〖act.54〗傭兵と魔法使い、終わりの始まり
「……あのねクリス、私の持つ【セラフィエルの瞳】に向こうの世界へ帰還する為に必要な魔力が、昨日ついに完全蓄積されたの」
栗栖とルーツィアがひとつに結ばれてから2ヶ月ほど経った或る日、互いの愛を確かめ合う睦言の後、栗栖のベッドの上で彼の腕を枕にして裸体を横たえていたルーツィアから、甘えた声と共にそうした言葉が栗栖に投げ掛けられた。
「そうか……遂に【賢者の石】に魔力が貯まったのか」
その事実を告げられても飽くまでも冷静な栗栖。彼の呟きに頷いて肯定を示すルーツィア。
「そうね。ほぼほぼ予定通り……かな?」
そう言って今度は腕枕のまま小首を傾げると言う器用さを見せるルーツィア。確かに最初の頃に彼女自身が予測していた通りの時間で蓄積出来たと言えるだろう。
「ふむ、そうすると……先ずはグエン大佐に報告する様だな」
「うふっ、シモーヌやアンネ、ライアンさんやジョシュアCEO、マクシミリアン大統領にティム事務総長にも、ねッ」
腕枕をしているルーツィアの白金の髪を優しく撫でながら、自身の考えを言葉に発する栗栖と、彼の胸に顔を埋めて甘えつつ彼の言葉に言葉を重ねるルーツィア。因みに栗栖とルーツィアの2人は、濃密な恋愛関係になった事をグエン大佐を始め、他の親しい人達にはしっかりと話していたのである。
「そうだ、な。でも──」
栗栖は短く答えると、ルーツィアの顎に手を当てて顔を起こして、彼女の唇に自分の唇を優しく熱く重ねる。そして唇を離して一言
「何にせよ、全ては明日になってから、だな」
そして明くる日、前日の言葉通り栗栖はルーツィアを伴い、A・C・O本社ディビジョンSの士官室に上官であるサミュエル・グエン大佐を訪ねていた。
「クリス少佐、ルーツィアさん、今日はまたどの様な用件かな?」
2人を笑顔で出迎えるグエン大佐。
「はい、実は……」
栗栖とルーツィアは頷き合うと、グエン大佐に栗栖がルーツィアの持つ【セラフィエルの瞳】にリヴァ・アースに帰還する為の魔力が完全に貯まった旨を説明した。
「そうか……辞別の時がいよいよ現実の物になった、と言う事か……」
グエン大佐は栗栖の言葉にそう短く返すと
「まぁ『別れのない出会いは無い』とも言うしな。何れ訪れる別れに悔いを残さない様に残りの時間を有意義に過ごしたまえ、クリス、ルーツィアさん。そこでだ──」
笑顔を見せながら執務机の引出しを開けると、中から一通の書類を栗栖に差し出す。訝しみながら差し出された書類に目を通す栗栖とルーツィア。そこには栗栖に対しこの命令が発令後、翌日から3週間の『有給休暇』を与える旨の文面がジョシュア・ブルックス最高経営責任者の自署と共に書き記されていた。
「大佐、これは一体?」
「言っただろう? 「別れに悔いを残さない様に残りの時間を有意義に過ごしたまえ」と。君達には限りある時間だ、これは私からの餞だよ。何れこうなる事は予見されていたからね。私がジョシュアCEOに掛け合っておいたのさ。無論それ以上となると退役扱いとなるがな」
そう笑顔で栗栖らに説明するグエン大佐。だがその笑みは何処か寂しそうであった。
「御心遣い感謝します、グエン大佐。確かに承りました」
「有難う御座います、グエン大佐」
栗栖とルーツィアは感謝の言葉と共にグエン大佐に深く頭を下げるのだった。
『有給休暇』の命令書をグエン大佐から受け取った栗栖は、そのままディビジョンSのオフィスを辞すると、ルーツィアと共に一つ上の階にあるディビジョンAのオフィスを訪れた。
「クリス、ルーツィアさん、ようこそディビジョンAのオフィスへ」
2人を笑顔で出迎えたのは、このディビジョンの司令官であるアンネリーゼ・シュターゲン中佐。彼女は栗栖やルーツィアと幾度となく軍事作戦を共に戦い抜いた云わば戦友とも言える存在だ。
「それで? 今日はどの様な用件なのかしら?」
栗栖らをオフィサーズオフィスに通しながら、笑みを絶やす事無く気軽に声を掛けて来るアンネリーゼ──アンネ。彼女は栗栖とは階級は違えど、A・C・Oの訓練所を一緒に卒業した同期でもあるのだ。
「ああ、実は──」
そんなアンネに栗栖はグエン大佐にしたのと同じ内容、そしてその話の結果を話して聞かせた。アンネは最初こそ笑みを浮かべて聞いていたが、話が進むにつれて真剣な面持ちとなり
「そう……なのですね」
と一言のみ言葉を漏らす。そして
「先ずは、おめでとうルーツィア。漸く自分の世界に帰れるのね」
「ええ、有難うアンネ」
そう言ってお互いに薄く微笑み合うアンネとルーツィア。アンネは栗栖に顔を向けると
「クリス、グエン大佐も仰った通り貴方達2人の限りある時間を大切にしなさいね?」
此方も何処か寂しげな、そして何処か少し悲しげな面持ちで静かに語り掛けて来た。
「ああ、そうさせてもらうつもりさ」
対する栗栖の顔は何処と無く達観した様な、それで居て吹っ切れた面持ちでアンネの台詞に大きく頷く。ルーツィアも同様に大きく頷く。
そしてそのまま一頻り語り終えると、栗栖とルーツィアはアンネのオフィスを辞するのだった。
次に栗栖らはエレベーターに乗り、本社ビル地下1階を目指す。訪れた先は装備管理局。そう彼等は装備管理官のディーノ・ダスティンに逢いに来たのだ。
「いよう、お2人さん。我が城にようこそ!」
そう言って受付カウンター越しに相変わらずの人懐っこい笑顔で出迎えてくれるのはD.D。
「やぁD.D」
「こんにちはD.Dッ!」
2人も連られて笑顔で答える。D.DはA・C・Oの隊員の中でも古株で、栗栖とは彼の入社以来の付き合いであり、今はルーツィアに請われ、彼女に銃器の詳しい構造や取り扱い、そして整備について指南していたりと、ルーツィアにとっても仲良き友人の1人である。
「今日も2人揃ってどうしたんだ?」
「ああ、実は……」
D.Dに問われ、グエン大佐やアンネとした話を彼に改めて話して聞かせる栗栖。D.Dは一通り聞き終えると大きく息を吐き
「はぁー、そうか……まぁルーツィアはいつかは向こうに帰らなきゃならないのは頭では解っていたんだがな……実際にその時が来ると寂しいもんがあるな……」
そう言って滅多に見せた事が無い寂しげな笑みを顔に浮かべる。そして不意に膝をポンッと打つと
「よしっ! そんじゃあルーツィア。お前さん明後日の午前にFFLのClassⅢ(銃器製造修理工の資格)の試験を受けてもらうぞ! それ位の時間はあるんだろ?」
「えっ? えぇぇーーッ?!」
突然そんな事をルーツィアに向かって言うD.D。いきなりの発言に目を白黒させているルーツィア。
「大丈夫! お前さんには俺の全てを教え込んだんだ。必ず合格するさ! まあ俺が試験官なんだがな! はははははっ!」
そう言って白い歯を見せて呵呵と笑うD.D。
もしかして──これは彼なりのルーツィアに対する精一杯の手向けなのではないのだろうか?
栗栖は狼狽えるルーツィアの肩を力強く叩きながら豪快な笑顔を見せるD.Dから、彼の不器用な優しさを感じるのだった。
最後に栗栖達が訪れたのは本社とは別棟のメディカルセンターの地下3階にある研究区画。そう、シモーヌ・ヘルベルク博士に会いに来たのだ。
彼女は地球世界に転移して来たルーツィアの精密検査をした女性であり、その後も深く栗栖とルーツィアと関わった人物でもあるのだ。
「やぁやぁお2人さん、いらっしゃい。話はグエン大佐から聞いているよ」
いつもの研究室でいつもと同じ様にダークブロンドの腰まである髪を一纏めに束ね、ミニのタイトスカートとブラウスの上から白衣をだらしなく着込み、電子タバコを口に咥えて、栗栖ら2人を出迎えるシモーヌ博士。相変わらずのだらし無さではあるが、相変わらずの情報の速さでもある。
「ああ、グエン大佐から聞いての通りだ。それで今は挨拶廻りだな。シモーヌにもちゃんと礼を言って無かったからな、この際ちゃんと礼を言いたくてな……」
「本当! 今まで色々と有難うシモーヌッ! 貴女には感謝してもし尽くせないくらいお世話になったわ!」
栗栖とルーツィアが異口同音にシモーヌに感謝を伝えようと声を上げると
「いやいや、私の方こそルーツィアやクリスには色々と世話になったんだけどねぇ」
手をひらひらさせながらシモーヌは苦く笑う。「それにだ」と彼女は言葉を続ける。
「魔力が貯まったからと言っても今日明日に帰ると言う訳でも無いんだろ? グエン大佐からは3週間の有給休暇を与えられたと聞いている。この3週間を大切に使いたまえ。君らには良い想い出を遺して欲しいからね」
それだけ言うと彼女は寂しそうな、本当に寂しそうな笑みを一瞬だけ顔に浮かべる。だが直ぐに悪戯っ子みたいな顔をすると
「まぁ私個人としてはもう少しルーツィアと、魔法術や魔法機械の事を、それこそ二晩ぐらい語り明かしたかったのが本音だけどねぇ」
そう言ってニヤリと笑うシモーヌ。研究第一主義者の面目躍如である。
そんなシモーヌに対して栗栖とルーツィアはただ苦く笑うしかなかったのであった。
A・C・O本社内での挨拶廻りはとりあえず一通り終える事ができた栗栖とルーツィア。栗栖の副官であるコナー・オーウェル大尉やアンネの副官のマリルー・アマースト大尉にもちゃんと今までの礼を言って来たのは言うまでもない。
また今回の件に関しては、ジョシュアCEOにグエン大佐から報告が上がるとの事なので、其方に関してはそのままグエン大佐に頼む事にした栗栖。
「クリス、マクシミリアン大統領にはジョシュアCEOから報告が行くだろうから、君達が直接連絡する必要はない筈だ。まぁ其方も任せておきたまえ」
とグエン大佐は笑って請け負ってくれたので大統領への報告も、言い方は悪いが丸投げである。
また魔法機械等で色々と世話になったライアン・ライト技師には、シモーヌがちゃんと話しておいてくれるとの事だったので、其方に関しても栗栖はシモーヌに任せる事にした。ただルーツィア個人としてはきちんと自身の口からライアン技師にこの件を伝えたいらしく、折を見て電話をするとの事だった。
それとは別に、栗栖はニューヨーク市警のトレバー・ヘンズリー警部へも電話を掛けたのである。彼にも先日のスパイ騒ぎで世話になっていたし、今までの事を考えてもルーツィアの帰還を教えておくべきだと思ったからだ。またトレバー警部を通じて、同じく先日のスパイ騒ぎで世話になったマサキ・エドワーズ刑事や連邦捜査局のジーナ・デイ・ハサウェイ捜査官らにも連絡しておいてもらう事にしたのは言うまでもない。
こうして先ずは身近な人達へ報告と挨拶を終えた栗栖とルーツィアの2人は、最後の人に会うべくA・C・O本社から紐育のとある所へと向かうのであった。
「そう言う事かね……」
栗栖とルーツィアの目前に座り声を漏らすのは、聖林俳優もかくやの偉丈夫。国際連合のティム・ヴァン・アレン事務総長である。彼等2人は国際連合本部ビルのティム事務総長の執務室を訪ねていたのだ。
「はい……突然の事で驚かれたでしょうが……」
「閣下、本当に申し訳ありません」
「いやいやクリス少佐、ルーツィアさん。そんな事は無いよ。寧ろ喜ぶべき事なのは誰もが承知している」
そう言うと栗栖らに笑みを向けるティム事務総長。
「寧ろ、だ。我々地球人類はルーツィアさんから返す事が出来ない恩恵を受けたのだ。これで彼女を笑顔で送り返せなくては、我々は永遠に恩知らずの謗りを受ける事だろう」
そう言うと執務机の上に手を置いて、深く頭を下げるティム事務総長。そして
「本当に今まで有難うルーツィアさん。地球人類を代表して感謝申し上げる。我々は決して貴女の事を忘れないだろう」
心からの感謝をルーツィアへと示したのであった。
こうしてこの米国で関係した全ての人達に報告と挨拶を終えた栗栖とルーツィアの2人。いよいよ全ての事象が『ルーツィアのリヴァ・アースへの帰還』に向けて動き出したのであった。
次回投稿は二週間後の予定です。
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