6 『フィナンシェが嫌いな女子はいません!』
「そっかー、フィナンシェかー…美味しいよね、フィナンシェは。実は内緒だったんだけどね、ワタシも密かに大好きなんだよ?」
『…先生?』
リリスちゃんは、不思議そうな瞳でワタシを眺めていた。
「たっぷりバターに薄力粉に卵…あとはアーモンドの粉末かな?材料がシンプルだからこそ、素材の持ち味が最大限に引き出されるお菓子だよね、フィナンシェは」
『先生…?』
リリスちゃんは、まだワタシのことを不思議そうに眺めていた。
「リリスちゃんもフィナンシェ好きだよね?『フィナンシェが嫌いな女子はいません!』だもんね?」
『先生…』
「それにね、フィナンシェってお金持ちとか金融家って意味もあるらしいよ?あの長方形の形が金の延べ棒みたいな形をしてるからなんだって。それでね、金運的に縁起のいいお菓子でもあるんだよ。リリスちゃんは知ってたかな?」
『ボケが長すぎるんですよねぇ、先生!』
そこで、リリスちゃんが大声を上げた。そこからさらにツッコミがくる。
『リリスちゃんが言ったのはフィナンシェじゃなくて『フィアンセ』だったんですけどねぇ!?』
「あ、はい…」
リリスちゃんの剣幕に、思わず小声になってしまった。
『それなのに長々とフィナンシェの蘊蓄まで喋り始めるとか…フィナンシェのボケでどれだけ尺を取るんですかねぇ』
「尺とか言い出さないでよ…」
『先生がボケると話が進まないとか、周りの人に言われたりしてませんかねぇ?』
「そんな…ことは」
たまに繭ちゃんに言われているくらいです。
『そんなにリリスちゃんに婚約者がいたことがショックなんですかねぇ?』
「え、いや…そりゃ動転するよ!?」
ワタシじゃなくたって混乱するよ?寧ろ、ワタシだからこの程度の致命傷で済んでるってことを褒めて欲しいくらいだよ?
「だって、婚約者だよ…フィアンセだよ!?リリスちゃんはそんな子じゃないでしょ!?」
『リリスちゃんのことをどんな子だと思ってたんですかねぇ…?』
「色恋とかに現を抜かす子じゃないと思ってました!あと、割りと人の心とかないと思ってました!主にワタシに対して!」
『…途中から先生の私怨が入っているようなのですが』
「というか、すっごく負けた気になるのはなぜなんですか!?」
『知りませんよ、そんなこと…』
リリスちゃんに溜め息をつかれた。
「でも、なんで…?というか、いつ?だって、ちょっと前に会った時だって、リリスちゃんは何も言ってなかったじゃない」
『聞かれませんでしたからねぇ』
「普通は聞かないからね!?「婚約者できた?」とか!」
そんな「お父さんの入れ歯、見つかった?」みたいなノリで聞くことじゃないからね?
「ああ、そうか。親が決めた許嫁とかなんだね」
その可能性を失念していた。それならまだワタシの理解の範囲内だよ。
『いえ、普通に求婚されました』
「ウッソでしょ…?」
リリスちゃんに、求婚…?
この子、ワタシよりもちょい年下くらいだよね?
そんな子供に…求婚?
球根とか開墾じゃなくて?
『一週間ほど前に、ですねぇ』
「割りと最近ですねぇ!?」
思わず、リリスちゃんみたいな口調で叫んでしまった。
『けど、婚約者ってそんなに珍しいモノじゃないと思うんですけれどねぇ』
「やめてリリスちゃん!その術はナナさんに効くから!」
『求婚されたのだって、これが初めてってわけでもないですしねぇ』
「求婚が…初めてじゃない?」
『三回目くらいですかねぇ。前の二回は断りましたけど』
「三回目…だと?」
前の二人はダレよ!?というか、どんなロリコンよ!?
『でも、婚約者なんていてもそんなに面白いモノじゃないですねぇ』
「月のない夜は一人で出歩いちゃダメだよ!?」
婚活魔神のあの人に聞かれたら捻り潰されかねないセリフだよ!?きわめて物理的にね!?
あの人、見境なく『運命の人だ!』とか言い出して求婚するような人なんだからね!?
お城に侵入してきた暗殺者を返り討ちにした後で結婚を申し込んだって聞いた時はさすがに引いたよ!?どんな婚活エピソードよ!?
「そう言わないでくれよ、リリス。今日だって、僕がいたからここに来られたんだろう?」
そこで、初めて『婚約者殿』が口を開いた。これだけリリスちゃんやワタシが騒いでいたにもかかわらず、この人の声は落ち着いていた。
『まあ、先生にも会えましたし…あとは、事件でも起こってくれたらリリスちゃん的には満足なんですけれどねぇ』
「不謹慎なこと言い出さないでよ…」
給仕の人とかに聞かれたら気まずくなっちゃうでしょ?
『ところで…先生と一緒にいる、先生とはまるで違った男好きのする豊満な肢体の持ち主の方はどちら様なんですかねぇ?』
「言っとくけどリリスちゃんだってワタシと大差ないからね!?」
ホント、月のない夜は気を付けるんだよ?
ワタシにだって限度ってものがあるからね?
「ええと、こっちの人はアルテ…アルトちゃんだよ」
ワタシは、咄嗟に口から出任せの偽名を口にした。一応、このソプラノではアルテナさまは有名な女神さまだからだ。本物を目の当たりにして幻滅したらいけないからね、信徒の人たちが。
『え、ワタクシ、アルトちゃんなんですか?』
「もー、アルトちゃん、これ以上のボケはいらないよー。お腹いっぱいだからねー」
せっかく気を使ったのに、当の女神さまの察しが悪すぎた。
『ふぅん…そうなんですねぇ』
リリスちゃんは、アルテナさまをまじまじと眺めていた。値踏みでも、するかのように。そして、自己紹介を始めた。
『よろしくお願いします。リリスちゃんはリリスちゃんですねぇ』
『はい、よろしくお願いいたしますね、リリスさん。ワタクシはアルトです。誰が何と言おうとアルトなんです』
…なんで普通にできないかな、この女神さまは。
まあ、普通にしてたらアルテナさまじゃないんだけどさ。
「ほら、リリス…そろそろ始まるみたいだよ」
そう言ったのは、リリスちゃんのフィナン…フィアンセさんだ。
ワタシはまだ、この人の名前すら知らない。
どうしてリリスちゃんに求婚などしたのか?ただのロリコンなのか?
聞きたいことはあったのだが、彫りの深いイケメン相手にそんなことを聞けるワタシでもないので黙っていた。というか、この人が言ったようにパーティの主役が壇上に上がるところだった。
「本日は、我がセンザキグループの新作発表会にお越しいただき、誠にありがとうございます」
壇上に上がったのは、ジャケットに似た上着をを羽織った男性だった。そして、よく通る声をしていた。その精悍な顔つきを見れば、この人が精力的な人物だということが一目で分かった。
そこで、リリスちゃんがワタシの傍に寄ってきて小声で話しかけてきた。
『あの人が、センザキグループ代表のジン・センザキですねぇ』
「リリスちゃん、あの人のこと知ってるの?」
『そこまで詳しいわけではないですけれど、ある程度は知っていますねぇ』
リリスちゃんは、ワタシではなくジン・センザキを真っ直ぐに見据え、口を開いた。
『何しろ、ジン・センザキはこの王都を陰から牛耳る大悪党ですから』
「え…悪とう?」
ワタシは、言葉を失ってしまった。
そんなワタシの代わりに、リリスちゃんは言葉を紡ぐ。
『人身売買は言うに及ばず、武器の密輸や製造、さらには暗殺まで手広く請け負っている…という噂があったら面白いなって思ってます』
「リリスちゃんが思ってるだけなんだね!?」
はた迷惑なウソつかないでくれるかな!?
『でも、この王都で一番の大企業ですよ?それくらいの噂があった方が面白いじゃないですかねぇ』
「悪趣味にもほどがあるよ!?」
そんな悪質な流言飛語が会場の一部で飛び交っているとは夢にも思っていないであろうジン・センザキ氏は、壇上で話しを続けていた。あの人は、声がよく通るだけでなく、スピーチも上手だった。合間合間にジョークを交え、会場に集まった人たちを笑わせている。外見的には五十代くらいのようだったけれど、年齢を感じさせない確固としたハリが、そこにはあった。
「すみません、少し挨拶が長くなってしまいましたな、妻からもよく叱られております。「貴方の話はキリンの首くらい長いんですよ」と」
センザキ氏のスピーチでまた会場が沸いていた。
個人的にこのジョークは今一つだったけれど、勿論、ワタシは顔には出さない。
…隣りにいたリリスちゃんは、フレーメン反応を起こした猫みたいな顔をしていたけれど。
「では、さっそくお見せいたしましょう…これが、我がセンザキグループが開発した新商品です」
そう言ったセンザキ氏に、一つの木箱が届けられた。あの人は、その箱を開けた。軽快に。快活な笑みを浮かべながら。
中から出てきたのは、長方形の箱…だった?
「なんだろうね、アレ」
思わず、ワタシは呟いていた。
そして、その疑問はすぐに解消された。壇上にいる、ジン・センザキ氏の言葉によって。
「これこそが、我がセンザキグループが開発した、新たな魔石機…その名も『テレプス』です!」
センザキ氏は大々的に声を上げていたが、会場にいたワタシたちはその商品がどんな魔石機なのか分からないので、今一つ反応は鈍かった。そんなワタシたちを壇上から眺めていたセンザキ氏は、逆に微笑んでいた。
…そんなセンザキ氏を見たワタシの脳裏に、スティーブ・ジョブズが浮かんでいた。
「この『テレプス』は、これまでの魔石機とは一線どころか二線も三線も画す発明となっております。いや、人類の歴史そのものが変わるのです!今日、この夜から!皆さまは、その生き証人となるのです!歴史の目撃者となるのです!」
センザキ氏は両手を広げて叫ぶ。大仰な仕草が、まるで仰々しく感じられない。きっと、それはこの人のような一部の人間だけが持つ特別な才覚だ。そして、センザキ氏が持つ熱は、徐々に会場にいるワタシたちにも伝播してきた。それは、足元から、首元へと昇ってくる。緩慢に、じわりじわり、と。
センザキ氏は、その『テレプス』を高く掲げた。
「何しろ、この『テレプス』をお互いが持っていれば、遠く離れた相手とも会話をすることができるのですから!」
センザキ氏の声が届く範囲内は、彼が支配する熱砂の領域にあった。
会場の熱狂が、十重二十重の波状となって周囲を包む。蒸し焼きにでもするかのように、熱が閉じ込められる。
「遠く離れた相手と会話ができる道具…すごいですね」
ワタシは、呆けたように呟いていた。
…だってそれ、携帯電話ってことだよね?
この異世界は、ワタシたちがいた日本のように科学技術が発展した世界というわけではない。それでも、魔石と呼ばれる魔力を帯びた不思議な石を使うことで、様々な現象を可能としていた。現在、ワタシたちを照らしてくれているこの街灯も、発光する魔石を利用して開発された道具だ。
けれど、まだ、電話は発明されていなかった。この、異世界ソプラノには。
「…………」
あれ?でもちょっと待って?
携帯電話と似た道具が発明されたとなると…ワタシの『念話』が、存在価値を失うのでは?
ここにいるアルテナさまから、ワタシは『念話』を授けてもらった。それは、遠く離れた相手ともテレパシーで会話ができるという伝達のスキルで、この世界でワタシだけが扱える『ユニークスキル』だった。
「まあ、別に…花子ちゃんの『念話』は道具なんてなしでもお話しできますからね。あの機械の上位互換って言っちゃっていいですからね」
『何をぶつぶつと呟いているのですか、花子さん?』
「…何でもないですよ、アルテナさま」
携帯電話という新たな発明品の場に立ち会ったという興奮と、ワタシの『念話』が唯一無二でなくなったという寂しさが相反し、ワタシとしてもどのような感情を抱いていたのか分からなかった。
「では、さっそくデモンストレーションといきましょう!」
壇上でセンザキ氏が声を上げた。その、瞬間。
世界が闇に包まれた。
それまでは煌々と灯っていた魔石の灯が、一瞬ですべて消えた。
「なに…が?」
起こって、いる?
混乱したワタシは、言葉を発することすらままならなかった。
しかし、周囲も似たようなものだった。
無明の中で、誰もが言葉を失っていた。
光だけではなく、世界から音も奪われた瞬間だった。
そんな、光と音が消えた世界の中で、異変は起こった。間を置かず、畳みかける、ように。
「…!?」
不意に、ダレカがワタシの背中に触れた!?
いや、本当に触られたのかどうかすら、よく分からなかった。
不意に力が抜け、膝をついた。
…ワタシは、膝を、ついたのか?
光と音の次は、大地さえ消えたようだった。
それほどまでに、ワタシの感覚が消えていた。
そのまま、ワタシという存在が夜に溶ける。かと、思われた。
『花子さん…大丈夫ですか、花子さん!?』
「アルテ…さま?」
いつの間にか、灯りは復旧していた。
先ほどの混乱も、潮が引くように収まっていた。
『ご無事ですか、花子さん!?』
アルテナさまは、やけに焦っていた。
そして、ワタシの手を握っていた。
「やだなあ、アルテナさま…どうしたんですか?」
『それはこちらの台詞ですよ!』
アルテナさまの声が、夜に響く。
見上げたワタシの目に、街灯の光がやけに眩しく感じられた。
「あれ…?ワタシ、なんで座ってるんですか?」
いつの間にか、ワタシは膝をついて座り込んでいた。
いや、さっき膝をついた…んだっけ?
なんだか、よく分からないや。
今までの全てが、夢だったような感覚だ。
「…………」
どこからどこまでが、夢だったんだろうね?
…ワタシが、病気で死ぬまでかな?
『本当に…大丈夫なんですか、花子さん!?』
「大丈夫ですよ、とと?」
立ち上がろうとしたワタシは、そこでふらついた。
なぜか、妙にバランスが取れない…?
そんなワタシを、アルテナさまが抱き留めてくれた。
ふわふわで、やわらかかった。
そのまま沈み込んでしまいそうな、ほど。
『本当に、大丈夫なのですか…もし、花子さんに何かあったら』
アルテナさまは、今にも泣きだしそうな瞳だった。
しんぱいしょーだなー、アルテナさまは。
そして、心配性なアルテナさまは言った。
『もし、花子さんに何かあったら…花子さんのおばあさまに合わせる顔がありませんから』
「おばあ…ちゃん?」
『そうですよ、花子さんのおばあさまです』
そこで、ワタシは尋ねた。アルテナさまに。
「おばあちゃんって…ダレでしたっけ?」
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回のタイトル『お父さんの入れ歯、見つかった?』のオマージュ元は『パ〇マン』だったのですが、さすがに古すぎたでしょうか…汗
それでは、次回もよろしくお願いいたしますm(__)m