〖act.5〗 魔法使いの解放と厚遇
ルーツィアとの再会から三日後、栗栖の手には一枚の紙が握られていた。
『デビジョンS-サミュエル・グエン中佐麾下、黒姫栗栖。特務中尉の任を解き、 ” 異世界人 ” ルーツィア・ルードヴィヒの身辺警護を命ずる』
今日の日付と共に短文でその様に記されている辞令である。
「全く……シモーヌの奴…………」
思わず恨み節が口からついて出るが、この短期間でルーツィアの自由を獲得したのもまたシモーヌ・ヘルベルク博士なのである。それだけ彼女の発言力が強い事を今更思い知らされた栗栖であった。それになりよりこれは正式な辞令である以上、栗栖に反論する事は出来よう筈もないのだが。
少し重い足取りでメディカルセンター地下の研究区画までやって来ると警備に社員証を提示して門扉をくぐり、奥の部屋に向かう。前と同じ様に読取機に社員証を翳して部屋の中に入ると
「やあやあ、待っていたよクリス」
満面の笑みを浮かべたシモーヌが待ち構えていた。その顔を見るや否や栗栖は
「シモーヌ・ヘルベルク博士。デビジョンS所属黒姫栗栖特務中尉、只今よりルーツィア・ルードヴィヒ身辺警護の任に就きます」
ビシッと敬礼しながらそう告げ、シモーヌもそれに合わせて答礼を返す。そして礼を解きながら
「どうだい!? なかなか早かっただろう?」
とえらく御満悦の様子である。栗栖も礼を解きながら
「ああ、一体上層部に何を進言したんだ?」
素朴な疑問をぶつける。するとシモーヌは良くぞ聞いてくれたとばかりに
「勿論、魔法と言う特殊能力とそれを行使する彼女の貴重性だね。ぶっちゃけ今の超能力の研究は行き詰っていてね、もしかしたら魔法と言う能力は超能力の本来あるべき姿では無いかとレポートに書きなぐったんだ。そしてルーツィアさんは向こうの世界では魔法の第一人者だと言う事もね。そうなれば必然的に魔法の研究にはルーツィアさんの協力を仰がなくてはならないだろ? その為には彼女が望む環境にすべきであると力説させてもらったんだ。勿論、私の力量に寄る所は大きいと思うけどね」
そこまで言い切るとドヤ顔を決めるシモーヌ。
「まぁ、俺と比べてシモーヌは発言力が有るからな……」
そう言いながら苦笑を浮かべる栗栖にシモーヌは「それ、本気で言っているのかい?」と驚いた顔で言葉を漏らす。そして栗栖の顔を見つめると
「……君は自身をもう少し高く評価すべきだと思うよ」
少し呆れ顔でボソリと呟き、気を取り直したみたいに
「ま、まあその話は置いておくとしてだね、ルーツィアさんの事を話そうか」
そう言ってシモーヌは仕切り直す。
「この三日間ルーツィアさんからは色々な事を聞かせてもらったがなかなか有意義だったよ。実験による魔法の検証は準備を十分に整えてからするとして……とりあえず約束通りルーツィアさんの自由を先ずは確保しよう! と、まぁそう言う訳なんだ」
「何がそう言う訳なんだかわからないんだが……」
シモーヌにジト目を向ける栗栖。だが当の本人は何処吹く風で
「では早速ルーツィアさんの身辺警護に就いてもらうとするか! まぁ君にはちゃんと彼女への饗応役も兼任してもらうんだけどね!」
等と口走り栗栖は一瞬硬直する。
「ちょっと待て……本当に俺に世話をさせる気なのか?!」
「当然! クリスにはルーツィアさんの警護は勿論、キチンとお世話して貰わないとね。何せ彼女は異世界人なんだから♡」
片目を瞑って戯けるシモーヌに脱力する栗栖であった。
「クリス!」
何時もの最奥の施設ではなく、隣りの部屋に待機していたルーツィアが満面の笑みで出迎えた。だが栗栖の顔を見るなり
「クリス大丈夫? 何だか疲れているみたい……」
そう言葉を掛けてくる。瑠璃と紫水晶の瞳が如何にも心配そうに覗き込んでくる。
「いや……少し色々あったが……大した事じゃないから」
ルーツィアの心配を払拭する様に努めて元気そうに答える栗栖。そんな栗栖の様子に
「そう? てっきり私の事で貴方に負担を掛けているのかと思って……」
如何にも申し訳なさそうにするルーツィアを見て
(護衛対象の彼女に心配させる訳にはいかないな)
そう思い、自身の体たらくを反省した栗栖はルーツィアに向かい姿勢を正すと
「今日より君の身辺警護を兼ねた世話役を正式に任命された。まあ、今後ともよろしく頼む」
と着任の挨拶をすると少し砕けた言い方をしてみる。一瞬面食らったみたいな顔をしたルーツィアは栗栖の言葉を受け
「はい。これから色々お世話になるわね、クリス♡」
少しはにかみながら答える。心做しか嬉しそうである。その様子を見たシモーヌが
「あー、コホン。早速仲良しな所を申し訳無いがお二人さん、ちょっと話をしたいんだがよろしいかな?」
わざとらしい咳払いをしながらニヨニヨして話し掛けてくる。栗栖とルーツィアの二人は近過ぎるお互いの距離を慌てて開けた。特にルーツィアの顔が耳まで真っ赤である。
「さて、精密検査の結果ルーツィアさんの健康には問題無い。未知の細菌やウイルスの類いも発見されなかったので、このまま我々と生活を共にしてもパンデミックの可能性も無いから安心して欲しい。但しこちらの世界の病気に感染するとどうなるかわからないので注意して貰いたい。食生活は聞き取り調査だとほぼほぼ我々と同じみたいなので、まぁ安心だろう。習慣に関しては実際こちらの生活を経験してみなくてはハッキリした事は言えないから、そこはルーツィアさん本人に確認しながらになるね。クリスはルーツィアさんの健康状態に留意して何か変化が有れば直ちに私に報告して欲しい。場合によりこのメディカルセンターに来てもらう事も有り得るので注意しておいてくれたまえ。あとルーツィアさんの生活費に関しては当然A・C・Oが責任を持って面倒を見るからね。当座の生活費はクリスの口座に一両日中に振り込まれる事になっている」
そこまでで言葉を切ると電子タバコを深く吸い、フゥーと大きく吐き出すシモーヌ。
「ひとつ良いか?」
栗栖が挙手をして尋ねる。
「なんだい?」
「連絡手段はどうすれば良いんだ? 普通に俺が使っている情報端末からで良いのか?」
「ああ、それなら──」
質問を受け部屋の隅に置かれている机から何やら箱を持ってくると蓋を開け、中の携帯用電子機器を見せながら自慢げに説明してきた。
「コイツを持っていけ。これは私がカスタマイズした衛星通信端末で対移動局衛星通信は勿論、広帯域衛星通信にも対応しているし通常の通信帯もフルバンド対応している。これを使うと良い。私への専用回線もワンクリックで繋がるぞ。それ以外にも──」
「それじゃあ、そいつを有難く使わせてもらうよ」
自慢げに説明を捲し立てるシモーヌから苦笑を浮かべながら、携帯用電子機器を箱ごと受け取る栗栖なのであった。
兎にも角にも引き継ぎを終え、研究区画を後にする栗栖とルーツィア。広いロビーを抜け警備に社員証を見せ玄関から外に出る。因みにルーツィアの分の社員証はシモーヌが準備しておいてくれた。
「うわぁ……」
初めて外の世界を生で見たルーツィアの口から感嘆の言葉が漏れる。
「ねぇねぇ! 凄いわね、クリス達が住む所は! こんなにも高い塔が沢山建っているなんて!」
目に映る摩天楼を見てはしゃぐルーツィア。
「ここは大都会だからな、何時もこんなものさ」
その様子を微笑ましく思いながらも軽く窘める台詞を口にする栗栖に
「私が暮らしていたクレティアの王都にもこれほど高い建造物は無かったから、つい……」
ひと言恥ずかしそうにモジモジしながら答えるルーツィア。
「まぁこんな風景がこの世界の全部じゃないけどな。この地球には様々な自然があり、そこには様々な人が住んでいるからな」
「へぇー、リヴァ・アースも自然が豊かな方だけど、地球にはそんなに色んな自然や人が存在するのね?」
ほんの少し触りとしてこちらの世界の事に触れると目を輝かせて関心を示すルーツィアに
「君だって目にしているだろ? あの部屋の風景を」
あの地下施設の視覚偽装として投影されていた景色の話を振る。
「あー、あの部屋のね! あの風景はなんて言うのかしら……心が和む? 風景だったわね〜」
「あれは俺の故郷の風景なんだ」
あの日本の原風景をえらく気に入ったみたいなルーツィアに少し誇らしげに話す栗栖。それを聞いたルーツィアは一層瞳を輝かせ尋ねて来た。
「あれがクリスの故郷の風景なのね? 素敵な所に暮らしているのね! ねぇ、なんて言う国?」
「俺の故郷は日本と言う小さな島国なんだ。あの風景ほどじゃないが俺も幼い頃にはああした環境で暮らしていた。もう二十年近く前の話だけどな」
そう答えながら栗栖の脳裏に嘗て暮らしていた田舎の風景が蘇る。
「日本かぁ……いつか行ってみたいわね……」
「そうだな……何時になるかわからないが俺で良ければ連れて行ってやるよ」
日本に憧憬の念を感じているみたいなルーツィアに、軽い気持ちで答えると
「絶対よ?! 約束だからね!」
とやたらハイテンションになる。そんな彼女に苦笑を浮かべながら「ああ、約束だ」と答える栗栖であった。
「さてと、そうした話は後でゆっくりするとして……そろそろ行くとするか」
「ええ! 確かホテルを予約してあるとか言っていたわね?! 楽しみだわ〜♡」
普通に「ホテル」と言っているルーツィアを見て(あちらでもホテルがあるんだな……)と変な感心を心の中でしながら栗栖は
「何でもA・C・OのVIP御用達のホテルの貴賓室を押さえてあるとか言っていたな……」
とシモーヌから聞いた情報を口にする。
「その……ぶいあいぴー? と言うのが何だかわからないけど貴賓室とか用意してくれるなんて嬉しいわぁ」
そんな年相応の反応をするルーツィアを見て栗栖は
(本当にルーツィアは感情表現が豊かだな)
などとまた微笑ましく思って暫し見つめていたが、徐ろに左手のひらを上に向けてルーツィアに差し出すと
「では参りましょうか、お嬢さん」
とエスコートする姿勢をとる。その様子にルーツィアは一瞬キョトンとすると、頬を赤らめながら「は、はい」と右手を上から重ね合わせはにかむ仕草をする。
栗栖はそのまま駐車場までルーツィアをエスコートすると乗ってきた4WDの右のドアを開け、ルーツィアを座席に座らせるとシートベルトを着けさせ、自身は左の運転席に乗り込みイグニッションキーを回しエンジンを目覚めさせる。
「それじゃ、行くぞ」
そう言う栗栖の言葉にルーツィアはただ頷く。
二人を乗せた4WDは駐車場から道に出ると方向指示器を右に出し、そのまま街の光景の先に浮かぶ摩天楼に向かって大通りを走って行くのだった。
次回投稿は2週間後を予定しています。
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