27 『分の悪い賭けは嫌いじゃないんだが…』
「リリスを信用するのはほどほどにしろ、ということだよ」
リリスちゃんの婚約者(ワタシは認めていない)であるディーズ・カルガは、リリスちゃんを否定する言葉を平気の平左で口にしていた。
「…そんなの、ワタシの勝手じゃないですか」
反抗期の子供のように、ワタシはこの人の言葉を頭ごなしに否定した。
「リリスの傍にいれば、傷つくのは君だ。今日、ここで花子くんと出会ったのも何かの縁だからね。一応、釘を刺させてもらうよ」
「釘を刺す…?ワタシには、ナイフを突き刺しに来たようにしか見えませんけれどね」
事実、ワタシの背後にある『邪神』のご神木と呼ばれる古木には小さな短刀が突き刺さっている。
「あのナイフは、当てるつもりはなかったよ。そちらの鎧のお嬢さんなら分かっていると思うが」
「あなたの言葉の、何を信じろというんですか…」
けど、横目で見たナナさんはそのことを肯定するように、沈黙をしていた。
しかし、この人がどれだけ詭弁を弄しようと、それらは耳障りのいいものではない。この事実がある限り、ワタシがこの人を信用することはない。
「あなたはセンザキさん…ジン・センザキさんを殺そうと、しましたよね」
一命こそとりとめたが、センザキさんは今も目覚めることなくベッドで昏睡状態だ。それは、この人の凶刃が引き起こした短絡的な悲劇だ。
「…一応、私は彼を救ったのだけれどね」
「はぁ!?」
ワタシは、耳を疑った。
言うに事欠いて、救った!?
どれだけ面の皮が厚ければその台詞が出るんだ?
「盗人猛々しいにもほどがあるんじゃないですか!?」
ワタシは、叫ぶ。
この人に対する有りっ丈の不信を、声に変換して。
「それに、リリスちゃんを信用するなってどういうことなんですか!?」
「そのままの意味だよ。花子くんなら分かるはずだ」
抑揚のない声で、ディーズ・カルガは言ってのけた。
「分かりませんね…あの子は、ワタシの友達なので」
ワタシとディーズ・カルガの議論は平行線を辿っていた。水平線の向こうまで行こうと、ワタシとこの人が交差することはない。
「もういいですよ…ナナさん、あの人がセンザキさんを殺害しかけた犯人です。捕まえましょう」
それは、ワタシからの決別の言葉だった。この人とは、この先もずっと理解し合えない。なら、これ以上の言葉は必要ない。
「そうだね…犯人を捕まえて帰ったら、みんな褒めてくれるかな」
ナナさんは、ワタシを気遣いながらディーズ・カルガとの距離を詰める。そのしなやかな足運びに無駄はなく、手練れの肉食獣の狩りを連想させた。
「私としてもまだタスクが残っているのでね、ここで捕まるわけにはいかないな」
ディーズ・カルガも、半身の姿勢をとりナナさんと対峙する。何らかの格闘技の心得はあるようだった。けど、王都最強の騎士団長さまの相手ではない…はずだ。
二人の距離が狭まり、狭まった分だけ、そこに力場が発生していた。
…けれど。
「ダレ!?」
「ナニモノだ!」
ナナさんとディーズ・カルガが、ほぼ同時に叫んでいた。その声に、どちらも焦燥を滲ませながら。
そんな切羽詰まった声が出てくる場面では、なかったはずなのに。
それでも、二人はほぼ同時に、声と視線で異分子の存在を仄めかしていた。
理解していなかったのは、頓馬であるワタシだけだ。
「お花ちゃん!」
ナナさんが、ディーズ・カルガそっちのけでワタシの元に戻って来た。そして、中空を見上げる。ワタシも、ナナさんの視線の先を追った。
…その空間にだけ、人の形に、穴が開いていた。
いや、夜よりも昏いローブをまとった姿に、ワタシが空に穴が開いたと錯覚しただけだ。
そこにいたのは、人間だ。フードで顔を隠していたので、おそらくは、と推察しただけだったが。
「お花ちゃん!」
再び、ナナさんが叫んだ。先ほどと違うのは、ナナさんがワタシを抱えて後方に跳んだことだ。
そして、大きな…破裂を伴う轟音が、一帯に響いた。
突風が吹き荒び、熱波が十重二十重にふりかかってくる。
その衝撃に鼓膜が激しく振動し、脳が激しく震えた。
大小さまざまな石や草木が、その場から飛び散った。
「…………」
数秒前までワタシたちがいた場所に、穴が開いていた。
ナナさんに抱えられながら、ワタシは見ていた。
ワタシの身の丈ほどもある火球が、その場所に叩き付けられるのを。
棒立ちであの場所にいれば、ワタシは、その火球に圧し潰されていた。
頭蓋が陥没し、脊髄がひしゃげて。
粗挽きの挽き肉になっていた。
いや、圧し潰されて死ぬのだろうか?
あの火球に、骨まで焼かれていたのではないだろうか?
髪が焼け、肌が爛れて、最後には消し炭しか残らない。
ワタシという人間が生きていた痕跡が、ただの染みしか、残らない。
そんな屍を晒したのではないだろうか。
…どちらにしろ、アレが当たれば、真っ当な死に方は、できない。
「ナナ…さん?」
ワタシを抱えて跳んだナナさんが、片膝をついていた。
「ごめんね、お花ちゃん…ちょっとへましちゃったみたい」
ナナさんの鎧の…脛当ての部位が焦げて、ひしゃげていた。
「ナナさん…ナナさん!?」
ワタシの、所為だ。
ワタシを庇ったから、この人は、怪我をした。
…この場において、致命的な、傷を負った。
「逃げて、お花ちゃん…一人で大丈夫だよね」
「逃げられるわけないでしょ…ナナさんを置いて一人でなんて逃げられないよ!?」
ワタシは、ナナさんを引きずった。
…いやだ。
ナナさんを置いて、行けるはずがない。
ナナさんを見捨てることなんて、できないよ。
だって、一緒にご飯を食べたよね!?
一緒に、お買い物だって行ったよね!?
これからも、ワタシと一緒にいてくれるんだよね!?
「ナナさんだって、友達なんだ。この異世界でできた、大切な友達なんだ…だからナナさんがいなくなったら、駄目なんだあ!」
鎧姿のナナさんは、重い。
ワタシの細腕でナナさんを運べるわけもなく、どれだけ力を込めようと、うんともすんともいわない。
危機に瀕しても、ワタシの中の眠れる力が覚醒することは、なかった。
かわいそうだからと言って、現実は、ワタシに忖度などしてくれない。
「…………」
不意に、空が、明るくなった。
中空に浮くローブの怪人が、再び火球を掲げていた。
「やめ、ろ…」
奥歯が、かたかたと鳴り歯の根が合わない。
言葉に、ならない。
ナナさんは、重い。
動かない。動いてくれない。
人の体って、こんなに重いんだ。
そうだよね。その重さは、命の重さなんだから。
火球は、さらに肥大化していた。ひどく無慈悲な、太陽だった。
…ワタシが見る、最後の光景、かもしれなかった。
「やめ…てよ」
ワタシの呟きに、火球は何も答えない。ただただ理不尽な瞳で、ワタシたちを見下ろしていた。
あんな出鱈目なモノが当たったら、ワタシも、ナナさんも。
…肉の塊に、なっちゃうんだよ?
それなのに、火球はさらに膨らむ。
張りつめた、弓矢の弦を想起させた。
「いやだああぁ…!!」
ワタシが泣いても叫んでも、火球は放たれた。
こちらに向かってくる。わき目も振らず。
「…………!」
再びの衝撃が起こる。
先ほどと同じように空間が捻じ曲がるほどの圧力が、ワタシたちを襲う。
熱で喉が焼け、耳孔から脳を圧し潰そうと空圧が侵入を試みる。
ワタシたちは、再び吹き飛ばされていた。
…吹き、飛ばされていた?
「意識が…ある?」
あの火球に当たれば、即死の、はずなのに?
というか?
そんなに、痛くない?
ワタシの脳裏は混乱に支配され、まともに思考することもできない。
「とりあえずは、無事みたいだね」
ワタシとナナさんを庇うように、ディーズ・カルガが立ち塞がっていた。
「助けて…くれた、の?」
状況から鑑みれば、それしかなかった。
けれど、どうやって?
ワタシは、周囲を見渡した。
火球は、どこにもなかった。
どうやら、この人が途中で撃ち落とした…としか思えなかった。
「分の悪い賭けは嫌いじゃないんだが…いやあ、冷や冷やしたよ。こんなに緊張したのは、リリスに婚約を申し込んだ時以来だ」
軽口のつもりだったのだろうが、ディーズ・カルガの声は、微かに震えているように感じられた。
けど、あの火球を撃ち落としたというのは、本当のようだ。
ワタシたちのところには、火球の余波しかこなかった。
「さあ、次はどうする?あんな魔法はそう何度も使えないんだろ?こっちも切り札を失ったし、今日のところは痛み分けにしないか?」
ディーズ・カルガはローブの人影に声をかけたが、ローブの人物は無視をしていた。ワタシたちには、もはや何の興味も示していない。
それは、ワタシたちの命に微塵の興味も抱いていない、ということだ。
…ワタシたちの命には、一瞥する価値すらない、ということだ。
ローブの人影は、そのまま『邪神』のご神木へと歩を進める。
そして、無造作に手を伸ばした。
女神さまが…アルテナさまが張った、あの結界へと。
その手が結界に触れたところで、止まった。
当然だ。それは女神さま謹製の『通せんぼ』だ。
けど、人影は意に介さない。
「何を…する気なの?」
ワタシの問いかけになど、当然、答えない。
ローブの人影は、しばらく結界に触れていたのだが…そこで、変化が起こった。
結界の中に、人影の腕が、ずぶずぶと無遠慮に沈んでいった。
それは、結界に対する侵食だ。
その光景に、ワタシは言葉を失っていた。
…それ、女神さまが張った結界なんだよ?
多少の時間を要したとはいえ、ローブの人影の腕は、その結界をすり抜けた。
そして、腕を引き抜く。
夜よりも昏いローブよりも、さらに昏い光が、その手に握られていた。
もはや、何が最も昏いのか、分からなくなりそうだった。
瞬間、怨嗟が溢れた。奔流となって。
これまではアルテナさまの結界によって堰き止められていた怨嗟が、歯止めを失い、野放図に溢れ返る。
「…………」
その怨嗟には、覚えがあった。
ワタシには、覚えがあった。あって、当然だ。
…だって、アレ、『邪神の魂』だよ。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございます。
もう本格的に梅雨ですね。
蒸し暑くなってきました。
皆さんも熱中症などには気を付けてください。
それでは、次回もよろしくお願いいたしますm(__)m