【2】
ぱあっと、目の前が急に明るくなった。松明やランタンの炎の灯りではなく、真っ白で強い光だ。しかも視界を覆い被してしまうくらい強く発光しているにも関わらず、不思議と眩しくはなかった。とても柔らかい光、とでも表現するべきなんだろうか。
「な、に・・?」
二度三度瞬きしたのは、単純に信じられなかったからだ。それは救いの光というべきか、まるで神の奇跡というべきか──しかしよく見たら、真っ白な光の中に何か球体の様な物が浮かんでいるのが解る。
『ほーう』
と、球体がそんな音を発した。生物──ではないのだろうか、判断が難しい。見た目は少し間の抜けた、今の状況にそぐわないほんわかさだ。ゆっくりと手を伸ばしてそれに触れようとしたら、すうっとそのまま垂直に上がっていった。
白い光もそれに合わせて移動する。球体から離れれば白い景色はだんだんと薄くなり、松明やランタンで照らしたかのように【その場】に適切な光を残してくれた。
くれた、のだが──
「ほんっとに、いきなり何するんだって話だよ。眩しいじゃないか」
「──ひっ。い、犬人間──」
ようやくその場の状況把握が出来る程度に、視界が回復した事を喜ぶよりも先に、目に飛び込んで来たのは獣の頭。犬──ではなく狼に近いソレが二本の足で器用に立っている。
いや、というよりは頭部と肌と体毛の生え方が狼で、それ以外は人と言った方がいいのだろうか。それを証拠に茶色混じりの黒い体毛の上に、衣服をきっちり身に付けている。黒い金属製の胸当てと青白い生地で作られたパンツ、勾玉のような装飾品が幾つも付けられたロングブーツまで履いている。
確かに【ニンゲン】なのだ。最初は驚いたものの、少しだけほうっと安心してしまう自分もいる。
だが見た目がそうだからといって、魔物ではないという確証が得られたわけじゃない。
犬──改め、狼の女性は頭の後ろを掻きながら、言った。
「失礼だね。それって差別用語じゃないか。あんたもしかしてウィブリアンのクソ教団の信者かい?言っておくけど、あいつらが散々唱えてる【世生一優論】なんてのはでたらめさ。全部嘘なんだよ。わかる?」
「・・は、はい?」
「だーかーらー。ニンゲンは生まれた瞬間からヒューマとジュームに別れてたって、くだらない話。ジュームはヒューマの選定に溢れた出来損ないだって・・・あれ?知らない?知らないのなら、教団の信者じゃない?どういうこと、お嬢ちゃん」
知らないというより、女性の話が全く理解出来ないのだ。神の慈悲によってこの世に生を受けて二十年になるが、聞いた事の無い単語が次々出てくるのだ。正確には最初からそうだったのだが、自分は片田舎の出身だから知らないことも勿論多い。でも本当に【それだけ】なのだろうか。
ぽかんと小首を傾げるだけだった様子を見て、女性は拍子抜けしたように息を吐いた。そして腕を組んで、うんうん頷く。
「・・まっいいさ。それはいい。知らないなら差別じゃないからね。あたしは気にしない。うんうん。そんな事より今の状況さ。理屈はよく解らないけど、あんたも見えるようになったわけだし、これで一緒に考えられる。・・・・あ、先に名乗っておくとあたしはキティカ。お嬢ちゃんの名前は?」
まくしたてるみたいに喋る人?だな、と思った。でもやっぱり悪い人ではないみたいだし、ここまで普通に接して来られると、流石に【魔物】という気はしてこない。
少しだけ肩の力が抜けたことを察したのか、女性──キティカがにいっと笑った。すっと手を差し出して来たので、此方も手を伸ばして握手しようとした。
「わたしは──」
その時だ──
「なあ、今叫んだのは獣人のお姉さんじゃなくてキミの方だろ?この位置から見ると敵対してるわけじゃなさそうだけど、もう助ける必要はないのか?」
また声がした。今度は若い男性の声だ。
握手を交わそうとした手を止めて、二人して互いの顔を見合ってから声の方に振り向いた。頭の上の白い球体が数メートル程度の距離を明るく照らしてくれているのだが、その光と暗闇の丁度境目に当たる黒い壁の傍に、神官服を身に付けた二十歳くらいの男性が立っている。
自分の背丈よりずっと高い──恐らく180センチくらいの身長に、体型はかなり細い。ひ弱そうというか筋肉が無さそうというか、都会の方では女性に人気がありそうな体つきだ。髪の毛は灰色に近い白で、顔はかなり整っている。肌が白くて鼻が高い。羨ましい。
ヒュウっとキティカが口笛を鳴らした。
「イケメン登場、だね」
イケメンってどういう意味だろう。首を傾げる。男性は背丈よりも高い聖職杖(のように見えるが、見た事が無い造りと彫り物だった)を突きながら近付いて来る。
二三メートル程度の距離まで歩いた所で足を止めて、おもむろに片手を上げて人差し指を空に向けた。
吊られて二人して視線が動く。やはり突き抜けた空ではなくて、これは何処かの天井だ。今は球体の光が強すぎて真っ白で覆い隠されてしまっているから、その材質は解らない。
男性が言った。
「キミ達の上、僕の光魔法なんだよ。僕は一応聖職者だから、困ってる人間は助けないといけない決まりなんだけどさ。で、キミはどっちなの」
その言い方だと、少し不本意に思っているようにも聞こえる。面倒臭そうな顔では無かったが、声には【聖職者】っぽくない感情が確かに籠っている。
だがそれよりも気になったのは、
「あの、ひかりまほうって何ですか?あの丸くて白いのがそうなんですか?」
今日は何だか初めて耳にする単語だらけだ。しかし本当に知らないからただ質問してみただけなのに、男性は驚いたように切れ長の目をぱちくりさせる。
え?何?そんな当たり前のことを聞く必要があるの?本当に?といった感じで。
「い、いや、魔法は魔法としか言い様がない・・というか、皆産まれた時から使えるのが普通だろ?説明って改めて言われると難しいな」
「ええっ!?皆、暗闇をこんなふうに明るく出来るんですか?知らなかった・・もしかして私が田舎者だから、なのかなぁ」
世間知らずだ、と親から沢山言われてはきたけれど、都会の人達はこんな便利な事を簡単に出来てしまうんだと、ちょっと感心してしまう。ここから脱出して故郷に帰ったら、直ぐにでも妹に教えてあげたい。
しかし男性は軽く首を振って否定した。
「明るく、というか色々だよ。人によって授けられた魔法の才能が違うから。でも田舎の出身とか、そういうのは関係無いんじゃないかな。ちなみに産まれはどこ?」
「東ローレット王国のスフィア村ですけど」
「東・・いや、それってもしかしてエルブ大陸の方の国の名前、とか?」
「あの・・エルブ大陸って何処ですか?この世界に大陸は統一大陸だけって、修道院ではそう教えて貰ったんですけど」
「は?いや、それはおかしい。僕はそんな大陸の名前なんて聞いた事が無い。キミの知識が間違っているんじゃないのか?」
「間違ってないです。絶対間違ってません。修道院のアレッタ先生が出鱈目を教えるなんて有り得ないんだから。アレッタ先生を知らないくせに、勝手な事を言わないで」
「じゃあ、僕達の知識の食い違いをキミはどう説明するんだ。おかしいだろ。世界では亜人以外は統一言語を使っているから、ただ呼び方が違うってわけじゃない筈だ。それとも、キミはもしかして亜人種なのか」
「あじんってなに?知らない。そんなこと知らない。わたしも変だと思うけど、それはずっと・・キティカさんと話してる時からずっと感じてた。二人とも、わたしが知らないことばかり言うから」
話が噛み合わないのは最初からだった。何かがおかしいと感じても、何がおかしいのか──根本的なものが上手く説明出来ない。白い肌と長身という特徴から、少なくとも自分には男性が西リーレット地方の出身のように思えたのだが、聞いてみたら直ぐに否定された。
「そんな名前、聞いた事がない」と。
結局お互いに首を捻ってみても何も解決しなかった。答えを求めるように揃ってキティカの方を見たら、狼と人間を足したような容姿の彼女は肩をすくめてみせる。
「あたしはどっちも知らないよ、ちなみに。ヒューマの事はそこまで詳しくはないけど、そんな大陸も国も存在しない筈だよ。ったく、なんだかおかしな事になってるみたいだね」
ちなみに男性もヒューマという言葉は聞いた事がないらしい。男性はキティカを獣人と呼んでいたけれど、キティカが名乗るようにジュームという言葉の方にも覚えがない。
一体どういうことなんだろう。
暫くの間、三人でただ顔を見合わせているだけだった。