29 『なんて日だよ!?』
「…………」
今日は、散々にして悲惨な一日だった。
ナナさんにボディガードを依頼して、リリスちゃんに教えてもらった『邪神』のご神木とやらを探しに出かけた。『邪神』と名がついているのなら、ワタシの中から消えた『邪神の魂』…おばあちゃんの記憶を探す手がかりくらいは得られるかもしれないと考えたからだ。まあ、本音では淡い期待すらしていなかった。空振りどころか素振りで終わることも想定内だった。
けれど、結果として、それは大当たりだった。
…大当たり、過ぎた。
その場所には、『邪神の魂』が封印されていた。
ワタシの中から奪われたおばあちゃんの記憶は、あの場所に保管されていた。
女神さま…アルテナさまの結界に、手厚く守られて。
「…………」
だから、大当たりだったから、そこには『敵』もいた。
ディーズ・カルガという、リリスちゃんのフィアンセを名乗る大噓つきの不審者だ。
その人物は、いきなり刃物を投げつけて来たかと思えば、『リリスちゃんとは距離を取れ』という趣旨の警告をしてきた。
けど、この怪人物ですら、前座にすぎなかった。
わけの分からない魔法を扱う、ローブの人影が現れるまでの。
「…………」
ディーズ・カルガは警告だけのようだったけれど、ローブの人影の方は、かなりガチ寄りだった。
ワタシとナナさんは、今日、あの場所で命を落としていたかもしれない。
それだけの魔法を、あのローブの人影は行使した。地面に大穴を開けるような、非常識な魔法をワタシたちに向けて放った。
ワタシだって、冒険者ギルドの職員だ。ほぼ毎日、冒険者たちと顔を合わせている。でも、あれほど規格外の攻撃的魔法を扱える冒険者は、この王都にもいない。そもそも、人間種という種は魔法の扱いに長けているわけではない。にもかかわらず、あの出鱈目な魔法だ。けど、あの人影が魔法を得意とするエルフのような種族には感じられなかった。これはワタシの直観になるが、あの人影はワタシたちと同じ人間だ。
そして、ギルドマスターであり、『天使』でもあるシャルカさんにも尋ねてみたが、それほどの魔法を扱える人物に心当たりはないと言われた。
だからこそ、あらためて思う。
あのローブの人影はナニモノなのだ、と。
王都最強である騎士団長のナナさんですら、大怪我を負わされた。
あのままなら、ワタシたちは仲良く丸焼きにされるか挽き肉にされるか、という惨憺たる状況だった。
「…………」
ワタシとナナさんが助かったのは、あのローブの人影が見逃してくれたからだ。
いや、それすら正鵠を射た表現ではない。
ワタシたちが助かったのは、あの人影がワタシたちの命に頓着しなかっただけのことだ。
目的の『邪神の魂』さえ手に入れてしまえば、ワタシやナナさんが生きていようが死んでいようが、どうでもよかった。あの人影からすれば、ワタシたちは執着の対象ではなかったんだ。
だから、『邪神の魂』を手に入れたローブの人影は、ワタシたちに背を向けて立ち去った。悠然と、その場から歩いて。
ワタシは、その背中を、追うことができなかった。
あの人影は、『邪神の魂』を…おばあちゃんの記憶を、持ち去ったというのに。
あれだけ探し求めていたおばあちゃんの記憶は、手を伸ばせば届く距離にあったのに。
ワタシは、そこで、安堵をしてしまっていた。
…命拾いをした、と。
「…………」
思い、知った。
ワタシの命なんて、塵と同じくらいに軽いという現実を。
この世界にとってのワタシは端役で、運命力などの加護があるわけでもない。
ナニカの歯車が狂えば、または噛み合えば、ワタシの命など簡単に散る。誰にも、見咎められることもなく。
…そもそも、ワタシなどは世界から見捨てられた存在だ。
元の世界で見放されたからこそ、ワタシはこの異世界に送られてきた。
「…………」
という出来事があった。それだけでも、キャパオーバーの一大事だった。
なのに、今日という日は、それだけでは終わってくれなかった。
ワタシとシャルカさんの前には、スージィと名乗ったジン・センザキさんの秘書さんがいた。彼女は、随分と憔悴した面持ちでギルドの応接室のソファに座っていた。無理もない。峠は越えたとはいえ、センザキさんは今も目を覚ましていないんだ。
そして、そんな彼女は口にした。
ただでさえ、今日のワタシはキャパオーバーだったというのに。
「センザキグループは、この世界を征服しようとしているかもしれません」と。
…勘弁して欲しかった。
事前に、シャルカさんからそんな話は聞かされてはいたけれど、当事者であるセンザキグループの秘書さんから聞かされ、ワタシの混乱はさらに拍車がかかった。
…世界征服?
この異世界ソプラノで?
いや、正直ワタシ、この世界の情勢ってそこまで詳しいわけじゃないんだけど。それでも、何度かの大きな戦争があって、今は奇跡的なバランスで平和が保たれている…という程度の知識なら持っていたが、言い換えればそれだけだ。
「…なのに、その平和な世界で世界征服?」
驚けばいいのか呆れればいいのか分からず、その半端な言葉がワタシの口から洩れた。
その言葉に、スージィさんが律儀に反応をしてくれた。
「そうなのです…本気でセンザキグループはその世界征服を目論んでいるのです」
そう説明したスージィさんだったが、すぐに訂正をした。
「ああ、いえ…そんな大それたことを考えているのは、グループ全体ではなく、グループの中でもジン代表に反発をしていた一部の幹部だけなのですけれど」
そう語ったスージィさんは、スーツに似た服を着こなすキャリアウーマンといった印象を与える人だった。いや、実際にセンザキさん…センザキグループの代表であるあの人を陰で支えていたのなら、きっと優秀な人なのだろう。
『その世界征服はグループの総意ではなく、一部の幹部の暴走ってことか』
シャルカさんが、スージィさんの説明を要約した。
「はい。しかし、以前からその幹部たちによる根回し工作が行われておりまして…しかも、ジン代表が大怪我をされた今となっては、少数派だった幹部たちがグループの実権を握る好機だと躍起になっているのです」
俯き加減で、スージィさんはセンザキグループの内情を明かしてくれた。
…というか、状況としてはかなりまずいのではないだろうか。
これまではジン・センザキさんが旗印となってグループを率いていたが、その旗印が、現在は掲げられていない。その隙を狙って、センザキさんの椅子を丸ごと奪い取ろうとしている不逞な連中がいる。しかも、その連中は世界征服などという時代錯誤なお題目を掲げていた。
『火事場泥棒みたいな連中だな…けど、具体的に世界征服なんてどうやるんだ?ちょっとやそっとのクーデターなんかで崩れるほど、この王都の牙城は貧相じゃないぞ?』
シャルカさんの言うことももっともだ。いくらセンザキグループがこの世界有数の大企業とはいえ、その財力だけで世界を牛耳れるとは思えない。
企業どころか、古今東西、どれだけ栄華を誇った大帝国も、世界を統一した事例はない。それがワタシたちの世界の常識だったし、この異世界においてもそうだ。
そもそも、世界征服なんて夢物語のはずなんだ。
国の版図を拡大していけば、それ相応の軋轢はどこかで生まれてくる。どれだけ優れた名君であろうと、全ての人間の心を掌握することはできない。そして、国が大きくなればなるほどその軋轢も大きくなり、どこかで必ず国は割れる。世界の征服を果たす前に、必ず。
「そうですね…反逆者一派は、一切の暴力を使わずに世界を乗っ取ろうとしています」
「暴力なしでって…そんなことができるんですか?」
スージィさんの説明に、思わず口を挟んでしまった。けど、ワタシの驚きも当然だ。
暴力なしで、武力なしで世界を征服?
征服と暴力は表裏一体のはずだ。
「現在、我がセンザキグループは『テレプス』という新しい商品を開発中なのですけれど…」
「あ、この間の新商品発表会でセンザキさんがプレゼンしていたあれですね」
スージィさんの説明に、またワタシは口を挟んでしまった。
スージィさんは一つ頷き、続きを話し始める。
「はい、あの『テレプス』は遠く離れた相手とも会話ができるようになる、という画期的な魔石器なのですけれど…現在のセンザキ上層部は、アレを使って世界を征服しようとしているのです」
「どういうことなんですか?」
ワタシの問いかけに、また一つ頷いてからスージィさんは続けた。
「遠く離れた相手とも会話ができる『テレプス』は遠からず全ての人々の手に行き渡るようになります」
「そう…でしょうね」
言ってしまえば、『テレプス』は異世界型の携帯電話だ。全ての人の手に行き渡るというのも、決して誇大妄想ではない。
「ジン代表はずっと、『テレプス』の開発に注力していました。これで、全ての人間が…いえ、遠く離れたエルフやオークなどの異種族とも気軽につながることができる、と。ジン代表の肝煎りの企画だったのです。『テレプス』は」
そこまでを、スージィさんはやや早口で語っていた。その様子から、この人がセンザキさんを敬愛していることがひしひしと伝わってくる。けれど、そこでスージィさんの表情が曇った。
「ですが…グループの欲深い一部の幹部たちは、その『テレプス』を洗脳の道具に使おうとしているのです」
『「洗脳?」』
ワタシとシャルカさんは同時に驚きの声を上げていた。
「はい…『テレプス』を使うことで、その持ち主を洗脳し、幹部たちの操り人形にしてしまおうとしているのです」
スージィさんの深刻な面持ちを見ていれば、その言葉が妄言の類ではないということは理解できた。
…けど、洗脳?
しかも、『テレプス』という携帯電話を使うだけで?
「そんなこと…可能なんですか?」
ワタシの問いかけに、スージィさんは頷いた。
「私も、『テレプス』での洗脳が可能かどうかは、今でも半信半疑なので花子さまたちと同じ気持ちです…ですが、ジン代表は確かにそうおっしゃっていたのです」
「センザキさんが…」
「そして、代表はこうもおっしゃられていました…その洗脳計画に邪魔な自分は命を狙われている、とも」
「命を、狙われて…」
…いた、ではないか。
だから、センザキさんは今も病院のベッドの上にいる。
「ジン代表に叛旗を翻している反逆者たちからすれば、代表が入院している今となっては命までは取ろうとは思っていないでしょうけれど…代表がいない今こそがグループを乗っ取る好機のはずですし、この機を逃すはずはありません」
スージィさんは、スカートの裾を強く握っていた。それは、悔しさに歯噛みをする代償行為だったのかもしれない。
『でも、そこまで分かっているなら、騎士団や憲兵に話を持っていくべきじゃないか?』
具体的な提案をしたのはシャルカさんだ。普段はへべれけのことも多いが、こういう分析の的確さはさすがのギルドマスターだ。
「勿論、私も騎士団の詰め所に行ったりしたのですが、証拠がないのです…あの人たちが、本気で世界征服を目論んでいる、というその証拠が」
『あー…そういう脛に瑕のある悪党ほど隠し事は上手いからなぁ』
「それに、私もどうやって『テレプス』を使って人々に洗脳を施すのか…その理屈が分からないので、どれだけ危険だと言っても説得力がないのです」
『そもそも、洗脳という悪事の証明ができないってことか…確かにそれは厄介だ』
シャルカさんは、ソファの背もたれに深くもたれながら呟いた。お手上げだと、言わんばかりに。
「なので、こうして冒険者ギルドに相談に来させていただいたのです…あまり頻繁に騎士団に行けば目立ちますし、次は私が、標的にされてしまうかもしれませんので」
シャルカさんとは反対に、スージィさんはソファの背もたれにもたれることはなく、やや前屈みになる。
『頼ってもらえるのは冒険者ギルドの冥利に尽きるってもんだが…そのご期待にそえられるかどうかは分からないぞ』
「ですが、私はジン代表から聞いておりました。冒険者ギルドにはすごい切れ者がいる、と。その方の…花子さまのうわさでチャンバも走る、と聞いていたのです」
「ワタシのうわさでおばあちゃんが走ったことなんて一回もありませんでしたからね!?」
ホントにセンザキさんがそんなこと言ったんですか!?
どんな尾鰭の付き方ですか!?
「しかし、花子さまはこれまでにも色々な方にお知恵を貸していると聞きましたけれど…」
「いや、スージィさん…そんな大したこと、ワタシ、してないですよ?」
それっぽいことの真似事、程度のことしかしていない。
…そもそも、ワタシ、何もできない端役ですから。
「お願いします、代表が帰ってきた時…グループがそんな悪事に手を染めていたとなれば、どれだけあの人が悲しむことか」
スージィさんは、ワタシに頭を下げた。一回りくらい年下の、このワタシに。
それだけ切羽詰まっている、ということだ。
その表情を見ていると、「できない」の一言を突きつけることができなかった。
だから、言ってしまった。
安請け合いそのものでしかない、その一言を。
「でも、ワタシ…話を聞いたりすることしか、できないですよ?」
「それだけでも、いいのです。今、私の周りには…いえ、ジン代表の周りには、味方がいないのですから」
スージィさんは、またワタシに頭を下げた。
そんな価値は、ワタシになんかには、ないというのに。
「ありがとう、ございます…花子さま」
「花子さまはやめてくださいよ…ワタシ、そんなに偉い人間じゃないですから」
「しかし、あのジン代表が一目置く人となると…」
「ええと、なんでワタシなんかのことをそんな風に言ってたんでしょうね、センザキさん…」
割りと本気で謎だった。
そして、具体的に『テレプス』や反ジン・センザキ氏の一派について話を聞こうとしていた矢先、またも、好ましくない報せがギルドに寄せられた。
源神教の信徒たちが、センザキグループの本社を襲撃したのだそうだ。
花子ちゃんとしても、思わず叫びたくなったよ。
「なんて日だよ!?」って。