【3】
「今は未だ、ソレを考えていても仕方無いのかもしれない。解らない事よりも先ずは確実に得られる情報を集めるべきだと思う」
男性はセンシェル・アンヴィルと名乗った。センシェルというのは豊穣の神の名前そのままだが、やはりそんな名前の神は知らないと言われる。
どうしてだろうと思いつつも、自らも二人に名前を教えた。センシェルが言うには、髪の色とよく似た花の名前と同じらしいけど、そんな花の存在はそもそも知らなかった。
これでは何時まで経っても平行線を辿るだけだ。センシェルの提案で、取り敢えず今自分達が置かれている状況を知る方を優先する事にした。
キティカ、センシェル、そして自分の順に並んで、ゆっくりとだが、歩く。「こっちで大丈夫、かな」聞いてみても仕方無い気はしたが、二人が頷いたのでセンシェルがいた方向とは反対を選んだ。
慎重に進んでみる。
何処かの通路なのか、道幅は五メートル近くあって広いが、何があるか解らないので一応隊列を組む。自分達が歩けば頭上の白い球体もついてくるみたいだ。前後数メートル程度なら明るく照らしてくれる。
魔法なんてよく知らないけれど、とても便利なのは実感出来ている。
「2クルト半ってところだね。この先も一応は同じ道幅が続いてるみたいだよ」
両手の指二本ずつをくっつけたり離したりして、道幅を確かめていたらしいキティカが言った。やっぱり聞いた事がない単位だ。その距離の計り方も独特だし。
「キティカは凄いね。わたしには明るいところ以外何も見えないから、ちょっと怖い、かな」
夜目が効くから、彼女にだけは光で照らされていない通路の先が見えている。この道はゆったりと左に曲がっているらしく、今のところ生き物や魔物の姿は確認出来ないそうだ。
ちなみに出会ってからずっと敬語を使っていたら、他人行儀だからやめて欲しいと言われた。センシェルも同じ意見だったから、敬語をやめて普通に話すようにしている。
「大丈夫。何か飛び出して来たらあたしがなんとかしてあげるよ。あんたもセンシェルも、見た感じ戦闘には向いてないようだし、任せな」
そう言いながら、キティカは鼻歌混じりに腰のダガーを抜いた。まるで鎧防具の強度を上げる為に使われるという黒紅石みたいな色をした、ダガーと剣の中間みたいな長さのものだ。
キティカいわく、これでも普通のサイズのダガーで扱い易いのだそうだ。
「そう・・だね。一応兵団に従軍してるけど、わたしは戦闘訓練とか殆どしてないし・・サポートくらいなら」
「右に同じだ。聖職者だからな、僕は。本来は傷の回復やサポートが専門だ。最悪の場合が来たら手を貸すけど、その時まではキミに任せるとするよ」
情けない話ではあるけど、こういった場所で出会すような魔物や生物は厄介だ。そこに住んでいるわけだから暗い場所でも簡単に見通せるし、大多数で逃げ道を塞いで一気に襲ってきたりする・・そうだ。兵団に従軍してまだ日が浅い方だから経験がないが、以前手当てした兵士の一人がそう話してくれた。
戦闘訓練を詰んだ女騎士ならいざ知らず、自分は殆ど有志の一般人だから仕方がない。足を引っ張らないようにだけ気を付けて、戦うのは得意な人間に任せるのが一番良い。
「しかしほんっとに、何処なんだろうね此処は」
緩やかに曲がった道を三分くらい歩いた時、キティカがそう言った。黒っぽい土に少し砂利が含まれた、歩けばそれなりに音がする通路。それに壁は同じ様な素材を【誰か】がしっかりと固めたような跡があり、数メートル感覚で古い木材の補強がされてある。
何十年、いやもしかしたら百年以上も前のものかもしれない。所々朽ちていたり穴が空いていたりして危なっかしい。天井も同様だ。
天然の洞窟というよりは、何処かの鉱山なんかに人工的に掘られたソレなのだろう。必ずしも人の手とは限らないけれど。
とにかく自分達は今、何故此処にいるのか、どうやって此処に運ばれたのか、そもそも此処が何処なのか何なのかすら解らないのだ。
だから何時までも先は真っ暗で、同じような道をひたすら進んで行くだけで不安になってくるし、気が滅入りそうになる。
本当に【帰れる】のだろうか、と。
「なあ、変な事を言っても良いかな。余計にキミ達を混乱させてしまうかもしれないけど」
余計に混乱するなら、今は精神的に辛いからやめて欲しかった。しかし自分達の前を歩くキティカは興味があったみたいで、狼の耳をつんと立てて振り返った。
「言いなよ。混乱も何も、あたし達には考える材料が必要なんだ。あるだけ沢山どんどんいっぱいって感じに、ね。有益なやつだったらさ、お姉さんがよしよししてあげるよ」
「いいよ、別に。それに撫でて欲しそうにするのはそっちの方だと思うけど。飼ってるんだよ、僕、犬」
子供扱いされた事に少々ムキになったのか、センシェルが皮肉の様な事を返してきた。流石にこんな状況で和を乱すような発言はよくないと思うんだけど。よくないと思ったから注意しようとしたら、キティカの反応は意外だった。
にいっと笑って、それから直ぐに堪えきれずにお腹を抱えて笑い出したのだ。
「あっはっはっ。中々面白いね、あんた。今のは結構笑える。いやかなり笑えるね。なんなら撫でてみるかい?意外に直ぐに懐くかもよ、あっはっはっ」
「・・なんで笑うんだよ」
これには逆にセンシェルが苦笑い。キティカは彼の前で空いている方の手を差し出して、ちっちっちっと指を振る。甘いね、みたいな感じで。
「大人の余裕さ。あんたみたいな坊やを弄ぶのが大人って生き物なんだよ。ふふん、どうだい、あたしの余裕っぷりに脱帽したかい?」
「・・僕はもう二十三だ。まあ、あんたが四十を越えているなら、子供かもしれないけどね。獣人の年齢なんて、見た目にはよく解らないし」
「あっはっはっ。言うね、あんた。気に入った。ここから無事に出られたら、あたしの家に来な。飼ってあげるよ。毎日よしよしして可愛がってあげる」
「それはどうも。だけどキミの家は僕を養えるだけの広さがあるとは到底思えないね。その身体が収まる程度の小屋じゃ、キミひとりで精一杯じゃないのか」
「あっはっはっ」
「ふふふふふ」
二人して笑い出した。
三人の人間関係なんて始まったばかりだけど、少なくともキティカとセンシェルの相性は良くないのかもしれない。
会話を聞いてると、段々と雰囲気が悪くなってゆくのが解る。皆で協力しなきゃいけない時に、この人達は何をしているのか。
長めの溜め息を吐いて、不安で心がいっぱいの筈の此方が、仕方無く仲裁に入ってあげる事にした。
「ちょっと待って、やめてふたりとも!!もういいから終わり。もう終わって」
ささっと、大分機嫌も悪くなり始めた二人の間に割り込んだ。本当に、こんな時に魔物なんかに襲われたらどうするのだろうか。
「だけど、最初に無駄に僕を挑発したのは彼女だ。非は彼女にあるから、やめるなら先に・・っう」
まだ余計な亀裂を生むような事を口走ろうとするセンシェルの唇に、人差し指の先を押し込んだ。うーるーさーいーとでも籠めるように睨むと、ようやく大人しくなる。本当に、二十歳の自分より上の二十三歳だというなら、もうちょっと考えて欲しい。
「あたしもわかったよ、お嬢ちゃん。何だか暗い雰囲気だったからさ、あたしなりに気を使ってみたんだよ。その・・ちょっとだけセンシェルをからかってみようかなって・・ごめん」
キティカも取り敢えず反省してくれたみたいだった。別に仲直りの握手なんてして貰うつもりは無かったから、それで終わり。素直に解決したならそれで良いと思った。
二人に一回ずつ、にっこり笑顔を向ける。単に「良かったね」とか、そういう意味で見せたつもりが、キティカもセンシェルもどうしてか苦笑いだった。
「キミ、結構怖いな」
「それはあたしも同感」
ただの一睨みが意外にも威力抜群だったようだ。正しい事をした筈なのに、引かれてしまうのは何だか嫌だ。変に勘違いされてしまうのも嫌だった。慌てて両手をぶんぶん振って、
「そ、そんなことないからっ。わたし、ほら、全然怖くないよ。滅多に怒ったりしないんだから、ね」
じいっと見詰められた。何を勝手に狼狽えているんだろうと思いつつも、恥ずかしさで顔が紅潮してくる。
「──そ、そうだ。そんなことより、さっきの話。さっきの話を教えて、センシェル」
「さっきのって・・ああ」
センシェルは一応通路の前後を確認してから、【知れば余計に混乱するかもしれない話】を、言った。
「だからさ、目覚めた瞬間の話だよ。キミとキティカは目覚めてからどれだけ移動したか覚えてる?たぶん殆ど移動していない筈だ。キティカはともかく、キミはこの暗闇で何も見えていなかったから。だけど、僕から言わせればおかしいんだ。何故ならキミ達はそこには【いなかった】んだから」
話の意味がよく解らずに、センシェルの真剣な顔を見詰めたまま小首を傾げた。
「「どういうこと?」」
どうやらキティカも同じ感想のようだった。それが気に入らなかったのか、センシェルは二人の反応を確認した後、あからさまに不満げな表情になる。
手に持った杖で地面を一度突いて、言った。
「キミ達はもう少し頭を使えるようになった方がいいと思うけど。一緒に此処から脱出するパートナーとしては、少し不安になるな」
強気な感じに顔が整っているから、きつめの言葉に更に充分な威力が加算されている。ああ、たぶんこの人ってずっとこうなんだ──と、なんとなく解った。常に人と調子を合わせたがらないタイプなんだ。自分勝手とは言わないまでも、協調性には大分欠けている。
「あっはっはっ。あたしは考えるより先に行動したいタイプだからね」
笑ってそう軽く返せるキティカがちょっと羨ましい。「仕方無いな」と、小さく溜め息を吐いたセンシェルが、再び話し出す。
だから、ソレがいらないんだってとか、内心思ってはいたけれど。
「僕が目覚めたのは、キミ達より幾らか早かった。それは解ってる。キミ達が僕の呼び掛けに応じなかったのも、まあ特に問題にするようなことじゃない。肝心なのは、だ。僕は状況確認の為に【こいつ】を使って近場を探索していた。目覚めた場所から15レクト程度だ」
「待って、それって何メートルの話なの?」
「なあ、それって何クルトの話なんだい?」
知らない単位の名称に、二人して殆ど同時に尋ねる。やっぱり話を中断されたのが気に入らなかったのか、センシェルの目蓋がじとっとした感情を含むように下がった。