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第三話


 俺のことを語るのに、どこから始めたらよいものか。生業といえば、執事である。実態は家政夫だが。元々の主人であった領主様から仰せつかった使命こそが、お嬢様の養育であり、俺の使命だ。つまり、お嬢様のお世話をする者ということになる。

 だが、それを事細かに語ったところで、俺の本質の半分すら説明したことにならない。俺は確かに外見上は真面目だけが取り得の平凡な人間だろうが、誰よりも特異な要素を一つだけ持っているのだ。それこそ、物語の主人公なんかが持った方がふさわしいほどの。


 何が言いたいかというと、つまり、俺は、現代からの転生者なのだ。


 転生者という言葉の正式な意味が知りたいのなら、辞書なりネットなりで調べてみればいいと思うが、生憎どちらとも俺の手元にはない。とにかく、ファンタジー系のフィクションにありがちな物を想像してくれるといい。それまでの人生の記憶をそのままに、見知らぬどっかの世界に生まれ変わる、そんなようなイベントが俺の身の上に降りかかったのだ。


 とはいえ宙を舞って地面に叩きつけられるのを待っている状態の俺は、まだそこまで考えが及んでいなかった。都内にある某私大に通う平凡な学生である自分が、通学途中にトラックにはねられたとて、行きつく先は病院か、あるいは運が悪ければ棺桶の中かのどちらかだろう、などとぼんやり思っていた。

 高々と舞い上がったせいで、受け身を取れるかと一瞬期待したのだが、既に一度目の衝撃で身体からは力が抜けてしまっていて、右手の一本すら動かすことが出来なかった。直後、目の前にぐんぐん迫ってくるアスファルトの迫力に唖然としているうちに、二度目の強い衝撃を頭部に受けた。

 いっそ気絶してしまえば楽になれたのだろうが、視界が暗転しつつも、全身の燃えるような痛みと、脈打ちながら流れ出ていく血潮だけは、かえって生々しく感じられる。周囲がざわめいているのが辛うじてわかるが、耳の中で鳴り響く轟音のせいで、内容までは聞き取れない。

 そんな中、いやにくっきりとした声が、耳元からした。いや、もっと近くから、まるで頭の中から聞こえてきたような気がした。

「あ、間違えた」

 なにを間違えたんですか?俺は問いかけたかったのだが、本格的に血が不足し始めたのだろうか、口が利けない。それどころか、だいぶ前から呼吸すら出来ていないことに気が付く。ただ、この時既に察するところはあった。ただ、確信までは得られらなかっただけだ。そしてとうとう身体の痛みすら感じなくなったところで、ようやく意識を手放せた。


 目を覚ました俺の目に飛び込んできたのは、燃えさかる炎。最初は突っ込んできたトラックが実はタンクローリーか何かで、そいつが爆発炎上でもしたのかと思ったほどだ。

 焼け落ちる小屋、崩れた土塀、周りの風景が一変していることに違和感を覚えながらも、道端にうずくまっている人がいたので、肩に手をかける。途端、とうの昔に生気の抜けた顔が、白目を剝きながら倒れこんできた。その背中には極太の矢が突き立っている。

「うわあああああ!?」

 思わず絶叫しながら突き飛ばしてしまう。手応えは思いのほか軽く、激しく土塀にぶつける形になってしまった。少し申し訳ない気持ちになったが、彼だか彼女だかは、別段文句を言うこともなく、そのままうずくまる姿勢に戻っていった。

「一体、なんだってんだ。この有様は何が起こったってんだ!!」

 吐き気をこらえながら後ずさると、背中が何かにつきあたった。壁なんてなかったはずだが、と不審に思って振り返ると、そこには巨人が立っていた。それなりに大柄だったはずの俺の目線が、太もも辺りまでしかない。なんだこいつ、バスケ選手か?


 再び絶叫しながら逃げ出そうとしたが、あえなく襟首を捕まえられ、そのまま片手で持ち上げられる。

「まだ餓鬼が残っていやがった。街まで持ってきゃ小遣いくらいにはなるか」

 巨人は、「神に感謝」などとわけのわからないことを口にしながら俺を小脇に抱えると、なんとそのまま馬に跨って駆け始めた。俺も必死に離せなどと叫びながら暴れてみたのだが、巨人に軽く締め上げられただけで、気を失いかけるほどだった。「とんでもない怪物に捕まってしまった」とガタガタ震えていたのだが、よく考えるとなにか変だ。道も馬も樹も何もかもが、大きく見える。はっとして手元に視線を落とすと、どう見ても子供の手のひらだ。もしかして、俺の方が縮んでいる?


 街に着いた途端、そのまま奴隷商に叩き売られた。文字通り、地面に叩きつけられて、売られたのだ。すぐさま立ち上がって食って掛かったのだが、手際よく裏っ返されて、そのまま背中を踏んづけられる。歯噛みするが、ままならない。

 巨人は俺を足蹴にしたまま、じっくりと時間をかけて価格を交渉した。そしてその後はなごやかに談笑までしていやがった。最初はその足首を捻ってやろうとしたり、拳で殴りつけたりしたのだが、やがてすっかりくたびれ果て、ぐったりとしてしまった。

 売買が成立すると、今度は奴隷商人の手に掴まれ、あちこち見分される。もうされるがままだった。中身はどうであれ、なりは子供になってしまったようだし、これ以上の抵抗は無駄だと諦めていた。


「随分物分かりがいいじゃねえか。もしかして売られんの初めてじゃなかったりする?」

「初めてに決まってんだろ!度々あってたまるか、こんなもん!」


 帳面をつけながら叩いた商人の軽口が、必死に現実と折り合いを付けようとしていた俺の癪にさわり、思わず怒鳴り返してしまった。すぐさま、まずいことをしたと青ざめる。全く抵抗する手段なんて持っていないのに、相手の機嫌を損ねるような真似など、本当はするつもりはなかった。どんな報復を受けるのだろうと心配になったのだが、「お、案外いい反応見せるじゃねえか。訛りもなさそうだし、こいつは当たりかな?」などと、案に相違して、機嫌がよくなったようだった。わけがわからない。訛りとか言われても、自分が喋っている言葉が標準語なのかどうかすら判断がつかない。そもそもなんでこいつらと言葉が通じているのかも不明だ。

 その後は比較的ましな扱いを受けるようになり、売却先もこの地方の領主様という、これ以上ない上客に引き渡されることになった。


 奴隷の身分で言うのもなんだが、俺の新しい主人となった人は、出来たお方だった。戦には強く、行政は優れていて、誰に対しても公正だった。生まれながらの気前の良さを備えていて、太陽のように人の心を明るくした。

 手に入れた幼い奴隷をいきなりの重労働で使いつぶすような真似はせずに、まずは生活と教育の機会を与えてくれた。学ぶということの重要性を既に知っていたおかげもあって、二度目の人生における教育は、すんなりと受け入れることが出来た。元の世界にいた時から堅実で、野心などからは縁遠い性分をしていた。こちらの世界に生まれ変わったと言ったからって、それをきっかけにしていきなり変わろう、だなんてことを思ったわけもない。俺は優秀な生徒だったと思う。積極的に課題をこなし、貪欲に知識を吸収していった。


 依然俺の身に何が起こったのかは、完全には理解できていない状況ではあったが、これより遥かに悪い状況はいくらでもあったのだと納得はできている。ある意味、自分は幸運だったとすら言えなくもない。ただ、残してきた家族を思うと寂しくはあるし、何も知らせずに先立ってしまったことは悔やんでも悔やみきれない。それだけは、いつまで経っても心残りだ。


 そうして学んで働いて成長して、元の年齢がわからないので正確なことは言えないが、およそ二十五歳ほどになった頃のことだった。

「あれ、もう始まってる?」

 庭木の手入れをしていた俺の頭の中で、あの時耳にした声が、再び響いた。俺は、さほど驚きはしなかった。

 それまでの間に、考える時間だけはいくらでもあった。なので、俺の異世界転生自体が何者か上位存在によるうっかりミスで引き起こされたのかもしれないという可能性には、とっくの昔に辿り着いていた。もちろんそれを信じ込んだわけではなく、あらゆる角度からの検討も引き続き行われていた。有力な反論としては、この世界自体が、交通事故によって死の淵を漂っている自分自身が作り出した妄想の世界で、現実世界では意識の戻らない全身にチューブにつながれたままであるとか、まともに考えようとすると、それだけで精神が削れるレベルで救いのないものなんかがあった。


 それに比べると、例え幼いうちに山賊に故郷を焼き払われ、奴隷として叩き売られた過去があるとしても、よりよい未来をつかみ取れるかもしれない現状は、まだ救いがある。声の主がどのような失態を犯し、なんの因果で咎のない俺にこのような責め苦を合わせたもうたのかもわからないが、今の俺にとっては文字通り女神的存在なのだと言わざるを得ない。許そう、その過ちを。俺は努めて冷静に問いかけた。


「あなたがどこのどなたか知りませんが、命を救ってくれた礼だけは言っておきます。しかし、その後なんで放置していたんだ?助けを求める声が届いていなかったのか?」

「ごめんごめん、寝てた」

「せめて謝ろうとする姿勢は見せろ!」


 俺の中に微かに残っていた畏敬の念が一瞬で吹き飛んだ。最悪だ、こいつ。多分そうなんじゃないかなと薄々感づいてはいたが、こいつに関わり合いになると絶対にロクな目に遭わない。


「ごめーんってば。もしかして、怒ってんの?機嫌なおしてよー、チートスキルとか上げるからさあ。ってか今どこまで進んでんの?」


 実を言うと、この場面こそが、かつての俺が切望していたものだった。つまり、本来転生直後に姿を現すはずだった上位存在は何らかの理由でそれが叶わなくなっただけで、後日改めて状況説明となんらかの祝福を授けにくる意図はあるに違いないと。一時は、それだけを心の支えに生き抜く日々もあったくらいだ。


「っていうかあんた、随分大きくなっちゃったわねえ。少年スタートにしといたはずなのに。今年で何歳になってんの?」


 それだけに、今まさに雑に進行しようとしている彼女が許せない。姿は見えないが、声と喋り方からすると彼女でいいのだろう。そのがさつな物言いからは、相手の気持ちを汲み取ろうとする心遣いが感じられない。的確に心がざわつくことばかり言ってくる。それでいて、煽っている様子はうかがえないので、彼女の素の性格がそれなのだろう。


「そっかぁ……、少年期見過ごしちゃったかぁ。それじゃあ今から勇者っぽいムーブとかやってもらってもキツいわよね。それなら、地味だけど、知識や技術系のチートスキルはどう?潰しが効くわよ」


「その手の物はいらん。幸い、境遇には恵まれてな。生きていく方便なら付いている」


「なんでなんでなんで!?人並外れた能力がなんの努力もなしに手に入る大チャンスよ?間違って人生終わらせちゃったお詫びに上げようって言ってんのに、それを何よいらないって!」

「技術だ能力だ言うのはな、それを獲得するまでの過程において、その人の人格や人生にも影響を及ぼすもんなんだ。それを後付けでほいっと渡されてもな、よい結果を生むとも思えん」

 特に、こいつから受け取った特殊能力だなんて。絶対に致命的な落とし穴があるに決まっている。



「……それよりも、お前を消すチートとかない?すっごく響くんだけど、お前の声」

「あるわけないでしょ、そんなもん!仮にあったとしても渡さないわ、絶対!」

 ないのか……。ほんの思い付きで言ってみたのだが、ないとわかって思いのほか落胆してしまった。


「とにかく、俺の人生は俺のものだ。俺は奴隷としての本分を全うして、領主様にお仕えして一生を過ごすことを納得したんだ。この庭を手入れし、戦の時には兵士となり、死が訪れるその時まで生きていく。その人生に、身の丈に合わない特殊能力の類など、必要ない」


 これは、かねてから頭の中にあった文面だった。この結論に辿り着くのはけして容易なことではなかったのだが、それだけに嘘偽りのない、俺の本心そのものだったと言える。


「なんっだ冷めた野郎だな、お前!萎えた!寝なおす!」


 それだけに、それを一蹴して罵倒した彼女には、正直殺意すら覚えた。しかし、彼女をナビゲーション役にして冒険の旅に出る、というシチュエーションに比べればはるかにマシだ。彼女が俺の人生に関わらないと言い出してくれるのならば、文句などつけようもない。願わくば、二度目の前に現れてくれるな。



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