9 『もっと腕にシルバー巻くとかすべきですねぇ』
「万策尽きたー!」
両手を突き上げ、ワタシは叫んだ。
ある程度、周囲に配慮した声量で。
そうだよね。配慮は必要だよね。
だって、ワタシたちがいるのは街中なんだから。そこそこ人出もある昼下がりの往来なんだから。
「いきなり何なんだよ…花子」
隣りを歩く慎吾が、軽く耳を抑えていた。
…もしかして、けっこううるさかったのかな?
「いや、ごめんね…ええと、どうして『犯人』がワタシから『邪神の魂』を奪ったのかなって、その理由について考えてたんだよ」
歩きながら、ワタシは呟く。これは、真っ当な声量で。
「最初は、『邪神の魂』を奪う目的なんて『邪神』の復活しかないって考えてたんだけど…犯人は『邪神の亡骸』の方には一切、手出しをしてないみたいだよね」
その兆候すら、見られなかった。『邪神の亡骸』を封印している騎士団にもティアちゃんにも、犯人は近づいていない。
「犯人の目的が『邪神』の復活なら、その辺りから目星がつけられるかなって、ワタシは考えていたんだけれど…」
「じゃあ、犯人の目的は『邪神』の復活じゃないってこと…か?」
「その可能性も考えないといけないってこと…かな?」
現状では結論が出せないので、ワタシたちは揃って小首を傾げた。
そして、慎吾がワタシに聞いてくる。
「でも、『邪神の魂』だけなら何も起こらないんだろ?」
「そのはず…なんだけどね」
実際、ワタシの中に『邪神の魂』があったころも、何事も起こらなかった。『邪神の魂』といっても、ワタシの中にあったのはその魂の劣化版のレプリカだ。その程度では、亡骸とセットでなければ何の意味も持たない。
ワタシも慎吾も考え事をしながら歩いていたので、自然とスピードは速くはなかった。けど、そのまったりしたテンポが、今のワタシには心地よかった。
「でもね、慎吾。犯人に何らかのアクションがないと、どこから犯人を手繰ればいいか分からなくなるんだよね…だから万策尽きたー、なんだよ」
ワタシは、また両手を上げた。今度はほどほどの高さで。声の大きさもほどほどで。
そんなワタシに、慎吾が問いかける。
「けど、そもそもの話…花子の中から『邪神の魂』なんてシロモノを抜き出せる人間が、このソプラノにどれだけいるんだ?」
「それ…は」
ワタシも、考えた。
アルテナさまなら、おそらく可能だ。
元々、あの人はワタシの中の『邪神の魂』を取り除くためにこのソプラノに来たんだ。けど、ワタシはそれを拒否してしまった。『邪神の魂』が失われれば、おばあちゃんの記憶もなくなってしまうと聞かされていたからだ…まあ、その話は今はいい。
「ワタシも気になったからアルテナさまに聞いてみたんだけど…やっぱり、普通の人にできることじゃないみたいだよ」
「そりゃ、そんな芸当ができる人なんて、そうはいないか」
「でも、普通じゃない人になら…可能みたい」
そして、普通じゃない人は、この異世界には存在している。たくさんでは、ないけれど。
その説明を、ワタシは始めた。
「何て言うのかな…本来、その人の中にあるはずのない不純物を取り出す魔法とかスキルは、あるみたいなんだよ」
「ある…のか」
「『抜粋魔法』とか呼ばれてるらしいけど、ただ、やっぱりそんな魔法やスキルを使える人間は数が少ないらしいし…」
「そもそも、扱える人間が誰なのかが分からない、か」
「そうなんだよね…一応、シャルカさんが調べてくれてるんだけど」
うちのシャルカさんは、冒険者ギルドのマスターであると同時に、天使でもある。その人脈を使い、『抜粋魔法』を扱える人物を探してくれているのだが、今のところはまだ該当者を見つけられていなかった。そもそも、ギルドの情報網に引っかかるかどうかという懸念もある。完全にお手上げというのが現状だった。
「それなら、花子…あの会場を調べてみるのはどうだ?」
「…会場?」
慎吾の言葉に、オウム返しでワタシが問い返した。
「花子がおばあちゃんの記憶を奪われたっていう、あの会場だよ」
「そっか…あの場所か」
ワタシがおばあちゃんの記憶を奪われたのは、アルテナさまと出かけたセンザキグループの新作発表会だった。
そして、記憶を奪われた時、会場では全ての照明が消えるという不測のアクシデントに見舞われていた。いや、違う。
「あの照明は人為的に消されていたって…ナナさんは言ってたね」
ワタシは、ナナさんから聞いた話を思い出しながら口にした。これは、騎士団長から直々に聞いた話だ。おそらく、誤情報などではない。
ワタシがそう呟いたすぐ後で、慎吾が次の言葉を口にした。
「もし、その暗闇が『花子から『邪神の魂』を奪うために引き起こされたもの』だったとしたら…」
「そこに、何らかの痕跡が残されているかもしれない、ってことだね」
「ああ、そうだ」
慎吾が言ったように、あの場所で犯人の尻尾の…毛先くらいは見つけられるかもしれない。
どちらにしろ、今のワタシたちには犯人の目的は皆目見当がつかない。なら、行動するないのだ。
「じゃあ、さっそく…行くか、花子」
「うん…じゃあ、ヤシャスィーンだよ!」
「やしゃ…なんだって?」
「エル・プサイ・コングルゥだよ」
「さっきと違うじゃねえか!?」
慎吾はワタシのネタはよく分かっていないが、それでもボケには付き合ってくれる。なんだかんだで付き合いいいんだよね。
だから、ワタシの足取りは、そこで軽くなった。前途なんて多難だけど、先行きなんて不透明だけど。それでも、ワタシの足取りは軽くなった。ワタシには、頼りになる仲間がたくさんいるじゃないか。
それでも、やはり問題点はあるのでそれを言葉にした。
「でもね、慎吾。あの新作発表会の会場って、あのイベントのために作られたものだから…もう片付けられてるかもしれないよ」
「そうか、三日前だっけか…まだ片付けの途中なら、その人たちから話が聞けるかもしれないけど」
そして、ワタシたちはあの新作発表会の会場に到着したが、そこはもう完全に普通の広場に戻っていた。天気のいい昼下がりなので人出も多く、屋台などは出ていたが、あのイベントの名残りすらそこにはなかった。テーブルやステージなども、もう完全に片付けられている。
「うーん、見事にいつも通りの広場だね」
ワタシの視界に映るのは、親子連れや友達同士で遊ぶ子供たちの姿だった。
『へえ、デートですかねぇ?』
そこで、ワタシたちの背後から声をかけられた。
それも、もう耳慣れた声が。けど、この声は本当に、色んなところで出くわすね。
「リリス…ちゃん?」
振り返ったワタシの視界の先にいたのは、勿論、ワタシを『先生』などと呼ぶあの子だ。
『ええ、リリスちゃんですねぇ。で、そちらはデートですか?』
「で…ええと?」
ワタシは、その言葉を認識できず、言葉につまっていた。
え、だって、でぇと?
ワタシと。慎吾。が?
なぜか、不意に呼吸が荒くなった?荒くなった、の?
それすら分からないほど、ワタシの頬が熱を帯びていた。
『でも、リリスちゃんからすればまだ地味ですねぇ。もっと腕にシルバー巻くとかすべきですねぇ』
「そもそもデートじゃないからね!?あと、ワタシがシルバーとか巻いてたらリリスちゃん絶対にバカにするよね!?」
…あと、これでもワタシ、今日はちょっぴりおめかししてるのだ。
いつものスカートよりも、明るくて丈も短めにしたんだよ。頑張って足だって出してるんだよ。
そして、毎度のことだが、この子は絶対にワタシのことを『先生』だとは思っていない。敬意なんて微塵も感じたことないからね、この子から。
『けど、どこででも鉢合わせしますねぇ、先生とは』
「それはこっちのセリフなんですけどねぇ。リリスちゃんとのエンカウント率ってどうなってるの?」
はぐれたメタルとかなら大歓迎なんだけど。
『それで、デートじゃないなら何をしているのですか、先生は?』
「ええと…リリスちゃんこそ何をしてるの?」
質問を質問で返してしまった。
けど、本当のことは言えない。言えば、ワタシの中に『邪神の魂』が存在していたことなども詳らかにしなければならないからだ。
『リリスちゃんはちょっと調べ物ですねぇ』
「調べ物?」
またこの子は探偵ごっこに明け暮れているようだ。
『ええ、先生もあの場にいたから分かると思うのですが…』
「ああ、照明の魔石がいきなり消えたことだよね」
ワタシはそう答えたが、リリスちゃんは即座にそれを否定した。
『違いますねぇ…いえ、そこまで違うわけではないのですが。リリスちゃんが調べたいのは、どうしてあの魔石の新商品が機能しなかったのか、ということですねぇ』
「新商品…あの、『テレプス』とかいうヤツ?」
その『テレプス』を一言で説明すれば、魔石を使った携帯電話だ。それがあれば、離れた相手とも通話ができるそうだが…その『テレプス』が、肝心の新商品発表会では上手く起動しなかった。
『おかしいとは思いませんかねぇ?あのセンザキグループが満を持して発表した新商品ですよ?テストにテストを重ねていたに違いないんですよねぇ』
「…確かに、それはちょっと思ったけど」
この異世界ソプラノでは、火力や電力を動力している科学技術は発展していなかった。その代わりに、魔石と呼ばれる魔力を帯びた石を動力源としている道具…魔石機が隆盛を極めているからだ。
そして、センザキグループは、この王都で…いや、この異世界でその魔石機を手広く展開している一大企業だ。
『そんなセンザキグループがあんな失態をするとは、リリスちゃんには思えないんですけれどねぇ』
「もしかして…リリスちゃんは」
『あの『テレプス』とかいう魔石機が機能しなかったのは、ナニモノかが意図的に妨害をしたのでは?と考えておりますねぇ』
リリスちゃんはそう言い切った。口角の端を上げながら。
「そう…なんだ」
けど、確かにそうだ。
あの会場での異変は、ワタシにだけ起こっていたわけではない。
センザキグループにだって、十分に手痛い異変が起こっていたんだ。
「それで、何か分かったのかい?」
考え込んだワタシの代わりに、慎吾がリリスちゃんに問いかけた。
『会場の設置や運営をしていた会社は分かりましたが、今のところはそれくらいですねぇ。あの会場にナニカが仕掛けられていた可能性は高そうなのですが、まだそこまでは…というか、おにーさんは花子先生のステディなのですかねぇ』
「すて…すてててて!?」
なんば言い出すとか、この子は!?
ワタシも何か言ってやろうと思ったが、どうもうまく言えなかった。
そんなワタシに代わり?慎吾が口を開いた。
「ええと、オレは桟原慎吾っていうんだけど、花子とはなんていうか…ちょっとした家族、みたいなものかな?」
ワタシよりはマシだったけれど、慎吾もうまく喋れていなかった。けど、ちょっとした家族って言ってくれたのは、ワタシも嬉しかった。
…ワタシたちみんな、ホントの家族とは離れ離れになっちゃったしね。
『ふぅん…まあ、センセーは奥手とかじゃなくてただのビビりですもんねぇ』
「あ、今の絶対『センセー』って発音だったよね!?ワタシのこと見縊ってるよねえっ!?」
『リリスちゃんにはフィアンセがおりますのでぇ』
「そういえばそうだったぁ!?」
あの会場で、ワタシはその婚約者と出くわしていた。
「しかも、リリスちゃん…向こうから求婚されたって言ってたよね」
『まあ、そうなんですどねぇ』
リリスちゃんにしては、珍しく歯切れの悪い口調だった。
なので、問いかけた。あまり、ワタシなどが踏み込んでいい問題ではなかったかもしれないが。
…でも、友達だもんね。リリスちゃんとは。
「もしかして、あの婚約者の人とうまくいってないの?」
『うまくいくも何も、あの人は最初から目的があってリリスちゃんに近づいて来ただけですからねぇ』
「え…それ、は?」
目的のために、リリスちゃんに?
…この子は、何を言っているの?
『あの人には、リリスちゃんと結婚するつもりなんてありませんねぇ』
この子は、本当に何を、言っているの?
「じゃあ、何のためにあの人はリリスちゃんに求婚なんてしたの…?」
いや、今ここで聞くべきはこれではない。
だから、ワタシは聞くべき言葉を口にした。
「…そもそも、リリスちゃんはナニモノなの?」
これまでにも、似たような質問はした。
そのたびに、はぐらかされてきた。
けど、今回は、これまでとは違っていた。
ワタシの中に、小さな覚悟が芽生えていたからだ。
そして、リリスちゃんも口を開いた。
人差し指を、小さく立てて。
『一つ教えてあげますねぇ、花子先生…女は、秘密を着飾ることでキレイになるんですよ』
「そんな峰不〇子みたいなこと言ったってリリスちゃん割りとちんちくりんだからね!?」
『リリスちゃんそこまでちんちくりんじゃないですねえー!センセーよりもずっとセクシーな大人の女ですねえー!』
「ワタシの方が大人の女でセクシーですー!今日だっておめかししましたー!スカートだっていつもより短くしましたー!」
この口論を皮切りに、ワタシとリリスちゃんの間に、お互いの頬っぺたを引っ張り合うという大人の女の戦いが勃発した。
一緒にいた慎吾が、やけに所在なさげに立ち尽くしていた。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございます。
もう花粉症も完全に治まり、鼻水に悩まされることもなくなりました。
一年で一番、今が過ごしやすい季節だと思うのですが、すぐに暑くなりますよね。
まあ、夏も夏で好きですけれど。
それでは、次回もよろしくお願いいたしますm(__)m