〖act.60〗魔法使いの帰還、そして傭兵は
今回はいつもより文字数が多くなっています。
紐育のとある地区に在るアパートメントで目を覚ます栗栖。そこは確かに約10年もの間、栗栖が暮らしていた見慣れた室内である。
(朝……か)
ベッドの上でこれまた見慣れた天井に視線をぼんやり向けながら頭の中で呟く栗栖。固く閉ざしていた筈のカーテンに出来ていた僅かな隙間から朝日が一条の線となってベッドの上に差し込んでいる。
その様子に微かに溜め息を吐いて顔に手をやると、身体を起こしてベッドから降りる。
テーブルの上に置かれているインスタントコーヒーの瓶の蓋を無造作に開けると、手馴れた様子でコーヒーの粉をカップに入れポットのお湯を注ぐ。そして出来たてのブラックコーヒーをグイッと呷る栗栖。その苦味で少しぼやけていた意識がはっきり覚醒する。
「さて、と」
完全に目覚めた栗栖は頑なに陽を遮っている厚いカーテンを開けて、昇りたての朝日を部屋に取り込む。朝日に照らし出された室内は既に最低限の手荷物が纏められており、ただ整然としていた。栗栖とルーツィアの暮らしていた部屋はA・C・Oが借りている部屋なので栗栖らがリヴァ・アースに行った後、また別の誰かが暮らす事となる筈である。
「よし……」
完全に目覚めた栗栖は一言そう言うと、机の上に置かれている2通の封書を使い慣れたビジネスバッグに大切に仕舞い込む。それと同時に玄関のドアをノックする音が。それが誰なのかわかっているかの様にドアを開ける栗栖。ドアの向こうには笑顔のルーツィアがこれまた最低限の手荷物を手に持って立っていた。
「おはようクリス」
「おはようルーツィア」
お互いにそう声を掛け合うと何方かともなく軽く接吻を交わす2人。
「さぁ、行きましょうか?」
「ああ」
そう言うと荷物を持って互いに手を取り合う2人。
今日は栗栖が『有給休暇』の命令を受けてから20日目──退役扱いとなる1日前である。それは同時にルーツィアがリヴァ・アースに「帰還」するまでのカウントダウンに他ならない。
栗栖とルーツィアはA・C・Oからの迎えの車で本社へと赴いた。因みに栗栖の愛車である4WDは彼自身の小隊の副官であるコナー・オーウェル大尉に譲渡されていた。
A・C・O本社を訪れた栗栖らはそのままディビジョンSの事務室、その士官室に向かう。
「来たか、クリス。ルーツィアさんも」
2人を出迎えたのはディビジョンSの司令官サミュエル・グエン大佐。
「はい、グエン大佐。お久しぶりです」
「今回は宜しくお願いしますね、グエン大佐」
出迎えてくれたグエン大佐と挨拶を交わす栗栖とルーツィア。するとそこに
「──っと! ギリギリセーフだったかな!?」
1人急いで駆け込んで来たのは研究区画のシモーヌ・ヘルベルク博士。
「やぁシモーヌ、俺達も今来た所だ」
「シモーヌ博士、久しぶり!」
そんなシモーヌに笑って声を掛ける栗栖ら2人。
「これで作戦メンバーは揃ったな。それでは本時刻を持ってルーツィア嬢の『帰還作戦』を発動する。既にコナー大尉の小隊がドーヴァー空軍基地に配置、本社からの護衛はディビジョンAが受け持つ事となっている。クリス、それにルーツィアさん、2人は今回は保護対象者だ。全ては我々に任せて欲しい」
シモーヌの到着を受けてそう宣言するグエン大佐。
こうしてA・C・O精鋭によるルーツィアの『帰還作戦』が始まったのである。
今回の『帰還作戦』は栗栖とルーツィアを2人が初めて出会った場所、つまりあの作戦の行われた某国のリゾートホテルの廃墟へと安全に連れて行く事が目的となっている。
ルーツィアがリヴァ・アースへ『帰還』する為には、彼女が最初に転移して来た場所が重要な意味を持っており、転移地点は次元空間に歪みが生じているらしく、幾重にも連なる次元の連続体を貫く次元のトンネルの様になっているらしい。それを利用し、且つ【セラフィエルの瞳】のサポートで元いた次元へ──リヴァ・アースへと帰還するのだ。
因みに今回の『帰還作戦』は国際連合のティム・ヴァン・アレン事務総長がA・C・Oに『依頼』をしている事である。それは彼なりのルーツィアへの報恩なのであろう。
A・C・O本社からドーヴァー空軍基地へと移動し、コナー大尉とアンネリーゼ中佐の小隊2部隊に警護されてエアバスA400Mに乗り込み、目的地である某国へと向かう栗栖とルーツィア。ドーヴァーを発って東へと向かうエアバスA400M。
出発から7時間余りのち西班牙・マドリードのバラハス国際空港で燃料を補給中に、ふと思い付いた様に栗栖に尋ねるルーツィア。
「そう言えばすっかり聞きそびれていたけど、クリスのお父さんやお母さんの御家族って?」
「ん? ああ、父さんは天涯孤独だと言っていて一度も親戚とは会った事が無かったな。母さんは日本人と独逸人の混血で其方はドイツに祖母が居て子供の頃一度だけ会った事があるが、両親が交通事故で亡くなってからは音信不通だ。その時でも結構な歳だったからな、多分亡くなっているんじゃないかな?」
ルーツィアの問いに何の事は無いと答える栗栖。そして隣りの座席に座るルーツィアの頭をくしゃりと撫でると
「だから俺がルーツィアと一緒にリヴァ・アースに行っても何も問題は無いのさ。俺も父さんと同じ天涯孤独だったからな」
優しい声でルーツィアの不安を払拭する。頭に置かれた手を自分の頬に引き寄せて
「そう……なら良いんだけど……ごめんなさい、こんな差し迫った時にこんな事を聞いたりして。でもその辺の話は聞いていなかったなぁって思ったら……つい、ね」
小さく笑うルーツィア。
「君が謝る必要は無いさ」
そんなルーツィアにそれだけ答えると優しく肩を抱く栗栖。
(彼女には済まない事をしたな)
そっと自分の肩に寄り添うルーツィアに対してそう自戒する栗栖。
そうしている間にも給油を終えたエアバスA400Mはバラハス国際空港を離陸して東へと向かって飛行を続ける。
次の寄港地はアラブ首長国連邦のドバイ国際空港である。
マドリードから7時間余り、アラブ首長国連邦のドバイ国際空港で2度目の給油を受けて更に東へ飛行を続けたエアバスA400Mは7時間半後、ついに目的地である某国──新嘉坡にある空軍基地へと到着した。
休む間もなく現地のA・C・O東南アジア支部が用意したスポーツ用多目的車に分乗して、最終目的地である廃リゾートホテルに向かう栗栖達。
栗栖とルーツィアはグエン大佐とアンネリーゼ中佐、コナー大尉とアンネリーゼ中佐の副官であるマリルー大尉、そしてシモーヌ博士と同じ車での移動だ。廃リゾートホテルまで凡そ2時間程の道程である。そんな中
「そういやお2人さんとも、随分身軽だね? 幾ら何でも荷物が少な過ぎないかい?」
シモーヌ博士が一番後ろの席に座る栗栖とルーツィアに質問を投げ掛ける。
「確かに……幾ら身一つで良いとは言っても2人ともバッグひとつなんて少な過ぎるわね」
シモーヌ博士が口にした疑問を聞いていたアンネリーゼ中佐も同様の疑問を栗栖らに訊ねて来る。
「それはね、つい最近使える様になった次元魔法術【収納庫】で、私のこの【セラフィエルの瞳】に荷物を収納しているからよ」
「「「「「【収納庫】だってッ?!」」」」」
シモーヌ博士とアンネリーゼ中佐2人の疑問に簡潔に答えるルーツィア。その答えを聞いた車内の他のメンバーからも声が上がる。
「そ、その魔法術はどれ位の物量を収納出来るのかね?」
食い気味に尋ねて来るのはグエン大佐。
「えっと、大体20平方メートルぐらいですね。重さには制限はありません」
その質問にもちゃんと答えるルーツィア。日本家屋で言うと約12畳の部屋の広さとなる。それが重量に制限が無いとなると、兵站が常に課題である軍やA・C・Oの様な民間軍事会社には垂涎の的である。
事実、ルーツィアはD.Dの伝手で対物ライフル、機関銃、ライフル、自動小銃、散弾銃、グレネードランチャー、自動拳銃、回転拳銃、抑制器等買えるだけの銃器を購入して、【収納庫】に全て収納していたりする。
これらの銃器全ては向こうの世界で栗栖が使うであろう銃器をルーツィアが再現する為の見本となるのだ。
彼女がわざわざガンスミスの資格を取ったのにはそうした理由があったのである。
そんな会話をしつつ栗栖らを乗せたSUVの車列は、遂に目的地である廃リゾートホテルに到着した。
到着後ただちにA・C・Oの隊員達が降りて周囲を警戒する中、コナー大尉とマリルー大尉、アンネリーゼ中佐、グエン大佐の順に降車し、最後に降り立つシモーヌ博士と栗栖とルーツィア。
目の前には凡そ3年振りとなる懐かしいリゾートホテルの廃墟。あの事件の後、ここは現地警察の手によってロープと防塞で厳重に閉鎖されていたが、栗栖達の到着に合わせて一時的に開放されていた。
「総員警戒を怠るな! クリス、ここから先は君に案内してもらうとしよう」
「了解です、司令官」
A・C・O隊員が警戒する中、バリケードの開けられた箇所から廃リゾートホテルに進み入る栗栖達。栗栖が先導し、その後をコナー大尉、アンネリーゼ中佐、グエン大佐、ルーツィア、シモーヌ博士、マリルー大尉の順に続いて行く。その周囲はA・C・Oの隊員達ががっちりと警護していたのである。
その中を廃リゾートホテルの奥へと進んで行く栗栖達。かつて集結地点だった玄関ホールのロビーには、今も生々しい銃撃戦の跡が刻まれている。
「足元に気を付けて下さい」
先導する栗栖は後から続くグエン大佐らに注意を促すと、ゆっくりと慎重に1階の奥にある最終目的地のカジノフロアへと歩を進める。
そしていよいよカジノフロアに足を踏み入れる栗栖達一行。打ち捨てられたバカラ台や壊れたスロットマシンを越えて奥に進むと、そこだけスロットマシンやルーレット台が同心円状に薙ぎ倒された何も無い『空間』が出現した。
「着きました。ここです」
そう短く言葉を発する栗栖とただ無言のルーツィア。
「ここがルーツィアが『転移』して来た場所……」
アンネリーゼ中佐が思わず声を漏らす。
そう、ソコこそがルーツィアがリヴァ・アースからこの地球へ転移して来た『転移地点』であった。
「──【調査】」
ルーツィアがそう言霊を紡ぐと、彼女の頭上に円環が現れ周囲を明るく照らす。やがてサークルが霧散すると
「──転移の残滓はまだここに残っているわ。ここからなら間違いなくリヴァ・アースへ帰れるわ」
栗栖達の方に向き直ってそう説明するルーツィア。
「そうか……ならルーツィアは帰還の魔法術の準備を」
「ええ、わかったわ──」
栗栖の言葉に答えると首に掛けた【セラフィエルの瞳】に意識を集中するルーツィア。【セラフィエルの瞳】が徐々に輝き始める。
「グエン大佐、これを」
それを見ながら栗栖は手に持っていたバッグの中から2通の封書を取り出してグエン大佐に差し出す。封書には栗栖とルーツィアの名前と共に『退職届』と書かれていた。
「君は本当に生真面目だな、クリス少佐」
若干の苦笑いを浮かべながら2人分の退職届を受け取るグエン大佐。
「湿っぽいのは君も望まないだろう? だから私は笑顔で君達を見送らせて貰うよ」
「はい、色々と有難うございます」
そして栗栖とグエン大佐はしっかりと握手を交わすのだった。
やがて【セラフィエルの瞳】の輝きが辺りを眩く照らす様になると
「──此方は準備オーケーよ、クリス」
意識を集中する為に瞑っていた目を開けたルーツィアから準備が整った事を告げられる。
「クリス、元気でね。いつまでもルーツィアと仲良くね! ルーツィアもクリスといつまでも仲良く、そして元気で!」
「向こうの世界に行っても頑張るだぞ、クリス! そしてルーツィアもいつまでも元気で! クリスの事は頼んだよ! 出来れば私も一緒に行きたいんだけどねッ!」
「クリス少佐、ルーツィアさん、本当に今までお世話になりました! お元気で!」
「いつまでもお元気で、クリス少佐! ルーツィアさん! 向こうに行っても頑張って下さい!」
準備が整ったと聞いてアンネリーゼ中佐、シモーヌ博士、コナー大尉、マリルー大尉が口々に栗栖とルーツィアに別れの言葉を投げ掛ける。
そんな4人と順々に「有難う」の言葉と共に握手をしっかりと交わす栗栖。
そして栗栖はゆっくりとルーツィアの傍に行くと、今一度見送る全員に彼女と2人で手を振る。
「それでは皆んな、本当にお世話になりました! いつまでもお元気で! それじゃあ──【空間転移】」
瞳を潤ませたルーツィアの言霊と同時に、栗栖とルーツィアの姿は、この地球世界から光と共に掻き消えたのであった。
次回投稿は二週間後の予定です。
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