15 『あなたも未来最高と叫びなさい!』
「…………」
一口に神さまといっても、その全てを十把一絡げにできるものではない。
世の中には、太陽を司る神さまもいれば海を守る神さまもいる。さらには竈の神さまやトイレといった、人々の生活に密着した神さまもいる。人に似た姿の神さまが多いけど、狐や犬の姿をした神さまだってたくさんいる。植物の特徴を持った神さまだっているし、なんだったら古い器物に宿る神さまもいる。
…それになにより、不用意な言動でSNSを炎上させたり、唐突に生理が始まる女神さまもいるのだ。
それぐらい、神さまだって千差万別ということだ。特に、ワタシたちが生きてきた国では、八百万ともいわれるほど数多の神さまが存在している。
そして当然、神さまなので人々に信仰されている。
まあ、それは神さまのご利益がお目当ての、下心ありきの信仰だったりするのだけれど。
「…………」
しかし、何の見返りを求めて、あの『邪神』を崇拝しているというのだろうか。
今日、ワタシたちが見かけた子供は言っていた。「邪神さまは世界を救ってくれるすごい神さまなんだ」と。白ちゃんからのまた聞きになるが、その子は、確かにそう言ったそうだ。
「…『邪神』が、世界を救う?」
小さな子供の言ったこととはいえ、ワタシとしては聞き捨てならないところではある。
転生前のワタシがいた日本という国にいた神さまたちは、神さまなのだけれど、どこか人間臭さを感じさせてくれた。だから、ワタシたち日本人は少なからずの親近感を神さまに抱いていたし、それくらい身近でなければ、神さまといえどもすぐに廃れてしまうものだ。
「…………」
しかし、この異世界の『邪神』という存在は、破壊の権化でしかなかった。
ただただ暴れて壊して…命を奪うだけの、身もふたもない存在。
体を乗っ取られかけたワタシだからこそ、分かった。あの『邪神』には、中身と呼べるものは何もない。スカスカの破壊が根底にあるだけだ。それなのに、あの子は『邪神が世界を救う』と話していた。おそらく、あの子の親などがそう教えたんだ。
それが、『源神教』としての『邪神』に対する共通認識ということなのだろう。
「…………」
生前のワタシがいた世界にも、破壊の神さまはいた。
けど、それは世界を壊した後で新しい世界を始めるための、再生と表裏になった破壊だ。あくまでも人の世のための破壊だ。この異世界の『邪神』とは、明確にスタンスが違う。
にもかかわらず、その『邪神』を崇め奉る人たちがいる。『邪神』は、過去に何度もこの世界を滅亡寸前まで追い込んだというのに。
「…ワタシが知らないだけで、『邪神』にはまだ何かある?」
でなければ、『邪神』が崇められる理由があるとは思えなかった。
「花ちゃん、お客さんだよ」
リビングのソファに座り込んで考えていたワタシに、繭ちゃんが声をかけてきた。
「お客さんって…ワタシに?」
誰だろうか?
最近のナナさんなら、勝手に入ってくるのだが(ワタシから強引に鍵を奪って合鍵を作った)。
そして、その『お客さん』はリビングに入って来た。ややしわがれた声で、挨拶をしながら。
「やあ、花子ちゃん」
そんな風にワタシに声をかけてきたのは、老齢の男性だった。とはいっても、動きは矍鑠としていて老いはまるで感じさせない。
「アンダルシア…さん?」
ワタシは、男性の姿を確認して驚きの声を上げてしまった。そこにいたのが、アンダルシア・ドラグーンという名の、英雄だったからだ。
これは、誇張でも膨張でもない。この人は、過去に世界を救っている。ワタシが聞いただけでも、その武勇伝の数は両手の指では数え切れないほどだった。
…そして、今現在、ワタシがもっとも会わせる顔がない人でもあった。
「久しぶりだね、花子ちゃん。ケーキが安売りしてたからね、色々と買って来たんだよ」
アンダルシアさんは、柳眉に皺を寄せながら微笑み、ケーキの入った小洒落た箱を見せてくれる。
そんなアンダルシアさんに、繭ちゃんが苦言を呈した。
「あー、またアンダルシアさんが花ちゃんのこと甘やかしてる」
「いやいや、たまたま安売りしてただけだから」
「この間も、そう言ってドーナツとか買って来たじゃない。あんまり花ちゃんに甘い物ばっかり食べさせるのよくないと思うよ?」
「いやあ、花子ちゃんが喜んでくれるから…つい、ね」
「ダメだよ。最近、花ちゃん窮屈そうにスカートはいてるんだから」
「窮屈そうにははいてないよ!?」
ちょっと苦戦しただけですよ!?
っていうかなんで繭ちゃんが知ってるの!?
「まあ、アンダルシアさんが花ちゃんに甘くなるのも分かるけどさあ」
繭ちゃんはやや諦めモードな口調だった。
確かに、アンダルシアさんはワタシに甘い。猫可愛がりと言っていい。
…ワタシが、おばあちゃんの孫だからだ。アリア・アプリコットの孫だからだ。
そして、アンダルシアさんは、あばあちゃんと夫婦だった。正確には、挙式を挙げる前におばあちゃんが日本に転生してしまうことになったのだけれど。
しかし、つまりはそういうことだ。
この人がおばあちゃんの夫ということは、この人は、ワタシのおじいちゃんということになる。
「…ありがとうございます、アンダルシアさん」
ワタシはアンダルシアさんからケーキの箱を受け取り、冷蔵庫に入れた。
そして、すぐに戻ったのだけれど、アンダルシアさんが声をかけてくる。
「どうかしたのかい、花子ちゃん」
「どうかしたって…どういうことですか?」
「いやあ、普段なら「おじいちゃん、ケーキありがとー!」って言いながら抱き着いてくるのに」
「ワタシそんなこと一回もしてませんよね?」
記憶の捏造にもほどがあるよ!?
「けど、なんだか元気がないんじゃないか?」
アンダルシアさんは、静かな声で尋ねてきた。その声は静かだったのに、重みをもっていた。
「そんなことは…」
言いかけたワタシを、アンダルシアさんは静かに眺めていた。
だから、ワタシはアンダルシアさんに言った。
「すみません、アンダルシアさん…少し、お話してもいいですか?」
「勿論だよ。花子ちゃんの話なら、24時間だって聞くよ」
「…二人きりのトゥエンティ・フォーとかワタシが耐えられませんので」
そして、ワタシはアンダルシアさんを屋上に案内する。
沈みかけた夕日が、ワタシとアンダルシアさんをそっと出迎えてくれた。
「あの、その…アンダルシアさん」
ワタシは、この人に言わなければならない。真っ先に言わなければならないことがあったのに、ずっと言い出せなかった。
ワタシが、おばあちゃんの記憶を失ってしまった、ことを。
アンダルシアさんにとってのワタシは、おばあちゃんとこの人をつなぐ楔でもあった。
ワタシを通して、もう会えなくなったおばあちゃんの面影に、この人は手を伸ばしているんだ。
…それなのに、頓馬なワタシが、まんまとおばあちゃんの記憶を奪われた。
だから、言い出せなかった。
「アリアとの思い出を、奪われたんだって?」
アンダルシアさんの方から、言い出した。核心そのものの、言葉を。
「アンダルシアさ、ん…その、ごめんなさ」
「辛かったね…花子ちゃん」
アンダルシアさんは、ワタシの言葉を遮ってそう言った。慈しむような声が、そこにあった。
「花子ちゃんがアリアの記憶を失くしてすごく落ち込んでるって、聞いたよ」
「アンダルシアさん…ごめんな、さい」
二度目のごめんなさいを、ワタシは口にした。
けれど、アンダルシアさんは軽く言った。
「花子ちゃんが謝ることなんて、何もないじゃないか」
「でも、ワタシは…」
「ありがとうね、花子ちゃん」
「ありが…とう?」
一瞬、ナニカの幻聴かと耳を疑った。けど、アンダルシアさんの瞳は、ワタシを責めたりはしていなかった。ほんのこれっぽっちも。
「だけど、ワタシ…おばあちゃんを取られちゃったんですよ?」
「ああ、だから、元気がないんだろう?」
アンダルシアさんは、微笑んでいた。そして、その微笑みの中で、やわらかい言葉を紡ぐ。
「ということは、それだけ花子ちゃんの中でアリアが大切な存在だった、ということなんだろう?」
「それは…それだけはきっと、確かです」
ワタシは、自信と確信をもって答える。そして、続ける。その自信を引き金にして。
「大切でした…きっと、大切だった、はずなんです」
ワタシは、そこで言葉につまりかけた。それでも、続ける。ここで背を向けることは、おばあちゃんにも背を向けることだから。
「でも、その『大切』が思い出せないんです…ただただ、ワタシの胸の中が空っぽになったみたいで、痛くないはずなのに痛いんです」
尚も、続ける。痛くないはずの痛みに、苛まれながら。
「もう、ワタシ、おばあちゃんに会えないのに。おばあちゃんの声が、聞こえないのに…ワタシは、おばあちゃんのことが思い出せ、ないんです」
どれだけ思い出そうとしても、記憶は霞の向こうに置き去りにされたままだ。どれだけ手を伸ばしても、ワタシはその記憶に触れることが、できない。
「このままじゃあ…本当に、おばあちゃんが、消えちゃうんです」
ワタシは、右手で胸を掻きむしりながら呟く。
そんなワタシに、アンダルシアさんは、次の言葉を口にした。
「だから、ありがとうなんだ…花子ちゃんはアリアのことが大好きなんだよね?」
「それは…はい、大好きなんです」
霞の向こうに記憶を失っても、それだけは断言できた。
けど、だからこそ申し訳なくなる。この人に、対して。なにより、おばあちゃんに対して。
「でも、もう…アンダルシアさんに、おばあちゃんのお話が、できなくなっちゃったんです」
ワタシは時折り、アンダルシアさんにおばあちゃんのことを話してあげていた。それだけじゃない。ワタシのお母さんのことも色々と話した。ワタシのお母さんはおばあちゃんがお腹を痛めて産んだ子供で、それは、アンダルシアさんの娘でもある、ということだ。
…だけど、ワタシには、もうそのお話が、できない。
だから、アンダルシアさんはもう、おばあちゃんの面影すら追えなくなった。
「気にしないでくれ、花子ちゃん」
「気に…しますよ」
爪が肉に食い込むほど、ワタシは両手を握り込んでいた。どれだけ力を込めても、霞の向こうのおばあちゃんの記憶は、掴めなかった。
「それなら、おじいちゃんが花子ちゃんにアリアのことを教えてあげるよ」
「おじいちゃん…が?」
「お、初めてワシのことを「おじいちゃん」って呼んでくれたかな?」
「え、あ…いや、その」
嬉しそうに破顔していたアンダルシアさんに、ワタシは狼狽するだけだった。
…だって、今まで恥ずかしくておじいちゃんとは呼べなかったんだ、この人のことを。
「そうだね、アリアはね…」
そして、アンダルシアさんは訥々と語り始めた。
おばあちゃんが小さかったころから、少し成長したころまで、そして、二人で旅をしていたころの話などを身振り手振り交えて、とても楽しそうに。
「…………」
たぶん、その話はどれも、ワタシがこの人から聞いたことのある話なんだ。
ワタシだって、きっと、楽しみにしていた。
アンダルシアさんと通して、おばあちゃんの面影を追いかけることを。
それを、アンダルシアさんはこうして繰り返して話してくれている。二度手間だったはずなのに、それでも楽しそうに。
…ああ、そうか。これ、のろけ話なんだ。
でも、嫌ではなかった。そして、その話のどれもが、すんなりとワタシの胸の中の据わりのいい場所に、すとんと落ちる。きっと、ワタシの知っていたおばあちゃんの姿が、そこにあったからだ。
そして、アンダルシアさんは続きを話してくれた。
「アリアは口癖のように言っていたよ…「未来が大好きだ」って、「未来は最高なんだ」って」
「そう…なんですね」
その言葉だけでおばあちゃんがどれだけ前向きな人なのかが分かった。そして、なんとなくだけれど、その姿が想像できた。
おばあちゃんの顔は、やっぱり浮かばなかったけれど。
…それでも、胸の空洞は、少しだけ縮小されていた。
「そして、ワシにもよく言っていたよ…「あなたも未来最高と叫びなさい!」と」
「それホントにおばあちゃんが言ったセリフなんですか…?」
未来が見える悪魔とかの話じゃないですよね!?
けど、アンダルシアさんと話をしていて、いつの間にかワタシは、笑っていた。
「よかったよ…花子ちゃんが少しでも元気になってくれたみたいで」
「すみません…ご迷惑をおかけしまして」
「いや、かわいい孫のためだったらどこでもすっ飛んでくるよ」
アンダルシアさんは、いくつもの皺が刻まれた手を軽く握った。
…この人、本当にすっ飛んできてくれんだよね、ワタシのために。
死にかけるくらいの大怪我を負ったけれど、この人はワタシを責めなかった。
たぶん、そんな人だから、おばあちゃんはこの人と結ばれたんだ。
ただ、そこでアンダルシアさんの眉がへの字に曲がる。
「まあ、今回のことはあの慎吾に教えてもらったんだけど」
「え…慎吾に?」
あ、そうか…アンダルシアさんは、ワタシがおばあちゃんの記憶を奪われたことを知っていた。それは、慎吾から聞いたのか。
「それで、頼まれたんだ…花子ちゃんが元気になれるように、アリアのことを話してくれないかって」
「そうだったんですね…慎吾が」
慎吾が、ワタシのために頼んでくれたんだ。
…ちょっと、どころじゃなくて、嬉しかった。
そして、アンダルシアさんがとんでもないことを言い出した。
「もしかして、花子ちゃん…アイツと付き合ってるの?」
「え、いえ、まだそんな事実はございませんことよ!?」
「そうだったらおじいちゃん悲しいんだけど…」
「だからそったらことないってばぁ!」
そこで、ワタシはけっこう強めにツッコミを入れてしまった。力の加減もないまま、アンダルシアさんの背中を叩いてしまったのだ。
「ぐぅお…!」
「ああ、すみません、アンダルシアさん!」
英雄とはいえ、アンダルシアさんそこそこのお年なのだ。しかも、ついこの間まで大怪我で入院していたのだ。
「ぐうぅ…けっこうなダメージだけれど、花子ちゃんがこれからも「おじいちゃん」って呼んでくれたら治りそうな気がするよ」
「アンダルシアさんそういうところがあるっておばあちゃんが言ってましたよ!」
ワタシは、そう叫んでいた。
その声は屋上に吹き込んできた風に乗り、上り始めた月に向かって流れていく。
「…………」
「…………」
ワタシとアンダルシアさんは、同じ時間だけ無言のまま硬直していた。
「今、ワタシ、おばあちゃんのこと、ちょっとだけ思い出せたような、気がしました」
ほんの一瞬だけで、それはすぐに消えてしまったけれど。
「もしかしたら、ほんの少しくらいは花子ちゃんの中にアリアが残っているのかもしれないね」
アンダルシアさんは、やさしい声で破顔していた。瞳の端が小さく濡れていたような気がしたけれど、そこにはあえて触れなかった。
けど、ワタシの中からおばあちゃんが完全にいなくなったわけじゃ、なかった…のかな。
「…『邪神の魂』が奪われた時に、おばあちゃんの記憶も、完全に消えたと思ってたけど」
もしかすると、そうではなかった、のかもしれない。
その残滓くらいは、ワタシの中に残っていたのかもしれない。
「…『邪神』か」
アンダルシアさんが、深い息とともにそう呟いた。
そして、続けて口にした。
「アイツも…かわいそうなヤツだな」
…え?
今、おじいちゃんは、何を言った?
「『邪神』が…かわいそう?」
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日はこれから出かけてきます。
皆さまもよい一日を~。
それでは、次回もよろしくお願いいたしますm(__)m