〖act.32〗軍議前 〜傭兵、大罪の原点について語る〜
アンネリーゼ少佐達が即応部隊として来日した翌日、栗栖とルーツィアは警視庁本部庁舎内の多目的室に前日設営した臨時の戦闘指揮所に居た。
そこではA・C・Oの隊員達が本社からエアバスA400Mで持ち込んだ広帯域衛星通信機器やMIL規格に準拠した最新鋭のノートパソコンを操作して情報収集していた。
『深緑の大罪』の下部組織『狂気の番人』が作戦を開始する決行日まであと2日であるが、作戦を練る為にも少しでも状況を把握する必要があったからである。パソコンの液晶モニターに幾つもの情報が絶え間なく表示されている。
「はぁ……これはなんと言うか、凄いの一言に尽きますね……」
その光景に国際テロリズム対策課特別対策本部長を務める藤塚妃警視正は感嘆の声をあげる。
「確かに、この光景は圧巻の一言に尽きるな……」
藤塚警視の傍らに立つ特別対策本部副本部長の長村直生警部も同様の反応を見せていた。
それはA・C・Oのこの件に対する本気度が垣間見れた瞬間でもあった。
「クリス中尉」
そんな中、次々と集まって来る様々な情報を確認していた副官のコナー・オーウェル中尉が、指揮を執る栗栖に声を掛けて来る。
「A・C・O情報部から通達。『狂気の番人』の構成員を複数人確認。日本に上陸、潜伏しているとの事です」
そう言いながら差し出されたタブレット端末の画面には、何処かの空港や港湾施設で撮影された何人かの人物の画像と該当する構成員の顔写真が並んで表記されていた。
「確認が取れただけでも15人、か……」
タブレット端末を見ながら唸る栗栖。
「そうすると……敵の戦力は少なくとも20人……日本国内の協力者も加わると仮定すると6、70人、いや100人単位になるか……」
「恐らくは。A・C・O情報部も同じ想定を試算しています」
栗栖の言葉を裏付ける様に情報部からの情報を淡々と報告してくるコナー中尉。
「良し。ではコナー中尉、直ちにA・C・O本社に増援を要請してくれ」
「了解」
瞬時に考えを纏めた栗栖はコナー中尉に指示を出す。その指示に一切の迷いはない。
一方、コナー中尉の言葉を聞いていた藤塚警視らは衝撃を受けていた。同胞にテロリストへの協力者が多数居ると言う事実を信じられないと言う面持ちで。
だがそれは純然たる事実として彼等の目の前に横たわっていたのである。
受け入れ難い事実の前に呆然となっていた藤塚警視が気を取り直し、何故日本人がテロなどに、と栗栖に問い掛けようとした時、1人の隊員がコナー中尉に急いで近寄り手書きのメモを手渡す。
「どうした? コナー中尉」
「──はい、情報部から最新情報が通達されて来ました。それによりますと──!?」
メモの内容に目を通しながら答えていたコナー中尉の顔色が変わる。
「──『アニマ』がつい最近、数人の側近と共に日本に向かったのが確認されたそうです」
「!? 奴がか?!」
コナー中尉の言葉に驚きを隠せない栗栖。一方傍らでそれを見聞きしていたルーツィアや質問しようとしていた藤塚警視らは怪訝な面持ちを見せる。
「誰? その『アニマ』って?」
素朴な疑問そのままに栗栖に尋ねるルーツィア。聞かれた栗栖は苦虫を噛み潰したような顔を見せながら
「アニマは『深緑の大罪』の始祖──創設者の名前だ、偽名だがな」
更なる衝撃の真実をルーツィアと藤塚警視らに教えたのである。
最初は小さな自然保護団体だった。
「自然との共存こそが、明日の地球を創り出す」そのスローガンと共に。
だが何時からかその「理想」は歪みを見せる。
沢山の人が集う様になると「理想」は忘れ去られ歪んだ「目的」にすり替えられた。
歪んだ「目的」の為に非道な「行為」が「正当化」され、やがて「目的」は歪んだままに肥大化し「世界」に牙をむいた──その醜く肥大化した姿そのままに。
それがテロリスト『深緑の大罪』の始まりであった。
「──そしてその『始まり』を創ったのが『アニマ』と呼ばれる人物だ。元々英国の人類学者ロバート・ラヌルフ・マレットの研究者でありマレットが提唱した諸事物有生命段階の信奉者でもあったらしい。なので国籍は英国じゃないかとも言われているが、今の所は年齢共に不明だ」
3人に自分が知り得ている『深緑の大罪』の『始まり』について話し聞かせる栗栖。
「何ですか、そのアニマティズムと言うのは?」
わからない単語に疑問を口にする藤塚警視。
「『人々が制御する手段を有している偏在的、非人格な力への信仰』と言う事さ。より簡単に言うと霊魂の存在は認めないが動植物や無生物、果ては自然現象にも生命があり生きている、と言う考え方だ」
それに対しても栗栖は自身が知り得ている事を淡々と説明する。A・C・Oに入隊後、『深緑の大罪』の歪んだ思想の根源を知ろうと躍起になって情報を収集していただけの事はある。
「でも何でその様な理想的思考が今みたいに歪んだ思考へと変わったのでしょうか?」
栗栖の説明に更なる質問を投げ掛ける藤塚警視。
その質問に対してどう彼女にわかり易く伝えるのか、栗栖は考えを巡らせるのだった。
「それは……」
考えを纏めた栗栖が質問への解答を口にしようとした正にその時
「……私には何となくわかるわ。そうした理想や理念って高貴なほど歪み易いものなのよ。自分の理想を達成する為には、人って多少の犠牲って厭わないじゃない? それは高い理想であればあるだけ払う犠牲も増えるもの。それを幾度も繰り返している内に「理想の為の犠牲」が当たり前になって来るのよ。罪悪感が麻痺して、犠牲が普通に感じる様になる。いつの時代も、どの世界でも高い理想を掲げる指導者達は数えきれない骸の上に立っているのよ。自分が周りにどれだけの犠牲を強いて来たか省みる事無く、ね」
なんとルーツィアが答えようとする栗栖の声に被せる様に「ひとつの解」を言葉にする。それを口にするルーツィアの表情はいつもの明るさとは打って変わって酷く暗く沈んだものであった。
彼女の「解」はそれまでの彼女の経験則に他ならないが、それは栗栖がまさに言おうとしていた事であり、反論する余地も無い。
同時にそれはルーツィア自身の向こうの世界での苛烈な戦争経験を物語っているのだと、栗栖はルーツィアの滅多に見る事の無い表情を目の当たりにして思うのであった。
「全く……霊魂を否定しているのに偽名に『アニマ』を名乗るなんて、どう言う神経をしているのかしらね……」
そんな時、不意に後ろから声が聞こえ栗栖らが背後にあるドアの方を振り返ると、そこにはディビジョンAのアンネリーゼ・シュターゲン少佐と副官のマリルー・アマースト中尉が立っていた。
「アンネ、マリルー、戻って来たのか」
「ええ、現場を一通り確認してきたわ」
栗栖の声に気さくに返事を返すアンネリーゼ。そして直ぐに背筋を伸ばすと
「アンネリーゼ・シュターゲン、マリルー・アマースト両名、14:26帰還しました」
敬礼しながら帰還報告を行うアンネリーゼ。そして
「とんでもない大物の御登場みたいね」
栗栖が答礼を返し礼を解くと、様子は一転、いつになく真剣な面持ちを見せる。
「聞いていたのか?」
「部屋に入ったら丁度聞こえてきたから」
栗栖の問い掛けに言葉少なに返答するアンネリーゼ。
「それで? 敵の戦力の試算は出来たのかしら?」
その問い掛けに栗栖は黙ってタブレット端末を手渡し、それを受け取り目を通すアンネリーゼは短く溜め息をつき
「これは……かなり高難度な作戦になりそうね」
と難解な問題に直面した顔で呟くのだった。
「兎に角だ、実際に相手の目標を見てきてどうだった? 市街戦の専門家としての見立ては?」
栗栖の問い掛けに今度はアンネリーゼが「これを見て」と持っていたタブレット端末を見せながら話を始める。
「先ず地理情報システムの地図を見てもらうとわかると思うけど、微生物化学研究所に突入する為には正面玄関側にある都道418号を南から北上して来て正面から突破するしか無いわ。それ以外だと先に進んで脇道を左折、南下して施設裏手から突入するしかない。しかも脱出ルートも突入ルートを逆に辿るしか無いわ」
タブレット端末の画面に映る衛星写真を指し示しながらの説明に栗栖は、ふむ、と呟くと
「なるほど、な。ではアンネならこの場合、どう目標に攻め入る?」
アンネリーゼに想定出来うる敵の行動を問う。
「私がテロリストなら──先ず目標付近の重要な地点に時限爆弾を仕掛けるわね。それも複数」
「──欺瞞、か。厄介だな」
アンネリーゼが想定しうる最悪のシナリオに眉をひそめる栗栖。
「ええ、それ等を一度に爆発させて目標の防衛戦力を撹乱、此方の戦力が対応の為に分散したタイミングで最大戦力で目標の正面突破、奪取部隊が突入、速やかに目的物を確保して戻るまで脱出経路を確保、合流したのち一気に脱出、かしら。時限爆弾に関しては微生物化学研究所を中心に半径300m以内の重要順位が高い地点を優先に設置されていないかを確認させているわ。何か見つかれば──」
そこまで言ったアンネリーゼの台詞はマリルー中尉の声に遮られた。
「少佐、セルマの班から報告。目黒駅で爆弾らしき物を発見しました」
「時限爆弾発見か」──その報に戦闘指揮所に緊張が走る。
目黒駅構内の自動販売機のひとつ、僅かな隙間に設置されていたそれは、厚さ1cm縦16cm横8cmの金属製のケースで一見するとスマートフォンの様な形状をしている、とは外から観測しているセルマからの報告である。
「少佐、セルマから対応について指示を求められていますがどの様にしますか?」
「駅員と鉄道警察に通報、直ちにその自動販売機が置かれているホームから民間人を退去させて。理由はホームで事故が起きたとして」
矢継ぎ早に指示を飛ばすアンネリーゼはそこまで言うと栗栖の方に向き直る。それだけで栗栖はアンネリーゼの意図を汲み取って
「藤塚警視。A・C・O指揮官として警視庁機動隊の爆発物処理班に協力を要請したい。至急目黒駅に向かわせてくれ」
と藤塚警視に ” 要請 ” をする。藤塚警視は「は、はい!」と返事をすると長村警部と共に急いで部屋を出ていく。その後ろ姿を見送りながら
「……足りない、な」
ぽつりと零す栗栖。
「? 足りないって何が?」
その呟きに反応したルーツィアが栗栖に質問する。
「敵の動きを予測する為の情報、情報を精査する為の時間、全てさ。敵には準備する為に今日まで充分過ぎる程の時間があった。その差がこの後に影響を及ぼさないか、それが気掛かりなんだ」
ルーツィアの問い掛けに栗栖は素直な思いを吐露する。それは少しでも、ひとつでも不安材料を減らしておきたいと言う栗栖の考えでもあり、焦りをも示していたのである。
「その不安はわかるわ。私も指揮を執る中で何度もその思いに駆られた事があるから」
そんな栗栖の心情を聞いたアンネリーゼが同調する台詞を口にする。
「でも今はいきなり「最良」を望む事は出来ないわ。だからこそ「上々」を積み重ねていきましょう? それがやがて「最良」へと繋がるから」
そして有能な指揮官の先達として栗栖の焦りを諭す。それを聞いて知らず知らずのうちに焦り、気が急いていた自分に気付き自省する栗栖。そして
「……ありがとうアンネ。少し焦っていたよ」
と素直にアンネリーゼに深く頭を下げる。
「良しっ! ではアンネ、マリルーはセルマの班と合流、可能なら爆発物の解析を試みてくれ」
そして即座にアンネリーゼらに指示を与える。アンネリーゼとマリルーの2人はその指示に「了解」と敬礼を返すと踵を返して部屋を出ていく。それを見送ると「良し」と独り言を口にすると、様々と上がって来ている報告の数々をひとつひとつ再確認して行く栗栖。
そんな栗栖にルーツィアはただ寄り添うだけであった。
──『狂気の番人』がテロを決行するまであと2日。
次回更新は二週間後の予定です。
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