【4】
「今気にするのはそこじゃない。つまり僕が言いたいのは、短い探索で見付かったものは何も無かったってことだ。勿論、途中に人間なんて倒れていなかった。僕はずっとこいつを使っていたから、絶対に有り得ない。戦闘能力の低い僕ひとりで闇雲に探索を続けるのはリスクが高いから、取り敢えず引き返す事にした。こいつはそう長くは持たないから、光が弱まったら掛け直さなきゃならない。一度通った筈の路でキミの叫び声が直ぐ近くから聞こえたのは、魔法の効果が切れた直後だった」
そう言えば──と天井を見上げると、真っ白だった球体の色が幾らかくすんでいた。天井の様子が解る程度に光が弱まっている。まだ周囲を見渡すには問題ない程度だったが、センシェルはとんとんと地面を杖で何度か叩くと、杖先から同じ真っ白な球体が現れる。
ふわりと浮かんで、また白い強い光を伴ってすうっと上がってゆく。代わりに役目を終えた方の球体は、そのまま光に吸い込まれるように消えていった。
不思議な光景だ。「いちいち面倒なんだ、これは」と、センシェルがぼやかなければもっと神秘的に感じられたのに。
「でも、今の話だよ、それってやっぱり、単純に見落としなんじゃないかな。わたしもキティカもずっと意識が無かったのに、移動なんか出来るわけないし」
ふんっと、遂には鼻を鳴らされた。何?また変なこと言っちゃったの?
「冗談だとしても笑えないよ、その馬鹿な発言は。それは有り得ないって言っただろう。僕が未知の場所を探索するのに、倒れている人間さえ気付かない観察力の持ち主だって思っているのか?心外だね。本当に」
知らないよ、と言ってしまいたかった。でも【こんな時】に和を乱すのはやめようよ、とか心の中で言ってしまっていたから、そこは堪える。
「それならさ、センシェルには理由が解るの?」
「あくまで憶測のひとつだけどね。古代魔法に、人間の肉体を一度消滅させて、思い通りの場所で再度肉体を再構築させるっていうものがあるって、古い文献の記述を見かけた事がある。確か肉体転移術式・・とかなんとか。専門外だから詳しくはよく知らないけど」
「ろすとまじっく・・」
ああ、明らかに見下されているような視線が突き刺さっているのを感じた。聞いたことのない単語をつい口に出してしまったから。ごめんね、何にも知らない田舎娘で。
「少しくらい無知な女性は可愛気もあるけど、キミぐらいになるともう重症だな。まあつまり、最初に僕があの場所を通った時にキミ達がいなかったのは、後で誰か──若しくは何かが、そういう類いの魔法のようなものを使って、この場所に出現させたからだろうってことだよ」
「そこそこ曖昧だね、それも」
キティカが横槍を入れた。センシェルはじとっと瞳を平行移動させて、
「憶測のひとつって言っただろ。此処から考えを繋げる為には必要なんだよ。せめて僕程度の思考能力がある人間がもうひとり、ね」
思考能力が無い人間でごめんなさい、と再び心の中で頭を下げた。キティカは相変わらず笑って対応しているだけだ。処世術・・なんだろうか。ストレスが溜まらないような性格は単純に羨ましい。
「じゃあ、探そうよ」
ストレスの件は置いておいて、取り敢えず提案してみた。適当ではないけれど、ぱっと思い付いた事ではある。
「・・は?」
と、センシェルがそれだけ言ってくる。
「だから、これから探せばいいんじゃない、って。もしかしたら、何処かにわたし達と同じような人がいるかもしれないし、てんいじゅつしき?っていうまほう?で、さいこうちく?された人に会えるかもしれないし」
「いちいち疑問符を付けなくて良いと思うけど。まあ妥当だろうな。可能性はあるだろうし、当たり前の提案といえば提案に違いないけどね」
だーかーらー
ぷるぷるぷると両手につい力が入ってしまう。また怖いとか言われるのが嫌だから、睨んで黙らせるのは我慢する。これから先もずっとこうだったら、我慢し続けられるのだろうか。
「キティカも、それでいい?」
是非を求める為に彼女の方に目を向けた、その時だ。キティカはいつの間にか自分達に背を向けて立っていて、ピンと立った獣のような耳のさきっぽが少し動いている。
「どうしたの?」
と聞くと、直ぐに「しいっ、少し黙って」と注意される。何かあったのだろうか。彼女が警戒している先に目を凝らして見るも、光が届かない場所はやはり暗過ぎて何も確認出来ない。
ごくり、と唾を呑み込んだ音が後ろから聞こえた。センシェルも流石に異常を察したのか、何も言わない。
「──聞こえたかい?」
キティカが静かな声でそう尋ねてきた。「わたしには何も」と、声を抑えて直ぐに答える。通路はやっぱり静かだ──いや、音を探すことだけに集中して耳を澄ましてみたら、何か──聞こえる。
「音───じゃないかも、声、かな」
「どっちもだよ。たぶん、何かが何かと戦ってる」
自分の耳に届くのは微かな叫び声のようなものだけだった。キティカはやっぱり耳も相当良いみたいだ。頼りになる。
「なんだよ」
「ううん、別に」
ついセンシェルの方を見てしまった。途端に「しいっ」とキティカに注意される。ごめんなさい、と更に小さな声で謝った。
「どうする?」
キティカが尋ねてくる。向かうべきか、やめるべきか選ばないと。誰か人が戦ってるなら助けなきゃ駄目なのは当然だ。でも、そうじゃなかったら・・?
魔物同士の縄張り争い、とか。
「でも、かなり距離がありそうだよね。どうしよう、センシェル」
「決まってるだろ。欲しいのは情報と仲間だ。リスクは避けたいけど、行ってみる価値はある」
「まっ、一応人語みたいには聞こえるけどね。あたし達の敵か味方になる奴かは半々ってとこだろうね」
「半々って、あまり好きじゃないかな、わたしは」
「半分もあれば上等だろ。ここで無駄に歩きながら考えているだけより、使える人間が見付かる可能性がある選択の方がずっとましだ。キミだって帰りたいんだろ?なら帰還の確率を少しでも上げられる選択をするべきだ」
「あたしもそれには同感だね。まあ、最悪どちらともと戦闘になる可能性もあるけど、その時はその時さ」
「キティカ・・それは楽観的過ぎない・・?」
結局、取り敢えず接近してみて判断する、ということになった。実はあんまり気は乗らないんだけれど、二人が言うなら仕方が無い。自分だけ残る、なんて絶対に言えないし。
とにかく距離がかなりありそうだったから、最初の隊列を維持したまま、駆け足気味に音のする方へと向かった。
「この先から大きく曲がってるね」
キティカの言う通り、緩やかだった通路が、途中から段々と曲がりが強くなり始める。音も、近付くにつれて壁に反響したそれが徐々に大きくなって耳に届くのだけれど、やっぱり人の叫び声──男性の雄叫びのようなものに聞こえる。
そして遂に、ぼわあっと淡いオレンジ色が暗い通路を照らしているところまで迫った。どうやら松明が地面に転がって燃えているらしい。手前と奥に二つだ。そこまで来たら声もはっきり聞こえるし、人影も確認出来る。
「ふたりいる、ね」
「そうみたいだな。キティカが正しかった。人間が何かと戦ってる」
人の声に混じって、金属音や獣の鳴き声のようなものも聞こえてくるのだ。それも複数──というか一つ二つなんかじゃない。輪唱するように通路に響く声からするとかなり多い。
『キュウイイイ』とか、そんな感じだ。人影に襲い掛かるそれらの影はかなり小さいように見えるが、多勢に無勢で、人間の方はかなり苦戦させられているのかもしれない。
先頭のキティカが足を止めた。静かに背中を壁にくっつけると、二人もそれに習う。黒っぽいダガーを持っていない方の手で、再びしいっと人差し指を口の先に充てる。
それから天井を指差した。此処に来る前に発光を幾らか調節して明るさを抑えてはいたけれど、此方の明かりに気付かれるのは宜しくない。当然、発光する球体には退場して貰わなければならない。
センシェルが頷いて地面を杖で静かに叩くと、球体は光を失って消えてゆく。前方にぼわあっと灯るオレンジ以外は真っ暗だ。何だかまた急に寒くなった気がした。背中の辺りが特に。途端に孤独感が押し寄せて来る感じがして、センシェルの神官服を掴んでいた事にも気付かなかった。
「敵か味方かは解らない。ただ、ニンゲンだ。何かに襲われてる」
小さな声がする。唯一自分達が見えているキティカだろう。そこにいるのは当たり前の筈なのに、声を聞いただけで何故だか少し安心出来る。
「魔物、だと思う。聞いた事がない声だけど、これ、助けてあげるってことだよね?」
「そうだな。あまり良い状況とはいえないみたいだが、さっきも言った通り助ける方がメリットがある、と思う。それに僕は聖職者、彼等を救うのは義務だからな」
三人で頷き合った・・と思うけれど、実際は殆ど見えない。そもそも武器も何も持たない人間には選択の権利も無いだろうから、二人の意見に合わせるしか無かった。
短く溜め息。
やっぱり怖いのが本音だもん。兵団の戦闘を間近で見たり、実際に妹と巻き込まれたりした経験はあるけれど、どうしたって逃げ回るのが一番の仕事だった。出来れば完全に安全が約束された場所で、全てが片付くまで待っていたい。本当に【そういう役回り】が一番向いているから。
そんな気持ちを組んでくれた──わけじゃないだろうけど、センシェルが肩に手を置いてくれて、言った。
「二人でいい。キミは見るからに【のろま】だから足手纏いだ。僕とキティカで加勢する。いいな?」
絶対に気持ちを組んでくれてない。有り得ない。本当にもう、デリカシーさえ無いんですかあなた。
「だね。あたしはあんたを買ってるよ、勿論。でも武器も持って無いし、安全なところにいる方がいい。任せな。直ぐに終わらせて来るから」
対してキティカは人が良いというか姉御肌だ。それは妹を持つ身としてはひとつの理想の姿で、言葉にもなんだか安心感が宿っている気がする。お姉ちゃんを信じな、みたいな。