〖act.27〗傭兵と公安、諜報と指針と
「被疑者は間違いなく『狂気の番人』の構成員の1人でした」
ツインルームの1人掛けソファーに座る藤塚妃警視がそう言いながらタブレットPCを操作してデータを表示させる。
あの電話の後、直ぐに栗栖はルーツィアを伴い合流場所にしていたリバーサイドホテルへと戻ってきた。丁度チェックインが開始される時間だった事もあり、そのまま直ぐに藤塚警視らと共にチェックインを済ませ、それぞれの荷物を置くと栗栖達のツインルームに集まり打ち合わせをしているのだ。
やがて藤塚警視は『狂気の番人』構成員の1人の顔写真と名前のデータを選び出すと栗栖に示す。
「これです──パスポートに記載されていた名前はリー・クァンユー、年齢は27歳で職業はITエンジニア、国籍は新加坡となっていましたが、本名はスハルト・ハッタ、年齢は30歳、国籍は印度尼西亜です。より正確にはバリ島出身となっています」
画面に表示された画像を指し示しながら説明する藤塚警視。
「この男だと言う決め手は?」
「はい。この画像にも映されていますが、スハルト・ハッタは右の首筋に聖獣の入れ墨を入れています。そして──」
栗栖の質問にそう言いながら一枚の写真をテーブルの上に置く。
「これが桜川市警で撮られた被疑者の写真です。ご覧の通り右首筋に同じタトゥーが見受けられます。ピックアップしたおいた5人の中でこの様なタトゥーをしているのはスハルト・ハッタのみです」
「なるほど……」
一連の説明と共に写真と画像を見比べていた栗栖は納得いった様である。
「市警の方ではこのスハルト・ハッタの指紋も採取してあるから指紋照合さえ出来れば、よりはっきりするんだろうがな」
藤塚警視の話に補足をつけるのは今まで黙っていた長村直生警部。
それを聞いて栗栖は直ぐに警察庁のデータベースにアクセスしてスハルト・ハッタの指紋のデータを取得し、続けてA・C・Oのデータベースにスハルト・ハッタの指紋のデータが保存されていないか確認すると運良く保存されており、直ちにホストコンピューターによる照合を実施する。
併せて警察署で撮影されたスハルト・ハッタの写真をモバイルスキャナーでホストコンピューターへと転送し、これも照合作業へと回す。すると数秒後には手元のタブレットPCに照合結果が転送されて来た。
「──指紋と写真の顔がA・C・Oのデータベースのと一致した。こいつは間違いなくスハルト・ハッタだ」
「それでこの後はどうします?」
件の男が『狂気の番人』の構成員だと確定し、今後の行動指針について尋ねてくる藤塚警視。
「次は当然こいつの足取りだな。それと何をしに日本に来たのか突き止める必要がある」
「消息と目的、ですか……なるほど」
「まあ確かにそいつが重要だよな。だがどうやって足取りを追いかけるんだ?」
栗栖の返答にそれぞれの反応を示す公安警察の2人。そんな反応、特に長村警部からの更なる問い掛けに「それはまあ、色々とやりようはあるからね」と、栗栖はタブレットPCの画面を確認しながら端的に答えた。
その様子に訝しむ藤塚警視ら2人を置いて、栗栖はタブレットPCを操作して何かのリストを表示させる。
「黒姫さん、これは?」
栗栖の横で画面のリストを見ていた藤塚警視が、烏の濡れ羽色の髪を掻き上げながら質問して来る。その仕草と共に鼻をくすぐる微かな香水の良い匂いに、一瞬胸の鼓動が跳ねるが平静を装い
「……これは各国に居るA・C・Oへの情報提供者、いわゆる情報屋のリストさ」
「これ全部ですか?!」
ざっと見ても100や200では利かないほどの名前が載っているリストに驚愕の声を上げる藤塚警視。そんな反応に苦笑しながら栗栖はリストの中の1人に、スハルト・ハッタの顔写真を添付したメールを作成すると送信する。
「……よし、あとは返事を待つだけだ」
「? 随分簡潔なメールだけどそれで大丈夫なの?」
今まで事の成り行きを黙って見ていたルーツィアがここに来て漸く口を開く。
「ん? ああ、こちらからは飽くまでも『この人物を探している』と写真と幾つかの情報さえ送れば、あとはあちらの仕事だからな。まあ向こうはデジタルハンターとも言われる情報のプロだし、何より『餅は餅屋』とも言うしな」
「?? 何、その餅は餅屋って?」
ルーツィアは栗栖が言った日本の格言に首を傾げ、それをわかりやすく解説する栗栖。
「ああ、何事においても、それぞれの専門家にまかせるのが一番良いという事の例えさ。日本のだけどな」
「なるほど、『鍛冶を知るには地精族に聞け』と言う事ね。あ、これは向こうの言葉なんだけどね」
解説を聞いて合点がいったルーツィアは頷きながら向こうでの言い方をする。
勿論藤塚警視らにはルーツィアが異世界人である事は秘密なので、その辺は態と暈しておかないといけないのだが、ついルーツィアの口をついて出た台詞に内心焦る栗栖。だがその辺の事情を知らない藤塚警視と長村警部は訝しんでいただけだが。
「あーっと、それともう1つ判った事がある」
そんな微妙な空気を破るかの如く声を上げたのは長村警部。
「そのスハルト・ハッタが泊まっていた旅館を聞き出して来た。場所はこのホテルから西に3kmほど行った中心街の外れ、いわゆる民宿だな。そこに3人で宿泊していたらしい」
上着のポケットから取り出した手帳を見ながらそう報告する長村警部。栗栖は長村警部から住所を聞くとタブレットPCを操作して、その旅館を地図上にピンとして表示させる。
「割と近いな」
「まあこの桜川市内だと宿泊施設も限られているしな。そう言う事もあるさ」
マップを確認しながら呟く栗栖にそう返答する長村警部。
「すると、次はその旅館? 民宿? って言う所に行って色々聞き込むのかしら?」
「まあ、それも情報提供者からの情報待ちだな。それがわからないと動きようが無いからな」
同じ様にマップを覗いていたルーツィアからそう尋ねられ、現状このままでいる事を告げる栗栖。
そんな事をしながら30分ほど経ち、先方から待望の回答のメールが送られて来た。
「どれどれ……」
その内容を栗栖以下4人で確認する、そこに記されていたのは──
器物破損事件の翌日早朝、スハルト・ハッタは2人の同行者と共に宿泊先の旅館をレンタカーで発っており、県道629号から国道213号を東に進み、隣の高那市を通過し更にその東隣の平波市の勝井町にあるフェリーターミナルからカーフェリーに乗ったのまで確認出来たらしい。その距離約38Km、車での移動だと約50分弱である。
情報源は宿泊していた旅館と県道国道沿いの要所要所、そして通過した県道国道に面したコンビニエンスストアに様々な店舗、ガソリンスタンドやEVステーションや郵便局等に設置されている監視カメラの映像から、移動に使用したレンタカーのナンバーを割り出して時系列順に追い掛けた結果なのだそうだ。
問題はその道中、彼等のレンタカーは高那市内において一時国道から脇道へと入り何処かに立ち寄った形跡がある事が時系列から判明したのと、その後のコンビニエンスストアで撮られた映像にはスハルト・ハッタが写っていなかった事、カーフェリーへの乗船はレンタカーを降りた2人のみだったと言う事なのだ。つまりスハルト・ハッタ本人はこの2人に消された可能性が極めて高いと言う事を示唆しており、残りの2人に関してはフェリーターミナルの監視カメラとフェリー内の防犯カメラの映像では顔を隠しており判断がつかないとの事だった。
乗り捨てられたレンタカーは既にレンタカーショップにより回収されていて、物証になる物は契約時に使われた免許証のデータのみであり、カーフェリー乗船に使われたのは無記名の交通系ICカードだったので履歴しか追えなかった。
とりあえず彼等の行き先に関しては同じ交通系ICカードの履歴から、カーフェリーで山口県周南市に渡ったあと徳山駅から山陽新幹線で東京に向かったのは突き止められた。勿論徳山駅の監視カメラの映像も確認したが彼等は「顔認識防止グラス」を使っていたらしく、顔相から人物特定をするに至らなかった。
「──とりあえずここまでか」
栗栖はタブレットPCに表示された結果を読み終えると、顔を上げて言葉を発する。
「これは……先手を打たれましたね」
思わずそう言葉を漏らすのは藤塚警視。その声には若干の焦りが滲んでいた。
「どちらにしてもこのヤマは難儀しそうだな。スハルト・ハッタ以外の2人は色々と用意周到みたいだからな」
長村警部も「こいつは私見だがな」と断った上でそう述べる。だがそれは紛れもない事実であり、栗栖もその意見に同調し首を縦に振る。
「とりあえずだ、スハルト・ハッタは同行者達に処分されたのはほぼ確定だろうし、それを踏まえて今後の行動指針を決めるとしよう」
状況が判断出来たのを見計らい、話を纏める栗栖。
「まず明日奴等が使用した民宿から同じルートを辿ってまず平波市勝井町に向かいたいと思う。奴等が途中高那市内でどう行動したのかは推測出来ているし、それを追跡しながらと言う事でどうだろうか? その後、同じ様にカーフェリーで徳山駅に向かい新幹線で東京へ戻ろう。もしかしたら他に見落としている点に気付くかも知れないしな」
と藤塚警視と長村警部、そしてルーツィアに提案する。その提案に全員が首肯して同意を示した。
「うん──では、この話は一旦ここまでにしておこうか」
そこまで言うと徐ろに腕時計を確認して、そう宣言する栗栖。その言葉に各々が腕時計を確認すると既に時刻は17時から18時になろうとしている所だった。
「確かにそうですね。あまり根を詰めても良い結果が出るとは限りませんし」
時刻を確認した藤塚警視は「気が廻らずすいませんでした」と軽く頭を下げる。
「まあ姫は真面目なのがウリだが、ちっとは肩の力を抜くのも覚えないとな」
その様子に少し意地悪い笑みを浮かべながらそう言う長村警部。それに対して「だから私には藤塚妃と言うちゃんとした名前が……」と抗議の声を上げる藤塚警視。
「まぁまぁ、藤塚警視も長村警部もそこまでにしておこう。確かに急を要する話ではあるが、俺達に今必要なのは「確たる証拠」であって功を焦る必要は無いんだから。それに明日はまた忙しくなるだろうしな」
2人の恒例と化しているやり取りを栗栖は苦笑しつつ宥めていると
「そうよ! 今はまだ単なる前哨戦だから良いけど、本格的に相手と一戦交える前には充分に休息を取らないと。それが戦に勝つコツよ♡」
藤塚警視ら2人のやり取りを黙って見ていたルーツィアが、栗栖の言葉に同調する様に自身の意見を言い表す。その表現は些か誇大な気もしなくもないが、的を得ているのは確かであり栗栖は苦く笑うしかなかった。
兎にも角にも話は一旦保留となり、ホテル内のレストランで美味しい料理に舌鼓を打った後、再び栗栖とルーツィアの部屋で細部に亘り翌日の予定を検討する一同。
その過程でルーツィアや藤塚警視から情報屋について色々と質問があったのだが、それに関しては端的に答えるに留まる栗栖。それを傍らで見ていた長村警部は苦笑していたが。
だがそれも午前零時過ぎには終えて各々の部屋に分かれると、それぞれ様々な想いを抱きつつもベッドで眠りに就くのであった。
だがそれはこの後に起こる大きな波の前の小さな引き波に過ぎなかったのである。
次回更新は二週間後の予定です。
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