12 『ちっくしょおー!持っていかれたあー!?』
「ありがとうございました…願いが、叶いました」
長身の青年は、両手を合わせて深々と、真摯に頭を下げていた。
その青年は、この王都の第二王子だったというのに。
しかも、頭を下げていた相手は、朽ちかけた郵便受けだ。とっくの昔に風化して、現在は郵便受けとしての役割りも果たしていない。それどころかこの郵便受けは、『願い箱』などと呼ばれる、胡乱な噂の大元となっていた。
「あの…それは、何をしているんですか?」
ワタシの理解が、追い付かなかった。
なぜ、ホンモノの王子さまが、倒壊寸前のポストを相手に頭を下げていたのか。
「ん?お願いを叶えてもらったんだから、きちんとお礼をするのが筋だろ?」
第二王子さま…アイギスさん(偽名)は、当然といった口調だ。
「でも、貴方はこの王都の王子さまで…だから、簡単に頭なんて下げちゃいけないんじゃないんですか?」
王族というのは、もっと尊大な態度をとるものだと思っていた。
しかし、アイギスさんは首を横に振る。
「王族だからこそ、そういう不義理は許されないんだよ、花子ちゃん」
「不義理は…許されない?」
「王族って仕事は、国民のみんなからの信頼があって初めて成立するものなんだ。誰からも信じてもらえない王さまがいたら、国なんか簡単に滅んでしまうよ。だから、俺たちに不義理は許されない」
「なる…ほど」
確かに、理屈は分かった。けど、それを実践できる王さまたちが、どれだけいるのだろうか。ナナさんから色々と聞いてはいたけれど、この国の王さまたちって聖人すぎない?
でも、だからこその疑問も浮かぶ。ワタシはそれを口にしようとした。
「それで、アイギスさまは…」
「さまはいらないよ。前の時みたいに、気さくにアイギスさんお兄ちゃんとでも呼んでくれ」
「あの時もアイギスお兄ちゃんとは呼んでませんでしたけどね…」
あまり妙なボケは挟まないで欲しいなあ。王子さま相手にツッコミとか入れにくいのだ。
「あれ、そうだったっけ?とりあえず、花子ちゃんは何も気負わなくていいよ。ここには他に誰もいないんだからさ」
長身の青年は、そう言って快活に笑っていた。あの『リアルかくれんぼ』の時と同じように、問答無用の親しみやすさが、そこにはあった(あの時はアフロだったけど)。この人のこういうところが、街の人たちから慕われる理由なんだろうね。
「それじゃあ、アイギスさん…アイギスさんが『願い箱』にしたお願いって、何だったんですか?」
ワタシは、アイギスさんにそう尋ねた。この人のプライバシーに関わることなので、少し躊躇はしたのだが。
けど、アイギスさんは実直に答えてくれた。何事もなかったように。
「一重の瞼を二重にしてもらったんだ」
「悪魔相手にそんなことをお願いしたんですか!?」
確かに、この世界には高〇クリニックとかありませんけどね!?
「勿論、冗談だけど」
「王子さまの冗談とか下々の者にはシャレにならないんですよ!?どこまで本気にしていいか分からないんですからね!」
「花子ちゃんは本当に元気だな。何かいいこととかあったのかな?」
アイギスさんは軽く笑った後、次の言葉を口にした。
「お金が欲しかったんだよ」
「王子さまなんですからお金なんていらな…?」
あまりに俗っぽい返答に、またボケかと思ってツッコミそうになったが、口振りから察するに、アイギスさんは普通にそう答えたようだった。
そんなアイギスさんは、ケロッとした声で続ける。
「だって、お金は大事だろ?」
「はい、大事ですけど…王子さまなんですから、お金なんて湯水のようにあるんじゃないんですか?」
「馬鹿を言っちゃいけないよ、花子ちゃん。王族が浪費なんてしていいはずないだろ?」
「していいはずが…ないんですか?」
どれだけ浪費するかが、王さまのステータスじゃないの?
それはそれでワタシの偏見なのかもしれないけど。
「ある程度の見栄は確かに必要なのかもしれないね、王族には。他所の国にも力を示さないといけないからね。けど、うちではこう考えてるんだ。王族の財は、国のみんなから預かった共有財産だって」
「…預かった財産、ですか」
「ああ、その預かった資金を国のみんなにうまいこと再分配するのが王族の仕事なんだよ。だから、俺たちが好きにできるお金なんて、みんなよりも少なくないといけないんだ…だから、ちょっと自由にできるお金が欲しかったんだよね」
「自由にできるお金…」
そこで、ワタシは思い至った。
「もしかして、アイギスさんがあのゲームに参加した理由は…」
先日、ワタシやアイギスさんは『リアルかくれんぼ』というゲームで賞金を奪い合った。そして、最終的に優勝したのはアイギスさんだった。
「ああ、俺でも自由に使える賞金が欲しかったんだ」
「でも、あのお金って孤児の子たちの贈り物に使ったんですよね」
この人は、あのゲームで獲得した賞金を、孤児院へのプレゼントにすべて使い切っていた。毎年毎年、それを繰り返していた。なので、孤児の子たちからは『聖人さま』などと呼ばれて英雄視されていたんだ。
「それなら、アイギスさんが最初から予算を組んで子供たちに贈り物をすればよかったんじゃないですか?」
「花子ちゃんがそう言うのも分かるけどね。だけど、それはあの子たちを贔屓することにもなる。王族が特定の人たちだけを優遇することは、絶対に許されない。予算は限られているし、他にもっと逼迫している案件はたくさんあるんだ」
アイギスさんは、少しだけ寂しそうに笑った。
「だから、俺はあのゲームに参加してるんだ。ゲームで獲得した賞金なら、みんなもそこまで目くじらは立てないから…というか、みんなには割りとバレてるみたいだけど」
「そうですね。まあ、分かってない人もいましたけど…騎士団長のナナさんとか」
「ああ、あの子、なんか物凄いスピードで追いかけてきたんだよ!あれはマジでビビった!」
「ですよね…ワタシを捕まえた時なんて、あの人、空から降ってきたんですよ!?ちょっとちびりそうになりましたよ!?」
アノ人、マジで『空飛拳』みたいな勢いで跳んできたんだよ!?
そして、ナナさんの被害者である私とアイギスさんは顔を合わせて笑いあった。
「とまあ、俺たち王族は贅沢をご法度にしているんだよ、ご先祖さまの時代から」
「そうだったんですね」
「驕るヘーケは久しからずって言うからね」
「…ん?」
どこかで聞いたことがあるようなフレーズだった?
「俺たちにそういった教訓を教えてくれたのは…この世界とは別の世界から来た、『転生者』だ」
「転生…者」
「そう、花子ちゃんたちと同じ『転生者』だ」
ワタシは、そこで言葉を失った。
そのまま、凍り付いたままの時間が流れる。
ようやく、ワタシは言葉を絞り出した。下手に誤魔化しても、それは通らないと思ったからだ。
「…どうして、ワタシが『転生者』だって知ってるんですか?」
「ナナちゃんが教えてくれたよ」
「意外とあっけない理由だった!?」
アノ人が口を滑らせただけじゃないか!
「合コンをセッティングするって約束で教えてもらったんだ」
「合コンをエサにワタシを売ったんですかあの人!?」
口を滑らせたんじゃなくて故意かよ!?
銀貨30枚よりよっぽど安いよ!?
「でも、その合コンもうまくいかなかったみたいだよ、ナナちゃんは」
「うまくいったって聞かされた方が驚きますよ、ワタシは」
「その後、ナナちゃんは俺に求婚してきたんだ」
「見境がないにもほどがないですか、あの人!?」
本物の王子さまに結婚を申し込むとか何を考えてるの!?
「けど、咄嗟に言っちゃったんだ。俺には婚約者がいるんだって…本当はいないんだけど」
「そのウソ、絶対にバレちゃダメですよ…」
…バレた時に何が起こるかなんて、ワタシは考えたくない。
「だよなあ…というわけで花子ちゃんが俺の婚約者になってくれない?」
「ワタシを巻き込むのはやめてください…」
ナナさん絡みなんて、絶対に面倒くさいことになるに決まっている。
ん…?
けど、なんか今、ワタシすごいこと言われなかった?
などという話をしていたところに、ワタシとアイギスさん以外の声が聞こえてきた。
「ちっくしょおー!持っていかれたあー!?」
それは、頓狂な叫び声だった。
静謐な森の中に、珍妙な声がこだました。
ただし、その声には聞き覚えがあった。
「花子さんが…花子さんがノンケのイケメンに持っていかれたあー!?」
「いきなり人聞きの悪いこと叫ぶのやめてもらえますか!?」
ワタシは、叫び声の主に叫んだ。
ホント、なんちゅうこと叫んでくれるんだよ、この人。
「花子さんが女の子以外と逢引きしてるぅー!?」
「何からツッコめばいいか分からないボケもやめていただけますかねぇ!?」
女の子が相手なら逢引きしていいんですかね!?
そもそも逢引きじゃないんですけどね!?
「すみません…花子さんに裏切られたと思い、私の中のユリを見守るおじさんが暴走してしまいました」
「そろそろ放逐してくださいよ、そのおじさん…」
ワタシとアイギスさんの前に現れたのは、勿論、心の中にユリを見守るおじさんが住み着いているクレア・コートリアさんだ。ちなみに、こんな人でもシスターだった。今日も修道服に身を包んでいる。
「というか、逢引きじゃないですからね」
こういう誤解は早めに解かなければならない。放置しておくと後々ろくなことにならないのは目に見えているからだ。
「そう…ですよね。花子さんが、女の子以外に色目を使うはずがありませんよね」
「クレアさんの目ってホントに節穴ですよね!?」
ワタシ、一度も女の子を相手に色目なんて使ったことないんですけどお!?
男の子を相手に使ったこともないけどなぁ!
「こちら、アイギスさんですよ…ほら、あの『リアルかくれんぼ』で優勝した人ですよ。今はアフロじゃないですけど」
ワタシは、クレアさんにアイギスさんを紹介した。
アイギスさんも、そのままの流れに乗ってクレアさんに自分の名を名乗っていた。
「初めまして、アイギスです。貴女も花子ちゃんのお友達なんですね」
「あ、ひゃい。私はクレア・ディエーゴ・ハセ・フランシスコ・パウラ・ネアン・ネポムゼーノ・マリーア…」
「それクレアさんの偽名ですよね!?」
前にも聞いたよ!
というか、それだけ緊張してて偽名だけつらつら出てくるの何なんですか…。
「ところで、花子さん…あまり、ここには近づかないように言ってあったはずですよ」
そこで、クレアさんは急にシスターらしい言葉を口にした。
「えと、まあ…そうなんですけど」
ちょっと考え事とかあったのだ。
…なんか、もうどうでもよくなりそうだったけど。
「それと、そちらのナイスガイの貴方も、この場所に来るのはやめておいてください」
「やあ、それは面目ない…けど、俺はお礼をしないといけなかったので」
そこでアイギスさんの言葉にクレアさんが反応し、聞き返していた。
「…お礼?」
「ああ、あの『願い箱』さまが俺のお願いを叶えてくれたから、そのお礼をね。ああ、お礼の品とかは持ってこれなかったんだけど…城を抜け出すのに必死だったから」
アイギスさんの言葉を聞いたクレアさんの表情が、そこで変わった。
「貴方…悪魔に願い事を叶えてもらったのですか!?」
絹を裂くような、クレアさんの叫び声だった。
その声は、静謐な森を振動させた。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ちょっと疲れ気味なので短めのあいさつで失礼させていただきます、お休みなさいませ…。
それでは、次回もよろしくお願いいたしますm(__)m