9 『焼き土下座でいいですよね?』
「ひどいよ…そんなのあんまりだよぉ」
さめざめと、繭ちゃんは泣いていた。
当然、場の空気も粛々として…は、いなかった。これっぽっちも。
「ありがとうでございますぞ、繭ちゃん殿…拙者のために泣いてくださるのですね」
繭ちゃんにそう言った雪花さんは、ちらりとこちらを見る。
ワタシと慎吾を、交互に見る。
飼い主にナニカを訴えたい柴犬のような珍奇な視線だった。
「繭ちゃん殿は、なんと心根のやさしい子なのでしょうなぁ…」
そこでまた、雪花さんはちらりとワタシと慎吾を見る。
ワタシはそんな雪花さんは無視して、泣いてる繭ちゃんマジ美少女だな、とか、チーズはどこに消えたのか?とか、そんな哲学的なことを考えていた。
「それに比べて…花子殿には人の心がないのでござるか?」
「さっきの雪花さんの話で泣けるのは繭ちゃんか天使くらいのものなんですけど…」
…いや、天使も泣かないわ。
シャルカさんなら『こんなん笑うわ』とか言って本当に笑うわ。
「繭ちゃんも、こんな人は甘やかしちゃダメだよ」
ちょっと忘れかけてたけど、雪花さん投獄とかされてるんだよなぁ。ちなみに、あの事件はこの王都では『BLの獄』などと呼ばれている。
…異世界の歴史に珍妙な異物を混入するのマジでやめれ。
「ええー、もっと拙者を甘やかしてくだされー、哀れんでくだされー、メス豚と罵ってくだされー」
「不意打ちでMだって自白するのやめてもらえます?繭ちゃんの教育に悪いので」
実際、けっこう気を使っているのだ。雪花さんの描いた漫画が繭ちゃんの目に触れないように。
…ほんとこの人、歩く有害図書だわ。
「ていうか、雪花さんの死因って…」
先ほど、雪花さんは自分が死んだ時の話をしようとか言い出した。
…で、雪花さんは自身の死因をワタシたちに語ったのだが。
「そもそも!三日も!連続で!徹夜して!漫画を描いた後に!お風呂で!魔剤で!祝杯なんてあげたら!そのまま意識を失って溺死したっておかしくないでしょ!」
魔剤なめるなよ。
「あれ、この世界のマジックポーションと同じくらいの効果があるんですからね!」
「いや、その時の原稿がすっごい難産でして…でも、それがうまく仕上がったので、ちょっとテンションが上がってしまいましてぇ」
雪花さんは言い訳がましくそんなことを言っていた。『アホでございますか?』はアルテナさまではなくこの人に投げつける言葉だったかもしれない。
…いや、あっちも大概だわ。目くそと鼻くそだわ。
そんな雪花さんに、ワタシは言った。
「多分、お墓参りの時とか、雪花さんのお墓には魔剤がお供えされてますよ」
「マジでござるかぁ…」
「あと、雪花さんの遺影の横には、その時に描いてた漫画の原稿が置かれてます」
「あんな発禁漫画を弟以外の家族に見られるとか、どんな罰でござるかあ!?」
…弟ならいいのかよ。
「雪花さんのパソコンの中身も家族の人には見られてるでしょうね」
「ネットで集めたエロい画像がああああ!」
「…親はどんな顔でそれを見たんでしょうね」
この人、実はけっこうなお嬢さまだったという話を聞いたのだが。
「ぬこのタマタマばっかり集めた秘蔵の画像があああああぁ!」
「さぞかし困惑したでしょうね、親御さん…」
いや、本当に。
どんな育て方したらこんな悲しい生き物が錬成されるんだ。
「こっそり自撮りしてた拙者の水着グラビアがあああああぁ!」
「本当は自分の体に自信あるんじゃないですか!?」
あと、慎吾はこっち見るな!
そんな雪花さんは、しばらく床を転がって悶絶していた。
ル〇バならこのまま床をキレイにしてくれるのになあ、とかワタシは考えていた。
「…それじゃあ、次は花子殿のことを教えてくださらぬか?」
一しきり悶えた後、雪花さんはそんなことを言い出した。
「ワタシの死因とか何も面白くないですよ」
「お願いしますぞ…このままでは、拙者が生き恥を晒しただけになるので」
雪花さんはそんな風に懇願していたが、生き恥なら四日に一度くらいのペースでこの人は量産している。
「花子殿ぉ…」
「もー、分かりましたよ」
根負けしたワタシは、話して聞かせることにした。
「本当に面白くはないですよ」
一つ念押しをして、それから、ワタシは語った。
幼少期から体が弱く、何一つ上手くできなかった子供の頃の自分のことを。
青春という輝きからは対極にいた、独りぼっちだった自分のことを。
日々、衰えていく自分の体と、折り合いをつけられなかった自分の心のことを。
「…………」
…案の定、場は静まり返っていた。
落とした針の音だって聞こえるぞ、今なら。
「ほら、こんな空気になったじゃないで…」
ワタシの言葉が途中で止まってしまったのは、繭ちゃんが抱きついてきたからだ。
「あの…繭ちゃん?」
「だって、花ちゃん…が、そんなに辛い思い、してたなんて。知らなくて、ごめんね」
言葉にならない言葉で、繭ちゃんは泣いていた。涙どころか、鼻水まで出ている。
「ほら、繭ちゃんお鼻を拭いてあげるから」
「だって、ボク、花ちゃんのこと、大好きなのに…花ちゃんが辛い時、何も、してあげられ、なくて、ごめんねぇ」
「その頃は…まだ、会ってないでしょ」
ワタシの鼻の奥も、ツンとしてくる。
長い間、閉じ込めてきたはずの感情が、涙となってあふれそうになる。
だから、繭ちゃんを抱きしめた。
「でも、で、も、ボク、花ちゃんの、ために、何もできない。でき、なかった…うぁ、うあああああああああああああああああああああああああぁ!」
繭ちゃんは、さらに顔中を大洪水にして泣いていた。
今の繭ちゃんは、美少女でもなければアイドルでもなかった。
そこにいたのは、原色の繭ちゃんだった。
その繭ちゃんは、ワタシのためだけに悲しんでくれていた。
だから、今だけは、ワタシだけの繭ちゃんだった。
「ありが、とうね…ワタシも、繭ちゃんのこと大好きだよ」
こらえきれずに、ワタシも、泣いていた。
自分のために本気で泣いてくれる…家族以外にも、そんな人が、この世界にはいてくれた。
だから、ワタシの人生は、これっぽっちも惨めなんかじゃ、なかった。
繭ちゃんが、そのことを教えてくれた。
…あー、もう、本当にいい子だね、繭ちゃんは。
よし、この子はうちの子にしよう!
「すいませんでしたぁ!」
雪花さんがワタシに謝った。
…しかも、土下座で。
「まさか、花子ちゃんがそんなに重い過去を背負っていたとは…その過去と頑張って向き合っていたって、知らなくて、本当にごめんなさい!」
その声は、真摯だった。口調も、いつもの茶化したものではない。それだけで、雪花さんの誠意が本物だということは伝わってくる。
「それなのに…軽薄が過ぎました。ごめんなさい!」
「もういいから頭を上げてくださいよ、雪花さん」
なんだかんだで、雪花さんも仲間思いだ。ワタシたち四人の中では最年長の、兄妹思いのお姉さんだった。
「確かに、辛いことの方が多い人生でしたけど…みんなに話したらちょっとスッキリしましたよ。ワタシの中に巣食っていた何かが、軽くなるのを感じました」
たぶん、その何かがなくなることは、これからもない。
けど、その何かは、消し去るべきものでも乗り越えるべきものでもない。
ワタシが、これからも抱えて生きていくべきものだ。
この何かがあるからこそ、ワタシはワタシでいられるんだ。
そして、その何かは、こうしてみんなに囲まれるという未来をくれた。
だとすれば、そう邪険にするものでもないのかもしれない。
そんなワタシに、雪花さんが話しかけてくる。
「本当に、すみませんでした…」
「もう気にしてませんよ」
きっと、いつかは、みんなの前で話さなければいけないことだったんだ。
けど、みんなはそんなワタシのことを受け入れてくれた。
少し違うのだろうが、なんだか、卒業式のように感じられた。
出席なんてできなかった、あの日の卒業式のように。
「ですが…花子殿のことだから、どうせ風呂場でバストアップ体操とかの無駄な足掻きをしている最中に足でも滑らせて頭でも打って亡くなったのだろうと、拙者そんな風に高を括っておりました」
「よし、雪花さんはもう一回、土下座してください。あ、焼き土下座でいいでよね?」
「会長よりいい笑顔で怖いこと言うのやめて欲しいのですが!?」
などという、いつものやり取りをしていたワタシに、慎吾が声をかけてきた。
「花子の病気って、もう大丈夫なんだよな」
なぜか、慎吾は後ろ向きだった。
…いや、その声帯が、少し震えていた。もしかして、慎吾も泣いてくれているのか?
「うん…アルテナさまが治してくれたよ。慎吾だって、この世界に来るときには怪我を治してもらったんでしょ」
ワタシも、慎吾に背中をあずけて言った。
二人で、背中合わせで言葉を交わす。
…なんだか、こそばゆかった。
「そうか…なら、花子はもう、病気なんてしないよ」
慎吾は、断言をした。
その声は、背中越しだったのに、ワタシの胸にすとんと入る。
「これからも、花子はオレの作った野菜を食べ続ける。だから、花子はもう、病気になったりしない…ずっと、元気でいられるんだ」
「そっか、ワタシ、もう病気しなくていいんだ…それはうれしいなぁ」
本気で、うれしかった。
元気な体は、病魔に負けない体は、喉から手が出るくらい、ワタシが欲しがったものだ。
慎吾が、ワタシにそれをくれるという…。
ワタシの仲間は、すごい人ばっかりだよ。
けど、そこでふと気になった。
この王都では、野球が興行として成功しようとしている。慎吾は、その立役者だった。なのに、慎吾は野球ではなく農家として生計を立てると言っていた。その理由を、ワタシはまだ聞いていなかった。
「あのさ、慎吾…」
「なんだ?」
「…ううん、なんでもない」
ワタシは、結局、聞かないことにした。
何かを言ってしまうと、この背中合わせの時間が希薄になってしまいそうな、気がした。
…だから、今だけは、このままがいい。
異世界に来て初めて手に入れた、このこそばゆい時間を、ワタシの中に刻み込むために。
その後、少ししてからワタシたちは店を出た。
色々な余韻を残しながら。
「うー、お酒、もう少し飲みたかったでござるなぁ」
「雪花さんは繭ちゃんの爪の垢でも飲んでてください」
「もっとだ!もっと寄越すでござるよ、バルバ〇ス!」
「ほら、バル〇トスに迷惑をかけるんじゃありません」
千鳥足の雪花さんに、ワタシは肩を貸していた。
というか、酒癖が悪いなぁ、この人も。
「拙者なんてまだマシでござるよー。シャルカさんと飲みに行くと本当に大変なんですぞ…帰りに立ち小便とかしようとするし」
「女の子の尊厳とかないの、アノ人!?」
さすがのワタシも耳を疑った。
「天使の聖水だから栄養満点だぞー、とかいって畑にオシッコしようとするのでござるよ」
「たい肥の直まきはやめろおっ!」
慎吾が珍しくツッコミを入れていた。
いや、違うわ。これただの苦情だわ、農家としての。
「う…そんな話をしてたら、拙者もオシッコしたくなってきたでござる」
「あそこの角に公衆トイレがあるし、行きますか?」
「ほーい、行ってきまーす」
雪花さんが一人で行こうとするので、ワタシは止めに入った。
「一人じゃ危ないでしょ、ワタシも行きますよ」
「大丈夫でござるよー。花子殿たちは、そこの酒屋でエールを買っておいて欲しいですぞ」
「本当にまだ飲むんですか…?」
「シャルカ殿へのお土産でござるよー」
そう言って、雪花さんはトイレへと歩いていく。意外と足取りはしっかりしていた。さっきまでは、ワタシに甘えたかっただけか。
「しょうがないなぁ…」
ワタシ、慎吾、繭ちゃんの三人は、近くにあった酒屋さんに入ることにした。
その直前、ワタシはふと足を止める。
この王都の夜も、それなりに明るかった。
「すごいね、魔石の恩恵…」
明るい街頭に照らされた街の中では、この時間でも色々な店が営業をしていて、色々な人たちが行きかっていた。疲れた顔の人たちもいたけれど、楽しそうに歩く人たちもたくさんいた。
一つ一つの街の灯が、一つ一つの人々の営みだ。
その光景に、ワタシは安堵を覚えていた。
それはきっと、ワタシがこの世界の住人になれた、ということだ。
そして、この異世界ソプラノでの、ワタシの日々は続く。
明日も明後日も、その次の日も。
その毎日では、ワタシの隣りには慎吾がいて、雪花さんがいて、繭ちゃんがいるんだ。
慎吾にセクハラされたり、雪花さんに振り回されたり、繭ちゃんに困惑させられるのが、ワタシの日常だ。
そして、たまにアルテナさまにツッコミを入れることになる。
そこには大冒険なんかないし、ダンジョンの攻略なんかもない。新天地にも行かないし、モンスターとも戦わない。魔法すら、そこにはほとんど出てこない。
そんな日常を心待ちにしているワタシが、いる。
けど、それには、みんながいないとダメなんだ。
慎吾がいて。雪花さんがいて。繭ちゃんが揃っていないと、ダメなんだ。
だから、ワタシを一人になんてしないでよね。
「…………」
それなのに、帰ってこなかった。
この日、月ヶ瀬雪花さんは、ワタシたちの元には、帰ってこなかった。