4 『恥を知りなさい、俗物っ!』
「いやだあー!」
珍しく…(というか初めて?)繭ちゃんが駄々っ子モードを発動していた。床に寝転んで手足をばたつかせ、声の限りに叫んでいる。
「…仕方ないでしょ、繭ちゃん」
繭ちゃんの親権を持つ保護者として、ワタシはこの子を窘めた。あ、現在はワタシが繭ちゃんの親権を握っております。そのうち、ゲームで負けて雪花さんに奪われるかもしれないけど。
「でも花ちゃん…やっぱり早いよぉ!」
「けどね、繭ちゃん…最初から決まっていたことなんだしね」
「やだやだやだあー!花ちゃんのイジワルー!」
なんだか聞き分けのない繭ちゃんだった。
しかもここ、街中なんですけど…そこそこ人通りのある往来なんですけれど。
「繭ちゃん…このままだと、ワタシが繭ちゃんをイジメてるみたいになるんだけど」
さっきから、通行人の視線が割りと本気で痛いのだ。
そんな繭ちゃんに、アルテナさまが声をかけた。
『すみませんね、繭さん』
「アルテナさまぁ…」
『ワタクシとしても、もう少し繭さんと一緒にいたいのですが…あまり、ゆっくりしてもいられませんでして』
申し訳なさそうに、アルテナさまは寂しそうな微笑みを浮かべていた。この女神さまも、繭ちゃんともっと一緒にいたいようだ。
「そうだよ、繭ちゃん。アルテナさまだって仕事とかあるだろうから、いつまでもこっちにいられないよ?」
要するに、繭ちゃんはアルテナさまに帰って欲しくなくて駄々をこねていたのだ。
…まあ、繭ちゃんでなければ許されない駄々っ子っぷりだったけれど。
『いえ、仕事はまだ大丈夫なのですけれど…あまりこちらに長居していて、エルフさんたちに見つかると火炙りにでもされてしまいそうですので』
「まだ許してもらえてないんですね…」
…そういえばこの人(?)、しょうもない過失でエルフさんたちの森を焼いたんだった。
その一件で、エルフちゃんたちは先祖代々、住んでいた森を追われたそうだ。ただ、アルテナさまの助力もあり、新しい土地に移り住むことはできた。一応、以前の住処よりは快適に過ごせているそうだが、その時の遺恨が、まだエルフちゃんたちとの間には根深く残っているらしい。
…本当に何をしているのだろうか、この女神さまは。
「じゃあ…アルテナさま、またこっちに来る?」
繭ちゃんがアルテナさまの豊満なお胸に顔を埋め、上目遣いで問いかける。
絵面としては妹がお姉ちゃんに甘えているだけの構図なのだが…アルテナさまって、ドレスみたいな薄手の服装なんだよね。繭ちゃんの親権を持つ者としては、ここで注意をするべきなのだろうか。本気で忘れそうになるけど、この子、男の子なんだよね。
『ワタクシとしても、もっと頻繁にこちらに来られればいいのですが…』
「やっぱり、難しいんですか?」
ここで尋ねたのはワタシだ。女神さまといえど、世界を跨ぐような奇跡はおいそれとは使えない、ということか。
『勿論、それもありますけれど…あまり天界から離れてばかりですと、留守の間に女神職をリコールされてしまうのですよね』
「…リコールされる女神さまって何なんですか?」
あと、女神さまって職種だったんですか?
まあ、この女神さまは放っておくと何かしらの問題を起こすからね。リコールしたい気持ちも分からなくはないよね。
『だって…女神でなくなってしまったら、誰がワタクシのことをちやほやしてくれるというのですか!?』
「…思わず口に出してしまいそうになりましたよ?『恥を知りなさい、俗物っ!』って」
『それは口に出していないことになるのですか…?』
だって、そんな不埒な理由で女神さまをやっていたとは思っていなかったのだ。
ていうかいるの?
アルテナさまのことをちやほやしてくれる人なんて。
「とりあえず、今日の夕方までは一緒にいられるんだから、繭ちゃんもその間にたくさんアルテナさまに甘えていいよ」
とはいえ、アルテナさまがこちらに来たのは昨日で、一泊しかしていないことになる。繭ちゃんではないが、もう少しゆっくりしていけばいいのにと、ワタシも思っていた。
「うん、ボク甘えるね!」
繭ちゃんは元気いっぱいに頷いていた。どうやら、機嫌は直ったようだ。
けど、その後ろでは白ちゃんがなんだか所在なさげにしていた。
そうだよね。白ちゃんからしたら、知らないお姉さん(女神さま)がいきなり現れたことになるんだもんね。そりゃあ絡み辛いよね、アルテナさま変神だしね。しかも、いつも一緒の繭ちゃんはアルテナさまにべったりときた。
「…………」
そして、そんな繭ちゃん白ちゃんを、雪花さんが腕組みをして後方から眺めていた。真剣な瞳だったけど、あれ、絶対に頭の中は繭ちゃん白ちゃんでかけ算してるよね。嫉妬した白ちゃんが繭ちゃんを攻める展開とか脳内で繰り広げてるよね。
…というか、大分ワタシも雪花さんに毒されてるな。ちょっと本気で気をつけねば。
「じゃあ、先ずはどこに行こうか」
そう言ったのは慎吾だ。
慎吾も、今日ぐらいはみんなと一緒にいたいようだった。隣にはティアちゃんもいる。これで全員集合だね。ああ、シャルカさんはシャルカさんで勿論、二日酔いだよ?なので、冒険者ギルドの方はサリーちゃんが一人で頑張ってくれている。さすがにちょっと申し訳ないので、後で繭ちゃんのブロマイドでも差し入れておこうか。
「アルテナさま、帰る前にお土産を買いたいって言ってましたよね」
天界に戻る前に、頼まれていたお土産を買いたいとアルテナさまが話していたことをワタシは思い出した。
『はい、『ソプラノ饅頭とソプラノ木刀とソプラノ赤べこはマストなんで~、とりまよろしく~』と言われておりますので』
「…アルテナさま、ギャルからお土産を頼まれたんですか?」
まさか、天界までギャルに侵食されているのか?
それなのに、お土産のチョイスが観光地のあるあるアイテムなのはなんで?
…というかあるんですね、ソプラノ饅頭。ワタシ、知らなかったんですけど?
「荷物になるからお土産は最後でいいんじゃないか?」
「ああ、そうだね」
慎吾に言われ、ワタシは納得した。
そんなワタシと慎吾を見て、アルテナさまは微笑んでいた…ちょっとだけ意味深に。
「…どうしたんですか、アルテナさま?」
なので直接、ワタシは問いかける。
『いえ、花子さんと慎吾さんが仲良くされているようで、ワタクシも安心しました』
「仲良く、ですか…いやでも普通ですよ、ふっつう!」
なぜか、慌てて否定してしまったワタシだった。
慎吾は…いつも通り普通だった。ワタシだけ慌てているのはなんだかおもしろくないですね、これは。
『ですが、花子さんなど最初は慎吾さんに対して『野郎オブクラッシャー!』って叫んでいたではありませんか』
「記憶の捏造にもほどがあるのですけれど!?」
さすがにそこまでではなかったよ!?
『だって、あの時も花子さんは…』
「ほら、行きますよアルテナさま!」
ワタシはアルテナさまの手を取って歩き出した。なぜか居たたまれなくなったからだ。
そんなワタシたちの後ろを繭ちゃん白ちゃん、雪花さんに慎吾、ティアちゃんがついて歩く。
そういえば、こんなに大所帯で街を歩くことって殆んどなかった。街中は喧騒に満たされていたけれど、ワタシたちだって負けず劣らず騒々しかった。
そのことが、妙に嬉しかった。
ワタシたちも、この街の一部になれたみたいで。
「…………」
そして、楽しい時間は足早に過ぎ去っていった。
たくさんの物を見た。王都にある古いお城や時計塔などの観光名所。だけじゃなくて、軽く山登りもした。それほど高い山ではなかったけれど、風が気持ちよかったんだ。あ、吊り橋も渡ったよ。繭ちゃんってばワタシを置いてさっさと行っちゃったんだよ、酷いよね。それから、たくさんの子供たちが遊ぶ公園で食べ歩きもしたよ。アルテナさまと交換しながらクレープを食べたんだ。その辺りは普段から行く散歩コースだったりするんだけど、アルテナさまがいるだけで、いつもより二倍以上は楽しかったね。
ただ、途中で最近、流行りだっていう宗教の信者たちとすれ違った時は怖かったかな。アルテナさまがその信者の人たちにメンチを切ってたから…いや、アルテナさま以外の神さまを信仰したっていいよね?信教の自由はこの王都でも認められてるからね?ついでに言うと、ワタシだって別にアルテナさまのことは信仰の対象とは思ってないからね?
そしてもう一度、言うけれど、楽しい時間は足早に過ぎ去っていった。
『今日は本当にありがとうございました。みなさんのお陰で、とても楽しい時間が過ごせましたよ』
アルテナさまは、最後の挨拶をしていた。
アルテナさまが帰らなければならない時間は、刻一刻と迫っていた。
「アルテナさま…また会えるよね?」
半泣き…いや、本気で泣いている繭ちゃんは、アルテナさまに抱き着いていた。
『はい…また、こちらに来させていただきますね』
「絶対だよ…来てくれなかったら、ボク怒るからね」
『それは怖いですね…なので、絶対にまた来ますね』
…アルテナさまの声も、小さく震えていた。
この女神さまは、悠久ともいえる時間を生きてきた。その長い長い時間を考えれば、ワタシたちとこの女神さまが一緒にいられたこの時間など、ほんの一瞬にも満たない。この女神さまは、たくさんの『転生者』たちと言葉を交わしてきたはずだ。だけど、それはたくさんの『転生者』たちの最期も見送ってきた、ということでもある。
「…………」
いつか、ワタシたちの最期も、この人は看取ることになるのだろうか。
ワタシたちの最期を、知ることになるのだろうか。直接、間接を問わず。
それは、どのような気持ちなのだろうか。
自分と仲の良かった者たちを見送るということに、寂しさを覚えたりはしないのだろうか。
それとも、そんなことにはもう、慣れてしまったのだろうか。
「…………」
いや、アルテナさまは多分、慣れていない。
最後のさよならをすることに。
だから、今のこのちょっとしたさよならだけでも、声が震えていたんだ。
だから、ワタシはアルテナさまの手を握った。
言葉にはできなかったから、せめて、ワタシの手の温度が伝わればいいと、思って。
『花子さん…ありがとうございます』
「アルテナ…さま」
アルテナさまの声は小さく振動していて、ワタシの声はそれより大きく振動していた。
それから、少しだけ時間が流れた。誰も言葉を発しない、静かな時間。だけど、大切な時間で、二度と手に入らない時間。
同じ人といられる時間は、その全てが同じというわけではない。
同じように見えたとしても、実際には異なる時間が流れている。
だから、ダレカといられる時間は、愛おしいんだ。
…ワタシたち『転生者』だからこそ、それが分かるんだ。
『では…そろそろ戻りますね』
最後の時間を堪能したアルテナさまは、最後の言葉を口にした。
これで、本当にアルテナさまは戻ってしまう。
この人が生きている、本来の世界に。
交わるはずのなかったワタシたちの世界は、このひと時だけ、奇跡的に交差していた。
「絶対…また来てくださいよ」
繭ちゃんと同じ台詞を、ワタシも口にしていた。
だって、他に言いたいことがなかったから。
『はい…それでは、また』
アルテナさまは、ギルドの応接室の鏡に手を触れた。
アルテナさまは、この場所から天界に戻るのだそうだ。
というか、ここからでないと戻れないらしい。
『今日は本当に…ありがとうございました』
最後の最後の言葉を、アルテナさまは言った。
「アル…テナさま」
不意に、瞳の奥から涙が溢れてきた。
この人が帰るまでは、泣かないようにと思っていたのに。
けど、まあいいか。
この人は、すぐに天界に戻るのだから。
『………………………………』
アルテナさまは、こちらを見ていた。
どことなく、気まずそうに。
「…アルテナさま?」
ええと、何この沈黙。
そして、アルテナさまは言った。
『あの…帰れない、のですけれど?』
アルテナさまのこめかみを、一筋の汗が流れていた。
あ、これマジなリアクションのやつだ。
…っていうか、マジなの?マジで帰れないの?
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございます。
ええと、アルテナさまはここで帰る予定でしたけれど、「これ帰れない方が面白いのでは?」というアイデアが浮かんだので帰れなくなりました。
はい、またプロットの書き直しです。
見切り発車は後で苦労すると分かっているのですが…。
次回以降がどうなるかは分かりませんが、よろしくお願いいたしますm(__)m