23 『ドーナツは穴が開いてるからカロリーはゼロなんだよ?』
「なふほろ…ほうふうほとはっはんだね」
『…なんて?』
「ほうして、りひふはんがわらひにしょうはいをあかひはのは、はっほわかっはほ」
『…だからなんて?』
「ははらぁ…」
『コミュニケーションが成立しないのでとりあえずドーナツを頬張るのやめてもらえませんかねぇ!?』
リリスちゃんは、そこそこ真剣な瞳で訴えかけてくる。
ワタシは、食べかけだったイチゴのソースがかかったドーナツを紙袋に戻して、咀嚼中だったドーナツを飲み込んだ。
『…まさか、本当に先生がドーナツを買いに行くとは思っていませんでしたねぇ』
「え、ちゃんと言ってたじゃない」
街に戻ったら一緒にドーナツを食べようね、って。リリスちゃんはまだお腹が空いていないということで、食べていたのはワタシだけだったけど。
『リリスちゃんは、先生に『悪魔』だって正体をバラしたんですよ!?それなのにいつも通り過ぎないですかねぇ!?よくドーナツがのどを通りますねぇ!?先生は『悪魔』が怖くないんですかねぇ!?』
「リリスちゃん…今のワタシはね、『悪魔』よりも体重計が怖いんだよ」
『ドーナツを五つも食べるからですねぇ!っていうか、さっきおにぎり二つも食べたばっかりなのに、よくドーナツが入る余地がありましたねぇ!?』
「だって、これからまた頭を使わないといけないからね…糖分のチャージは必須だったんだよ」
ワタシは袋に戻したドーナツを取り出し、また一口、パクついた。
『…何を免罪符にしたとしても、カロリーが先生のお尻に行くのを止めることはできないんですよねぇ』
「リリスちゃんこそ知らないの?ドーナツは穴が開いてるからカロリーはゼロなんだよ?」
『???…???』
リリスちゃんはそこで、宇宙猫のような得も言われぬ表情を見せていた。どうやら、リリスちゃんにカロリーゼロ理論はまだ尚早だったようだ。
…まあ、あまりオヤツを食べ過ぎるとまた慎吾とか繭ちゃんに怒られちゃうんだけど。
「とりあえず糖分は摂取したし…リリスちゃんには色々と話を聞かせてもらうよ」
『とりあえずで摂取する量じゃなかったと思うのですけれどねぇ…』
リリスちゃんが何かを言っていたが、ワタシは気にせず、ベンチの背もたれに体をあずけた。天気は快晴で、暑くもなく寒くもないどっちつかずの陽気だった。けど、このどっちつかずの気温が一番いいんだよね、頭を使うのに。
なにしろ、ワタシがこれから一緒に綱渡りをする相方は、古の物語から出張ってきた『悪魔』そのものだ。これぐらいの腹ごしらえがなければやっていられないのだ。
『…確かに、リリスちゃんも先生に話さないといけないことがたくさんありますからねぇ』
リリスちゃんも、ベンチに深々と座り直した。ここは、王都にある公園の一つだった。それほど広くはないけれど、人通りの多い場所からは離れているので人気はない。イチャイチャと内緒の話をするのなら、うってつけの場所といえた。
「要点からまとめると…リリスちゃんが『悪魔』として復活するためには、『願い箱』に投函された願い事を叶える必要があるんだよね」
ワタシは、『おさらい』を口にした。
リリスちゃん復活の条件を。
『正確には、その願い事をリリスちゃんではないダレカに叶えてもらう必要性がある…ですかねぇ』
「そのダレカとして白羽の矢が立ったのが…ワタシってわけだね」
だから、リリスちゃんは頻繁にあの場所にワタシを連れて行こうとしていたんだね。『悪魔』が願い事を叶えてくれるという、あの『願い箱』のある廃教会へと。
『そして、リリスちゃんが『悪魔』として完全に復活するためには、何度かその願い事を叶えてもらわなければならないのですねぇ』
「なるほど」
一度で復活するのなら、ワタシがアイギスさんの『大金が欲しい』というお願いを叶えてあげたあの時に、リリスちゃんは復活しているはずだ。あのかくれんぼ大会の時の、アイギスさんを敗者復活させてあげたあの時に。
「でも、本来ならリリスちゃんはワタシに黙ったままで、その願い事を叶えるお手伝いをさせるつもりだったんだよね」
そもそも、ワタシはあの『願い箱』の噂を都市伝説だと決めつけていた。雪花さんの描いた漫画が現実化されている…という騒動があったあの時に。だからこその疑問も浮かぶが。
「それなのに、自分の正体が『悪魔』だってワタシにバラしちゃったのは、どうしてなの?」
これは、完全に齟齬だった。理屈に合わない。メリットがない。黙ったままワタシを利用しておけばよかったはずなのに、リリスちゃんはそうはしなかった。自慢じゃないが、ワタシなんてライ〇ーゲームのモブキャラくらい簡単に騙されるというのに。
『まあ、リリスちゃんとしても、『悪魔』だって打ち明けた後もこうして先生がいつも通りにしてくれるとは思っていませんでしたけれどねぇ…先生は、『悪魔』が怖くないんですかねぇ?』
「怖いよ、『悪魔』は」
即答したワタシに、リリスちゃんの表情が少しだけ暗くなった。気がした。なので、ワタシは続ける。ワタシなら、この子の表情を明るくすることだってできるんだ。
「でもね、あの廃教会で聞いた『悪魔』はね、なんだか、寂しがり屋な気がしたんだ…だから、シンパシーを感じたんだよ」
『先生って、臆病そうに見えて意外と大胆ですよねぇ…長生きできないタイプなんじゃないですかねぇ』
「え、それは困るよ…ワタシ、まだ食べたいものがたくさんあるんだけど?」
『…よくそれで体重計が怖いとか言えましたねぇ』
リリスちゃんの口調はいつもと同じだったけれど、その声は少しだけ湿り気を帯びていた。
…けどそれは、ネガティブな感情からきたものではなかったはずだ。
それは、ワタシだけが分かるリリスちゃんのシグナルだ。
『リリスちゃんが先生に正体を明かしたのは…先生以外にも、リリスちゃんを復活させようとしている人間がいるからですねぇ』
リリスちゃんの声が、そこで、硬質なものに変質した。ここからは、さらに深度が増す。
それは、リリスちゃんという『悪魔』に、さらに深入りをする、ということだ。
「誰なの…その人」
なんとなくの予感は、ワタシにもあった。というか、該当しそうな人物をワタシが一人しか知らない、ということなのだが。
そして、リリスちゃんはその人物の名を告げた。
『ディーズ・カルガ…リリスちゃんのフィアンセですねぇ』
「やっぱり、あの人…なんだね」
ワタシも、その人には会ったことがあった。センザキグループの新作発表会の会場だ。その時は、ただの紳士然とした男の人だとしか思わなかった…いや、リリスちゃんみたいなロリっ子に求婚しているロリコンだとも思ったけれど。
『なんか先生、失礼なことを考えてそうですねぇ』
「ソ、ソンナコトナイヨー…」
ジト目で眺めてくるリリスちゃんだった。とりあえず、この流れを変えるためにワタシは疑問を投げかけることにした。
「その人って…リリスちゃんが『悪魔』だって知ってるの?」
『知って、いましたねぇ。最初から』
知って、いた?過去形?
しかも、最初から?
…それ、おかしくない?
「じゃあ、リリスちゃんがその…カルガさんに自分の正体を教えたっていうわけじゃないんだね?」
『ええ、あの男はなぜか、最初からリリスちゃんが『悪魔』だと、知っていましたねぇ』
リリスちゃんは、うつむき加減で呟いた。
ワタシは、それ以上にうつむきながら問いかける。
…どう考えても、おかしいでしょ?
リリスちゃん、見た目だけならかわいい女の子だよ?
「どうして…あの人はリリスちゃんが『悪魔』だって知っていたのかな?」
そんなこと、知りようがない…はずだ。
これだけ一緒にいたワタシが、リリスちゃんの正体には微塵も気付かなかったんだよ?
『それは分かりません…聞いてもまともに答えなかったのですねぇ』
「リリスちゃんが『悪魔』だと知った上で、カルガさんはリリスちゃんを復活させようとしてるってこと?」
『…そうなりますねぇ』
「そんな…どんな理由があるの、あの人に」
それは、ある意味では『悪魔』以上に不気味と言えた。『悪魔』以上に、底が見えないではないか。
なぜ、ディーズ・カルガは、『悪魔』であるリリスちゃんの復活を手助けしようとしているのか。
「じゃあ…リリスちゃんがワタシに『悪魔』だってことを告白したことと、関係はあるの?」
『…それは、一応ありますねぇ』
リリスちゃんはそこで深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。三秒ほどの時間が経過した後、リリスちゃんは続きを話し始めた。ここからが、本番ということか。
『リリスちゃんが『悪魔』として完全復活するためには、ダレカの手助けがいりますが…復活した際には、どんな願いを叶えたか…その影響を強く受けてしまうのですねぇ』
「どんな願いを叶えたか…その影響を受ける?」
ワタシは、そこでリリスちゃんの言葉を反芻した。リリスちゃんの言葉を、ワタシの中に刻み込むために。
そんなワタシに、リリスちゃんは続けて言った。
『平たく言えば、悪い人間が悪意の願いばかりを叶えて復活を果たせば、リリスちゃんは文字通りの血も涙もない『悪魔』として復活してしまう…ということですかねぇ』
「え…?」
リリスちゃんの言葉が理解できなかったワタシだったけれど、リリスちゃんは構わず続けた。
『逆に言えば、リリスちゃんの手伝いをした人間が善良な願いばかりを叶えた場合、リリスちゃんは悪い『悪魔』としては復活しない…ということですねぇ』
「善い願いでリリスちゃんを蘇らせれば、善い『悪魔』として復活…」
いや、それ以前に…。
「ちょっと待ってよ!?」
おかしいよね、それ?
「リリスちゃんが復活する時に、手伝った人の精神の影響を受けるってことは…『今の』リリスちゃんはどうなるの?」
『一応、消える、というわけではないはずですねぇ…復活した『悪魔』と混ざり合う、ということでしょうかねぇ』
「それじゃあ、今のリリスちゃんがリリスちゃんじゃなくなっちゃうってことでしょ!?」
それだけの影響を受けてしまえば、もはや今のリリスちゃんではいられなくなる。
「それは…リリスちゃんの面影がなくなるってことでしょ!?」
『元々、今のリリスちゃんは『悪魔』だったころのリリスちゃんとは違う精神なので、別人と言えば別人なのですよねぇ。記憶は引き継いでいますけれど』
「別人…じゃあさ、『悪魔』として復活なんてしなくていいんじゃないの!?」
だって、『悪魔』として復活してしまうということは…。
リリスちゃんと『悪魔』が混在してしまうということだ。
リリスちゃんがどこにもいなくなっちゃうということだ。
「今までみたいにさ、ワタシと探偵ごっことかしてればいいじゃない…こんな風にさ、一緒にオヤツとか食べてればいいじゃない」
『オヤツを食べてるのは先生だけですけれどねぇ…』
リリスちゃんは、笑みを浮かべた。軽く、乾いた苦笑いのような笑みを。
『でも、このままだと、リリスちゃんは悪い『悪魔』として復活しそうなんですよねぇ』
「それって…そのカルガさんの所為って、こと?」
ここにきて、ようやく幾つかの点がつながり始めた。
「もしかして、ジン・センザキさんを襲ったのが…そのカルガさんだったりするの?」
リリスちゃんは、センザキさんが襲われた現場にいた。
そして、ここにきてあの『そんなこと頼んでいませんねぇ』という台詞と状況が合致した。
「その人がセンザキさんを襲ったのは…『願い箱』にセンザキさんが大怪我をするような願いが入っていたからなんだね?」
ワタシの言葉に、リリスちゃんは、無言で頷いた。
「カルガさんは…リリスちゃんを『悪魔』として復活させるために、手段を選んでないんだね?」
だとすれば、その精神は悪性と言わざるを得ない。
「…このままだと、リリスちゃんは悪い『悪魔』として、復活させられそうなんだね?」
ワタシの問いかけに、リリスちゃんはまた、無言で頷いた。
「だから、リリスちゃんはワタシに助けを求めたんだね…悪い『悪魔』になんて、なりたくないから」
『…さあ、それはどうでしょうかねぇ』
「ここまできて悪ぶらなくていいよ…」
変なところで意地っ張りだったけれど、それもリリスちゃんらしくてなぜか安心してしまった。
「よし、分かったよ…リリスちゃんは、ワタシが復活させてあげるよ」
『いいのですか、先生…リリスちゃんは『悪魔』なのですけれどねぇ?』
「ワタシが復活させれば、リリスちゃんはいい子ちゃんとして復活するんでしょ?」
そうすれば、今のリリスちゃんと大差のないリリスちゃんとして復活するはずだ。
『先生みたいに、物凄く食い意地の張った『悪魔』として復活してしまったらどうしましょうかねぇ…?』
「その時は健啖家として生きればいいじゃない」
『肥満と健啖は違うと思うのですけれどねぇ…』
「いや、ワタシだって別に肥満ってわけじゃないからね!?」
『それはひょっとしてギャグで言ってるんですかねぇ…』
と、ここでワタシとリリスちゃんに意見の相違があったので、ちょっとした喧々諤々な一幕があったけれど、そちらは割愛だ。そんなものは、ワタシとリリスちゃんにとっては日常茶飯事だからだ。
そして、その一幕の後で、リリスちゃんがワタシに言った。
『でも、本当にいいのですかねぇ、先生…先生にもやることがあるのでは?』
「まあ、あるといえばあるんだけど…」
簡単に、ダレカに言える話ではないのだ…いや。
リリスちゃんは、ワタシに話してくれた。自身が『悪魔』だということを。
きっと、相応の葛藤があったはずだ。ワタシがリリスちゃんを拒絶して、騎士団などに告げ口をすることも考えたはずだ。
もしかすると、リリスちゃんはそこで騎士団に討ち取られることも、覚悟していたかもしれない。
…自分が『悪魔』として、復活してしまう前に。
「…なら、ワタシが話さないのはアンフェアだよね」
『どうしたんですかねぇ、先生?』
「あのね、リリスちゃん…」
だから、ワタシは洗いざらいリリスちゃんにぶちまけた。
ワタシが『転生者』だったこと、そんなワタシの中には『邪神の魂』があったことも。
…そして、それを、奪われたことも。
『…『邪神』ですかねぇ』
一通り話を聞いた後、リリスちゃんはため息交じりに呟いた。
『けど、まさか、先生の中にあの陰キャ優等生の魂があったなんて…』
「いん…え、なんて?」
何なのその口振り?
というか、もしかして…?
「リリスちゃん…『邪神』のこと知ってるの!?」
『え、そりゃ知ってますよねぇ』
リリスちゃんは、随分とあっけらかんとしていた。
ワタシがドーナツを五つ買ったあの時の方が、この子、よほど驚いていたんだけど?
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございます。
梅雨入りしましたね。
じめじめとした季節なので体調を崩さないように気を付けましょう。
それでは、次回もよろしくお願いいたしますm(__)m