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転生者なんか送ってくるな! ~看板娘(自称)の異世界事件簿~  作者: 榊 謳歌
Case 4 『駄女神転生』 1幕 『祭りの支度』
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3 『『有限と微小のパン』がとても美味しかったですから』

「それは駄目だ…花子」


 場違いなほど煌々(こうこう)と魔石の明かりが灯るギルドの応接室の中、慎吾の声が静かに響いた。

 際限なく浮かれた飾り付けが施されたパーティ会場とは反比例をしたように、慎吾の言葉は重い。その重い言葉が、ワタシの足首に絡まる。ワタシは身じろぎすらできない木偶(でく)と化し、(うめ)き声すら上げられない。

 そこで、ワタシの代わりにアルテナさまが言葉を発した。


『ですが…慎吾さん』

「アルテナさまの言葉でも、これだけは従うことはできません」


 確固たる意志を持ち、慎吾が、アルテナさまの言葉に異を唱えていた。

 このソプラノという異世界で、ワタシが最初に出会った『転生者』が、この桟原(さじきはら)慎吾だった。

 だから、みんなの中で最も付き合いが長いのが、慎吾だ。

 けれど、違っていた。

 今、ワタシの目の前にいる慎吾は、ワタシが知っているどの慎吾とも、違っていた。

 普段は聞き分けのいい慎吾が、女神であるはずのアルテナさまに対し、前のめりで反論していた。


「でも…慎吾」


 何かを言わなければと、ワタシは、口を開いた。

 問題の渦中(かちゅう)にいるのが、ワタシだからだ。

 けれど、言葉が出てこない。ワタシが言わなければならない言葉は分かっていた。それでも、その言葉がのど元で()き止められて、微塵(みじん)も出てこない。

 ワタシだって、嫌だった。

 失くしたく、なかった。

 …おばあちゃんとの、思い出を。


「…………」


 それは、掛け値なしに、ワタシの宝物だ。

 あの瞳を。あの声を。あの温もりを。

 弱虫で泣き虫のワタシが、手放せるはずが、なかった。

 …それでも。


『慎吾さん…これは、セカイの危機を回避するために必要なことなのですよ』


 アルテナさまが、正当性を主張した。

 この女神さまは、正しい言葉を口にしていた。

 けれど、慎吾は承服しなかった。

 …ワタシの代わりに、口答えをしてくれているんだ。


「アルテナさまの言葉でも、それは聞けませんよ」

『しかし、花子さんの中にある『邪神の魂』を無力化するためには…他に方法がありません』


 先刻、アルテナさまは、話していた。

 ワタシの中にある邪神の魂を消滅させる、と。


「…………」


 ワタシの中には、『邪神の魂』と呼ばれる邪神の魔力の塊が眠っている。

 正確には、その魂の劣化版のレプリカとでも呼ぶべき(まが)い物だけれど。

 ワタシのおばあちゃん…アリア・アプリコットは、この異世界ソプラノの『英雄』だった。幾つもの偉業をなし、数え切れないほどの人たちを救ってきた。

 そのおばあちゃんが、『邪神』の復活を阻止した。

 邪悪な『邪神の魂』を、自身の中に封印することで。

 けれど、英雄と呼ばれたおばあちゃんでさえも、『邪神の魂』を完全に抑え込むことはできなかった。そのままなら邪神は復活し、この世界に未曽有(みぞう)の災厄が振り()かれるはずだった。

 だから、おばあちゃんは、『邪神の魂』を抱えたまま、世界を越えた。

 一緒にいたおじいちゃんに、自分を別世界…ワタシや慎吾が生まれたあの世界に『転生』させたんだ。


「…………」


 …『転生』と言えば聞こえはいいが、それは、死を意味する言葉でしかない。

 ワタシや慎吾たちがこの異世界に来た『転生』とは違い、おばあちゃんが行った『転生』は、命を失う。命を渡り賃に、別の世界に跳び越える秘術だった。

 そして、おばあちゃんは、ソプラノから姿を消した。

 つまり、ワタシのおじいちゃんは、おばあちゃんの息の根を止めてしまったことになる。

 そうしなければ、この世界で邪神は復活した。その魂を封印したおばあちゃんも、そこで命を落としていた。

 けれど、最愛の人の命を奪わなければいけない痛みは、どれだけおじいちゃんを(むしば)んだことか。


「…………」


 そして、『邪神の魂』を抱えたまま日本という国に『転生』をしたおばあちゃんは、おじいちゃんとの間に身籠(みごも)っていた子供を産み、育てた。それが、ワタシのお母さんだ。

 そのお母さんから、ワタシが生まれた。

 おばあちゃんから、お母さんへ。

 ソプラノという異世界から、ワタシたちの世界へと、命のバトンはつながっていた。

 …同時に、『邪神の魂』も、ワタシへと受け継がれてしまったけれど。


「…………」


 ただ、魂といっても、それは邪神が持っていた魔力の塊に過ぎない。いや、それはただの残滓(ざんし)でしかなかった。それに、邪神の本体とでも呼ぶべき『邪神の亡骸』は、このソプラノに残されたままだ。いくら邪神とはいえ、世界を隔てて魂と体を泣き別れにされてしまえば、何もできない。おばあちゃんが人柱になったことで、このソプラノから『邪神』の脅威は取り除かれた。

 …はず、だった。

 状況は、一変した。無慈悲なほど滑稽(こっけい)に。


「…………」


 アリア・アプリコットの孫であるワタシこと田島花子が、この世界に転生してきたからだ。

 ワタシの中にも、眠っていたんだ。

 封じられたはずの、『邪神の魂』が。

 おばあちゃんからお母さんへ、そして、お母さんからワタシへと受け継がれた、忌むべき『負の遺産』として。

 勿論、その『邪神の魂』の濃度は原液のまま、というわけではない。遺伝の過程で希釈(きしゃく)されていき、本来ほどの理不尽さはない。それでも、『邪神の亡骸』と揃うことで、『邪神』としての力を覚醒させてしまう。

 …『邪神』としての力を、取り戻してしまいそうになった。


「…………」


 ワタシが、その『邪神』の力を、暴走させそうになったことが、あった。

 現在、『邪神の亡骸』は厳重に封印されているので、ワタシが亡骸と接触しなければ問題はないとされている。それでも『邪神の亡骸』は一度は奪われているのだし、またそんな悪事を働こうとする不届き者が出てこないとも限らない。

 だから、アルテナさまは、この異世界ソプラノにやってきた。

 ワタシから、『邪神の魂』を除去するために。

 それが成功すれば、ワタシの中から災厄の種が取り除かれることになる。

 けれど。


「オレは…反対です」


 慎吾が、断固としてソレに異を唱えていた。

 ワタシの中の『邪神の魂』を除去するべきではない、と。

 それは、この世界そのものに弓を引く行為に等しい。

 それでも、慎吾は引き下がらなかった。

 …ワタシの、ために。


『これは、花子さんのためです』

「世界のため、ですよね」

『その世界の脅威を消すことは、花子さんのためでもあるはずです』


 アルテナさまと慎吾の問答が続く。二人を挟み、粘性(ねんせい)斥力(せきりょく)が発生していた。


『もし、あの『邪神』が復活などしてしまえば、最悪、この世界そのものが崩壊することになるのですよ』


 女神さまの声は、女神さまの威厳を持ったまま響く。ならば、その言葉は神託(しんたく)そのものだ。


「けど、それで失われてしまうのですよね…花子の中の、おばあちゃんの記憶が」


 慎吾の声は、斥力が発生する室内で、透過した。

 少なくとも、その声はワタシの内側に響く。


『…そうですね』


 アルテナさまは慎吾の言葉を肯定した。

 ワタシの中から『邪神の魂』を取り除けば、ワタシの中から、おばあちゃんに関する記憶が、きれいさっぱり失われる、と。


「…………」


 忘れる。

 おばあちゃんのことを、ワタシが。

 想像すら、できなかった。

 生まれた時から、ワタシはおばあちゃんと一緒だった。

 勿論、その時の記憶はワタシにはないが、ワタシが生まれた時、おばあちゃんは喜んでくれたはずだ。記憶はなくても、その笑顔を想像することは容易だった。

 ずっと一緒だったんだ。おばあちゃんとは。

 ワタシの命の灯が、消えるその時まで。


「………」


 ダレカと記憶を共有することは、そのダレカと人生を共有していた証だ。

 元の世界でのワタシの命は、失われた。

 それでも、ワタシがあの世界で生きてきた証は、今も残っている。

 おばあちゃんの中に。

 当然、こうして生まれ変わったワタシの中にも、おばあちゃんの証はある。

 おばあちゃんとは二度と会えないけれど、それでも、その記憶がワタシに教えてくれる。ワタシの人生には、おばあちゃんがいることを。


「…………」


 けれど、ワタシの中のおばあちゃんの記憶が、完全に失われてしまう、そうだ。

 ワタシの中の『邪神の魂』を、除去してしまえ、ば。

 それほど深く癒着(ゆちゃく)している『邪神の魂』を取り除くためには、その根幹となってしまっているおばあちゃんとの因果を取り除かなければならないと、アルテナさまは言った。

 …要するに、ワタシの中からおばあちゃんに関する記憶が軒並(のきな)み消える、ということだった。 


「だったら…絶対に、駄目だ」


 慎吾は、ワタシを見据えていた。

 その瞳は、慎吾らしく真っ直ぐだった。


『ですが、今のままでは最悪、花子さんの命を引き換えに『邪神』が復活する可能性すらあるのですよ』


 女神さまは、淡々と語る。ワタシの命を天秤にかけて、その危険性を説く。

 だから、ワタシの中の『邪神の魂』を取り除くべきだと。

 現実と可能性を()り交ぜながら。


「けど、花子にとって…おばあちゃんとの思い出は、花子が花子であるための(くさび)なんですよ」


 慎吾は、懸命に言葉を並べる。

 自分のことではないのに。

 ワタシなんかの、ために。


『しかし、花子さんの中の『邪神の魂』が他のナニモノかに狙われる、ということだってあるのですよ』


 女神さまは、なおも淡々と語る。

 だから、ワタシの中の『邪神の魂』を取り除くべきだと。


「その時は…オレが守ります」


 慎吾は、そこでワタシの手を握った。

 ほんの少しだけ、力を入れて。

 その、ほんの少しだけの力が、伝えてくる。

 慎吾の言葉に、嘘がないということを。


「慎吾…ワタシ、ね」


 だから、ワタシも嘘を交えずに言えた。

 ワタシの源泉から溢れ落ちそうになる、この言葉を。


「ワタシ…おばあちゃんのこと、忘れたくないよぉ!」


 一度でも溢れた言葉は、止まらなかった。


「ワタシ…もう、おばあちゃんとは、会えないんだよ!」


 声の限りに、叫んだ。

 世界を隔てて離れ離れになってしまったおばあちゃんにも届くように、祈りながら。


「子供の頃、おばあちゃんはずっと病気がちのワタシのことを見守ってくれていた!ちょっとでもワタシがやんちゃなことをしそうになった時でも、困ったような笑顔で守ってくれていたんだよ!」


 今でも、あの困ったような笑顔は(まぶた)の裏に焼き付いている。


「お化けが怖くて夜中にワタシが怖くて泣きだした時は、おばあちゃんが「大丈夫だよ」って頭を撫でてくれていたんだ!ワタシが眠りにつくまでぇ!」


 弱虫のワタシのことを、ずっと励ましてくれていた。


「病気が進行して、あんまり学校に通えなくなってきた時…おばあちゃんだけが毎日ずっと、ワタシの傍にいてくれたんだぁ!」

 

 ワタシにとって、生きてきた中で一番、辛い時期だった。

 けど、それと同じくらい、おばあちゃんも辛かったはずだ。日に日に孫娘が弱っていく姿など、見たくなかったはずだ。それでも、おばあちゃんはワタシの傍にいてくれた。ワタシの傍を、離れなかった。「おばあちゃんは暇だからね」なんて見え()いた嘘を口にしながら。

 …ワタシの瞳からは、大粒の涙がいくつも零れ落ちていた。


「ワタシにとって…たった一人の大切なおばあちゃんだぁ!」


 涙は、(ぬぐ)わなかった。

 それを拭うことは、おばあちゃんとの思い出も拭うことのように、感じられた。


「でも、もう、おばあちゃんとは会えないんだ…もう、おばあちゃんとの思い出は増えないんだよぉ!」


 天井をあえぎながら、こぼれる涙のままに、叫んだ。

 それは、等身大のワタシの叫びだった。


「だから…ワタシ」


 嗚咽で、声が声にならなくなってきた。

 それでも、叫ばなければならない。

 

「ワタシ、おばあちゃんとの思い出…失くしたくない!忘れたくない、んだよおぉ!」


 絶対に!絶対に!絶対にぃ!

 失くしたくないよぉ!

 小さい頃に聞いたあの声も。

 病院のベッドの上で聞いたあの声も。

 おばあちゃんが最後に『念話』を飛ばしてくれたあの時のあの声も。

 全部!全部…ぜんぶ!

 ワタシ、忘れたく…ない!


「ごめんなさい…セカイのみんな、ごめんなさぁいぃ!ワタシは悪い子です…ごめんなさぁい!」


 この後も、何度も謝った。

 言葉でいくら謝罪をしても、それは何の解決にもならない。

 いつか、『邪神』が復活してしまうかもしれない。

 それが、聞き分けのない、ワタシの我がままの所為かもしれない。

 けれど、そんなワタシの頭を撫でる手の平があった。


「いいんだ、花子」

「…しん、ごぉ」


 涙で歪む視界の中、桟原慎吾が、そこにいた。


「誰にだって、失くしたくないものはあるよ…花子だけじゃない」

「し、んごぉ…うあぁ。うああああああああああああああああああぁ!」


 声にならない声は、本当に声にならなくなった。

 泣きじゃくることしか、できなくなった。

 ワタシの鳴き声だけで、室内が満たされた。

 

『では、しょうがないですねぇ』


 それから、どれくらいの時間が経過したのだろうか。

 アルテナさまが、そう言った。


「アルテナ…さま?」


 嗚咽が収まってきたワタシは、ようやく声が出せるようになった。


『花子さんから『邪神の魂』を取り除くことはやめておきましょうか』

「いいん…ですか?」


 それは、世界の危機を放置するということだ。


『ワタクシだって鬼じゃないですからね…あ、いえ、ワタクシは鬼じゃなくて女神ですからね』

「今のワタシ…ツッコミとか入れられないですからね」


 そんな余裕、どこにもありませんからね。


「けど、本当にいいんですか?」


 文字通り、世界とおばあちゃんを天秤にかける行為だ。

 …そして、ワタシはおばあちゃんとの思い出を取ってしまった。

 裏切り者と(そし)られても、仕方のないことだ。


『まあ、女神的にはそこそこマズいですけれど…先ほど慎吾さんが焼いてくださった『有限と微小のパン』がとても美味しかったですからね、あれで手を打つことにいたしましょう』

「…たぶん、慎吾はそんな天才が絡んでそうなパンは焼いていないのですが」


 本当に、今のワタシにツッコミ役をさせるのやめてもらいたいのですが…顔だって涙でぐしゃぐしゃなのですが。


『あとは、そう…お友達のお願いですからね』


 アルテナさまは、笑った。

 女神としての微笑みではなく、それはお姉さんが浮かべる笑顔だった。


「アルテナ…さまぁ」


 ワタシは、アルテナさまに抱き着いていた。その胸に、顔を埋めてしまっていた。

 そして、その胸の中で、また、たくさん泣いた。

 泣き虫なのは、本当にいつまでたっても変わらなかった。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

久しぶりに花子のおばあちゃんのことを書けて、満足しております。

それでは、次回もよろしくお願いいたしますm(__)m

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