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転校生の秘密

作者: 青井青

「ねえ莉奈、いつIDを教えてくれるの?」


 休み時間、机で本に目を落としていた私の耳に、クラスメイトの内海恵の声が聞こえた。


「ごめん、二つのアプリを入れたら重くなっちゃって……」


 私はちらっと斜め前方に目を向ける。


 内海恵をリーダーにする体育会系女子たちが、転校生の北川莉奈の席を取り囲んでいた。


「古いアプリを削除するのは?」


「ごめん、家族と普段そっちでやり取りしてるから……」


 北川莉奈は高2の2学期に東京の有名進学校から転校してきた少女だった。


 すらっと背が高く、芸能人のような小顔で美少女。勉強もスポーツもでき、性格も明るい。たちまちクラスの人気者になった。


(女子のグループで北川さんの奪い合いがすごいんだよね……)


 恵たちは莉奈と昼休みに一緒にお弁当を食べていた。当然のようにLINEのID交換を求めていた。


 けれど、莉奈はかたくなに教えようとしない。ふだん使っている海外製のアプリと同時にインストールすると不具合を起こすとか、あれこれ理由をつけては断り続けていた。


 結果、転校して一ヶ月になるのに、いまだに誰も莉奈のIDを知らない。今や少女のIDはRPGにおける〝賢者の石〟のような存在になっていた。


(たぶん、教えたくないんだろな……)


 私はなんとなく想像していた。放っておけばいいのに、そうはいかないのが人気者のつらいところだ。


 なお、女子だけでなく男子からのアプローチもすごかった。噂ではすでに三人くらいの男子(野球部とかサッカー部のエースクラス)から告白されたらしい。


(ぜんぶ丁寧にお断りしたらしいけど……ほんとすごい人気……アイドルみたい)


 ちなみに私は人生で一度も男子から告白されたことはない。好きなものは読書(特に漫画)とアニメ鑑賞。自他共に認めるクラスの四軍女子である。


「ところで、バレー部を見学する話だけど……どう?」


 内海が別の角度から迫った。背が高く、スポーツ万能の莉奈を自分の所属するバレー部に勧誘していた。


「ごめん……母が働いていて、弟の世話とか、家のことを色々やらなくちゃならないから……」


「そっかー」


 私は本に目を落とすフリをしながらやり取りを聞いていた。のらりくらりと交わしながら、莉奈は恵たちのグループ入りを避けているように思えた。


「バレーに興味はあるんだよね?」


 別の少女が訊ねた。内海恵と同じバレー部員の鈴木朋子だ。


「うん、スポーツは好き。ただバスケットはたまに遊びでやってたんだけど、バレーはやったことがなくて……」


「莉奈は背が高いし、運動神経がいいからすぐ追いつけるって」


 興味がないならはっきり言えばいいのに、少女はおだやかな笑みを絶やさず、女子たちの攻勢をかわし続ける。


 内海が仕切り直すように言った。


「まずアプリだね。学校にいるときはこうやって話せばいいけど、外では不便だもの」


 そう言って転校生の顔を覗き込む。


「……電話番号とか、教えてもらうのはダメだよね?」


 友達同士でIDを交換していても、電話番号は家族など、よほど近しい人間にしか教えないのが今の風潮だ。


「ごめん……アプリの方、なんとかするね」


 莉奈が手を合わせ、申し訳なさそうに眉尻を下げる。後ろの方にいたバレー部の田代友美が言った。


「北川さん、本当は私たちの友達になりたくないんじゃないの?」


「そんなことないよ」


 莉奈は困ったように苦笑した。


「別にいいんだよ。はっきり言ってもらっても。莉奈の好きなグループに入りなよ。別にウチらじゃなくてもいいんだから」


 いつもは取り巻きの暴走を制止するリーダーの内海恵も、今日に限っては黙っている。煮え切らない莉奈の態度に不満があるのだろう。


「あの――」


 そう言いながら私はガタンと椅子を鳴らした。急に立ち上がったので膝が机の裏板に当たり、鈍痛で顔をしかめる。


 視線が集まり、私は乾いた喉に唾を流し込んで声を発した。


「メッセンジャーのアプリって、二つ入れると動作がおかしくなる……よ」


 普段は無口な地味女子が突然、発言したので皆が戸惑っていた。いぶかるような視線に押され、私はどもるように続けた。


「ほ、ほんとに……前に二つ使ってたことあるけど、重くなったから削除した……」


 微妙な空気が落ち、内海恵が揶揄するような視線を私に向ける。


「ふーん、そうなんだ」


 検証しようのない話なので、それ以上、突っ込まれることはなかった。


 とはいえ、私の証言で、IDを教えたくないので嘘をついているのではないかという莉奈への疑いは多少晴れた。


 タイミングよく予鈴が鳴った。教室前方の扉が開き、中年の男性教師が入ってくると、内海たちは自分の席に戻り、騒動はおさまった。


 ◇


 昼休み、私は図書室の相談カウンターで、入荷された新刊に蔵書印をついたり、背にラベルを貼る作業をしていた。


「すいません。探している本があるんですが……」


 声をかけられて顔を上げると、カウンターの外に制服姿の北川莉奈が立っていた。私の顔を見て少し驚いた顔をする。


「どんな本ですか?」


 私が訊ねると、少女が言った。


「川端康成の『美しい日本の私』という本なんですけど」


「ちょっと待ってください」


 膝上の本をカウンターに置き、パソコンで蔵書検索をかける。棚の場所を確認し、私は椅子から立ち上がり、カウンターの外に出た。


 後ろに莉奈を従えて書棚に向かう。


 古典文学の書架は、普段生徒のほとんど来ない図書室の奥まった場所にあった。脚立を持ってきて階段を上がると、下からは見えにくい書棚を端から目で追っていく。


「このへんだと思うんだけど……」


 右から左へ視線を流して本を探すが、なかなか見つからない。


「すいません。見つからなければ今日はいいです。急いでいるわけではないので、ゆっくり探します」


「ちょっと待ってね……あった!」


 私は棚にささっていた本を手にとると、脚立を降り、どうぞ、と少女に差し出した。


「ありがとう」


 莉奈はうれしそうに手の中の本に目を落とす。目を輝かせ、細く長い指でページをめくる。


「川端康成が好きなの?」


 私が訊ねると、うん、と転校生はうなずいた。


「前に『眠れる美女』を原作にした映画を見て……でも、いちばん好きなのは谷崎」


 少し意外な気がした。莉奈はスポーツ全般が得意で、性格も男っぽいというか、さっぱりしていた。読書はあまりしないタイプだろうと勝手に決めつけていた。


「あ、そうなんだ。私も谷崎は読むよ。どんな作品が好きなの?」


「痴人の愛、春琴抄、細雪……どれも好きだけど、いちばん好きなのは(まんじ)かな」


「へー、渋いね。本が好きなの?」


「叔父さんが編集者をしていて、子供の頃から誕生日にいつも図書カードをもらっていて、それで本が好きになったの……あの、さっきはありがとう」


 休み時間の騒動に助け船を出したことだろう。


「内海さんたちも大人げないよね。IDを教えたくないなら無理しなくてもいいよ」


 いくらクラスの人気者を自分たちのグループに取り込みたいと言っても、大勢で転校生を囲むのはやりすぎだ。


「……なんで私がIDを教えたくないと思ったの?」


 莉奈がいたずらっぽい目で私を見てきた。細めた目が妙に色っぽくて、私は一瞬どきっとした。


「え?……いや、なんとなく……だけど」


 莉奈はクスリと鼻先で笑い、書棚に向かい、本の背を指で横になぞった。


 けだるそうな姿が妙に絵になるというか、大人びた雰囲気があった。たぶん女優とかになるのはこういうコなんだろう。


「私、この学校で誰とも友達になりたくないの」


 書棚をぼんやりと見ながら、つぶやくように続ける。


「……前の学校で中学のときからずっと仲良しグループで付き合っていた人がいたの……私、その人に好きだって告白した……でもフラれちゃった」


 ガラス越しに柔らかい陽光が差し込み、チリが宙を漂い、制服の美少女の周りを浮遊していた。


「……次の日、私が告白したことがクラス中に広まってた……私は不登校になって……親と相談して転校することにしたの……」


「……ひどい話だね」


 ありきたりな慰めしか私はできなかった。他に言いようがない。だが、なぜそんな大事な話を、さして親しくない自分に打ち明けたのだろうか。


「だから私、もうID交換をするような友達は絶対に作らないって決めてるんだ」


 気持ちはわかる。自分だって仲良しだった男子に告白し、それが次の日クラス中に言い触らされていればひどく傷つくだろう。


 にしても、こんな完璧な美少女をフッたあげく、周りに吹聴するとはどんな男なのだろう。


「女の子だよ――」


 その声は不意に私の耳に入ってきた。


「私が告白した相手」


 莉奈はにこっと笑うと、制服のスカートをひるがえして去って行った。私は書棚の前に呆然と立ち尽くし、遠ざかる少女の背中を見つめた。


 ◇


 翌日の昼休み、莉奈はまた図書室にやって来た。


 奥まった場所にある日本文学の棚の前で立ったまま本を読んでいた。窓から外の柔らかな明かり差し込み、制服姿の少女は中世の絵画のように美しかった。


 私はしばらく見とれた後、声を掛けた。


「北川さん――」


 少女が本から顔を上げ、こちらに目を向けた。私はスマホをさっと差し出し、勇気を振り絞って言った。


「私とIDを交換しない? あなたと友達になりたいの」


 こちらの思惑を推し量るように莉奈がじっと見返してくる。切れ長のまなざしは息を呑むほど美しいが、まばたきひとつしない。なんだか猫みたいなコだなと思った。


「あの……私の秘密も教える。私ね……BL漫画を描いてるの……」


 私は反対の手に持っていた封筒から薄い本を出し、莉奈に差し出した。タイトルは「髭のおっさんは好きですか?」


 少女が袋から出した同人誌をぺらぺらとめくる。


「……絵うまいね……筋肉の描写がすごい……あ、みんな、髭を生やしてるんだ」


 コマの中では、アゴ髭を生やした筋肉隆々な男同士が裸で絡み合っていた。


「うん……髭BL……マイナージャンルなんだけど……」


 私は赤らんだ顔でつぶやいた。


 一晩考えた。莉奈は自分に大事な秘密を打ち明けてくれた。だったら自分も誰にも言ってない秘密を告白するしかない。


「……クラスのみんなには絶対に内緒……知られたら私、自害するかもしれない……マジで……」


 身体の脇で拳を握りしめ、声を震わせる。


「もし、私が北川さんの秘密を誰かにバラしたら、私の秘密もバラしていいよ」


 莉奈は一瞬、真顔になり、やがて、ぷっと吹き出した。


 あははははは、とお腹を抱えて笑った。静かな図書室でその鈴のような笑い声はよく響き、私は思わず周りを見回した。


「こっちは真剣なの!」


 顔を真っ赤にして私は言った。マジで死ぬほど恥ずかしい。いや、死ぬかもしれない。


 莉奈は笑いすぎて涙をこぼした目を指で拭い、ごめんごめんと謝った。


「柏木さん、あんた、サイコー」


 莉奈はスカートのポケットからスマホを取り出し、アプリを立ち上げた。海外製などではなく、普通のLINEだった。互いのQRコードを読みとり、IDを交換した。


「これからよろしくね」


 莉奈が手を出し、私はその手を握り返した。細い指はひんやりして陶器のように滑らかだった。


「ね、今日の放課後、ふたりで喫茶店でも行こうよ。ケーキと紅茶をおともに、柏木さんとBL漫画について語り合いたいなー」


「うん……あの、BLってあんまり言わないでもらえると……」


 私は警戒するように辺りに目を配る。どこに耳があるかわからない。


「今さら照れなくてもいいじゃん」


 そう言って莉奈は目を細める。なんでこのコは、意地悪そうな顔がこんなに可愛いんだ?


「ね、柏木さん、私と付き合わない? 友達じゃなくて彼女として」


「え?……」


「私と付き合ったらぜったい楽しいよ、女の子だけど」


 私は目を伏せ、恥ずかしそうに顔を逸らす。


「いや……それは……ちょっと……」


 BL漫画など描いているが、私自身はごく平凡な女だった。ようは異性愛者で、男の子が好きだった。


「あんなエゲつない漫画を描いてるのに?」


「だから、それは言わないで!」


 真っ赤な顔で私は胸の前で拳を握りしめる。


「ジョーダン、ジョーダン。ごめんね」


 莉奈が肩に手を回し、なだめるように私の頭をポンポンと叩いた。


 なんというか、その仕草がすごく自然で、宝塚の男役スターに抱かれるのってこんな感じなんじゃないかと思ったよ。


 胸がドキドキした。おかしい。相手は女の子なのに。


 不意に莉奈が私の身体を抱きしめ、ありがとう、と言った。


「友達になりたいって言ってくれて」


 私の肩に顔を埋め、くぐもった声で続けた。


「私が女の子が好きだってわかったら……みんな、急によそよそしくなったの……あんなに仲が良かったのに……」


 信じていた友達に裏切られ、少女はこの学校にやってきた。クラスで明るい転校生を演じながら、彼女の心の奥は深く傷ついていたのだ。


 急に莉奈が小さな幼子のように思え、私は手を回して背中をやさしく撫でた。


「つらかったね」


 コクリと莉奈がうなずき、やがて声を押し殺して泣き始めた。


 私は少女の細い身体を強く抱きしめた。誰かに見られてもいいと思った。


 この世界の片隅で、今この瞬間だけは、私たちが私たちとして存在することを許されているのだから――


(完)

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