22 『美味しいモノは脂肪と糖でできてるから』
「あ、く…さ、くま?」
サクマ?
あー、有名なアレだよね。
缶に入った果汁の飴のアレだよね。色んな味が入ってて、次は何の味のドロップが出るか、ちょっとしたお楽しみなんだよね。しかも、歴史もすっごく長いロングセラー商品なんだよ?
…頭の中ではこんな与太話がつらつらと浮かんでいたが、ワタシは、まともに発声ができなかった。
「お…て、え」
お盆の頃によくテレビでやってるあの映画!アレで有名なんだよね、あのドロップは!
でも、あの映画は、ワタシにはちょっと切な過ぎて辛くてさ、本気で胸が痛くなっちゃうんだよね。いや、戦争の悲惨さを知るためにも一度は観た方がいいと思うし、日本人としても絶対に忘れちゃいけない物語なんだけどね、アレは。
…頭の中では、匙加減のできない露骨な言葉が幾つも並んでいたが、ワタシの声帯からは、まともな声は出てこない。
「い…わす、え」
…………。
もはや、言葉と呼べるモノは出てこなかった。
ワタシの口から出ていたモノは、ただのノイズだ。
悪魔という言葉をサクマに置き換えて、すっとボケ倒していこうとして、何も言えなかった。それだけワタシの目の前が暗転して、脳内がぐちゃぐちゃに反転されていた。
『リリスちゃんが、その『悪魔』だという話をしているのですねぇ』
その言葉が、ワタシをぐっちゃぐちゃにして、言葉を奪った。
いつもなら、リリスちゃんから『自分は悪魔だ』なんて言われても一笑に付すところだ。それから何の意味もない話題につなげて、堂々巡りでくだらない話をエンドレスに続けるのがいつものワタシたちのパターンだった。
そして、最後には二人で『「くだらないねえ」』ってお腹を抱えて笑うんだ。それなのに、いつものそのルーティンが、できなかった。あれだけ、何度も繰り返したことなのに。
「…………」
リリスちゃんが、悪魔?
確かにこの子はそう言ったが、現時点では、それはただの自己申告でしかない。
…しかし、リリスちゃんの言葉が真実だと、ワタシの心が認めていた。
今のカノジョが纏う雰囲気は、現世のものではなかった。
昔々のお伽噺で語られる、悪魔そのものの饐えた気配を漂わせていた。
それらが、『リリスちゃんが悪魔だ』と言った言葉の信憑性を裏打ちしている。
「本当に…リリスちゃんは『悪魔』なの?」
久遠とも思える時間の後、ようやく、ワタシはカノジョに問いかけた。
普段からよく笑っていて、ワタシのことなんてこれっぽっちも尊敬してなくて、寧ろ侮っているくせに、ワタシと一緒にいると屈託なく楽しそうに笑っているカノジョに。
『証拠なんかありませんけれど、リリスちゃんは、ホンモノの『悪魔』ですねぇ』
リリスちゃんは、嗤った。
その瞳が、ぐんにゃりと曲がって、見えた。
ワタシとリリスちゃんの間に、小さな斥力が生まれていた。
…それは、リリスちゃんとの心の距離が離れていると、ワタシが感じていたからかもしれないが。
「…………」
…ちょっと、待って?
ナニカが、おかしい?
ワタシの中の観測者が、警告の汽笛を鳴らす。
リリスちゃんの告白が歪すぎて心がぐちゃぐちゃに搔き乱されていたけれど、ワタシはリリスちゃんの告白に小さな齟齬を感じていた。
…なに、この違和感は?
けど、コレは絶対に無視してはいけないヤツだ。
コレを見落としたままにしておけば、ワタシとリリスちゃんの関係は破綻する。その予感は、あった。
どこだ?どこだ?どこだ?
ワタシは、懸命に記憶をまさぐる。
ここで見失うわけには、いかないんだ…。
リリスちゃんは、ワタシの大切な友達なんだ!
「…そう、か」
その違和感の尻尾を、ワタシは掴んだ。
だから、問いかける。
悪魔を自称する、この少女に。
「リリスちゃん…仮に、リリスちゃんが悪魔だとして」
『仮に、ではないですねぇ。先生だって、リリスちゃんの言葉がでたらめな妄言ではないと分かっているのですよねぇ』
「リリスちゃんは…どうしてそのことをワタシに教えたの?」
ワタシの声は、最短距離でリリスちゃんに駆け寄る。脇目なんて振らず、一直線に。先刻まで感じていた陰惨な恐怖心は、少しずつ霧散していく。
「リリスちゃんがホンモノの悪魔だったとしても…そのことをワタシに教えるメリットなんて、ないはずだよね」
そう、リリスちゃんは、なぜ自分が『悪魔』だと告白した?
昔話の悪魔ならば、自分の正体を明かすのは最後の最後だ。
なぜ、こんな中途半端なところでそんな告白をした?
『メリット?単に、リリスちゃんが先生を亡き者にするためにこの場所に連れて来たとは考えないのですかねぇ?』
「それはないでしょ」
喰い気味に即答した。
リリスちゃんが正体を明かしたのは、ワタシに危害を加えるため?
自慢じゃないけど、ワタシはこの子の前ではいつでも隙だらけだった。寝首を待つまでもなく、ワタシの首を搔くチャンスなんて、いくらでもあった。
『さすがは、先生ですねぇ』
リリスちゃんは、またも嗤う。
まん丸い瞳が、まあるく歪む。
…でも、もう怖くはないよ。
『先生はさすがの鈍さですねぇ。滑稽ですねぇ。もはや烏骨鶏ですねぇ』
「烏骨鶏は悪口にならないでしょ。それに、今さら『悪魔』っぽく凄んでも説得力はないよ、リリスちゃん」
『そうですかねぇ。これから、先生を丸齧りにするかもしれませんがねぇ』
「しないでしょ…だって、今のリリスちゃん、ワタシと初めて会った時と同じ感じがするよ」
気配は、確かに『悪魔』だ。ワタシだって女神やら天使やら地母神さまやらに囲まれてるんだ。『悪魔』の気配ぐらいは察することができる。けど、それ以上に、今のリリスちゃんは、初めて会ったあの時と同じだったんだ。
『初めて、会った時?』
初めて、リリスちゃんに戸惑いのようなものが浮かんでいた。
「そ、ワタシたちの初対面の時…あの時、リリスちゃんはワタシのことを試そうとしたよね?」
『…そんなこともありましたかねぇ』
初めて会ったあの時、リリスちゃんは、ワタシに『謎解き』を持ち掛けてきた。直接的ではなく、それとなく、だったけれど。
「あの時のリリスちゃんと同じってことは…また、ワタシにナニカを解かせようとしているのかな?」
『…それはどうでしょうかねぇ』
「先ずは、どうしてこの場で自分の正体を明かしたこと…とかかな?」
リリスちゃんの言葉には付き合わず、ワタシのペースで話し始めた。呼気も、整えた。
ここからは、花子ちゃんのターンなのだ。
「追い詰められた犯人でもないのに、リリスちゃんがワタシに正体を明かす理由がないんだよね」
『じゃあ、どうしてリリスちゃんは先生に正体を明かしたんですかねぇ』
リリスちゃんの言葉はぶっきらぼうだったけれど、声音はいつもと殆んど同じだった。いつもの、ワタシとバカ話をしている時の声音だ。
だから、ワタシも安心していつもと同じ調子で続けた。
「そこなんだよね。ワタシがリリスちゃんの正体に追い付いたわけじゃないのに、リリスちゃんは自分が『悪魔』だと名乗った…それは、ワタシに知って欲しかったってこと、かな」
『知って、欲しかった?』
「自分が『悪魔』だってことを、ワタシにね」
普段と同じ調子で、ワタシが言葉を投げかける
普段と同じリズムでリリスちゃんが受け応える。
そうそう、このテンポだよ。
『どうして、リリスちゃんがそんなことをする必要があるんですかねぇ?』
「本来なら、まさにその通りなんだよ。なら、そうしなければならない理由がリリスちゃんにはあったってことでしょ?」
ワタシは、自然と口角が上がっていた。自然と気分が高揚している。そう、ワタシは嬉しかったんだ。だって、これ、リリスちゃんからの『告白』だよね。
『どんな理由があったって言うんですかねぇ』
リリスちゃんも右側の頬だけを動かして笑みを作っていた。
そんなリリスちゃんに、ワタシも言った。
「助けて欲しかったんでしょ、ワタシに」
ワタシとリリスちゃんの間にあった斥力が、いつの間にか引力に変化していた。いや、それは引力と斥力に交互に変化していた。やや目まぐるしく。それが、いつものワタシたちの距離感だ。意味もなく突き放したり意味もなく引っ付いたりするのが、ワタシたちの流儀だ。
『仮にリリスちゃんが手助けを必要としていて…その相手に先生を選ぶ理由があるというのですかねぇ』
「そりゃあるでしょ。寧ろ、リリスちゃんが助けを求める相手なんてワタシしかいないでしょ」
そんなこと、リリスちゃんも分かってるでしょ。
「だって、今のリリスちゃんって『悪魔』として完全に復活してるわけじゃないんでしょ?」
『……………』
その沈黙は、肯定でしかなかった。
リリスちゃん当人は、ややバツの悪い顔をしていたけれど。
「この場所に封印された『悪魔』…リリスちゃんが復活するためには、人の願いを叶えて悪魔の力を取り戻さないといけないんだよね。」
以前、そんな話を、聞いたことがあった。
「そして、そもそもの『願い』を集めるために必要だったのが、あの『願い箱』だったんだよね」
ワタシは、朽ちかけた教会の傍にあった、古びた郵便受けを指差した。その中に願い事を書いて投函すれば、『悪魔』が願いを叶えてくれる…そんな世迷言が、この王都で広がっていた。
まあ、リリスちゃんがその『悪魔』だとすれば、世迷言と高を括るわけにもいかないんだけど。
「多分、何人かの願いは叶えてあるんでしょ?でも、リリスちゃんが『悪魔』の力を完全に取り戻せるほどの願い事は、まだ叶えていない。まだ、叶え足りてないんでしょ?」
ワタシの話を、リリスちゃんは黙って聞いていた。だから、ワタシは続ける。続けなければ、この子との糸が、ここで途切れる。頼まれたって、その糸は手放してなんてあげないんだからね。
「だから、リリスちゃんはワタシにその手伝いをさせたいんだね…ワタシが、人畜無害だから」
『人畜無害だから…助けて欲しい?』
「だって、そりゃそうでしょ」
ワタシは、口にした。
リリスちゃんに伝えなければならない、最も大切な言の葉を。
「ワタシ、リリスちゃんを裏切れないもん」
『…………』
リリスちゃんのその沈黙は、これまでとは違っていた。
多分、リリスちゃんとしても初めての言葉だったからだ。
「昔、リリスちゃんは人間に裏切られたんでしょ?仲間に入れてもらいたかったから頑張ってこの場所に教会を建てたのに、最後には裏切られて封印なんてされたんでしょ?」
リリスちゃんに一歩、近づいた。今は斥力が発生していたけれど、お構いなしに距離を詰める。そして、手を取る。小さくて弱い、その手を。
「…だったら、もう裏切られたくないよね」
ワタシだって、もう裏切られたくなんてない。裏切られるのは、運命だけで十分だ。
「だから、ワタシなんだよね。助けを求める相手が」
リリスちゃんの手を握る手に、少し力を込めた。ワタシの熱が、リリスちゃんに、少しでも伝わるように。
…リリスちゃんは、まだ黙ったままだった。
「自分で言うのもなんだけど、ワタシ、ダレカを裏切るとか器用なことできないもん。しないんじゃないよ。できないんだ。リリスちゃんだって知ってるでしょ?」
カッコいい台詞ではなかった。三文芝居の脚本でももう少しまともな台詞を書く。
けど、ワタシらしい台詞では、あったはずだ。
だからだろうか。
リリスちゃんが、口を開いた。
『確かにそうですねぇ…先生には、裏切りなんて高尚なことはできませんよねぇ』
リリスちゃんは、皮肉を込めてシニカルに笑っていた。
「で、具体的にワタシは何をすればいいの?リリスちゃんの復活を手伝えばいいの?」
『持ち掛けておいてなんですが…リリスちゃんを復活させることに躊躇とかないんですかねぇ』
「だって、リリスちゃんは『悪魔』として復活しても悪いことなんてしないでしょ?」
『…それは、どうでしょうかねぇ』
蓮っ葉な態度だったけど、それはリリスちゃんのワタシに対する照れ隠しだ。それぐらいは分かるのだ。これだけ一緒にいたんだから。
この子は悪いことなんてしない、きっと。ワタシの手で、復活を果たせば。
「でも、まだ分からないことがあるんだよね…どうして、リリスちゃんがそんなに復活を焦ってるのか」
『…焦ってるように、見えますかねぇ』
「焦ってるでしょ。今までだって、リリスちゃんはワタシをこの場所に連れて来て『願い箱』の願い事を叶えさせようと誘導してたけど…でも、ワタシを急かしたりはしなかったよね」
思い返してみれば、リリスちゃんは何度もこの廃教会にワタシを連れて来た。そして、『願い箱』に関心を持つように仕向けていた。
「それなのに、正体を明かしてまでワタシに願い事を叶えさせる手伝いをさせようとしているのは…どう考えても性急だよ。何か理由があるとしか思えない」
『それは…』
「それは?」
『先生以外に、リリスちゃんを復活させようとしている人間がいるからですねぇ』
「え…そんな人がいる、の?」
と、そこでワタシのお腹の虫が鳴いた…それも、二回も連続で。
…なんでこのタイミングで?
『先生…さっきおにぎりを食べたばっかりじゃないですか』
悪魔であるリリスちゃんですら、呆れ顔だった。
「仕方ないよ、育ち盛りだからね、お腹もすくんだよ」
そこで、ワタシはリリスちゃんの手を取って歩き出した。
もう完全に、いつものワタシだちのテンポだ。
「じゃあ、話の続きは街に戻ってからにしようよ…ドーナツでも食べながらさ」
『どうしてドーナツなんですかねぇ?』
割りと『信じられない』といった表情でリリスちゃんに見られていた。
…あれ?ちょっといつも通り過ぎたかな?
まあいいや、このままいこうか。ワタシは、リリスちゃんの手を握ったまま、歩く速度を上げた。
「さっきはしょっぱいお味のおにぎりだったからね、今度は甘い…うん、あんドーナツが食べたいな」
『そんなカロリーの爆弾みたいなものばっかり食べてるからお尻が巨大マックスになるんですよねぇ』
「美味しいモノは脂肪と糖でできてるから仕方ないんだよ!?」
一人の少女と一人の悪魔は、仲良く手をつないで木立の中を歩いていた。
そんなワタシたちに、木立の間から木漏れ日が降り注ぐ。
それは、ちょっとした祝福だった。悪魔に祝福とは、不謹慎かもしれないけれど。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本当にどうして、美味しいモノは脂肪と糖でできているのでしょうね。
永遠の謎です。
それでは、次回もよろしくお願いいたしますm(__)m