フィレメント家の常識
お読みいただきありがとうございます。めっちゃいろいろ置き去りのまま話が進みます。
頭空っぽにしておよみください。
召喚。
それは、異世界から莫大な力を持つ誰かを呼び寄せ、手駒にすること。
召喚。
それは、文字通り身一つでさらわれた誰かを、国の盾にすること。
喜ぶ者もいた。
嘆く者もいた。
悲しむ者もいた。
怒る者もいた。
帰る術を探すものもいた。
それぞれに癒し、宥め、同情を誘い、あるいは処分もしたが、結局、誰もがこの世界で息絶えた。
その、最後の召喚者の、小さな願いだ。
呼ばれた召喚者は、元は上質だったろうダボついた衣服を身にまとい、何日身を清めていないのか、思わず鼻をしかめるほどの異臭をさせ、靴もなく、髪も櫛を通しておらず、いつもはどんな相手でもにこやかな笑顔を崩さない王太子の口の端をひくりと引きつらせるほど、それは個性的な姿だった。
いや、正直に言おう。
召喚者でなければ絶対にお近づきになりたくないほど、汚くて臭くてみすぼらしい姿であった。
ほぼすべての召喚者が親に愛され、何不自由なく貴族のような暮らしのままこちらに来ていたこともあって、このような、孤児のような召喚者が来ることなど考えもしていなかったのだろう。
一瞬の空白。固まった王太子そのほかの代わりに、(多分、おそらく)彼女の世話を命じ、その後全身に鳥肌を立てて拒否を示す、言葉も出ない彼らを花園舞うサロンへ案内することが、私のできる精一杯だった。
翌日、乳兄弟の私でもなかなか見ない青ざめた顔とともに相対した際、彼女はきちんと彼女であった。
風呂で何度も洗ったのだろう、思ったよりも白い肌、召喚者と示す黒髪を映えさせるドレスは深い緑。
のっぺりとした顔のなか、伏せた黒いまつ毛だけが目立っていた。
後ろに続くのは私の母であり、王太子の乳母だ。あ、王太子の顔がますます青ざめてる。
母が彼女の味方になった証につけた黒のリボンの所為だろう。
あのみすぼらしい姿のまま引き渡せば、そうなるとは予測していたが。まあ、私のきょうだいたちと一緒の年頃で、しかもなかなかかわいらしい顔をしていて、あからさまに虐待されたのだろう姿でいれば愛情深い母のことだ。引き取りまくった血のつながらない兄姉妹弟たちと同様、同情と保護欲が爆発したのだろう。
それだけではないようだが、ここは静かにしていたほうがいい。そのうち母から事情を聴くことにしよう。
だから、昨日の衝撃的な姿から立ち直っていないのも、警戒するのもわかっているから、早く話せこの王太子。
彼女がぎこちなくも丁寧なカーテシーを披露してるのに、いつまでも黙ってるものだから、母の視線が段々鋭く…あ、これ同じように黒のリボンをつけた侍女の姉たちからの視線も交じっている。
いや、ちょ、天井の兄たちからも痛い視線が、これよく気づかないな。
目線で助けを求めるな。お前王太子だろうが…ああもうわかった。わかったから。フォローはしてやるからいつもどおりお前のペースで話せ。わかったか?よし、行け。
「っ部屋の居心地はどうだっただろう?不自由などはあったかな?」
「いいえ、わたくしのような身分の者にまで温かい湯と温かい食事にこのような衣服までいただき、夢のように素晴らしいひと時を過ごさせていただきました」
「そうか、ほかに何かあるかな?」
「いいえ、みなさまの温かいお心遣いに感謝いたします」
「そうか」
よし、最初つっかえたのは減点だが、まあ当たり障りもないだろう。
母が見逃さんぞとばかりに鋭い眼光でこちらを見るが、しょうがないだろう昨日のあれが相当ショックだったんだし。
これはあとから母の説教追加だな。まあ、たまにはいい薬だろう。
「こちらに呼んだのは君に、この国を守ってもらいたくてね。実は今、魔物が大勢こちらに向かっているんだ」
「わたくしには、何の力もございませんが…」
「ああいや、急いてすまない」
「殿下、そろそろ職務の時間になります。ここからはわたくしが」
「あ、ああ。助かる。ではすまないが後を頼む」
「御意」
最初のあれからまだショックが抜けきってないのか。
ほれちょっと休憩してこい、選手交代するから。
「イオル様、申し訳ありません。わたくしはディールともうします。殿下の乳兄弟です」
「乳兄弟…あ、もしかしてメリーさんの息子さん?」
「はい、私の母です。どうぞよろしく」
「よ、ろしくおねがいします。メリーさんって子だくさんなんですね。…いいなあ」
「実際いると大変ですがね。確かに賑やかで落ち込む暇もございませんよ」
「…ふふっ。メリーさんとおんなじこと言ってる」
おや、笑うとなかなか…って、ちょ、いくら俺でもこんな子供に手は出さないって!その座った眼でにらみつけるのやめてよ姉さん。
数日かけて話したら、警戒は解けたみたいだし、一通り話をしてみてもそれなりにきちんと教育を受けた後もある。
王太子?あいつならなんだかんだと理由つけて逃げ回ってるよ。最初が最初だったからなあ。でも母の説教が倍増するのは自業自得だからあきらめろ。
裏を読む能力はないが、隠されたことを察する程度の話力はある、か。こりゃきっちり教育すれば姉さん並みとはいかずとも結構しっかりしたところに就職もできそうだな。
よしよし、さっき見たステータスでも標準的な魔術師20人分くらいあるし、使い勝手がよさそうだ。
あとは彼女の願いに相当するものを分け与えれば、いつもどおりでいいだろう。
「ざっとですが、こちらの常識や生活についてはこんなものですね」
「はい、たのしく覚えさせていただいてありがとうございます。こちらにきて、よかったです」
「それで、ですね…」
「なんでしょう?」
「その、我々は国の意向とは言えあなたを無許可で召喚しました。あちらの世界には帰ることはできませんが、なにかそのほかに叶えたいことはございますか?できうる限り努力させていただきます」
「叶えたいこと…?」
「はい」
「イオル様、大丈夫ですよ。とりあえずいうだけ言ってみてくださいな。無理かもしれませんが、それは国が判断することですからね」
「メリーさん、ディールさん、おねえさまがたも…」
うん、うん。いい話だよね。だけどお母さまお姉さまついでにそこに隠れてる弟たちよ。
彼女に見えない位置から『かなわねえわけよな』とメデューサみたいな目でにらんでくるのはやめてくんないかな?あと妹よ、その手に握ってるのってこないだ新発売したばかりの毒入りブローチだよね?
なんでみんなそんなに彼女を慕うのさ。召喚者の大体は人扱いするし、一緒にご飯を食べたりするし、可愛がってくれるでしょうし、どうせおんなじでしょ?
「さ、イオル様。どうぞ」
「あ、あの、でしたら…いくつか、いいですか?」
「もちろんですわ。おいくつでも言ってみてくださいませ!!」
「ドレスですか?宝石ですか?それとも大きなお屋敷とか?」
「護身用の剣はどうされます?この間魔術の威力が倍増するミスリル剣が出ましたのよ」
「いいえそれより護衛も大事ですわ。腕利きをそろえませんと」
「侍女も増やしましょう。執事はどうされます?お父様がやる気になってらしたのですよ」
「こぉれ!!イオル様の言葉を遮るんじゃない!」
「「「申し訳ございません!!」」」
「ふ、ふふふ、ふふ。みんな、やさしいです。うれしい。ありがとうございます」
緊張をほぐすためにあえて、かな?というか父まで気に入ってるって…それなんて人外?なにこの子こんなちっちゃいのに魅了の術とか持ってんの?え、違うの?なのにこの熱狂なの?俺、ちょっと怖くなってきたんだけど。
「あ、ごめんなさい。あの、ですね」
「はい」
「まずは、住むところと、戸籍が欲しいです」
「もちろんです。屋敷は小さいものですが、用意させていただいております。戸籍も、すでにとあるご貴族様のご落胤として登録させていただきました。あとはやはりこの国についての案内や、また護衛などに関しては母から手配されることとなっていますね。教育なども同様に」
「あとはお仕事とかはもらえますか?」
「もちろんです。イオル様はわが国の専属魔術師ということですので、基礎から学んでいただきますが、それもまたお仕事ですので、今この時点でもお仕事ですね。住み込みと考えさせていただいてもよろしいかと」
「なるほど。ありがとうございます。あとは貴族などのマナーはどうしましょう?」
「そちらは母のメリーや姉たちが担当いたしますね。新しいお屋敷でも何人か一緒に住みますので、わからないことはどんどん相談していただいて結構です」
「それと、。…これは、本当に私のわがままなんですけれど……」
「はい、なんでしょう?」
そのあと続いた言葉に、俺は家族のハマりっぷりに納得することになる。
「これ以上に、痛いのも、苦しいのも、悲しいのも、いやなんです。だからもし私を処分したいときは、寝るときみたいに甘い甘い毒で眠らせてくださいませんか?」
「そ、れは……」
ふうわりと、まるで恋をするように死を強請る少女。
「……かしこまりました。その時になったら、必ず」
「か、なえてくれるんですか!?わあ、わあ、わあ、うれしい!!ありがとうございます!!」
「っとと、はい」
それほど死がうれしいのか。それほど生が苦痛だったのか。
焦がれるほどあこがれた死のために生きること
その矛盾に気づかぬまま、こちらに飛びついて喜びをあらわにするほどに、絶望していたのか。
(これは、母が気に入るわけだ)
目線を合わせた先の母たちの目が本気モードだった。
母はいい人だ。姉も兄も、弟も妹も、父も善良で、やさしくて、愛情深くて、いい人だ。ただひとつだけの悪癖をのぞいて。
彼ら彼女らの、当たり前の常識を壊すことこそ快感という、その一点だ。
なぜそれが快感なのか、母たちにもわからないという。
けれど常識を、幸せを、楽しみも、嬉しさもしらないままの無垢な目が驚き、やがて輝き、かつての世界の常識を忘れ、自分たちのそれに染まっていく過程が、ぞくぞくするほど楽しく、どうしようもなく心地よく、達成感にまみれているのだと。
特にそれが絶望から希望にかわり、元の暮らしを忘れるほどの時になると、やめられないほど恍惚感にまみれてしまうのだと言っていた。
ちなみにそれうちの一族ぜんぶです。お陰様でまったく常識を知らない召喚者のお世話はうちの一族だけしかやってない。というかやらせようとしない。
ちなみにうちの一族の伴侶はほとんどがこっそり処分したことにした召喚者とか不憫な目に合ってる子とか田舎暮らししてて常識一切知らない子とかです。お陰様でいろいろごちゃ混ぜな感じですが、苦労してる子が多いもんで家族仲はすごくいいです。
一族のほとんどで血がつながってないのに、というか当主になる予定の俺しか血がつながってないのになんでだろうなあ。
ええと、昔の召喚者が言った『ルイハトモヲヨブ』だっけか?あれなのかねえ。
いや、ええと、その、血がつながってるってことは、まあ俺も一族だからね。
つまり、ね
「ディールさん?お顔が赤いですよ。お熱ですか?」
「い、いいえ!なんでもありませんよ」
その悪癖が俺もあるってことでそれはつまり俺がこの子の常識を変えたいって結論が出てってことは俺があの子のそばにいたいってことでひひひ一目ぼれってやつであああ後ろの母も姉もにやにやしてんじゃねえもしかしてこれ予測してこっちに連れてきたってあああだから俺好みの俺の目と同じ緑でほとんど装飾品のないドストライクな感じにしてきたのかよいい仕事してますありがとうございました特に胸元じゃなくて背中空いてるのが好きですよなんで俺の性癖ばれてんだよ隠してたのに!!
小さい手が俺のおでこにあたった。酷使されたのかあからさまな、まだおさないというのに固くてごわごわの手だ。
どうしようもなくやさしい手に、見て見ぬふりをした悪癖に、うしろで新しいドレスについてキャッキャ話している母たちに、全部全部大きなため息をついて完敗を認めざるを得なかった。
「ディールさん?ほんとに具合が、」
「イオル様!」
「ぴゃっ!」
ぴゃってかわいいなあもう全部俺の腕の中でぴゃーって鳴いてほしいっていうかかわいいなあもう!!
「結婚を前提として俺とお付き合いしてください!!」
「………ぴっ」
小鳥とかハムスターだったらしい彼女は、こてっと倒れ、その後の慌てふためいた俺の姿は、彼女が俺の隣に立って数十年たった今も、親戚一同鉄板の笑い話になっている。
お読みいただきありがとうございました。砂糖なしのコーヒーをどうぞ。