〖act.43〗魔法使いと傭兵、初夏に離日す
A・C・Oとテロリスト『深緑の大罪』との間に繰り広げられた日本の首都東京を戦場とした激戦の後日──桜の樹を着飾っていた桜花が青葉へと移り変わり、季節も初夏へと移り変わる頃、栗栖とルーツィアはまだこの国に留まっていた。主に戦後処理とも言うべき事案について、である。
「ふぅ……」
警視庁本部庁舎の特別対策本部に充てられている一室にて、ノートパソコンに向かっていた栗栖が作業を終えたデータを送信し、ひとつ大きく伸びをする。
「はいクリスッ、お疲れ様ッ」
隣りの事務机の椅子に座っていたルーツィアが彼に労いの言葉を掛けつつ、熱い珈琲を差し出して来る。
今回は政府等への正式な報告書なので、日本様式の書式が理解出来ないルーツィアは栗栖のサポートに徹しているのだ。
今回の日本で展開された対テロ作戦は日本国政府に日本と言う国家の「存立危機事態」と判断され、自衛隊に防衛出動をさせる一歩手前でクリス達A・C・Oが『深緑の大罪』に辛勝した事により、何とか回避されたのであった。また敵の多脚戦車が微生物化学研究所で起こした砲撃を伴う大規模戦闘に、微生物化学研究所のある東京都品川区から神奈川県横浜市中区の山下埠頭まで逃走した際に破壊した一般車両や一部の道路設備等、そして山下埠頭に於ける米陸軍の攻撃ヘリコプターAH-64E【アパッチ・ガーディアン】が投入された戦闘での湾岸設備への被害等々、それ等が受けた被害もまた甚大であり、それ等に関する報告を日本国政府並びに警察庁警視庁に、口頭のみならずデジタル書面に認め提出を求められていたのである。
「ああ、有難うルーツィア」
差し出された珈琲を笑顔で受け取ると、ルーツィアに礼を言いつつ熱い珈琲に口をつける栗栖。無糖珈琲の苦味が事務作業で疲れた体に染み込んで来るのを心地よく感じるのであった。
「黒姫さん、お疲れ様です。どうですか、進捗状況は?」
「姫、来る度ごとに進捗を尋ねるのは良くないと思うぞ?」
その時ノックの音と共に特別対策本部のドアを開けて入って来たのは、特別対策本部の本部長である警察庁警備局国際テロリズム対策課管理官の藤塚妃警視正と、副本部長の警視庁公安部外事三課国際テロ第二第3係係長の長村直生警部の2人、彼等も引き続き特別対策本部の責任者として残務処理に追われていた。
「やあ、藤塚さん、長村さん。内閣府と国家公安委員会への報告書を書き終えて向こうに送った所だ。これで関係各所全てへ提出するレポートは書き終えたよ」
2人に顔を向けて苦い笑みを見せながらそう伝える栗栖。
「まぁアレだけ派手にやらかしたからなぁ……現場指揮を取っていた責任者は報告ひとつ取っても大変だよなぁ……心中お察しするよ」
そんな栗栖の様子に同情の言葉を掛ける長村警部。その傍では藤塚警視も苦笑を禁じ得ない様である。
今回の一連の戦闘行為は日本・米国間の相互協力及び安全保障条約と、平成に見直された「日米防衛協力の為の指針」に基づき、日本国政府が対テロ作戦の為に民間の攻性組織である栗栖達A・C・Oに協力を要請した形となった。
また米陸軍が戦闘に参加した事により、これ等は飽くまでも安全保障条約並びに防衛協力の範疇内であると看做され、栗栖個人は勿論の事A・C・O本社に対する損害賠償請求は一切発生しない事となっている。
但し其れにより国会に於いて内閣と与党が野党からかなりの追求を受けたのだとは、作戦終了後に顔を合わせた国際テロリズム対策課課長の神村信之介警視長から栗栖は話を聞いていたが。
「それはそうと……其方の首尾は?」
今度は栗栖から藤塚警視らに質問を投げ掛ける。2人は微生物化学研究所の情報を漏洩した内通者を取り調べていたのである。
「あ、はい、此方の方は全員一通り調書を取り終えました──目を通しますか?」
栗栖の問いに対し藤塚警視はそう答え、調書を書き込んだタブレット端末を差し出す。この時代、警察のみならず政府機関の書類のやり取りは出来うる限りデジタル化されて簡略化されつつあった。勿論取調調書も、である。
「ああ、其方の方も気になるからね」
そう言って藤塚警視からタブレットを受け取る栗栖は手馴れた様子で操作し、調書に目を通す。それによると──
微生物化学研究所には幾つかの部署が有るが、今回テロリストの標的になった『Diejenigen, die Strom und Metall essen』──『好電性金属腐食菌』を研究していたのは第2生物活性研究部と構造生物学研究部、そして有機合成研究部から人員を集め新たに新設された研究部であった。その人員数は25人。その内『深緑の大罪』の下部組織『狂気の番人』と内通していたのは3人、それぞれにD・S・Mが保管されている保管庫室の正確な位置、目的の微量遠心管が封入されている冷凍庫と保存箱の詳細、そして保管庫室の扉の電子施錠を解錠する暗証番号をかなり高額の金と引き換えに『狂気の番人』の構成員に教えたのだそうだ。彼等3人の言うには「まさかこんな事になるとは思っていなかった」と、異口同音に言い訳を口にしていた。
「それで──この3人はどうなるんだ?」
調書を読み終えた栗栖が藤塚警視に率直に尋ねる。主に罪過についてだが。
「恐らく3人とも守秘義務違反で裁かれるかと……収賄罪は微妙ですね、何せ微生物化学研究所は公益法人ですから。但し情報を漏洩し齎された結果は甚大ですから、それを加味した何らかの罪には問われるかと思いますが」
問われた藤塚警視は私見ですが、と断りを入れて栗栖の質問に自身が予想出来うる事を答える。
「まぁな、本人達はまさかこんな事になるなんて思ってもなかったんだろうがな。金まで貰っている上にこの騒ぎになったんだ、それ相応に罰せられる筈さ」
そんな2人の話に「これも私見だがな」と口を挟む長村警部。そして苦笑を浮かべると
「そんな事より、だ、あちらさんの方が大変みたいだが……」
そう言って壁に設置された100インチの電子黒板に流されている世界各国の報道番組の映像を指差す。
そこには国際的テロリスト『深緑の大罪』の中心人物である『アニマ』の正体が、世界有数の自然エネルギー財団であり自然保護財団でもあるアイオン・タイラー財団の総裁のロバート・A・タイラーだったと言う事実を、各国のニュース番組がその経歴や人物像、そして『深緑の大罪』が世界各地で起こしたテロ事件の数々を織り交ぜながらセンセーショナルに伝えていたのであった。
これは日本の報道機関が報道規制が敷かれる前に自国で起きた ” 戦争 ” の事実を国民に向けて報道したのが切っ掛けであり、あれこれと世界的に憶測を呼んだこの一連の報道を日本国政府が ” 事実 ” として認め、そこに存在する ”真実 ” をも ” 事実 ” として認めた事を、日本に居る海外の報道記者が自国へと伝えたからである。
東亜細亜の片隅の島国から発信された衝撃的な情報は瞬く間に世界全土へと拡散されたのである。
「露西亜や東欧州の東側諸国だけじゃなく、米国を始めとする西側諸国も大騒ぎになっているわね。まぁ自業自得だと思うんだけど……」
次々に流れて行くニュース映像に呆れた口調で呟くルーツィア。
ロバート・A・タイラーが死の直前言い放った通り、彼は世界中の殆どの国の大物政治家や政府の重要な役職に席を置く政府高官、果ては世界経済に影響力がある財閥と、東西陣営問わず太い繋がりを持っていたのである。それはA・C・Oから国連を経由して情報を得た国際刑事警察機構が連邦捜査局との共同捜査を実行、アメリカに拠点があるA・T財団本部の総裁室から発見された名簿で明らかになった。そのリストには何処の誰に幾らの金を渡したか、までもが事細かに記載されており、コピーされたリストは逆にICPOから国連を経由して世界各国政府へと配られたのであった。
「日本も何人かの政治家の名前が上がっていました。与党内閣も八谷湊官房長官を始め数人ほど……野党議員にも進民党の迫田大成国対委員長代理を始め何人か名前が載っていて、リストに名前が上がっていた議員は報道を受けて全て議員辞職しましたね。なので現在国会は大混乱に陥り、総理大臣は状況を打破する為に衆参ダブル選挙を実施する腹積もりらしいです」
同じくインタラクティブホワイトボードに流れる報道映像を見ながら、そう淡々と話す藤塚警視。その声は沈んでいた。自身が所属する警察庁にも数人、ロバート・A・タイラーから金銭授受をしていたのが発覚していた事も彼女の心を重くしているのであろうと、藤塚警視の様子を見た栗栖は思いを巡らせるのであった。
「まぁ、姫の気が重いのはそれだけじゃないんだがな……」
室内の空気が重苦しいものになったのを破るかの様に言葉を発する長村警部。苦笑混じりにそう言う彼の視線の先には同じ画面を見るルーツィアが。
「うん? ルーツィアがどうかしたのか、長村さん?」
「ん? 何かしら?」
長村警部の視線がルーツィアに向けられている事に気付いた栗栖と、やはり自分に向けられた警部の視線に気付いたルーツィアがほぼ同時に声を上げる
「いやな、黒姫さん達の作戦終了後に俺達特別対策本部のメンバーが「ビスカリア」号捜査の為に山下埠頭の第六係留岸に乗り込んだんだが……係留岸や船内のあちこちにルーツィアさんの魔法の痕跡が残っていて……その……なぁ……」
「あっ……そう言う……」
「ああ……なるほど」
長村警部の歯切れの悪い物言いに、彼の言いたい事に気付いたルーツィアと、同じく気付いた栗栖がひとつ相槌を打つ。
ルーツィアの魔法術については栗栖は藤塚警視らには説明していたが、他の特別対策本部の捜査員は勿論の事、2人以外の日本国関係者には全く知らされていなかったのだ。
にも関わらず「ビスカリア」号船内外には無数の魔法術の痕跡が残されていたのである。それ等を報告書にどの様に、そして真実をありのまま書くべきなのか、藤塚警視の苦悩が如何ばかりか、余人にも偲ばれると言うものである。長村警部の言葉に栗栖らが視線を向けると、それに気付いた藤塚警視はただ曖昧な笑みを2人に返すだけだった。
そんなやり取りがあってから4日後、栗栖とルーツィアの姿は成田国際空港の出発ロビーにあった。来日して一ヶ月余り、此方でやるべき事は全て終えての帰国である。
「黒姫さん、本当にお世話になりました」
「ルーツィアさんも、な。アンタの魔法ってのには本当に驚かされたがな」
そして藤塚警視と長村警部も栗栖ら2人の見送りに来ていた。
「いや、俺達の方こそ2人には大変世話になったよ。本当にありがとう」
そう穏やかな顔つきで藤塚警視らに言葉を返す栗栖。その傍らでは
「本当にッ! もしまたニホンに来る機会が有れば真っ先に連絡しますね! その時はまたよろしくお願いしますッ!」
花が咲く様な笑みを浮かべながら2人に話し掛けるルーツィアが。それを聞いて誰ともなしに笑い出す4人。語るべき事は決して少なくはないが、この一ヶ月ともに同じ目的の元、互いの背中を預けあった彼等には言葉は不要だった。
そしてひと通り笑い合うと栗栖とルーツィアが藤塚警視ら2人に黙って手を差し出して来る。その差し出された手をしっかりと握り締める藤塚警視と長村警部。
「それじゃあ藤塚警視、長村警部、元気でな。神村さんにも宜しく」
「さようなら、藤塚さん、長村さん!」
「黒姫さんもお元気で! ルーツィアさんも!」
「おう、それじゃあ達者でな、お二人さん!」
そうお互いに短く声を掛け合うと、藤塚警視らに手を振りながらスーツケースを引いて搭乗手続きの為にチェックインカウンターへと向かう栗栖とルーツィア。
それから間もなくして、一機の旅客機がアメリカに向けて飛び立って行くのを第一ターミナルの展望デッキから見送る藤塚警視達。
「……帰って行きましたね」
「……ああ、帰って行ったな」
言葉少なにそう言うと蒼穹に吸い込まれて行く旅客機をいつまでも目で追う2人。
こうしてたった1人の人間の巻き起こした悪意に満ちた暴悪は、世界に暗澹たる結果を生み出しつつも、同じ「力」により滅せられ、終焉を迎えたのであった。
次回更新は二週間後の予定です。
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