【6】
その戦い方が本当に正しいのか、自分はよく解らない。成る程、とは思うけれど、経験してきたわけじゃ無いから結論付けられないし。
だけど、赤髪の女性もたぶん【ソレ】を遵守しようとしているのは解った。ロングソードで切り裂いた虫生物に、敢えて止めを刺すようなことはしないからだ。ロングソードに付着した緑色の液体を振り払って、直ぐに次の相手を見付けて攻撃に移る。それを繰り返している。
「うおりゃあああ!!このっ、このっ、こいつ、何で、ちょっ、待って」
男性はというと、一人だけずっと左右の脚にしがみついている二匹と格闘していた。センシェルは別の数匹を相手にしているから、そっちまで手が回らない。ひょろっとして細い腕にも細い脚にもあまり力が無いのか、どれだけやっても防具に噛み付いた二匹を引き離せていない。
「情けないぞ!!それでも男なのか、お前は!!見えていれば大した相手じゃない。手早く片付けてみせろ!!」
「そんなこと言われたってさー、俺苦手なんだよー虫とかさー、ロザリーちゃーん」
正直見た目も喋り方もかなり軽薄というか頼り無い。といっても自分よりは確実に戦闘技術も能力も勝っている人だろうから、自分が言えた義理じゃないのも解っていた。
さっきからずっと、暗闇に隠れて戦いを眺めているだけなのだから。
それはともかく──男性が四人の中で唯一、明らかに虫生物に遅れを取っている。翻弄されている。薄い革みたいな防具は破壊されないまでも、虫生物の牙が両脚を締め付けるような形になっている。
男性が叫ぶ。軽薄そうな印象からか、それがちょっと大袈裟に見える(自分には)気がする。ずっと遠くに聞こえた時は勇ましい雄叫びみたいに聞こえていたけれど、たぶん勘違いだったんだろう。
「ああもうっ、いちいち五月蝿いなキミは」
堪らずセンシェルが飛び掛かって来た一匹を杖で殴打して壁にぶつけた後、男性の加勢に戻った。もう一本持っていたナイフも簡単に折られてしまったから、男性は虫生物が噛み付いた脚を蹴り上げるように、交互に振って抵抗している。
センシェルが杖を指で器用に回転させて、石突き部分を地面に斜めに刺すように構えた。何をするのかと思ったら、地面に落ちていた木の棒──まだ火が消えずに残っていた松明の下に石突きを入れて、そのまま思い切り杖を振り上げる。
『キュイ、イイイイ』
『キュグイイイ』
火の粉を散らしながら燃え盛る松明を、虫生物目掛けて弾き飛ばしたようだ。片側の黒い甲殻の背中の部分に見事に命中して、一瞬ぼわあっと炎が大きく広がった。虫生物は熱が弱点なのだろうか、直撃した方は全ての脚を大きく開いて硬直し、そのままぽろりと仰向けに地面に落ちた。もう一匹も男性の防具から牙を離して、脚から爪先の方へと這いずって逃げようとしたけれど、
「うおわぁっ!!あ、あつうっ!!な、何すんのー神官さーん」
火の粉を少し被った程度でも、いきなり松明をぶつけられた事に男性は動揺した。軽いパニック状態みたいになって、片足を軸にして半回転するようになった拍子に、幸運な事に足首まで移動していた虫生物が堅い壁に衝突する。
『キ、キュウ』
此方もそんな声を上げて、黒い土の上に落ちた。男性は回転の勢いで転倒しそうになったところを、なんとか壁に引っ掛かりを見付けて手を伸ばし、すんでのところで踏み留まる。長い息を吐き出して、額の汗を拭う様な仕草を見せてから言った。
「・・あっぶな。ていうかこれ、本気で事前に言ってくれないと危ない奴だったよね?ねえ、本気なやつだったよね?」
「文句を言うな。助けてやったんだから、とにかく僕に感謝しろ。キミは二匹転がってる奴に、早く止めを刺せ」
「うわー何その俺様っぷりー。半端ねぇんだけど。なんかもうさー大物だわ、あんた」
「センシェルだよ。いいからキミはさっさと動いてくれ。武器、まだ持ってるんだろ?」
男性は「男の名前はあんまり興味無いんだけどねー、俺」とか言いながら、腰の後ろ辺りを両手で探った。まるで猫みたいな、黒目の極端に小さい瞳を細めて、含んだ笑みを作る。細くて長い両手を前に出すと、新しいナイフを二本持っている。
どうして【さっき】それを使わなかったんだろうと、つい思ってしまった。でもそれももう関係はないのかも。
男性は言われた通りに虫生物の胴体と頭の甲殻の繋ぎにあたる部分に、すうっと短い刃を通して息の根を止めた。ついでに「うええ、きもちわるー」とかぼやいていたけれど。
とにかく、形勢は完全に此方に傾く事となった。地面には返り討ちにあった虫生物の死骸が何匹も重なり、最初は四人を逃がすまいと形成していた包囲も、完全に崩壊している。
生き残った虫生物だってもう顎を鳴らして威嚇するだけで、近付こうともしない。寧ろ警戒しながら少しずつ離れているようにも見えた。キティカと女性がその内の二匹に狙いを定めると、それぞれを簡単に仕留めてしまったくらいだ。此方を強者とみなして逃げるだけの相手なら、わざと負傷させる必要なんて無いみたいだった。
新しい知識として、心に書き留めておいた。
「・・良かった」
自分が戦っていた筈じゃないのに、何だか疲れてしまった。でもセンシェルもキティカも、男性も女性も無事な姿を見ていると安心する。ほっとして緊張が解けて、ついでに力が抜ける。
終わった。早く、皆のところに行かなきゃ・・。少し気持ちが焦っていたのは、この暗闇にこれ以上ひとりでいたく無かったからだ。寂しいのと怖いのが半々くらいだったから、天井の球体が照らす光の下に、皆が【後始末】をしている方に走って行きたかった。
結局、それが自分の注意力を散漫にさせる要因となってしまった──
『キュイイイイイ』
突然、暗闇から鳴き声がしたのだ。後ろ──それも直ぐ近くからだ。嫌な予感というか、これはもう【そういうこと】以外は有り得ない。
「ひっ・・」
新手だ。一気に身体全部に悪寒が走る。恐る恐る振り返る・・なんてことはしないで、直ぐ様視線の先の明かりの下へと駆け出した。
何処から、どうしていきなり、とか、そういう事は考えたりしない。そんな余裕なんて無いから、とにかく足を動かす。
当然、鳴き声も此方の動きに反応して、しっかり顎を鳴らしながら後を追って来ているのが解った。それも三匹か四匹くらい。
最悪だ。
「センシェル!!」
助けて、と続ける前に、彼が声に気付いてくれて視線が合う・・向こうからはたぶん見えないけれど、合った気がする。何も言わずにただ頷いて、杖を回転させて持ち直すと、直ぐにこっちに向かって走り出してくれた。
威嚇するだけの虫生物達は素直に道を開けている。新しい虫生物との関係は仲間とかじゃない・・のかな。四匹を歓迎もしなければ、再度盛り返そうとする素振りも見せない。
名前を呼ばれた。暗闇の中を必死に走っているから、転んだらそれなりに怪我とかしちゃうよね、とか思ったけれど、後ろの【あれ】に追い付かれたらそれどころではすまないよ、きっと。
だから走れ。走って、足を動かし続けて。地面がよく見えないから、何だかブーツの底が上手く着地した感触にならない。地面から数センチ程度浮かんでいる・・みたいな感覚って言えば良いのか。
それでも逃げるしかない。仲間の所に逃げるくらいしか出来ないから。本当にもう、ごめんねーみんなー。
「僕が食い止める。キミは全力で、キティカ達の所まで走れ!!」
ちょっとセンシェルが頼もしく思えてしまった。キティカも女性も【後始末】を終えたのかな・・二人も此方に気付いてくれた。ついでに男性も事態を察してくれた様子で、ナイフを逆手に握り変えてセンシェルの後に続いてくれている。
心臓が跳ねる、跳ねる。息が乱れる。そんなに距離はない筈なのに、凄く遠くに感じる。
脹ら脛に何か触れたような気がした。「ひいっ」と小さく悲鳴を上げて、ちょっと泣きそうになる。見えなくても良いから、走る速度を無理矢理上げた。
「──ああっ」
こんな時に限って、不幸な事が起きてしまうものなんだろうか。脚がもつれた。自分の脚に自分の脚を引っ掛けてしまった。よく見えないけど、たぶん頭から地面に突っ込んでしまう──最悪だ。何かが頭を過った。言葉ひとつ。こういう場所ではごく当たり前に付き纏う、言葉ひとつ。
怪我よりも、虫生物達に追い付かれてしまったら、もう──
「あうっ」
と、
万歳状態でぶつかったのは堅い地面じゃない。ほっぺたに触れるのは心地好い布の感触で、耳の少し上の方から息遣いが聞こえてくる。背中に回された腕の感触と併せて、誰かに抱き止められた事を実感する。
誰かっていうより、センシェルだよね、これ。
「キティカの方に走れって言っただろ?なんでキミは僕に突っ込んでくるんだよ。まったく」
「そ、そんなこと言われたって、わたしだって意図してなかった事なんだから、仕方無────」
勿論、呑気に喋っている場合なんかじゃない。虫生物の鳴き声が相当近い位置で耳に飛び込んできた。思わず此方からもセンシェルの体にしがみついてしまう。「ちいっ」と舌打ちの様なものをされた気がしたけれど、その直後に彼の身体が動いたと思ったら、虫生物の悲鳴が聞こえた。
「いま・・殴ったの?」
「ああ、多分当たったんじゃないかな。感触はあったし」
「・・センシェルって凄いんだ」
「なんだよその言い方。キミがしがみついてくるから、結構戦い難いんだよ、こっちは」
「そう・・だよね。それは本当に、ごめんね。反省してるけど、動けなくて・・ごめんなさい」
「いいよ、別に。放り投げて怪我させるわけにもいかないし、仕方無いと思って割り切るよ」
これが無ければ本当に、ありがとうくらい言ってあげるのに。これが無ければ本当に、もう。
でもセンシェルはくっついて離れない自分の体を庇って、半身だけを虫生物達に向けて身構えてくれている。しっかり守ってくれている。護られている。それを意識すると気持ちが温かくなって来るから、頑張って、って心の中でエールを送った。
もう一度身体が動いた。何かが当たった音と一緒に、また虫生物の悲鳴。センシェルは【見えていない】筈なのにどうして・・
「動きのパターンがわりと単調だと思ったんだ。脚に飛び付いて来るのが好きみたいだ。これならある程度は当てられる」
別に自分からは聞いていないけれど、頼もしい事を言ってくれた。しかしもう二回、三回と杖を振るって、虫生物達を取り付かせない事には成功しているものの、致命傷は与えられていないのかもしれない。声が一向に減らない。