30 『チャドーの呼吸とか究めてないでしょ』
「ドーモ、ナナさん。雪花です」
「ドーモ、雪花さん。ナナです」
「…なんで二人してニンジャみたいな挨拶してるんですか」
雪花さんもナナさんも、チャドーの呼吸とか究めてないでしょ。あと、初対面でもないでしょ。ナナさん、最近はたまにうちで晩御飯を食べたりしてるんだから。とりあえず、二人の茶番は済んだようなので、ワタシは本題を切り出す。
「ナナさん…怪我の具合はどうなんですか?」
昨日、ナナさんはワタシを庇って大怪我をした。そして、この病院に入院することになり、ワタシはそのお見舞いに来た。雪花さんについて来てもらって。
そんなナナさんは病室のベッドの上で乙女座りをしていて、ハートの柄の薄いピンクのパジャマを着用していた。ワタシも服のセンスを褒められたことはないのだが、病室でこのパジャマを着ているナナさんも大概なのではないだろうか。
「大丈夫だよ、お花ちゃん。怪我はあんまり大したことないから」
「え、でも昨日は大変だったじゃないですか…」
ナナさんは、歩くどころか立ち上がることすらできないほどの怪我を足に負っていた。あのローブの魔法使いが立ち去った後、立ち上がれないナナさんをワタシの細腕では運べるはずもなかったので、『念話』でシャルカさんに助けを求めた。そのシャルカさんが騎士団の人たちに連絡をしてくれて、ワタシたちは駆けつけた騎士団員さんたちの手によってあの山から命からがら帰還することができた。
「…………」
普段、ナナさんからは「騎士団長のはずなのに、騎士団員たちからはパシリにされている」みたいな話を何度か聞いていたのだが、救助に来てくれた騎士団の人たちは、ナナさんのことをすごく心配していた。話で聞くよりも、ずっとナナさんは騎士団の人たちに大切にされているようだ。
…なら、騎士団長をパシリにするなよとも思うのだけれど。
いや、ナナさんはナナさんで色々やらかしてるからかもしれないが。
「…………」
ちなみにと言うかついでにと言うか、リリスちゃんのフィアンセを名乗るディーズ・カルガは、ワタシたちの目を盗んでいつの間にかとんずらをしていた。ワタシに対する敵意はないというのは、どうやら本当のようだ。あの時だけでなく、ワタシの息の根を止める機会なんていくらでもあったのだから。
…けど、そうなると、『リリスちゃんからは距離を取れ』という忠告も、本当の忠告ということになってしまうのだが。
「早い段階で治癒魔法をかけてもらったからね、折れた足の骨も殆んどくっついたよ。ただ、念には念を入れて入院ってことにはなっちゃったけど、明後日くらいには退院できるんだってさ」
ナナさんが、怪我の状態などを教えてくれた。軽く笑いながら。
「本当に、よかったです…ナナさんが、無事で」
心の底から、そう思えた。
ワタシたちは、あの場で殺されていてもおかしくなかったんだ。
…しかも、ナナさんは完全にワタシの巻き添えだった。
「まあ、ナナさんちゃんは王都の騎士団長だからね。へのツッパリはいらないし、次に出くわしたら完全版ナナちゃんスパークを叩きこんであげるよ」
「ナナさんなら本当にできそうですね…」
王家の三大必殺技の一つなんですけどね、それ。
けれど、ワタシは言った。
「でも、ナナさんはもう、あの人とは戦わなくてもいいんですよ」
「お花ちゃん?」
「すみません、ナナさん…ナナさんは、ワタシに巻き込まれて怪我をしたんです」
あのローブの魔法使いの狙いは、『邪神の魂』だった。それは、ワタシのおばあちゃんの記憶でもある。
…アイツは、ワタシの『敵』だったんだ。
「だから、これ以上はナナさんがあの人と戦う必要はな…」
言い終わる前にナナさんがワタシを手招きしたので、ワタシはナナさんのベッドに近寄ったのだけれど…そこで、ホッペを『むぎゅっ』とされた。
「なにふるんれふは…」
痛みはなかったが、ワタシはコミュニケーション能力を奪われた。
「私が怪我をしたのは私が未熟だったのと、アイツが不意打ちなんて卑怯なマネをしてきたからだよ。お花ちゃんの所為じゃない」
「けろ…」
「というか、副団長とかには怒られたんだよね…油断しすぎだ、とか」
「…ちょっと厳しすぎないですか」
あれだけの魔法を扱う相手だ。ナナさんほどの人が後れを取ったとしても何の不思議もない。
「まあ、その後で珍しく褒められたけど、「よくあの子を守った」って」
「ナナさん…」
「本当にいつ以来かな、副団長に褒められたの…ここ3、4年はなかった気がするよ。いっつも怒られてばっかりだったからね」
「…ナナさん」
普段からどれだけやらかしてるんですか、この人は。
そんなナナさんに…そんなナナさんだからこそ、ワタシは言った。
「でも、ナナさん…やっぱりあの魔法使いの相手は危険すぎる気がするんですよ」
ナナさんの気持ちは、とても嬉しい。嬉しいからこそ、ワタシはその気持ちに甘えてはいけない。
「だけど、お花ちゃんのおばあちゃんの記憶は、あの魔法使いが持って行っちゃったんでしょ?」
「そうですけど…それは、ワタシが我慢をすればいいことなんですよ」
「お花ちゃん」
また、そこでワタシのホッペは『むぎゅっ』とされた。ナナさんに。でも、その『むぎゅっ』が、今は何よりも嬉しかった。
「あのね、お花ちゃん。人には、絶対に譲っちゃいけないものがあるんだよ」
「はな…はん」
ホッペの状態が『むぎゅっ』となっているので、ワタシはきちんと発音できなかった。それでも、ナナさんはワタシの目を真っ直ぐに見て、言葉を伝えてくる。
「お花ちゃんだって、おばあちゃんの記憶は絶対になくしたくないんでしょ?とっても大切な宝物なんでしょ?だったら、手放すようなことはしちゃ駄目だよ」
「だけ、ど…ナナさん」
ナナさんからホッペは解放され、普通に話せるようになった。
「その宝物を手放しちゃったらお花ちゃんはきっと、一生、後悔するよ。だって、もうおばあちゃんとは会えないんでしょ」
「でも、それでナナさんに何かあったら…ワタシは、ワタシを許せません」
今日だって、本当はここに来るのが怖かった。一人で来るのが怖かったから、雪花さんについて来てもらったんだ。
…もしかすると、今日、ナナさんから絶縁を宣言されるかもしれないと、思っていたから。
「大丈夫だよ、お花ちゃん。騎士団長のナナさんはね、寿退団するまでは死なないんだよ」
「じゃあ、当分の間はナナさんは死にませんね…いたたたた!?」
さっきまでと違い、割りと強めにホッペを抓られた。
「とりあえず、お花ちゃんはそんなに気にしなくていいんだよ…自分の大切なモノを、忘れたフリをして生きていかなくてもいいんだ」
「ナナさん…」
「きっと、人間って、そんなに強くはできてないよ。縋るものがないと、生きていけない生き物なんだ」
王都の騎士団長は、そこで、ワタシを抱きしめた。
鎧姿じゃないナナさんに抱きしめられたのは、これが初めてのことだった。
ナナさんの元気な心音が躍動し、ワタシの胸を叩く。その鼓動が、ワタシを元気づけてくれていた。
…ナナさんらしい、慰め方だと思った。
「ありがとう、ございます…ナナさん」
「うん、お花ちゃんが元気じゃないと、私と合コンできないからね」
「…せっかくナナさん株が上がったのに、秒で台無しにするのやめてもらっていいですか」
ワタシとしても、感動のやり場がなくなるのだ。
でも、これでいつものペースに戻れた。
ワタシって、いつもダレカに支えられてるな。
…やば、すっごい幸せ者じゃん、ワタシって。
「そういえば、なんかセンザキの本社が源神教の人たちに襲われたって聞いたんだけど、ホントなの?」
ナナさんが、お見舞いのリンゴを果物ナイフでむき始めた。普通、そういうのは見舞いに行った方がやるのではないかと思ったが、それならワタシがやるべきだったと思い直して何も言えなかった。なので、代わりにセンザキ本社の話題を広げることにした。
「本当と言えば本当なんですけど…それほど大事じゃなかったみたいですよ」
「そうなんだ」
ナナさんは興味なさそうに果物ナイフでリンゴの皮をむき続ける。意外にこういうのは上手なんだよね、ナナさん。本人は『花嫁修業の賜物だよ』なんて軽く言っていたが、この人の場合はその前の段階で躓いているので、その花嫁修業の成果が日の目を見ることがない。
ワタシは、リンゴをむいているナナさんに説明を始めた。
「センザキの本社が襲われたっていっても、何人かの信者たちが本社の敷地内に入り込んだくらいで、特に物や人が傷つけられたってこともなかったみたいですよ。襲撃というよりは、ちょっと羽目を外した抗議ですね」
「抗議って何の?」
「以前からあったみたいなんですけど、源神教の教徒たちはセンザキグループの魔石器に対して『製造をやめろ』って騒いでいたんですよ。今回は、その抗議がいき過ぎて本社の敷地内に侵入しちゃった…みたいな感じですかね」
「ふうん。なんで魔石器を作っちゃいけないんだろうね」
ナナさんは、キレイにウサギさんにしたリンゴを皿に乗せ、ワタシと雪花さんに振舞ってくれた。普通は逆なのだが、ワタシも雪花さんもそのウサギさんを美味しくいただいた。そして、食べながらワタシは話を続ける。
「ワタシも詳しくは知らないんですけど…なんか、源神教的には魔石を埋め込んだ製品はご禁制らしいんですよ」
「そうなんだ。便利なのにね、自動で洗濯とかしてくれるのに」
ナナさんも、そう呟いてからウサギさんリンゴを口に運ぶ。
「とりあえず、具体的な被害も実害も出ていないということで、センザキ側が大目に見てくれたってところらしいですよ。それでも、厳重注意くらいは受けてるでしょうけど」
ワタシも、またウサギさんを口に運びながら顛末を語った。
「うーん。よく分からないよね、源神教も」
「そうですね」
ナナさんに相槌を打ったワタシは、そこで思い返していた。
源神教。少し前から王都で広まった新興宗教で、その主神は世界を何度か滅ぼしかけている、あの『邪神』だ。
ワタシが奪われた『邪神の魂』の、元の持ち主だ。
ただ、『邪神』といっても、最初から『邪神』だったわけではない。
人間たちの邪気を吸収して浄化し、人々から憎しみの感情をなくして戦争を回避してくれたのが、『邪神』だった。
しかし、その人間たちに裏切られ、戦争の危機が去った後も憎悪の念とかを押し付けられ続けて…最後には、本物の『邪神』になってしまった。
だからだろうか、源神教徒の中には『邪神さまがセカイを救ってくださる』と信じている人たちもいるようだった。
だからといってセンザキグループの本社を襲撃していいはずもないのだけれど。
「ナナ…大丈夫なの!?」
唐突に病室の扉が開かれ、叫び声がこだました。
ワタシも雪花さんも、いきなりの大声に身を竦めてしまう。
「あれ、スージィじゃないか」
唯一、動じていなかったナナさんだけが、そんな反応を見せていた。
…というか、スージィ?
センザキグループの代表であるジン・センザキ氏の秘書を務めているあの人ではないか。
そして、ワタシたちにセンザキグループが洗脳による『世界征服』を目論んでいると教えてくれた人でもある。
病室に飛び込んできたその人物は、わき目も振らずにナナさんのベッドに駆け寄った。
「ナナが大怪我したって聞いたからすっ飛んできたんだよ!無事なの!?どこを怪我したの!?」
「私なら大したことはないから、とりあえず落ち着きなよ、スージィ。私の友達がビックリしてるじゃないか」
「本当に!?本当に大したことないんだね!?」
スージィさんは、目に涙を浮かべていた。
そうか…この人にとっては、ジン・センザキさんに続き、近しい人が立て続けに入院してしまったことになるのか。
「だから、大丈夫だって。ほら、こんなに元気なんだよ」
ナナさんは、そこで片手で逆立ちして見せた。それを見て、スージィさんも安堵のため息をつく。
「よかった、大したことはなくて。というか、すみません…騒がしくしてしまって」
そこまで言って、スージィさんはようやく気付いたようだ。この病室にいたナナさんの友達が、ワタシこと田島花子だということに。
「え、もしかして花子さまですか…なんで、こんな小汚い病室にいるんですか?」
「さすがに小汚くはないと思いますけれど…」
動揺したのか、スージィさんは妙なことを口走っていた。
「ええと、ワタシもナナさんのお見舞いに来たんですよ…というか、ナナさんとお友達だったんですね、スージィさん」
意外と言えば意外だった。
ナナさんは王都の騎士団長で、スージィさんはセンザキグループ代表のジン・センザキさんの秘書をしている。この二人に接点があることに驚きだ。
そして、スージィさんはその接点を話し始めた。少しだけ、照れくさそうに。
「ええと、お恥ずかしい話なのですが。以前、ナナに助けてもらったことがあったのです…ツチノコを追いかけていたら川に落ちてしまったことがありまして」
「ツチノコとかいるんですか!?」
この異世界にも!?
二人の接点よりもそっちの方に驚いたよ!驚きのリソースをどっちに割けばいいのか分からなくなっちゃったよ!?というか捕まえたら百万円もらえるの!?
そんなスージィさんの話を聞き、ナナさんは笑っていた。
「あの時は驚いたなぁ。犬神家みたいな感じでスージィが流れてきてさ」
「わ…私だってナナのフォローはいっぱいしたんだからお互い様だよね!?」
「えー、私は人に迷惑をかけたことがないのが自慢なんだよ」
どの口でそんなことが言えるのかな、ナナさんは…。
そんなナナさんに、スージィさんは反論していた。
「ナナは前に、『ご自由にお持ちください』って書いて商店街の入り口に婚姻届の束をフリーペーパーみたいに置いて副団長にすっごい怒られてたじゃない!あれの後始末をしたの私なんだからね」
…ナナさんもナナさんで、ワタシの知らないところでとんでもないことをしでかしていたようだ。
「ああ、そうだ…センザキの本社が襲われたって聞きましたけど、スージィさんは無事だったんですね」
ナナさんとスージィさんの二人だけで話をしていると、さらなるやらかしが出てきそうだったので、ワタシはその話をスージィさんに振った。
「ええ、私は何もなかったのですが…」
そこで、スージィさんは歯切れが悪くなった。
おかしいな、センザキの本社が襲撃されたとはいっても、大したことはなかったって聞いていたんだけど。
「もしかして、何かあったんですか?」
我ながら野暮だとは思ったが、問いかけてしまった。
そして、スージィさんも律儀に答えてくれた。
「そうですね、ダレカが怪我をしたとかナニカが壊されたということはなかったのですが…試作品の『テレプス』と幾つかの書類が、紛失していたのです」
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本格的に夏が近づいてきましたね。熱中症などにお気を付けください。
それでは、次回もよろしくお願いいたしますm(__)m