?」
不機嫌そうなセリフではあったが、割り込んできたのが女子である雪花さんだったためか、粗暴な初老男は笑みを浮かべていた。やけに下卑た、微笑みを。
そんな男を見て、雪花さんは眉を顰めていた。
「本当に…虫唾が走るでござるな」
「なんだと、女のくせによぉ…」
性差別そのままの暴言を口にして、男は雪花さんに薄汚い腕を伸ばす。
「雪花さん!」
ワタシは叫んだが、そんな心配はいらなかった。
雪花さんが掴みかかってきた腕を軽くいなすと、男はバランスを崩した。そして、そのまま転倒する。日頃から運動などもしていなかったのだろう、初老男はやけにお粗末な体幹をしていた。
「てめ、えぇ…」
「まだ、やるのでござるか。次は頭から地面に叩き付けてやるでござるが」
転倒したまま睨みつけてくる初老男に対し、雪花さんは冷たい視線で迎えうっていた。
「調子に乗るなよ…」
明らかに調子に乗っているのはこの男なのだが、初老男は悪態をつき、血管を浮かび上がらせながら立ち上がる。
そんな初老男に対して、周囲から声が上がった。
ここは天下の往来だ。そして、王都の人たちは、見て見ぬふりの不義理ができない人たちばかりだ。
「調子に乗ってるのはどっちだよ!」「さっきから見てたぞ、無理矢理あの子に絡んでるところを!」「さっさと帰れ!」「そうだ、この短足!」「王都民の恥さらし!」「帰れ短足!」「いい年してナンパなんてしてんじゃないよ!」「みっともないんだよ短足!」
という非難の声が投げかけられる。初老男は「うるせえ!」という捻りのない雑言を口にしていたが、最後には「覚えてろよ!」というテンプレな捨て台詞を残してその場から逃げて行った。雪花さんに投げられたのも効いていたようだが、最終的には周りからの「短足」コールに半泣きになっているようにも見えた…。
「大丈夫ですか、雪花さん」
ワタシは、雪花さんの傍に駆け寄った。
「拙者は何ともないでござるが…」
そこで、雪花さんは蹴り飛ばされた源神教のあの人に視線を向けた。
「いやあ、面目ない」
どうやら、源神教のこの人にも、大した怪我はなかったようだ。自分の足で立ち上がり、雪花さんにお礼を言っていた。と、そこで背負っていたリュックを落としてしまい、中身がこぼれ出てしまったけれど。
「重ね重ね、お恥ずかしいところを見せてしまいました」
源神教の彼は、苦笑いを浮かべながらリュックの中身を拾っていた。雪花さんやワタシも、その手伝いをする。中身は、ペンケースや小袋、そして本や手帳のようだった。ただ、その中に一つ、気になるものがあった…というか、見覚えがあるような、ないようなものだったけれど。
それは、手の平よりもやや大きい、長方形の箱だった。いや、形状的には板かな。そして、板の表面には幾何学模様の渦などが描かれている。魔石を組み込んだ製品に見られる特徴だ。その文様によって、魔石の魔力の流れをコントロールしているらしい。
「ありがとうございます。それでは、用がありますので私は行きますね」
源神教徒のあの人は、最後にまたお礼を言って立ち去って行った。少しだけ足早だったのは、用事があるからだったのだろうか。
その背中が見えなくなってから、ワタシは雪花さんに微笑んだ。
「かっこよかったですよ、雪花さん」
「正直、ちょっと怖かったでござるけどね」
軽口のように言って笑っていた雪花さんだったけれど、語尾がかすかに震えているように感じられた。怖かったというのは、冗談ではないようだ。
…そうだよね、怖いよね。
雪花さんが護身術を身に着けていたとしても、浅慮で暴力を振るってくる人間は、怖いはすだ。
「雪花さん…」
「まあ、花子殿が『ヤッチマイナー!』って背中を押してくれたから平気でござったけど」
「そんな片言で背中を押した覚えもありませんけどね!?」
そもそも、ワタシ何も言ってなかったしね!?
「あの、ありがとうございました」
そこでワタシたちに声をかけてきたのは、あの初老の男に絡まれていた女の子だ。
女の子はおずおずと雪花さんの傍に歩いて来たのだが、ワタシはこの段階になってやっと気づいた。
「あ、もしかしてあなた…」
「え、花子殿この子のこと、知っているのでござるか?」
「ええと、前に一度…ちょっと話したことがある程度ですけど」
以前、ワタシとぶつかりかけたことのあったあの少女だ。といっても、本当にそれだけの間柄なのでワタシはこの子の名前も知らない。
「ああ、その節はご迷惑をおかけしました。そして、今度もありがとうございます」
少女は、丁寧に頭を下げた。どうやら、この子も今ここで思い出したようだ。
そんな少女に、ワタシは言った。
「そっか…絡まれてたのってあなただったんだね。けど、助けたのは雪花さんと源神教徒のあの人だから、ワタシは何もしてないけどね」
本当に何もしていないのだから、ワタシとしても何と言っていいのか分からないのだ。
「そういえば、あの黄色い服の人、ちょっと急いでいたようでござるな」
急ぎの要件があったのに、『人助けをして感心だ』といった表情を浮かべていた雪花さんだった。
「おそらく、お祭りがあるからでしょうか」
「お祭り?」
少女の言葉を、ワタシはオウム返しで聞き返した。
少女は、またも丁寧に教えてくれた。
「はい。源神教のお祭りがあるそうですよ」
「お祭り、かぁ」
そりゃ、宗教的にはお祭りは大事だよね。神さまに感謝をするためのイベントなんだから。
「…………」
と、そこで、さっきあの彼が落とした荷物の中の長方形の板のことを、思い出した。
ワタシは、少しだけだったけれど、前にあの板を見たことがあった。
それも、センザキグループの新作発表会のあの会場で。
先刻の板を掲げ、ジン・センザキさんがその名を口にしていた。
「あれ…『テレプス』だ」
ワタシは、あの板の正体を、思い出した。
けど、なぜ、センザキグループの新商品である『テレプス』を、源神教徒のあの人が、持っていた?
まだ世には出ていない、秘匿されている商品のはずなのに?