〖act.3〗 塔の下の魔法使い
「──そうして彼女の異能力のお陰で我々は無事に帰れる事が出来たのです。彼女は自らの能力の事を魔法術と言っていました」
黒姫栗栖は上官であるサミュエル・グエン中佐に、そう長い報告を締め括ったのだった。
「魔法術、か…… 。超能力と比べても明らかに異質だな」
グエン中佐は顎に手を当て唸り声をあげる。
「彼女の言葉から考えられる仮説があります」
栗栖はそんなグエン中佐に自身の行き着いた仮説を開陳する。
「それはなんだね?」
「まず……彼女の言葉にあるオドと言うのは19世紀に独の化学者カール・フォン・ライヘンバッハが提唱した ” 人の精神に作用する力 ” 「Odic force」と同じ物だと思われます。そしてもうひとつマナと言うのは南西太平洋のメラネシアの原始宗教に於ける ” 神秘的な力 ” 「Mana」と同じ物だと思われます。そしてこの2つの力は現代に於ける空想の世界、特にファンタジー小説の世界では「魔法」と極めて深い関係があるものだと言われています。私が目の当たりにしたあの力と彼女の言葉。そして導き出された幾つかの符号。これらを踏まえて私は彼女が引き起こした現象は「魔法」であると言う結論に至りました。つまり彼女は魔法使いであると。私とて最初は信じられませんでしたが、全ての符号がこの結論に収束しています」
そこまで言うと言葉を切り、グエン中佐の言葉を待つ栗栖。
「「魔法」か…… 。普通なら一笑に付す所だが、君が至った結論に私は反証を持ち合わせていないのも紛れもない事実。何よりそれでなくては起きた事象への説明が出来ない、か……」
グエン中佐は椅子に深く掛け直すと、天井を仰ぎ見て言葉を漏らす。そして栗栖に視線を向けると
「正式には上層部の判断を仰がなくてはならないが……何れにせよこの現象の名称は必要だ。以後我々は彼女の起こした現象を「魔法」、彼女を「魔法使い」と呼称する」
そしてペンを取ると連絡用紙に何やら書き始めるグエン中佐。書き終えた書類を封筒に入れると
「クリス。休暇中にすまんがこれを持って至急メディカルセンター地下に向かってくれたまえ」
栗栖に差し出しながらそう言ってきた。栗栖は姿勢を正すと「了解です、司令官」と短く答礼し士官室を後にするのだった。
そのまま本社ビルから渡り廊下を通り、別棟のメディカルセンターに向かいエレベーターで地下3階にある研究区画に降りる。
警備に社員証を提示し門扉を潜り区画内に入り、奥の施設にそのまま真っ直ぐ向かう栗栖。かつて自身も世話になった場所なので、勝手知ったる何とかである。
やがてひとつの部屋の前に来ると、ドアの読取機に社員証を翳して開錠し中に入る。
「うん? あぁ、クリスかぁ。ここに来たと言う事はグエン中佐殿はちゃんと連絡してくれたんだね」
そこには電子タバコを咥えた女性が居て、栗栖に気付き声を掛けて来た。ダークブロンドの腰まである髪を一纏めに束ね、ミニのタイトスカートとブラウスの上から白衣をだらしなく着込んだ長身の女性だ。
「久しぶりだな、ヘルベルク博士」
「なんだいなんだい、随分他人行儀じゃないか?」
栗栖の台詞に不満そうな声色を返す女性──ヘルベルク博士。眼鏡の奥の瞳にありありと不機嫌さが滲み出ている。
「悪かった悪かった。それじゃあシモーヌ、改めて久しぶり」
手をヒラヒラさせながら言い直す栗栖に今度は満足そうに頷くシモーヌ・ヘルベルク。彼女はこのメディカルセンター研究区画の責任者であり、超能力の研究の第一人者でもあった。因みに年齢は栗栖と一つ違いの28歳である。
「うんうん、クリスにはやはりそう呼んで貰わないとね。それでは早速お願いするよ」
御機嫌になったシモーヌは意味不明な台詞を口にする。
「? 何をお願いするんだ?」
「えっ? グエン中佐殿に聞いて来たんだろ?」
何でそんな事を聞くんだと言わんばかりに確認してくるシモーヌ。
「いや? 何も聞かされていないんだが?」
「えっ?!」
「えっ?」
お互いに顔を見合わせ暫しの沈黙の後、シモーヌが口を開く。
「……あの狸め。一番肝心な事を言わないとはどう言う事だ?」
「いや、そもそもはな……」
再び瞳に剣呑な光を灯すシモーヌに事のあらましを慌てて説明する栗栖。
「……それでこの封書を持ってココに行く様に言われて来たんだ」
そう言いながらグエン中佐から手渡された封書を渡す。シモーヌは封筒から書類を取り出すとざっくり読み流し
「ふん、狸めが」
そう一言呟くと書類を乱暴に折り畳み手元のバインダーに挟み込みながら
「こっちだ、クリス」
と何が書かれていたのかも言わないまま、先に立ちスタスタ歩いて行く。
「何処に行くんだ?」
「勿論、君のお姫様が待つ場所にさ」
後に付いて歩く栗栖の質問に、シモーヌはぶっきらぼうに答えるのであった。
ルーツィアの居場所までの道すがらシモーヌに、彼女の力について自分が聞いた事と自身の推測について話す。
「成程、「オド」と「マナ」と言う言葉から良くそこまで導き出したね。しかし「魔法」かぁ…… 。その発想は無かったな! 流石はクリス、その発想の柔軟性は賞賛に値するよ! どうだい? 今からでも遅くは無い。私の研究の共同研究者にならないかい?」
頬を紅潮させいきなり飛んでもない事を口にするシモーヌ。その眼鏡の奥の瞳がやたら艶っぽい。
「いや、俺には研究より前線に出ている方が性に合っているからな。お誘いは嬉しいがそれは勘弁して欲しい」
栗栖が苦笑混じりにやんわりと固辞するとシモーヌは
「それは残念。まぁ気が向いたら何時でも来てくれたまえ……っと、着いた着いた。ここだよ」
そう言って自身の社員証を読取機に翳し、ドアを開錠して栗栖を中に招き入れるシモーヌ。そこには銀行の金庫室みたいな、如何にも頑丈そうな分厚い扉が── 。
「この扉は厚さ900㎜のタングステンカーバイド製だ。並大抵の攻撃ではビクともしない代物さ」
自慢気に胸を張るシモーヌ。
「俺が世話になった時にはこんなのは無かったんだが……」
一方の栗栖は驚きを隠せない。
「それだけこの研究は難しいと言う事さ。これでも万全じゃないけどね」
そう言いながらシモーヌは扉の脇にある端末を操作し、最後に社員証を翳すとガコンと言う音と共に開錠され扉が開き始めた。やがて人が通れるくらいに開くと
「さてと、私はここまでだ。あとはクリス、君だけで入ると良い。私はそこの──」
そう言って扉とは反対側を指差すシモーヌ。
「──管制室に居る。因みに君達の動向は内部の監視カメラで見させてもらっているからね。出来れば彼女の口から「魔法」について聞いてくれると有難い」
「わかった」
栗栖は一人、扉を通り中に入っていく。彼が入ると再び閉められた扉の内側は意外と広く、そこには何故か田園風景が広がっていた。
《聞こえるかい、クリス》
何処からとも無くシモーヌの声が響く。
《この内側にはCGによる視覚偽装が施されている。中の被験者の心理的圧迫を減らす為にね。そのまま奥に見える家に彼女は居る》
何処かにある監視カメラに頷くとそのまま先に見える民家を目指す。どう見ても日本の原風景にしか見えない風景の中に、どう見ても日本の茅葺き屋根の古民家にしか見えない家に辿り着くと、玄関の引き戸に手を掛けながら
「ルーツィア、入るぞ」
と声を掛け家の中に入る栗栖。すると家の奥からパタパタパタと言う忙しい足音が近付いて来ると
「クリス! 会いたかったぁ!!」
ルーツィアがいきなり駆け寄り抱き着いて来た。
「ここまで連れて来られたら貴方とは離されるし、いきなりこの塔の地下室に入れられてあちこち調べられるし、果ては地下なのに外みたいな場所に閉じ込められるし……本当に心細かったわぁ」
まるで拾われてきた捨て猫みたいに体を震わせているルーツィアの肩を、そっと抱き締めながら
「ちゃんと君に説明しなかったこちらの不備だ。済まなかった、ルーツィア」
そう謝罪する栗栖。その言葉にルーツィアは体を離すと
「ううん、貴方は悪くないわ。ただ心細かっただけ」
そう言って薄く微笑む。その瞳は少し潤んでいた。
「さて、と。こんな所で立ち話も何だから部屋に行きましょう? 私の家じゃないけどね」
ルーツィアが少し戯けながら付いて来る様に促し、栗栖は家の奥へと彼女の後に付いて入って行く。外観は昔懐かしい日本の古民家だが、中身は米国の標準的な家の間取りであり栗栖はそのままダイニングに通された。
「適当に腰掛けて、とりあえず何か飲み物を頼むわね」
着席を促すルーツィアの意味不明な台詞に首を傾げる栗栖。ルーツィアはその場で「私とクリスに何か飲み物をお願い」と声に出すと、ダイニングに併設されているキッチンの冷蔵庫から「ガチャン」と音が聞こえ、ルーツィアが冷蔵庫を開けジュースが入ったガラスコップを取り出して自分とクリスの前に置く。
「ルーツィア、これは?」
思わず声に出た栗栖の疑問に再びシモーヌの声が
《あーっと、クリス? その家は被験者の負担を減らす為に必要な物資は各部屋にある搬入口から供給される仕組みになっていてね。まぁ必要な品物を言えば在庫にある物は併設されているAI管理の自動倉庫から送られてくる手筈になっている訳だ。とりあえず生活するには困らない》
そうネタばらししてくれた。
「説明は有難いが……こちらの動向はそちらに丸見えなんだな」
《まぁ、一応プライベート空間は確保されているから安心していいよ? 風呂とかトイレとか寝室とかはね》
そう楽しげに話してくるシモーヌに少し辟易する栗栖。彼女は基本、研究第一主義者である事を改めて自覚したのだった。
「ねぇクリス。今の声の主と知り合い?」
そんな事をしていたら向かいの席に座るルーツィアが尋ねてくる。
「ああ、ここの責任者のシモーヌ・ヘルベルク博士だ」
「博士かぁ…… 。最初に一度だけ会ったけど、あの人はここに来てから事ある毎に色々質問してきたのよね〜。」
栗栖の回答に納得し同時にげんなりした表情を見せるルーツィア。余程質問がしつこかったのだろう、顔を歪め「うぇ〜」とするルーツィアを見て思わず笑いが込み上げて来た栗栖。
「ぷッ、ふふ、あはははははは!」
「何よ〜、そんなに笑わなくても良いでしょう〜?!」
今度はぷぅーと頬を膨らませて不機嫌な表情を見せるルーツィア。その感情豊かな表情に
(ああ、この子は俺達と何も変わらないんだな)
と改めて思いを巡らしながら栗栖は「悪かった悪かった」と軽く両手を上げて謝罪する。そして軽く咳払いをするとルーツィアに改めて向き直り
「ルーツィア。君に改めて聞かせて欲しいんだが──良いか?」
先程までのフランクな態度から一転、真面目な顔付きで話し掛けてくる栗栖を見てルーツィアも居住まいを正す。
「君は俺達を助けてくれた。まずはそれに感謝を言いたい。だが君が見せたあの力──確か「魔法術」と言っていたが、あれはどの様な能力なんだ? それをはっきりさせたい。これは君自身の為でもあるんだ。」
そう言って栗栖はルーツィアの顔を見つめる。あの時は気付かなかった瑠璃と紫水晶の色違いの瞳が真っ直ぐに栗栖を見つめている。ルーツィアは小さく溜め息を吐くと
「──そうね、何から話せばいいのかしら。先ずはこの世界には「魔法」と言う概念はあるのかしら?」
彼女は栗栖に、まずそう尋ねて来たのである。
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