〖act.58〗傭兵、慰霊と決意と昔噺
長村警部が運転する青のリーフAUTECHは東関東自動車道大栄JCTを経て首都圏中央連絡自動車道──圏央道を常盤自動車道へ向けてひた走る。
「黒姫さん、本当にそこに行くので良いんですか?」
圏央道を走る車の中、助手席に座る藤塚警視が、栗栖に行き先について再度確認して来る。今、クルマが向かっているのは栗栖が決して忘れられない過去が待つ町なのだ、彼女も心配も致し方ない事である。
「ああ、問題無いよ」
だが心配する藤塚に笑みを向けて短く答えるのは当の栗栖。続けて「心配してくれて有難う」と言うのも忘れない。
「黒姫さんが良いのでしたら良いのですが……」
その栗栖の様子を見てようやく愁眉を開く藤塚。
「クリス……」
栗栖と藤塚2人の会話を聞いてもなお、不安そうな顔するのは栗栖の左隣に座るルーツィア。そんなルーツィアの頭に優しく手をやりながら
「ルーツィアも心配してくれて有難うな。だがこれは俺自身が決着をつけなきゃいけない事なんだ」
決意を込めた声でそうはっきりと断言するのだった。
栗栖らがそんな話をしている間にも車は圏央道を暫く進んで行き、ジャンクションの分岐を右へ──常盤自動車道へと道を変えて更に進んで行く。
常盤自動車道を暫し進んだ車は、土浦北IC出口から自動車道を降りて分岐を右へ進み、国道125号線へと降りる。その後国道125号線から右折、県道199号線を走る事暫し、車を運転していた長村が一言
「御三方とも、鷲浜市に入ったぞ」
栗栖の生まれ故郷である地に着いた事を告げたのだった。
茨城県の県南部に在る鷲浜市は人口およそ7万人弱の地方都市である。南西部が霞ヶ関に面し、市西部には柏楼山、三名山、渡似山、道戸山、降芦山などの柏楼山地の山々が連なっている。
そしてここが栗栖の生まれた地であり、今から十二年前に日本で初めて無差別テロが起きた地でもあるのだ。
そしてその時に栗栖は唯一の肉親である姉の詩月を喪っているのである。
「さてと、それで黒姫さん、この後は何処に向かうんだ?」
鷲浜市に入って間もなく道路沿いにあったコンビニエンスストアに立ち寄り、小休憩をしていた栗栖達。運転席に乗り込んだ長村が後部座席の栗栖に、ここから先の行先をどうするか確認して来る。
「ああ、次はここに行ってもらえないか?」
そう聞かれた栗栖は胸のポケットから二つ折りにしたメモを長村に手渡す。手渡された長村はメモを開くと
「おう、なになに……」
書かれている内容を読み流す。そこには住所と共に
「……明照寺、で良いのか?」
行先の名前が書かれていたのである。住所を確認した長村は車のカーナビにメモの住所を打ち込んでナビゲーションを開始させる。
「……明照寺……柏楼山の麓ですね……」
作動したカーナビの画面を助手席から見ていた藤塚が表示された行先を見てそう呟く。
「クリス、そのミョウショウジって言う所に何があるの?」
一方栗栖が長村に提示した行先に何があるのか、ストレートに彼に尋ねるルーツィア。そんなルーツィアに薄い笑みを浮かべながら端的に答える栗栖。
「そこには俺の両親と──詩月姉さんが眠っているんだ」
それから20分余り、カーナビに案内されて柏楼山の麓にある仏教寺院の明照寺に栗栖達の姿はあった。
駐車場に車を停めると、途中で買ってきた二つの花束のうち一つを手に取り、本堂裏にある山林の小径を抜けて無言で墓所に向かう栗栖と、それにやはり無言でついて行くルーツィアと藤塚達。
やがて小径を抜けると目の前が急に開け、そこには三日月形の片流れ屋根の建物が。
「あれは納骨堂だ」
誰かに聞かれる前にそう短く答える栗栖。納骨堂の周りには芝生が植栽され、名前が書かれた銘板が何十何百と芝生の上に置かれているのが見える。
「ここ辺り一面は樹木葬なんだ」
そう短く説明すると栗栖は納骨堂に向かい、その中央に設置されている献花台に買ってきた花束をそっと置き、黙って目を閉じ合掌をする。
そして凡そ一分間、祈りを捧げた栗栖は徐ろに目を開けると自分の後ろに視線を向ける。そこには彼と同じく合掌をする藤塚と長村、そして右手を心臓の位置に当て頭を下げて黙祷するルーツィアの姿があった。
「──有難う、皆んな」
その姿に短い言葉で謝意を示す栗栖。そして改めて正面に向き直ると
「父さん、母さん、そして姉さん、十二年ぶりだな。暫く日本を留守にしていたが俺はアメリカで元気にやっているから安心してくれ」
そう献花台に向かって静かに語り掛ける。静寂に包まれていた墓所に栗栖の声だけが響き渡るのだった。
「それと今日は父さん達や姉さんに報告したい事がある」
そう言うと後ろに居るルーツィアを手招きして呼び寄せる栗栖。呼ばれて栗栖の横に並び立つルーツィア。
「俺は──このルーツィアと一緒に生きて行く事にした。彼女はこの世界で独りぼっちだと思っていた俺に家族以外で初めて大切だと思えた女性なんだ。まあ父さん達ならあの世から見ているんだろうからとっくに知っているとは思うんだけどな」
そこまで言うと横に立つルーツィアに視線を向ける栗栖。彼女も栗栖に視線を向けるとにっこりと笑みを浮かべる。そして見つめ合う事暫し
「──それともうひとつ」
前を向き直った栗栖が、今は姿無き家族へと言葉を掛ける。
「これももう知っているとは思うが俺は──このルーツィアの住むリヴァ・アースと言う異世界に行く事にしたんだ。なのでここを訪れるのも今日が最後になると思う」
遂にはっきりとルーツィアに付いてリヴァ・アースに行く事を公言する栗栖。そして
「だから父さん、母さん、詩月姉さん、今日は──3人にお別れを言いに来たんだ。多分向こうの世界に行ってもまた戻って来れるだろうけど、これは俺自身のケジメなんだ。彼女と共に生きると言うのはそんな生半可な気持ちでは決して出来ない事だからな」
自身の決意を口にすると姿勢を正して一言
「父さん、母さん、詩月姉さん、さようなら。そして行ってきます」
目の前に居るであろう姿無き家族に向かって深々と頭を下げるのだった。
そうして頭を下げる事暫し、ようやく顔を上げる栗栖。気が付くと横ではルーツィアが同様に頭を深々と下げていた。
「ルーツィア?」
「──私が貴方を私の世界に連れて行くんですもの。その私がちゃんと貴方の御両親やお姉さんに挨拶しないと駄目でしょう?」
栗栖の声にそう答えると此方も漸く顔を上げる。
「……有難うルーツィア」
栗栖はルーツィアに短く謝意を伝えると献花台に今一度黙礼し、くるりと背を向けると、後ろに少し離れて立つ藤塚らの方へ歩み寄る。それに少し遅れて続くルーツィア。
「もう良いんですか?」
「ああ」
歩み寄る栗栖に短く尋ねる藤塚と、やはり短く首肯する栗栖。
「……わかりました」
それだけ言うと藤塚と長村も今一度献花台に黙礼をし、栗栖らと共にその場をあとにする。
その時、不意に献花台がある納骨堂に一陣の風が吹き込む。その風は本堂に咲き誇る桜の花弁を運んできて、栗栖が献花台に捧げた花束の上に一枚だけ舞い降らせたのであった。
来た小径を辿り、本堂まで戻ってきた栗栖達。納骨堂からの帰り道、誰もが口を閉ざしていたが
「……それにしても、黒姫さんは本当に向こうの世界に行っちまうんだなぁ……」
先ず沈黙を破ったのは長村。実は昨夜泊まった旅館で、栗栖の口から藤塚と長村には彼がリヴァ・アースへ往く話が成されていたりする。更に言うとサミュエル・グエン大佐以下のA・C・Oでの親しい関係者達全員は勿論の事、A・C・Oのジョシュア・ブルックス最高経営責任者やマクシミリアン米国大統領にティム国連事務総長にも周知されていたりするのである。
「ああ、長村さんには色々と世話になったな。藤塚さんも世話になった。本当に有難う」
栗栖はそう言うと藤塚ら2人に向かって頭を下げる。
「いや、まぁ、なんつーか……俺らの方が黒姫さん達に世話になった方なんだがなぁ」
そう栗栖に言われて、逆に頭を掻いて恐縮しきりの長村。
「そうですよ! 私達は黒姫さんやルーツィアから、ちょっとやそっとでは返せないだけの恩義を受けました! だから今この時だけでもそのお返しをさせて下さいッ!」
そんな長村とは対照的にそんな台詞と共に胸の前で握り拳を作って、ふんす! と気合いを入れる藤塚。如何にもやる気に満ち満ちているのが見て取れる。
「ははっ、2人とも宜しく頼むよ」
そんな2人の気遣いを嬉しく思いながら栗栖は笑みを返すのだった。
「さてと、そんじゃあ次は何処に向かえば良いんだ?」
本堂から駐車場まで戻って来て、駐車しておいた車に全員が乗り込むと、運転席の長村が栗栖にそう尋ねて来る。あと一つ買った花束が残っているからこその発言である。
「次の行先は鷲浜の駅の西口に頼む」
「鷲浜駅西口ッ?! ……本当にそこで良いのか黒姫さん?」
「ああ、頼むよ長村さん」
栗栖が告げた行先を聞いて顔色を変える長村と、飽くまでも冷静な受け答えをする栗栖。
「? 黒姫さん、長村さん、その鷲浜駅西口には何があるんですか?」
そのやり取りを傍で見ていた藤塚は何事かと尋ねて来る。栗栖の隣に座るルーツィアも何事かと栗栖と長村の2人に注目する。
「黒姫さん、良いか?」
長村の短い問い掛け、それは自分が話しても良いかとの確認に他ならない。その問い掛けに黙って頷く栗栖。それを見て取った長村は
「鷲浜駅西口ってのは……今から十二年前にここ鷲浜市で起きた日本国内初のテロリストによる無差別テロの現場さ。そこには犠牲者を悼んで現場のデパート跡地に慰霊碑が建てられているんだ」
藤塚とルーツィアにその事実のみを告げる。
「そうなんですね……」
藤塚は長村から告げられた事実に言葉を失い
「そこが……貴方の『全てを奪われ、そして全ての始まりになった』場所なのね……」
ルーツィアは改めて栗栖の決意の程を実感したのである。そして隣に座る栗栖の手を握ると
「クリス、貴方が背負うべきものは私が背負うべきものでもあるわ。だから一緒に、ね?」
そう真剣な面持ちで栗栖に自らのありのままの本心をぶつけるのであった。
明照寺の駐車場を発って鷲浜駅を目指す青のリーフAUTECH。その車内では
「あれは、今から十二年前の冬の走りのとある日曜日だった……」
栗栖の口から訥々と語られる、彼の人生を変えた無差別テロ事件の話。それによると── 。
十二年前のその日、当時高校生だった栗栖は姉の詩月と共に、鷲浜駅前にあるデパートに買い物に来ていた。
姉の詩月は看護師をしていて、その日は久しぶりに日曜日が休みとなり、弟の栗栖を伴ってデパートを訪れていたのである。それはまた12歳の時に両親を交通事故で亡くしてから、つい引きこもりがちになる弟への気遣いだったのかも知れない。あちこちの売り場を巡る黒姫姉弟。楽しげな詩月の笑顔を見て自然と笑みが零れる栗栖。
だがそんな平和なひと時は脆くも崩れ去る。
午後12時30分、デパートの最上階にあるレストラン街でテロリストが仕掛けた時限爆弾が爆発、たまたま食事の為にその階に来ていた黒姫姉弟を巻き込んだのである。
爆心地に居なかったのが幸いしたのか、即死は免れた黒姫姉弟。だが姉の詩月は爆発で崩れた瓦礫に身体を挟まれ身動きがとれなくなっていた。自らも少なからず怪我を負っていたが懸命に詩月を助けようとする栗栖。
だがそんな栗栖を嘲笑うかの様に詩月の背後からは爆発の影響で発生した火災が! 生き残った人と協力して何とか姉を助けようと藻掻く栗栖! だがそんな栗栖の努力も虚しく、遂に炎は詩月の所まで到達し彼女を生きたまま徐々に焼いて行く! その姿に絶望し絶叫する栗栖。
「栗栖。貴方は生きなさい。私と違って貴方の人生は貴方自身で決められるものなのよ、だからお願い。私の分まで生きて──栗栖」
それが詩月が栗栖に遺した最後の言葉。この直後、彼女の全身は炎に呑まれたのであった。
姉の凄惨な最後に栗栖は茫然自失となり、その場に居た人達に無理矢理その場から文字通り引き摺られる様に助け出されたのであった。
松明の様に燃える姉の遺骸を置き去りにして。
次回投稿は二週間後の予定です。
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