〖act.30〗D・S・M 〜文明を破壊するモノ〜
「そうか……あの時世話になった神村さん、か」
神村信之介警視長の言葉を聞いて栗栖の脳裏に11年前の出来事が鮮明に思い出された。
テロリスト──『深緑の大罪』が起こした無差別テロで、たった1人の肉親であった姉の黒姫詩月を失い、自らも怪我を負った栗栖の病室に何度も聴取と称して見舞いに訪れていた壮年の警察官の事を。その警察官は「神村」と名乗っていた事を。
それ等を思い出した時、栗栖の目の前に居る神村警視長と記憶の警察官の顔が重なった。
「……あの時は色々とお世話になりました、神村さん」
そう言うと改めて握手に力を込める栗栖。神村警視長もしっかり力を込めながら感慨深げに言葉を漏らす。
「いや……まさかあの時の少年がな……立派な大人になったものだ……」
「いえ……」
そう言葉を交わすと握手を解く2人。ルーツィアは栗栖の傍らにいて黙ってその様子を見ている。
「まぁ、お互い話したい事は山とあるが──今は状況が状況だ。宜しく頼むよ、黒姫中尉」
そう一言告げると一連のやり取りを半ば呆けて見ていた藤塚妃警視や長村直生警部の方を向き直り
「本日をもってこの方面対策本部を特別対策本部へと格上げする。藤塚警視正、君には引き続き特別対策本部の本部長を務めてもらう事とする。長村警部、君も本部長補佐として藤塚警視をサポートして貰いたい」
そうはっきりと指示を出す神村警視長。
「は、はい! 本部長の任を有難く拝命致します!」
「同じく、本部長補佐の任、有難く拝命致します」
その言葉に背筋を伸ばし敬礼しながら答える2人と、それに答礼を返す神村警視長。やがて答礼を解くと
「では早速状況を整理しよう。黒姫中尉、情報提供を宜しくお願いする」
先程までの穏やかな顔付きから一変、鋭い眼光を湛えた面持ちで栗栖らにそう告げるのだった。
「では今までで判明している情報を確認したいと思うんだが」
機材や事務机などの設置が終わった方面対策本部改め特別対策本部の室内で、栗栖は新たに設置された100インチの電子黒板に手持ちのタブレットPCの情報を表示して新たに参集した対策本部一同十数人の前で説明を始めた。勿論神村警視長も同席して、である。
事の発端となった器物破損事件から、事件を起こしたのが『深緑の大罪』の下部組織『狂気の番人』の構成員だった事、構成員達は少なくとも3名である事、事件後すぐに宿を引き払ってフェリーと新幹線を使い東京へと向かった事、その途中、事件を起こした構成員のスハルト・ハッタと思しき人物を殺害している事など、ここに至るまでの顛末を藤塚警視らに補足してもらいながらである。
「──そして俺達はスハルトハッタと思しき遺体の遺留品からコレを入手して、即座に東京へと戻って来たんだ」
そう言うと保存袋に入ったマイクロSDカードを見せる栗栖。
「コイツの中には乱数変換された『深緑の大罪』からの指令が書き込まれていた」
栗栖がそう言うと藤塚警視らとルーツィア以外の全員の視線がスライダーパックに集まる。
「そして──これが解読した指令書になる」
その視線に構わず栗栖はタブレットPCを操作して、解読画面をインタラクティブホワイトボードに映し出した。今度は其方に視線を向ける一同。そこには
『コードBC3100、東京IMCニテD・S・Mヲ入手、作戦実行セヨ──』
と綴られており最後に作戦行動の実行日が記されていた。その内容にざわめく室内。皆、口々に「東京IMC?」とか「D・S・Mって何だ?」とか「余り日にちが無いな」とかを小声で話している。
「静かに!」
その時、今まで黙っていた神村警視長がざわめく一同に一喝する。途端に静まり返る室内。
「皆んなの疑問も尤もだろう。だがそれも黒姫中尉なら何かを掴んでいるのでは無いのかな?」
場が鎮まるのを見て栗栖に尋ねてくる神村警視長。それに対し大きく頷きながら
「勿論です。今から其れについて説明します」
と自信ある様子で答える栗栖であった。
「では──これを見て欲しい」
軽く咳払いをすると再びタブレットPCを操作し、新しい情報を開示する栗栖。
「これは我が社のデータベースを検索した結果判明した事だ。「IMC」とは単なる略称では無く、特定の組織名を表していたんだ。そして奴等『狂気の番人』の狙いは十中八九ここだと断言できる」
そこには東京都品川区にある微生物化学研究所の名前と住所などの情報が写真と共に映し出されていた。
「すいません。そこだと言う根拠は何ですか?」
インタラクティブホワイトボードの画面を見ていた1人が挙手をして栗栖に質問を投げ掛けてくる。
「その疑問はもっともだ。それに答えるにはもうひとつ、この情報を見て欲しい」
その問いに新たなデータを画面上にアップする栗栖。それは英語とはまた違った言語で書かれた研究資料らしき物で、様々な図式が描かれている。
「黒姫さん、これは?」
それを初めて目にした藤塚警視が栗栖に尋ねてくる。
「コイツは去年、微生物化学研究所で創られた細菌の研究資料さ、まだ非公開だけどね。ソレは全て独語で書かれているんだが、問題はこの細菌の特質と言うか特徴だな。コイツの前身は太陽光が届かない深海の熱水環境に豊富に存在する電気を非常によく通す岩石層から発見された、鉄イオンをエネルギーとして利用する鉄酸化細菌の一種だ。その中でもコイツは高温高水圧の極限環境下で僅かな電気を食べ、二酸化炭素からアミノ酸を作り出す性質を持っている──」
そう言うと研究資料を次へと送り話を進める。
「──それを日本国内何箇所かで研究していたもののひとつがコレだ。本来は鉄分が多い湖沼の深層水域で鉄やマンガンを効率良く回収する為に利用する目的で研究されていたんだが、その過程でとんでもないモノが出来た」
栗栖は更に資料を次へと送ると、更に複雑な計算式やら図式が書き込まれた頁に変わる。そこには──
「独語で『Diejenigen, die Strom und Metall essen』──日本語では『電気と金属を喰らう物』、それが研究者がこの細菌に付けた呼称だ。コイツは僅か0.3V程度の小さな電位差を1V以上にまで高め利用し、鉄を始めとする金属を腐食分解する。これに耐えられるのは一部の貴金属──金や銀、白金やあとはチタンぐらいらしい。それと同時に大気中の硫黄を取り込みアミノ酸では無く硫化水素をガスとして大量に発生させる。当然コンクリートで固められた鉄筋コンクリートであろうと鉄骨であろうと内部に浸透腐食させる」
──驚愕の事実が書かれていたのである。
あまりの衝撃に打ちのめされたかの如く静まり返る室内。
「──これがD・S・Mの正体だ。そしてこれが産み出された機関が東京にある微生物化学研究所と言う訳だ。こうして指令書で提示されていた2つの符号が一致した今、奴等の狙いは間違い無くここだと言う事になる」
「──それってつまり、もしその細菌が強奪されて何処かの大都市なんかに散布されたりしたら──」
恐る恐る自らの推測を述べる藤塚警視。その声は少し掠れている。それに頷きながら
「藤塚警視の推測通り、こんなモノを大量に培養されて大都市圏なんかに撒かれたり、場合によってはミサイルの弾頭なんかに搭載されたりでもしたら──散布された大都市圏は壊滅、いや生物共々消滅するかも知れない。何しろ自然電位だけでも充分増殖出来るのに、大都市圏なら電気は豊富だしな。それに金属も豊富だ。D・S・Mにとっては素晴らしい環境が揃っていると言う訳だ。そして『深緑の大罪』にとっても自らの理想を実現する為には打って付けと言う訳だ」
はっきりとそう言い切る栗栖。そして上座に座る神村警視長に顔を向けると
「神村警視長、事ここに至っては日本国のみの問題ではありません。なので私は日本国と米合衆国との間の相互協力及び安全保障条約に基ずき、正式に日本国政府と警察庁、及び警察庁警備局国際テロリズム対策課に対し、A・C・O佐官級の権限として指揮権の委譲を『要請』します」
室内に良く通る声でそう発言する。それには流石に静まり返っていた場が再びざわめき立つのだった。
「──それは構わない。この状況では寧ろ君達の様な実戦経験豊富な専門家の力が必要になる。対テロ作戦のな」
ざわめきが収まらない中、栗栖の視線を真っ直ぐ見ながら神村警視長は大きく頷きながらそう言葉を発する。そして手を組みながら
「それに『要請』と言うのは我々日本への黒姫中尉なりの配慮なんだろう? そう言葉を選んで言わないと日本国政府の強硬派から横槍を入れられかねないからな」
深い笑みを湛えたままそう理解を示すのだった。それを聞いて再び静まり返る室内──神村警視長の台詞を聞いて栗栖の配慮に気が付いたのである。
「ご洞察、恐れ入ります」
栗栖は神村警視長に笑みと共に返事を返しながら軽く腰を折る。神村警視長は大きく頷きながら
「うむ、では現時刻を持って国際テロリズム対策課課長の権限で黒姫中尉、君に指揮権を委譲する」
と了承の意を示す。
「ありがとうございます。それでは私は早速、本社に連絡をし即応部隊を派遣させます──藤塚警視らには引き続きテロリスト達の情報収集と解析に協力を要請したいと思う。もちろん捜査指揮は本部長の藤塚警視に一任する」
指揮権を委譲された事により早速行動を開始する栗栖。その栗栖と神村警視長のやり取りを唖然として見聞きしていた藤塚警視は、そんな栗栖の台詞を聞いて再起動すると
「は、はい! で、では、全捜査員を第1から第6までの6班に分けます。先ず第1班は──」
慌てて捜査員達に指示を飛ばす藤塚警視。それを横目で見ながら栗栖は衛星通信端末の電源を入れ、A・C・OディビジョンSのサミュエル・グエン中佐へと連絡をするのだった。
グエン中佐へ直ちに待機していた即応部隊の日本への派遣を要請し終え、ホッと息をつく栗栖。
(今から直ぐにエアバスA400Mで向こうを発っても14時間余り、つまり時差から言って明日の早朝、か)
そう考えながら自分の近くで陣頭指揮を執る藤塚警視に視線を向ける。彼女は殆どの捜査員と応援の公安機動捜査隊を微生物化学研究所へと向かわせる算段を取っている最中であった。
「栗栖君」
その時、不意に声が掛けられ、其方の方に顔を向けると神村警視長が立っていた。栗栖は椅子から立ち上がると
「はい、何でしょうか?」
と返事を返す。
「色々と気を使わせてしまったようだな。済まなかった」
視線を合わせた栗栖に対し軽く頭を下げる神村警視長。そして
「兎に角、上の方は私が説き伏せる。君は思う存分やりたまえ」
栗栖の肩に手を乗せながらそう力強い言葉を掛けてくれた。
「ありがとうございます、神村さん」
それに対して深く腰を折る栗栖。神村警視長は頷きながら栗栖の肩をポンッと叩くと「あとは任せたよ」と対策本部を出ていった。
「クリス、お疲れ様!」
神村警視長の後ろ姿を見送っていると、ルーツィアが声を掛けてきた。彼女はこの対策本部に来てから挨拶以外、口を開いていなかったのを今更ながらに思い出す栗栖。
「ありがとう。そして済まなかったな、ルーツィア、気を遣わせてしまって」
栗栖の感謝と謝罪の言葉にルーツィアは首をふるふる振る。
「ううん、全然平気よ。貴方は貴方の責務を果たしているんだから」
そう言うと微笑むルーツィア。そんなルーツィアに感謝しながら栗栖は早速、即応部隊の受け入れ準備の為に福生市の横田基地に向かう準備を始めるのだった。
いよいよ事態は大きく動き始めたのである。
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