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第六話




 冬の朝に落ち葉を集めていると、どこからともなく小鳥が集まってくることがある。熱心に私の手元を見つめ、なにかを待ちわびているように、梢を飛び回る。地面が晒されると一斉に降り立ち、しきりに何かをついばみ始める。お目当ては、落ち葉のすぐ下、湿った土の中で眠っている、小さな虫。彼らはこれが大好物で、それはもう興奮した様子で地面をほじくり返し始める。なぜだか、この時ばかりは私がそばにいても、あまり逃げる気配を見せない。それどころか、違った種類の小鳥も混じって、入れ代わり立ち代わりやってきて、お互いに争うこともなく、延々と虫をついばみ続けている。

 冬の寒い時期、地面の中に埋まっている虫は貴重な栄養源なのだろう。鳩などの大きめの鳥なら、自分で落ち葉をかいて地面を掘り出すことが出来るが、小鳥たちはそうもできない。この朝ごはんは、文字通り生死を分けかねない、大事なものなのだろう。


 冬は停滞の季節だ。草花は身を潜めて、じっと春の訪れを待つ。庭木の枝を整える季節でもある。どの枝を落とすか決めるのも、私の仕事だ。今、目障りだからと切り捨てるのではなく、成長の季節に、のびのびと伸びることができるように、進路を決めてやる。



 この家に嫁いできてから、私は庭園の決して少なくない部分を管理している。まだ小さい子供たちも、しきりに手伝ってくれようとするのだが、それにはもう少し大きくなってもらわないといけない。その時が来れば、教えてやれることはたくさんある。


 私は夏以外の季節を、二人の子どもたちとともに、この庭園で過ごしている。夫は私とは逆に、冬以外の季節を、草原で過ごしている。遊牧民の若き長である夫は、ユルトを率いて遊牧する義務がある。なので、一年のうちで夏と冬だけが、私たち家族が一緒に暮らせる季節だ。


 子供たちは、冬の間は夫にべったりだ。朝、普段だったらくすぐられるまで起きようとしないくせに、今だけは勝手に飛び起きては、一日中夫の後ろをついて回っている。夜は夜で暖炉の前に座る夫の膝の上によじ登り、何があっても降りようとしない。そのまま眠り込んでしまうのが常だ。


 夫とは、父の勧めで結婚した。見どころのある、素晴らしい若者だ。いずれ将来は遊牧民族全体をまとめあげる大族長になるに違いない。と、熱い口調で何度も聞かされたものだ。そして、その見立ては間違っていなかったようで、今では周辺の長たちからも一目置かれる存在だ。私としては、家族と家人が健やかに過ごすことができればそれで充分なのだが、はつらつと未来を語る夫の話を聞いていると、自然と安心して身を委ねることができる。


 私たちが住む素敵な庭園は、かつての王様がお妃さまのために作った庭だという。それを、夫が私のために手に入れてくれた。街からほどほどに離れた郊外にある、周囲をぐるりと壁に囲まれた土地で、緩やかな傾斜に日が当たって、とても心地がよい。小さな水路も通っていて、せせらぎが花園や樹木を潤してくれる。街道沿いには果樹園まであり、敷地の中心近くにある小高い丘には、素敵なお屋敷が建てられている。

 どの季節もすばらしいのだけれども、やはり春がすばらしい。朝日が昇る頃、午前中の木漏れ日、昼日中のひだまりに夕焼けに、そよ風にそよぐ草花は、馬の腹のように優しく揺れる。



 このすばらしい庭園の風景を彼の目に触れさせるという目的は、今のところ叶えられていない。私の子どもたちととも、会わせずじまいだ。夫はなんどもこちらを訪ねるように便りを出してくれているのだけれども、その都度に何かしら用事があるだとかなんとか、はぐらかされてばかりだった。彼には彼の言い分があるのだろうと、なんとなく察せないわけではない。最後に二人で話をした時に、彼は自分の役目は終わったのだというようなことを、繰り返し言っていた。私の結婚が正式に決まった夜のことだった。彼が唐突に嫁ぎ先についてくる気はないと明かして、私はひどく裏切られた気になったのだった。そして、その勢いのままに、彼を詰ってしまった。







「どうして今さらそんなことを言いだすのよ!」


 夕闇が濃くなってきた空に、私の声が響き渡った。全く予想もしていなかったことを突然切り出されたので、思ったよりも大きな声が出てしまった。


「もう、以前から決められていたことです。俺の意思は既に先方にも伝えて、了承を得ております」


 彼の表情は、月を背負っているせいで、はっきりとしない。

 私たちは、次々に灯りがともされ始めた庭を見下ろせるテラスで、対面していた。その日、私は何度も彼と話をしようとしたのだけれども、彼は用事にかこつけて巧みに二人きりになるのを避け続けていたので、捕まえるのには随分と手間がかかった。


「それを決めるのは主人である私のはずでしょう!何を勝手に話を進めているのですか、身の程をわきまえなさい!」

 狼狽のせいか、どうしても口調が強くなるのを、抑えることができない。


「どうか、お察しください。私があちらに移ることで、いらぬ軋轢が生まれかねない。私はそのことを、何よりも恐れているのです」


「察せるわけがないでしょう!私がお前をどこに連れて行こうと、誰が反対なんてするものですか!」


 私はそう反論しつつも、実は一つだけ思い当たる節があった。本邸の使用人たちの間で、まことしやかにささやかれ続けてきた、噂話。聞くともなしに私の耳に漏れ伝わった、私の母の処遇にまつわる顛末。


「お嬢様、俺の役割りはもう、終わったのです」


 彼は穏やかな口調で、しかしきっぱりと言い切った。そこにはもう、交渉の余地が残されていないことを、理解せざるを得なかった。

 だからって、そんなの、酷いわよ。私にとって、お前はたった一人の家族なのよ。


 今、なによりも伝えたいはずのその言葉は、あっけなく私の喉で溶けてしまう。これが声にならないのは、今だけに限ったことではない。気持ちを何度も彼に伝えたくて、その度に言い出すのがためらわれて、押し殺し続けてきたのだった。


「これからは、お嬢様にも新しく家族ができます。その時に俺がそばにいては、邪魔になるばかりです」


 私の内心など知ることもないくせに、彼は構わず話を進めようとしている。


「俺の役割りは終わりました。お屋形様に拾っていただき、至らないまでもお嬢様のお世話を仰せつけられ、お嬢様は本当に立派に育ってくださった」


 彼はにっこりと、とても大きな笑顔を見せた。


「お嬢様は、俺の誇りです。この世界で、あなたに出会えて、本当によかった」


「何を勝手に終わったつもりになってるのよ、だったら新天地でも私を助けなさいよお……」


 私の声は涙にかすれてしまっていた。彼はそれに気付くと私の目の前に跪き、そっと手を取った。


「俺の力は、もう必要ありません。お嬢様は新天地でもしっかりやっていけます。細かいことまでは説明できませんが、俺にはそのことがはっきりとわかっています」


 そこで彼は手を握り直し、自分の額におしいだいた。


「あなたの伴侶となるお方は、なんの心配もせずに頼って構わないお方です。もしもお嬢様に俺を信じる心が少しでもおありでしたら、伴侶となる方も、同じように信じてみてはくれませんでしょうか」


 そんなことを言ってるんじゃなくって……。私は全然納得ができていなくて、それで望みが叶うのならば、身もふたもなく泣きわめいて、駄々をこねたかったのだけれども、幼い時分ならいざ知らず、今となってはやり方すら思い出せない。


「大丈夫、必ず暖かな家庭を築けます。あなたには、誰よりも幸せになる権利がありますから」


 そう言い切った時の彼の表情は、すっかり満ち足りている人のそれそのものだったので、私もなんだか、それ以上なにも言う気はなくなってしまった。




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