13 『ハコモアイシテ』
「貴方は…悪魔に願い事を叶えてもらったのですか!?」
悲鳴に近い声で、クレアさんが叫ぶ。
その表情からは血の気が失せていて、薄い土気色をしていた。
「どうしたんですか…クレアさん?」
普段の柔和な面持ちとは違うシスターの表情に、ワタシも戸惑った。何がそこまで、この人の顔色を変えたのか、と。
「いえ、その…花子さんには、以前、この教会は悪魔が建てたという話を、いたしましたよね?」
クレアさんは、静かに語り始める。韜晦でも、含まれているような声で。
ワタシは無言で頷き、アイギスさんも沈黙したままクレアさんの声に耳を傾けていた。
「悪魔は、村人たちと契約をして、この場所に教会を建てました…けれど、村人たちはあろうことかその契約を反故にしてしまいました。悪魔に生け贄の子供を捧げるという血の契約を、不履行にしてしまったのです」
それは、以前にもクレアさんから聞いた話だった。そこで、思わずワタシは口を挟んでしまった。
「でも、その悪魔は、約束を守らなかった村人たちをあえて見逃してくれた…という話じゃなかったですか?」
「それ、は…」
そこで、クレアさんは口籠もった。
それでも、クレアさんは口を開いた。一つ一つの言葉を、噛みしめながら口にする。
「…それは、表向きの昔話でした」
「表向き…の?」
表向きとは、どういうことだろうか。
…決まっている、そこに裏がある、ということだ。
そして、裏側というのは、大抵ろくでもない。そこには、秘匿されてしかるべきナニカがあるからだ。
「本当は、悪魔は退治されたのだそうです…この教会を建てた、その後に」
「たい…じ?」
ワタシは、クレアさんに効き返す。
クレアさんは、苦悶の浮かぶ面持ちで、続きを語った。
「いえ、正確には退治ではなく封印…でしょうか。悪魔は、この土地に封印されたそうです。そして、その封印を行ったのが、私たちのご先祖さまである修道女たちだったと伝え聞いております」
「クレアさんたちのご先祖さまが…悪魔を封印」
「…そのご先祖さまたちがしたことは、正しかったのでしょうか」
クレアさんの呟きは、彼女の小さな口から、小さくこぼれた。
その零れたしずくは、この場に小さな波紋を生んだ。その波紋は、等間隔に、場に広がる。
「確かに、悪魔は子供の生け贄を要求したのかも、しれません…ですが、だからといって教会を建ててくれた相手に対し、簡単に手のひらを返していいはずが、ありません」
「でも、クレアさん…」
何かを言おうとして、何も言えなかった。ワタシのような部外者が何を言っても、それは空々しい欺瞞にしかならない。
「悪魔は、封印される直前に言葉を残したそうです。人の欲望がある限り、自分はまた蘇る、と…そして、いつの間にか、この場所には一つの『箱』が残されていました」
「…『箱』?」
クレアさんが『箱』という言葉を口にした瞬間、ワタシの脳裏によぎった。
この場所に置かれていた、あの『箱』の存在が。
だから、ワタシは口を開いた。
「もしかして、その『箱』というのは…」
「ええ、『願い箱』と呼ばれている、その『箱』です」
ワタシたちの言葉を聞いているのかいないのか、素知らぬ顔をして『願い箱』はそこに立っていた。朽ちかけ、倒壊しかけた姿のままで。
「でも、クレアさん…『願い箱』って、結局はただの噂話だったんじゃないんですか」
この言葉は、ワタシの願望だった。
悪魔が願い事を叶えてくれるなどというのは、よくある都市伝説の与太話のはずだ、と。
だって、雪花さんの漫画は、現実にはならなかった。
だが、クレアさんは首を横に振った。
「先ほども言いましたが、『願い箱』は誰も知らない間に、この場所に置かれていました。長い年月を経ても、ずっとこの場所に残っています…そして、いつの頃からか、一つの噂話が流れるようになりました。『この箱に願い事を入れれば、悪魔がそれを叶えてくれる』と」
クレアさんは、丁寧に言葉を紡ぐ。縦の糸と横の糸を、丹念に織り上げるように。そして、さらに続けた。
「そして、この場所に封じられた悪魔は、人の欲望を糧にしていたという話が残されています」
そう語ったクレアさんの言葉を、ワタシは心中で咀嚼した。
そして、自分なりの解釈を構築してクレアさんに問いかける。
「それは、力を取り戻して復活するために、悪魔がこの場所に『願い箱』を置いた…ということですか?」
悪魔の力の源が人の欲望ならば、それを叶えることで悪魔は力を取り戻せる、のではないだろうか。
人の欲望がある限り、自分はまた蘇る。
そんな言葉を悪魔が残していたと、クレアさんは先ほど教えてくれた。
「…………」
願いを叶える悪魔が、人の願いを叶えるごとに、復活に近づく…だと、したら。
完全なる復活を果たした悪魔は、その先に何を願うのだろうか。
「なので、私たちは定期的にこの場所を見回っているのです」
クレアさんは、その瞳に小さな影を宿していた。この人が抱えているのは、理不尽に封印されてしまった悪魔に対する罪悪感だ。
ワタシは、その罪悪感を刺激してしまうことになると分かっていながら、クレアさんに問いかけた。
「それじゃあ、クレアさん…本当に、あの『願い箱』には、投函された願い事を叶える力があるということなんですか?」
もし、『願い箱』が悪魔の置き土産だとすれば、それぐらいの奇跡は起こせるのではないだろうか。
「それは、分かりません。このポストに、そのような力があるのかどうかは…それでも、私たちは悪魔の復活に備えなければ、なりません」
「悪魔が復活した場合…退治をするために、ですか?」
ワタシのこの言葉に、クレアさんは、何も答えなかった。答えられなかった、のだろうけれど。
「ちょっと、いいかな」
そこで言葉を発したのは、これまで沈黙を選択していたアイギスさんだ。
「どうして、貴方たち修道院はこの『願い箱』を撤去しなかったんだ?」
アイギスさんは、核心となる言葉を口にした。
…ワタシも少し、そこは気になっていたのだけれど。
「それ、は…」
「この『願い箱』が現れたのは、今よりもずっと昔だったんだろう?だったら、片付ける時間なんていくらでもあった。けれど、この『箱』は今もこの場所に置かれている…というかこの『箱』、手入れなんかもしてあるだろ?」
口籠もったクレアさんに、アイギスさんは言葉を重ねる。
クレアさんが沈黙してしまったので、ワタシが代わりに言った。
「もしかして、後ろめたさがあったんですか…悪魔に、対して」
野暮と知りつつ、ワタシも口を挟んでしまった。
先ほどまでは小さな木漏れ日が差し込んでいたが、そこで日の光が遮られ、場が陰った。妙に肌寒い風が、ワタシたちの間を素っ気なくすり抜けていく。
「そうかも…いえ、そうなのでしょうね」
ぽつりぽつりと、小雨のようにクレアさんは言葉を発した。
「悪魔を封印した時も、騙し討ちのようなやり方だったようです。当然、悪魔は恨んだことでしょう、私たちのご先祖さまを…いえ、今もまだ、私たちを恨み続けているはずです」
「確かに、裏切られた悪魔からすればそうかもしれないけど…でも、そうじゃないかも、しれないよ」
相反する言葉を口にしたのは、アイギスさんだ。
「いえ、きっと、その悪魔は私たちを恨んでいるはずで…」
「その悪魔はきっと…人間のことが、好きだったんだ」
クレアさんの言葉を遮り、アイギスさんはそう断言した。
「悪魔が…人間のことが、好きだった?」
疑問を口にしたのはクレアさんだったけれど、ワタシもクレアさんと同じように不思議な顔をしていたはずだ。
悪魔が、人間のことが、好きだった?
「好きだったと思うよ。じゃないと、こんな大きな教会を建てたりはできないよ。しかもこれ、一人で建てたんだろ?」
「確かに、悪魔が一人でこの教会を建てたと聞いておりますが…」
クレアさんは、アイギスさんの言葉に困惑しているようだった。
そんな困惑しているクレアさんに、アイギスさんは続ける。
「きっと、その悪魔は仲間に入れて欲しかったんだよ…人間たちの」
「悪魔が…仲間に入りたかった?」
「楽しそうに見えたんじゃないかな、人間たちが」
木漏れ日も差し込まなくなったこの場所で、アイギスさんは虚空を眺めながら呟いた。その呟きは、王子さまの小さな願望だったのかもしれない。
悪魔も、人と仲良くしたかったのではないか、と。そうであって欲しいな、と。
「ですが、本当に悪魔が人と仲良くしたかったのだとしたら…私たちは、その悪魔にどれだけ酷い仕打ちをしてしまったのでしょうね」
クレアさんの声は、懺悔そのものだった。
王子さまは、そんなクレアさんに声をかける。それこそ、牧師さんのように優しい声色で。
「けど、クレアさんたちは今もこの教会の掃除をしているだろ?『願い箱』だって、手入れをしているんだろ?…それは、悪魔に対して贖罪の気持ちがあるからだろう?」
「それ、は…」
「ただ悪魔を排除するだけならば、教会なんて打ち壊せばいい。『願い箱』なんて残しておく必要はない。クレアさんたちは残しておきたかったんだ…この場所に、悪魔とのつながりを」
そこまで一息で言ったアイギスさんは、一呼吸してから次の言葉を口にした。
「その気持ちは、悪魔にだって届くんじゃないかな」
アイギスさんの言葉は、やけにこの場に馴染んだ。
それが、王子さまの言葉というものなのだろうか。
「そう、だと…いいのですけれど」
クレアさんが呟いたのと同時に、また、ワタシたちの間を風がすり抜けていった。その風は、やけにやわらかい感触を残してくれた。
そして、少しだけ沈黙の時間が流れた。誰にも邪魔のできない、ワタシたちだけが共有した音のない時間だ。ワタシはなぜか、この二人と共犯になったような気がした。悪い気は、しなかったよ?
しばらくその時間を堪能した後、アイギスさんが口を開いた。
「そろそろ戻ろうか…勝手に抜け出してきたからね、帰ったらお説教だよ」
「王子さまなのにお説教とかされるんですね…」
「めちゃくちゃされるんだよ、お説教…物凄く怖いメイド長とかいるからね」
軽く身震いをするアイギスさんに、ワタシはちょっと笑ってしまった。
…ただ、アイギスさんが語った『怖いメイド長』がどれくらい怖いのかをワタシが知るのは、まだ少し先になるのだけれど。
そして、ワタシたちは歩き出した。
のだけれど、そこで気が付いた。
クレアさんが、振り返り教会を眺めたまま動きを止めていたことに。
なので、ワタシはクレアさんに呼びかけた。
「行きましょうよ、クレアさん」
クレアさんは、「はい…」と返事をしてからワタシたちに追い付いてくる。そして、追い付いたところで言った。
「もしかすると、その悪魔も願っていたのでしょうか。この場所に、人とのつながりを残しておきたい、と…それが、あの『願い箱』だったのでしょうか」
クレアさんの声は、祈りだったのかもしれない。名もなき悪魔のための、小さな祈り。
だから、ワタシも小さく祈った。
名前も知らないその悪魔が、その想いが、いつか報われますように、と。
そして、歩きながら、クレアさんは次の言葉を口にした。
「もしそうなら、『願い箱』を残した悪魔は、こう言いたかったのかもしれませんね…『ハコモアイシテ』と」
「…シリアスの余韻が残っている時にボケるやめてもらえませんか?」
言い出せる空気じゃないのだ。『ハコハカエレ!』とか。
「…………」
そして、ワタシたち三人は本格的に帰路につく。
常緑樹だか落葉樹だかよく分からない木立の間を通…。
そこに、無粋な人影が見えた。木漏れ日の隙間から、こちらを窺う幾つかの眼光が。
言葉を発していなくても、分かった。
その人影が、敵意を持っていたことだけは。
「ああ、人気者は辛いなぁ」
などと、アイギスさんはニヒルな笑みを浮かべていた。そうか、アイギスさんを狙った狼藉者か。さすがに、王子さまともなると敵も多いようだ。
…そりゃ、一人でこんなところをうろついてちゃダメだよね。
「なんて、ワタシとしてはハードボイルドを気取ってもいられないんだけど…」
何しろ、ワタシはただの看板娘なのだ。
王子さまのように不敵に笑ったりはできないのだ。
けど、傍目に見ても、何か様子がおかしかった。
その狼藉者たちの視線が、アイギスさんに向いていない?
というか、少しずつ狼藉者たちの姿が視認できるようになってきたのだけれど。
…全員が、黄色い装束に身を包んでいた?
「おい、女が二人もいるなんて聞いてないぞ!?」
「え、おい、どっちの女を狙うんだよ?」
「面倒だから二人とも攫っておくか?」
「やめろ、そんな余裕があるかよ」
断片的に、人影の声が聞こえてきたのだけれど…。
ちょっと待って…どっちの女?
これ、ワタシかクレアさんのどっちかが狙われてるってこと?
「落ち着け、標的の女は…かわいそうになるほど胸が小さい女だって話だったろ!」
人影の中の一人が、素っ頓狂なことを叫んでいた。
当然、ワタシだって絶叫した。
「おい、今言ったやつダレだー!?」
というか、狙われてるの、ワタシなの!?
ワタシの中にはもう『邪神の魂』なんてないんですけどぉ!?
今回も最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。
ゴールデンウイークが始まりましたね、初日に投稿できてよかったです。
皆さまもよい休日をお過ごしください。
それでは、次回もよろしくお願いいたしますm(__)m