〖act.7〗魔法使いと傭兵、買い出しに行く
「ん……むぅ? あ、朝か……」
柔らかなベッドの上で窓から差し込む陽の光で目を覚ますルーツィア。もぞもぞと身体を起こし、ぼぉーっとしている。彼女は寝付きは早いが寝起きが悪いタイプであった。決して低血圧では無いが。徐々に回転し始めた頭で昨夜の事を思い出すルーツィア。
(えっと……昨日はVIPルームに泊まって……豪華な料理を沢山食べて……お風呂入って……それから……)
高級ホテルに宿泊した所からひとつひとつ記憶を辿る。
(……そうだ、髪を乾かしてから……待っていたクリスが入れ替わりにお風呂入って……それで待っていたらウトウトして来て……あれ? 自分でベッドに潜り込んだ記憶が無いんだけど?…………! じゃあ誰が…………ッ!!)
誰かも何もこの部屋には自分と栗栖しか居ない事を思い出し、寝惚けていた頭に急に血液が集まり一気に覚醒するルーツィア。
(ちょ、ちょ、ちょっと待って! するとベッドに運んでくれたのは……クリス!?)
その考えに至ると頭に集まった血液が今度は頬に集まり火照る感覚が。いま鏡を見たなら湯気が上がるほど真っ赤になっているのがわかっただろう。
ふと気が付くと、自分がバスローブ一枚で居た事を自覚し更に赤面すると慌ててワンピースに着替えるルーツィア。替えの服は勿論シモーヌが用意しておいてくれた物である。
そしてドアをそぉーっと開けると、リビングに顔だけ出して様子を伺う。リビングでは栗栖が一人ソファに座りノートパソコンに向かい何やら作業をしていたが、顔を覗かせているルーツィアに気付くと
「やあ、おはようルーツィア」
笑顔で朝の挨拶をして来る。一方のルーツィアも若干吃りながら挨拶を返す。
「えっ?! あ、お、おはよう……」
「昨夜は良く寝れた……みたいだな」
「う、うん……」
そう返事を返しながら栗栖とテーブルを挟んで反対側に座るルーツィア。まだ頬が火照っている。そんなルーツィアの様子を知ってか知らずか、栗栖は席を立つとインターホンで何かを話すと「今、朝食を持ってくる様に頼んだ」と戻って来ながら笑顔で語り掛けて来る。そんな栗栖に申し訳無さそうに言葉を掛けるルーツィア。
「その……昨夜はごめんなさい。それとありがとう、運んでくれたんでしょう? 私をベッドまで」
「あーっ、いや、まぁ、なんだ。風邪を引かせる訳にはいかなかったからな」
ルーツィアの言葉に少し歯切れが悪い返事をする栗栖──心做しか頬が赤い。
「本当にクリスが紳士で良かったわ」
その様子を見たルーツィアは、くすりと笑いながらそんな台詞を口にする。
「それは、まぁ、君を護るのは俺の役目だからな」
栗栖は少しそっぽを向きながら素っ気なく答える。そんな栗栖を見てルーツィアは
(ああ、この人は本当に私を大切に考えてくれているんだ)
そう思うと何故か胸の奥に甘い疼きが込み上げるのを感じるのであった。
「さて、今日の予定だが」
運ばれてきた朝食を食べ終え、ひと息ついていたルーツィアに栗栖はそう告げる。
「君の当面の居住拠点はこのホテルだが、飽くまでも短期間でしか無い。本格的な居住拠点は現在A・C・Oで手配していて一週間以内には決まる手筈になっている。それに関してはこちらに任せて欲しい。それとは別に当面必要な物──衣服や日用品を今日は買いに行きたいと思うんだが、構わないか?」
「それってこっちの世界のお店に行けるって事?!」
「勿論。特に服なんかは君の好みもあるだろうしな。それにサイズだって合っているのを買わないと駄目だろう? それに──」
そう思わせぶりな言い方をする栗栖。
「それに、なに?」
「君にもちゃんとこちらの世界を案内しないとな」
少し焦れったくなって声を上げたルーツィアに、にこりと笑顔で返す栗栖。その笑顔に先程感じた甘い疼きを再び胸の内に感じるルーツィアは
「う、うん! 本当に楽しみだわ! よろしくねクリス!」
と、わざと明るく笑顔で答える。そんなルーツィアを見て笑みを深める栗栖。
「ところでルーツィアは何か希望はあるのかい? 欲しい物とか見てみたい所とか」
「え? ん〜そうね、見させてもらえるなら何処も初めてだからあちこち見て回りたいけど……敢えて言うならこちらの世界の魔道具──てれび? とかの電化製品が見てみたいわね」
どうやらルーツィアの認識ではテレビ等の電化製品類は魔法の道具と言う認識らしい。因みにテレビや冷蔵庫の類は地下施設に居た時に目にしていたが、全て擬物だったので本物に興味があったのだ。
「了解。それじゃあ準備を整えてから出掛けるとするか」
「ええ! エスコートよろしくね、クリス!」
ワクワクしたみたいに屈託のない笑顔を見せるルーツィアを見て、胸の奥に温かいものが広がるのを感じる栗栖であった。勿論口には出さないが。
「こんにちは」
「こんにちは!」
「こんにちは、ようこそいらっしゃいました」
栗栖とルーツィアは連れ立ってブティックに来た。お店に入るなり挨拶を店員と交わす。
「今日はどういったものをお探しでしょうか?」
「彼女の普段着を何着か探しているんだが……ルーツィアは何か希望とかあるのか?」
「そうね……動きやすい服とかなら良いんだけど……あとはやっぱりお洒落なのが欲しいかな」
「わかりました。ではこちらで何点か見繕ってみましょう」
女性店員はそう笑顔で答えるとルーツィア達を連れて店の中を巡り、何着かのブラウスやシャツ類とジャケット等のアウターにスカートやジーンズ等のボトムス、それらに合うアクセサリー類を見繕う。それ等を試着室でフィッティングしたルーツィアは始終ご満悦な表情を浮かべていたので栗栖は全て買う事にした。
更にその足で高級ブティックにランジェリーショップを巡り、ルーツィアが気に入った物を全て買い込む栗栖。自腹ならこんな買い方などはしないが、これらも全てA・C・Oから当面の生活費としてかなりの額を渡されていたから為せる技なのであった。お陰で愛車の4WDの後部座席には買い物した品物で一杯になったが。
「さて、と」
駐車場で4WDのハンドルに手を掛けながら栗栖が呟く。先程までランジェリーショップの中に居たので解放されてホッとしているのは秘密である。
「とりあえず衣服はこんな所かな……」
「それじゃあ次は電化製品を見に行きたいわ!」
一方のルーツィアは元気そのものである。先程はランジェリーショップで栗栖が購入してくれた事に「クリスから下着を買って貰っちゃった」と内心舞い上がっていたのは秘密である。
「わかったわかった」
栗栖が苦笑しながらルーツィアを連れて向かったのは大手の家電量販店であった。
「凄い……! こんなにあるの?!」
店内に入るなり目を輝かせて辺りを見回すルーツィアを見て今日何度目かの苦笑を浮かべる栗栖。説明を聞きたくてウズウズしているルーツィアは近くに居た店員を捕まえると、栗栖を伴って店内のあちこちを説明してもらいながら見て回るのだった。
それも暫くして──
「はァー、楽しかった♡」
充分に説明を堪能したルーツィアがそんな風に呟く。
「満足したみたいで何よりだ」
一緒に付いて回っていた栗栖がその台詞を聞いて、またもや苦笑いを浮かべながら受け答えをする──まぁ決して呆れている訳では無いが。
──プルルルル
その時不意にジャケットのポケットに入れていた衛星通信端末から呼び出し音が鳴り確認するとシモーヌからの着信であった。
「もしもし?」
『やぁクリス、久しぶりだね』
端末の向こうから悪戯っぽい声が聞こえる。
「……まだ昨日から一日しか経っていないんだが」
『まぁ、そんなに邪険に扱うなよ。私と君との仲じゃないか♡』
「……用事が無いなら切るぞ?」
『あーっ、ストップストップ! ちゃんと用事があるから電話したんだ。そんなに怒らないでくれたまえ』
シモーヌは慌てて悪ふざけを謝罪する。
「それで、なんだ?」
『相変わらずドライだねぇー、君も。用事と言うのは他でも無い、ルーツィアさんの事だよ』
「それなら──」
栗栖は掻い摘んで昨日からの出来事を話して聞かせる。
「──それで今は家電量販店に来ている。ルーツィアの希望でな」
『成程……すると今の所は問題無いんだね?』
「ああ」
『それは重畳至極。その調子でこれからも彼女のお願いを叶えてやりたまえ。さて、あまり君達を邪魔しても悪いからな──それでは頑張ってくれたまえ、ではな』
最後に意味深な台詞を残してシモーヌが一方的に電話を切った。切る直前にくっくっくッと噛み殺した笑い声が聞こえたのは気の所為では無いはずだ。
「全く……シモーヌの奴」
衛星通信端末から顔を離しながら小さく悪態をつく栗栖。
「どうしたの?」
「ああ、シモーヌの奴から君の様子の確認だ」
通話の様子を見て何事かと聞いて来るルーツィアに曖昧な笑顔で返す栗栖。その答えには納得したみたいな顔をするルーツィアは栗栖が持つ衛星通信端末に視線を向けると
「ねえ! 私もそのすまーとふぉん? とか言うの使えるかしら?!」
何やら俄然興味を持ったみたいに瑠璃と紫水晶の瞳を輝かせて言い募ってくる。栗栖はふむ、と考えると
「そうだな……君自身にも連絡手段があった方が何かと良いか……」
そう呟き、ルーツィアを店の一角に置かれている携帯端末の売場に連れて行き、彼女が好ましく思える携帯端末を選ばせる。売場担当の店員から色々説明を受けながらルーツィアは最上位モデルの携帯端末を選び出したのである。それは女性が選ぶにはやや無骨なデザインの携帯端末であった。
「これで良いのか、ルーツィア?」
「うん、説明を聞いたけど皆んな似たり寄ったりだったから頑丈そうなのを選んでみたの! これなら多少乱暴に扱っても壊れないだろうし、あと水に入れても壊れないとかも言っていたわね! 高そうなのが気になるけど……」
問い掛けた栗栖に最初はハキハキ答えていたが台詞の語尾が申し訳無さそうになるルーツィア。それを聞いて大した事は無いと笑う栗栖。
「そんな事気にしなくても大丈夫だ。この金は君の生活費として支給されているんだから」
尤もA・C・Oの経理部が渋い顔をしそうだが……と思ったが口にはしない。
詳しい使い方は栗栖がレクチャーする事にして、兎に角ルーツィアの決めた携帯端末を店員に言って保証金を支払い新規に契約する。
新たに購入した携帯端末を嬉しそうに手にするルーツィアは、買い物を終えホテルに帰る為に4WDに二人で乗り込むと話し掛けて来た。
「ねえ、クリス」
「ん、なんだ?」
少しモジモジしていたが意を決したみたいに声を上げるルーツィア。
「あのね、このスマートフォンに魔法を使ってみてもいいかしら?」
「魔法を?」
思いもしなかったルーツィアの発言にオウム返しに尋ねてしまう栗栖。
「そう! 【セラフィエルの瞳】を使ってスマートフォンの解析をしてみたいの! あ、決して壊したりしないから安心して!」
「そらまぁ、この携帯端末は君のだし、壊さないなら構わないが……」
栗栖の台詞が終わるか終わらないかのうちに「やった! ありがとうクリス!」と物凄く嬉しそうに燥ぐルーツィア。そして買ったばかりの携帯端末を左掌に乗せると、右掌を翳し目を閉じると小さな声で唱えた。
「──万物を見透すセラフィエルの瞳よ、諸物の理を示せ──【解析】」
次の瞬間、右掌から複雑な紋様の円環が宙に現れ携帯端末を包み込んだのだ。
そのあまりにも幻想的な光景に思わず息を呑む栗栖であった。
次回投稿は二週間後の予定です。
お読み頂きありがとうございます。