8 『助けてティアえもーん!』
「助けてティアえもーん!」
『いきなりわけの分からん呼び方で助けを求められても困るんじゃが!?』
ワタシは、ワタシの部屋(ほぼワタシとティアちゃんの部屋になっているけど)の中にいたティアちゃんに駆け寄り、勢いそのままに抱き着いた。当然、わけが分からないティアちゃんは目を白黒とさせている。
「お願い、ティアえもんに聞きたいこととかあるんだよ!」
『先ずはその珍妙で敬意の感じられん呼び方をやめい!わらわ様は地母神さまじゃぞ!?』
ワタシに抱き着かれたまま、ティアちゃんはバタバタと手足を動かしていた。それでも体形がお子様なので、ワタシを振り払ったりはできなかった。ティアちゃんも本気で振りほどこうとはしなかったしね。
けど、おふざけはここまでだ。ここまではまあ、ワタシのリハビリみたいなものだ。
「ごめんね、ティアちゃん…でも、ワタシ、どうしても取り戻したいものが、あるんだ」
ワタシの中から、おばあちゃんの記憶が失われた。
正確に言うのなら、ワタシの中から『邪神の魂』が失われ、それと同時におばあちゃんの記憶が失われた。けれど、『邪神』とおばあちゃん、どちらが重要なのかは、ワタシにとっては明白だ。
「…………」
おばあちゃんのことを忘れてしまったけれど、おばあちゃんとの思い出を忘れたままでいることが、ワタシはどうしてもできなかった。一切合切を忘れてしまったけれど、分かるんだ。ワタシの中で、おばあちゃんという存在が、どれだけ大きくて無二だったか、が。
失くしてしまったことで、その大きさに気付かされることもあるんだね。
失くしてしまったことで、ワタシの中に大きな空洞が生まれたからだ。
「…………」
だから、ワタシは誓った。
おばあちゃんの記憶を、もう一度、取り戻す、と。
おばあちゃんとワタシの世界は、隔絶された。
おばあちゃんは日本にいて、ワタシはこの異世界ソプラノにいる。
ワタシがおばあちゃんと会うことは、二度と、できない。
おばあちゃんの声を聴くことも、二度と、できない。
「…………」
だからこそ、諦めることが、できなかった。
ワタシという人間は、今までに出会った人たちと過ごした記憶で形成されている。
そして、おばあちゃんは、その中でも最も強い影響力を持っている人の一人だ。冗談でもなんでもなく、ワタシの三分の一くらいはおばあちゃんでできているんだ。難病に侵されていたワタシはおばあちゃんと過ごすことが多かった。おばあちゃんと過ごした大切で濃密な時間の中で、ワタシの個性は形成されたんだ。
「…………」
だから、ワタシは、おばあちゃんを取り戻さなければならない。
ワタシが『邪神の魂』を取り戻すことは、後ろ指を差される行為だったとしても。
当然、それが一筋縄でいかないことは、分かっていた。
けど、大丈夫。大丈夫なんだ。
ワタシの傍には、慎吾もいてくれるんだ。
野菜にすごく詳しくて、野球がすごく上手な男の子だ。
慎吾と一緒にいると、ワタシの中から心細いのが消えるんだ。
だから、これほど心強い援軍はいないんだよ。
『ふん…ここのところ辛気臭い顔をしておったみたいじゃが』
ワタシに抱き着かれたまま、ティアちゃんは腕組みをしていた。
『それでも、少しはマシになったか』
「まあ、ね」
たぶん、マシになれたとは思う。ここにいる、慎吾のお陰で。あ、慎吾も一緒にいたんだよ。まだ一言もしゃべってないけど。基本的に影が薄いからね、慎吾。
『アルテナと出かけた夜から、お主かなりへこんでおったじゃろ。上っ面だけは取り繕っておったけれど』
「…気付いてたんだね、ティアちゃん」
『いつもお主と一緒に風呂に入っておるのは誰じゃ?いつも、お主と同じベッドで寝ておるのは誰じゃ?聡明な地母神さまでなくとも気付くに決まっておるじゃろ』
ティアちゃんはそこでソッポを向いた。けど、それはワタシに対する拒絶ではなく、ただの照れ隠しだ。それくらいは分かるのだ。だって、いつも一緒のベッドで寝てるのはワタシだからね。
『で、何を聞きたいんじゃ?奪われた『邪神の魂』の所在など、わらわ様にも分からぬぞ?』
ティアちゃんがそう言ったところで、ワタシはティアちゃんから離れた。勢いで抱き着いたんだけど、なんだかそれが恥ずかしくなってきたからだ。そして、なんとなくの気恥ずかしさを抱えたまま、ワタシはティアちゃんに問いかけた。
「ええとね…『邪神の亡骸』は、ティアちゃんが封印してるんだよね?」
亡骸などとは呼ばれているが、正確に言うのなら、それは『休眠中の邪神の本体』だ。
ワタシのおばあちゃんが、復活途中の『邪神』からその核となる魔力を奪った。
それが、『邪神の魂』と呼ばれるモノの正体だ。
そして、おばあちゃんはその魂を自身の中に封印したまま別世界へと…日本へと『転生』した。そこでおばあちゃんが転生をしなければ、邪神はおばあちゃんごと魂を取り込み、この異世界での復活を果たしたからだ。
けれど、『邪神の魂』は別の世界である日本へと渡り、『邪神の亡骸』だけがこのソプラノに残った。さしもの『邪神』といえど、魂と本体を別々の世界に分断されてしまえば復活を果たすことはできず、休眠を余儀なくされた。それでも、完全に息の根が止まっていないのはさすがというべきなのだろうか。
『ああ、そうじゃな…亡骸のうちの一つは、わらわ様の中にある』
現在、確認されている『邪神の亡骸』は二つあった。一つはこの王都の騎士団が封印していて、もう一つは地母神さまであるこのティアちゃんが体内で…というか体内の異空間(?)に封印をしていた。
「それでね、最近、ティアちゃんがダレカに狙われた…とかいうことはない?」
ワタシは、不穏な言葉でティアちゃんに問いかける。
『ダレカとは…誰じゃ、花子?』
「そこまでは分からないんだけど…でも、ワタシの中から『邪神の魂』を奪ったダレカがいるとしたら」
『魂の次に狙うのは、亡骸、か』
ティアちゃんの言葉に、ワタシは頷いた。
そんなワタシに、ティアちゃんは続ける。
『しかしなぁ、わらわ様に喧嘩を売るようなバカなんぞ、花子くらいしかおらぬぞ?』
「…ワタシ、別にティアちゃんに喧嘩とか売ったりしないよ」
『わらわ様が楽しみにしとったバニラアイスを食ったのは花子じゃろうが!?』
「その前にワタシの焼き芋アイスを勝手に食べたのはティアちゃんだからね!?」
『…まあ、痛み分けの話はここまでにしておくか』
ティアちゃんはそこでこの話題をリセットしようとしていたけど、値段でいえばワタシの焼き芋アイスの方が高かったんだからね?
「でもさ、いきなりティアちゃんに襲いかかったりはしなくても、遠くから監視してたりとか…そういうのはないかな?」
狙いがワタシの中にあった『邪神の魂』なら、『邪神の亡骸』も狙っている可能性は高い。その二つが揃えば、おそらく簡単に『邪神』は復活する。
それが、最終的な目的のはずだ。
ワタシから魂だけを奪っても、他に使い道などないからだ。ワタシだからこそ分かる。『邪神の魂』が魔力の塊とはいえ、アレを他の用途で流用することなんて、誰にもできない。ヒトに扱えるシロモノじゃないんだ。アレは、そんな次元にあるものではない。
『監視か…それも無理じゃな』
「どうして?」
あっさり言ったティアちゃんに、ワタシは聞いてみた。
『わらわ様は地母神さまじゃぞ?この大地の女神さまじゃぞ?わらわ様をつけ狙うような輩がいれば、大地の気配から感じ取れるんじゃよ』
ティアちゃんはさらっとすごいことを言ってのけた。
『それに、最近はダーリンのお陰で少しずつ力も戻ってきておるし…そんなわらわ様を襲う不届き者はおらんじゃろ』
ワタシたちは、この異世界に転生する際にアルテナさまから『ユニークスキル』と呼ばれる、この世界でワタシたちだけが扱えるスキルを授けられていた。
慎吾がアルテナさまからもらった『ユニークスキル』は『地鎮』と呼ばれ、土地を浄化したり、土地の力を蘇らせることができた。その『地鎮』のお陰で、ティアちゃんもこうして顕現できるようになったという経緯がある。
…だから、ティアちゃんは慎吾をダーリンなどと呼んでいるわけだが。
『花子、『邪神の亡骸』が気になるんじゃったら、騎士団の方が危ないのではないか?』
ティアちゃんは、もう片方の『邪神の亡骸』の方を心配した方がいいのではないか、と口にした。
「うーん…そっちもさっき聞いてみたんだよ、ナナさんに」
ナナさんはああ見えて(本当にああ見えて)騎士団の団長さんだった。まあ、くじ引きで決まった団長らしいから文字通りの貧乏くじだけど。
「でも、騎士団の方も異常はないんだって…前の一件があってから、『邪神の亡骸』は騎士団としても最優先の案件になってるみたいなんだよ」
件の邪神は過去にも何度かこの世界に現れ、そのたびにこの世界を滅亡寸前まで追い込んだ。
そんな『邪神』が、少し前に、復活しかけたことがあった。
…復活しそうになったのは、ワタシの所為でもあるんだけど。
だから、騎士団としても『邪神』に対しては過敏になっている。けれど、そのおかげで『邪神の亡骸』はほぼ完ぺきに封じられているという話だった。その甲斐があってか、『邪神の亡骸』に近づこうとする者すらいないそうだ。
『ふん…しかし、それはそれで妙じゃな』
「…妙?」
ワタシは、ティアちゃんに聞き返した。
ティアちゃんは座布団の上で胡坐をかきながら答えた。
『妙じゃろ。魂だけあっても、『邪神』は復活せんぞ?なのに、なぜ、花子の中から『邪神の魂』を奪った?魂を奪うのなら、亡骸だって必要なはずじゃ。なのに、その兆候すらないというのはどういうことじゃ?』
「それは…でも、亡骸は後で奪うつもりだった、とか?」
ティアちゃんの言葉に、ワタシなりの考えを口にした。
『その可能性がないとは言わん、が…しかし、魂が奪われれば、亡骸に対する警戒心は高まるはずじゃろ?』
「あ、そう…だね」
どうせ魂を奪うのなら、亡骸もついでに奪う、くらいでなければならない。
『じゃというのに、魂だけ奪っておいて、亡骸を放置する理由はなんじゃ?』
「それ…は」
後の言葉は、続かなかった。
ワタシとしても、その理由が思い当たらなかった。
『ん…また、か?』
そこで、ティアちゃんが不意に眉をひそめた。
「どうかしたの?」
『いや、何というか…の』
ティアちゃんの言葉は、珍しく歯切れが悪かった。
『最近…大地とのリンクにノイズのようなモノが入る時があるのじゃ』
「…ノイズ?」
ティアちゃんはそう説明してくれたが、神さまでもないワタシにはその感覚はよく分からなかった。
『そんなにしょっちゅうあるわけではないし、リンクそのものが途切れるというわけではないんじゃが…なんか、感覚が鈍くなる瞬間があるんじゃ』
「そんなことあるの?」
『こんなこと…今まで一度も、なかったんじゃがな』
ティアちゃんは、眉をひそめ、小首を傾げていた。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございます。
最近になって、ようやく花粉症がマシになってきました。
それでは、次回もよろしくお願いいたしますm(__)m