20 『どんどんどんドーナツ、どおーんといこう!』
「…一枚岩では、なかったようだ」
ワタシは、王都の街中を歩きながら、声にならない声で呟いていた。
左右にいくつかの商店が居並ぶ大通りには、今日もそこそこの人出があった。仕事が忙しいのだろうか、足早に往来を歩く人たちがいたり、その逆に、ペットのワンちゃんと一緒にのんびりと散歩を楽しんでいるご婦人がいた。ワタシの小さな呟きなど、それらの雑踏の中にまぎれ、すぐに希釈され消えてしまった。
「…………」
繭ちゃんたちと一緒に、『水鏡神社』でシャンファさんと話をした、その翌日だった。
そして、シャンファさんから話を聞いた後で、ナナさんともまた『念話』で会話をした。少しずつだが、センザキさんが襲われた事件にも進展があったようだ。とはいっても、あの人を襲った犯人が捕まったというわけではない。ただ、そのセンザキさんが周囲から疎まれていた、という事実を聞くことができた。
しかも、疎んでいたのは、身内であるはずのセンザキグループの人間たちだったそうだ。
「だから、一枚岩ではなかった」
ただ、グループ全体というわけではなく、その中の一部の派閥の人たちとセンザキさんとの間に確執があったらしい。センザキの名前を冠していることから分かるように、センザキさんもグループの創業者の家系の出自だった。
とはいえ、センザキさんはどちらかといえば遠縁にあたるうえ、センザキさんも養子だったそうだ。そんな人物が代表になって面白くないと思う人間は、少なからずいたそうだ。
まだ憶測の域を出ない話ではあったけれど、騎士団としてはその親族関係のいざこざを無視もできない。グループ内の対立派閥の人間関係に的を絞って、地道に捜査を続けるそうだ。
「…でも、それだと狙われたのがセンザキさんってことになるんだよね」
今でこそ、センザキさんはグループを代表する立場にいるが、若い頃にはけっこう強引な手を使い、出世レースにおいて無茶をしていたようだ。そのツケを払わされたと言えるかもしれない。
けど、それなら、アルテナさまは完全に巻き込まれただけというになる。
それは、ワタシとしては腑に落ちなかった。
「…現在、この世界には蓋がされている」
この世界と天界とのつながりが断たれたため、アルテナさまは天界に戻れなくなってしまった。
アルテナさまが倒れたのも、その件に関わっているナニモノかの所為ではないかと勘繰っていたのだけれど、センザキさんの件にアルテナさまが巻き込まれただけという可能性も、ここで出てきてしまった。そもそも、アルテナさまが一緒にいてセンザキさんが凶刃に倒れたという状況も腑に落ちない。仮にも、アルテナさまは女神さまだ。暴漢相手に、そう簡単に後れを取るとも思えない。
しかし、ジン・センザキ氏は意識不明の重体で、アルテナさまは休眠状態に陥っている。
「目撃者がいないからね…分からないことだらけだよ」
この異世界ソプラノに蓋がされ、アルテナさまが天界に戻れなくなった。
ワタシの中に存在していた『邪神の魂』が、ナニモノかに奪われた。
アルテナさまが倒れ、ジン・センザキという人物が深手を負った。
矢継ぎ早ともいえるほど節操のない速度で、これらの異変がワタシたちの周りで立て続けに起きている。
しかも、これらの事件に関してワタシたちは一切の手がかりが得られていない。
…いや、一つだけ、足がかりくらいにはなりそうな情報はあったけれど。
ワタシは、ソレを探して王都の街中を歩いていた。いつもなら、こうして出歩いていればばったりと出くわすのだけれど、今日は空振りだった。というか、今までのエンカウント率が高すぎたのかもしれないけれど。
「…そもそも、連絡先とかも知らないしね」
そして、『あの子』がどこに住んでいるのかも、ワタシは知らない。聞いても教えてくれなかったからだ。
考えてみれば、知らないことだらけだ。
まあ、ワタシも『転生者』や『念話』のことなどは教えていないので、フィフティフィフティと言えるかもしれないけれど。
そんなことを考えていると、背後から声がかけられた。
ただ、その声は『あの子』ではなかった。
「あら、花子さんではないですか」
それは、やや年配の女性の声だった。落ち着きがあり、この雑踏の中でも通る声だった。
ワタシが振り返ると、そこには二人の女性がいた。
一人はやや年配のご婦人で、もう一人は、その年配の女性の娘さんだった。
「あ、お久しぶりです、セシリアさん…それに、アンさんも」
ワタシは、声をかけてくれたセシリアさんとアンさんの名を呼んだ。けど、すぐに訂正する。
「ええと…アンさんじゃなくてサザンカさん、ですね」
「別にどっちでもいいよ…」
アンさんは、苦笑いにも似た笑みを浮かべていた。『アン』という名は本名ではなく、『サザンカ』の方が正しい名前だ。
そして、この二人は親子だ。とある軋轢やら行き違いやらがあって、離れ離れで暮らしていたが、現在は和解も済んで二人で一緒に暮らしている。
「今日はお二人でショッピングですか?」
紙袋を持っていた二人の様子から、ワタシはそう判断した。
「そうなんですよ、サザンカが新しい服が欲しいと言いまして」
「確かに買い物に誘ったのは私だったけど、結局はお母さんの方がたくさん買ってたよね!?っていうかその年であんな派手なパンツ買うのやめてくれる!?」
アンさんはそこそこ真剣に抗議の声を上げていた…セシリアさんはどんなパンツを買ったのだろうか。それでも、その姿は仲睦まじい親子の姿そのものだった。
…そんな二人に、ちょっとした羨ましさを感じてしまったけれど、口に出さなかったからいいよね。だって、ワタシはもう、お母さんと口喧嘩をすることもできないんだから。
「ところで、花子さんは逆ナンの相手でも探していたのですか?」
「ワタシそんな物欲しそうに見えてました!?」
セシリアさんの台詞に、ワタシは即座にツッコミ返した。そんな尻の軽いおにゃの子ではないのだ、花子ちゃんは。
「ですが、花子さん以前は「どんどんどんドーナツ、どおーんといこう!」みたいなノリで逆ナンの相手を探していましたよね?」
「セシリアさんはどこの世界線のワタシと出会ったんですか!?」
記憶の捏造にもほどがあるよ!?
「あ、そうだ…セシリアさんに聞きたいことがあるのですが」
ワタシは、そこで声色を変えた。それまでの軽いものから、重みをもったものへとシフトする。それだけで、会話のベクトルを変えたと分かってもらえるはずだ。
「…なんでしょうか?」
セシリアさんも、ワタシの声色からそのことを察してくれた。
「セシリアさんたちと『水鏡神社』の関係について、お聞きしたいのですけれど」
「私たちと神社の…ですか」
「『水鏡神社』には、祠がありましたよね…周囲の邪気を吸い取ってくれる、あの祠が」
シャンファさんのいる『水鏡神社』には、一つの祠があった。祠が開いている日中は周りの邪気や毒気を吸収し、祠が閉じる夜の間にその邪気を浄化するという祠が。ただし、その祠を開くことができるのは、巫女であるシャンファさんではない。
「あの祠を開くことができるのは、セシリアさんたちだけなんですよね…だから、セシリアさんたちとあの神社の関係を教えていただきたいのですけれど」
ワタシの言葉を聞き、セシリアさんは軽く瞳を閉じた。
しばらくそうした後、セシリアさんは瞳を開き、口も開いた。
「そうですね…古い話なので、色々と失われている部分もあるのですが」
セシリアさんは、そう前置きしたから話し始めた。
「結論から言えば、私たちと『水鏡神社』には特に関係はありません」
「ないん…ですか?」
ワタシは、驚きの声を上げてしまう。けど、それも当然だ。あの祠は、『水鏡神社』にとっても重要な場所のはずだ。そして、その祠を開くことができるセシリアさんたちが神社とは無関係とは思えない。
「まあ、まったくないというわけではないのですけれど、あの神社を建てた人たちと私たちには血縁関係などはないのです」
「それなのに…セシリアさんたちだけが、あの祠を開くことができるんですか?」
「それは、私たちのご先祖さまにあの祠を開くことのできる力を授けてくれた人がいたからなのです」
「そんな人が…いたんですか?」
さすがに異世界だけあって、この世界は割りとなんでもありだ。けど、それでもできることとできないことの線引きははっきりしているのがこの世界だった。
そして、セシリアさんが『その方』について語った。
「その方は、『魔女』と呼ばれていたそうですよ」
「『魔女』…ですか」
この世界には、物理法則を無視した『スキル』もある。人知を超えた『魔法』も存在している。
だとすれば、『魔女』の一人や二人いたとしてもワタシは驚かない。
ん、いや、待てよ?
…『魔女』?
その言葉を、どこかで…聞いた、ような。
しこりのように、鉛のように、『魔女』という言葉がワタシの中に沈殿していく。そして、一定量がたまったところで、ワタシは尋ねた。
「ちょっと待ってください。あの不思議な祠を開く力は、『魔女』からもらった…んですね?」
セシリアさんにそう尋ねたその瞬間、ワタシは完全に思い出した。
この世界で『魔女』と呼ばれる特異な存在について。
「ええ、そう伝え聞いております」
セシリアさんは、落ち着いた口調だった。
そんなセシリアさんに、ワタシはさらに問いかける。
「その『魔女』って…この世界を、滅ぼしかけたんじゃないんですか?」
その名を口にしたワタシは、軽い悍ましさを感じていた。
以前、アルテナさまと話をしていた時に出てきていたんだ。『魔女』という、その存在が。
そして、女神さまは語っていた。その『魔女』が、この世界を滅ぼしかけた、とも。
「そうなのですか?私たちは何も聞いておりませんけれど」
「え…違うの、ですか?」
セシリアさんから返って来た言葉に、ワタシは拍子抜けをしてしまった。
もしかすると、ワタシが聞いた『魔女』とセシリアさんたちに力を授けたという『魔女』は、別人なのかもしれない。その可能性もあるはずだ。アルテナさまから聞いた話とセシリアさんから聞いた『魔女』では、実像が違い過ぎる。ワタシは、またセシリアさんに疑問を投げかけた。
「それじゃあ、なぜ、『魔女』がセシリアさんたちにそんな力を授けたんでしょうか」
「それは、分かりません。ただ、私たちのご先祖さまが『魔女』を助けた…という話は聞いたことがあるのですが」
「…『魔女』を助けた?」
「瀕死だった『魔女』を私たちのご先祖さまが助けたという話を聞きました…その縁で、あの祠を開く力を授かったと聞いています」
「そう、ですか…そういう理由で、『魔女』が祠を開く力を」
だとすれば、やはりワタシが聞いた『魔女』とセシリアさんが語る『魔女』とは別の存在だということだろうか。
「そういえば、あの神社で事件があったんだって?」
そこで、娘のアンさんが思い出したように言った。
そして、何気なしに続ける。
「しかも、襲われたのがうちに来た人だったからね、驚いたよ」
「アンさん…今、なんて?」
あの神社で、事件があった。
そこで襲われた人が、うちに、来た?
「ああ、あの暴漢に襲われたっていう人…ジン・センザキだっけ。あの人、うちに来たんだよ」
「それ…本当ですか!?」
思わず、ワタシは声を荒げてしまった。
「ああ、なんか、すっごいナイスバディな女の人と一緒だったよ」
思わぬところで、センザキさんの足取りを掴むことができた。
…しかも、アルテナさまも足跡も芋蔓式に、だ。
「それで、聞かれたんだよ…今の花子ちゃんと同じように、『魔女』について」
「アルテナさまたちも…『魔女』について?」
アルテナさまとセンザキさんが、セシリアさんたちに、話を聞きに行っていた?
…あれ?
もしかして、これ、『魔女』違いじゃないって…こと?
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございます。
暑くなってきましたね…本当に暑くなってきましたね。
五月でこれだけ暑いとなると、12月にはどれだけ暑くなるのでしょうね…。
というわけで(?)次回もよろしくお願いいたしますm(__)m