〖act.26〗魔法使いと傭兵、桜雲の地に立つ
帰国の翌日──新羽田空港から1時間半余り掛け、栗栖とルーツィア、そして藤塚妃警視と長村直生警部の4人は桜の花が八分咲きになりつつある新北九州空港へと降り立っていた。因みに新羽田空港も新北九州空港も、世界規模の海面上昇に伴い新たに造成された埋立地に建設されたものである。
「やはり北九州は東京よりは暖かいな」
空港の到着ロビーで開口一番、栗栖はそう呟くと
「そうね。同じ日本でも随分違うのね」
「ただ東京から西下しただけなんですけどね」
「まあ今年は北九州の方が東京より桜が開花したのが早いがな」
あとから続くルーツィア、藤塚警視、長村警部が栗栖の呟きに口々に答える。当然国内線に搭乗するに当たり、栗栖とルーツィアは日米安全保障条約に基き手荷物等の検査はフリーパスであり、藤塚警視と長村警部も公安警察と言う事で、こちらも当然フリーパスである。
「さて、ではこの後は小倉北警察署に移動して車を借りる事にしましょう」
藤塚警視が小声で栗栖に告げるがそれに対する栗栖の答えは違っていた。
「いや、ここはレンタカーを使おう」
「えっ!?」
真逆の発言に慌てる藤塚警視とは違い長村警部はその意図を理解したらしく
「その方が良いな。何しろ黒姫さんとルーツィアさんは旅行に来ているんだからな」
と快く同意してくれた。
「で、でも……」
片や釈然としていない様子の藤塚警視には
「……つまり旅行者として来ている黒姫中尉達が用事も無いのに警察署に行き、更に警察の車両を借りたとなれば逆に目立つだろ?」
とこれまた小さな声で耳打ちする長村警部。その辺は流石年の功である。それを聞かされハッとした藤塚警視は「それは失念していました……」とこちらも小声で栗栖らに軽く頭を下げてくるが、それをやんわり押し留める栗栖。
「と、兎に角、クルマを借りましょうよ! 良いのが借りられればいいんだけどね!」
何とも言えない雰囲気を変えようと態と明るく話しかけて来るルーツィアの言葉に頷くと、栗栖らは気を取り直してレンタカーショップへと向かうのだった。
空港近くのレンタカーショップから、新型のプリウスPHVを一週間の予定で借りた栗栖達一行。誰が運転するかで栗栖と長村警部の間で少しやり取りが行われ、結局運転席に栗栖が乗る事になり、助手席にはルーツィアが、藤塚警視と長村警部は後部座席に乗り込んでいよいよ出発である。
「さて……と、先ずは桜川市を目指すとしようか」
栗栖はそう呟くとブレーキペダルを踏んでパワーボタンを押して電源を入れて、11.6インチの縦型画面のカーナビに住所を入力する。桜川市までの道程が表示されると道案内が開始され、栗栖が安全確認をしてからシフトレバーをDに入れアクセルをゆっくり踏む。すると滑るように静かにレンタカーショップの駐車場を出るプリウスPHV。
市道から県道245号に入り、東九州自動車道に向かい走るクルマ。
「何と言うか……運転に手馴れてますね、黒姫さん」
後部座席の藤塚警視が栗栖の流れる様な運転操作に感心したみたいに声を発する。
「そりゃまあ……A・C・Oで色々と叩き込まれたからね」
前を向いたままそう答える栗栖。バックミラーには少し苦笑している顔が映っている。
栗栖が言う通りA・C・Oでは各国の交通法規は勿論の事、ありとあらゆる車両の操縦技術、それこそホンダのユニカブやセグウェイから油圧ショベルやクレーン車、果ては型落ちであるがM1A2エイブラムス戦車やM1128ストライカーMGS装甲車までをも習得させている。
特に栗栖の場合、陸上以外だとクルーザー等のプレジャーボートの操縦の講義も受けており、日本の1級小型船舶免許も取得していたりするし、自家用回転翼機と自家用固定翼機の免許も持っていたりする。とりあえず操縦した事が無いのは大型船舶と大型航空機と宇宙船のみなのだ。
伊達にA・C・Oの地獄の入隊訓練を潜り抜けて来た訳では無いのである。
栗栖達を乗せたプリウスは県道245号から東九州自動車道に入り、そのまま南南東方向へと向かう。距離にして約64キロ、時間にして凡そ50分で目的地の桜川市に到着する予定である。
車内では後部座席に陣取った藤塚警視と長村警部がタブレットPCを使い、警察庁警備局国際テロリズム対策課と警視庁公安部外事三課、そしてA・C・Oが収集した情報の整理と再確認をしていた。
「しかしまぁ、改めてA・C・Oの情報収集能力は大したもんだなぁ」
タブレットPCに映る画面を見ながら長村警部が感心したみたいに声を上げる。そこには今朝一番に栗栖がダウンロードした、A・C・Oの現在把握出来ているテロ組織『狂気の番人』の構成員の顔写真と名前、国籍から最近の活動に関する一連の情報が映し出されていたのである。
「本当に……これ、全部個人情報ですよね? それをこんなに……」
同じ画面を見ている藤塚警視が溜め息を漏らしながら、偽造パスポートの写真と盛んに見比べている。そして特徴が似通った人物を5人ほどピックアップしていた。
「確認出来たかな? では……先ずお2人さんには自分のスマホに、ピックアップした『狂気の番人』のメンバーの顔写真をアップロードしておいて欲しい。それを使い、その構成員が逮捕されていた桜川市警や宿泊先に器物破損の被害者に聞き込み捜査をして欲しいんだ」
その一連の流れをバックミラー越しに確認した栗栖は2人にそう「頼む」。それを受け長村警部は
「了解した。まあ奴さんが暴れたスナックはともかく、市警には直接撮った奴さんの顔写真は残されているだろうしな」
と快く了承してくれた。藤塚警視も大きく頷いて
「それと桜川市警に行けば被疑者が宿泊していた所の詳しい情報が得られるかも知れませんしね」
とタブレットPCに映る画面を見ながら納得している。何故藤塚警視達がこんな事をしているかと言うと、本来なら事件の情報と共に被疑者の詳しい情報も開示されている筈なのだが、昔から公安部と警察との仲違いは有名なので、今回もご多分に漏れずと言う訳なのである。
「2人とも頼りにしているよ」
栗栖は笑顔で一言そう言うと、クルマの運転に専念するのだった。
東九州自動車道を走る事50分、クルマは桜川市に入るとインターチェンジから一般道へと下りてしばらく走り、今度は国道に入り市内中心へ向かう。やがてその国道と別の国道と交わる交差点に差し掛かろうとする時
「ではこの辺で」
信号の手前で藤塚警視が栗栖に短く声を掛けて来た。
「ここからなら桜川市警察署まで1キロ余りですので私と長村は歩いて署に向かいます。黒姫さん達はどうします?」
「俺達はとりあえず市内観光をしながら拠点になる宿を確保しておくよ。何せ初めて訪れた街だから今のうちに地理を覚えておきたいしな。宿が決まったらメールを入れておくから、其方の案件を終えたら宿で合流しよう。何かあったら俺の衛星通信端末に連絡を」
藤塚警視の問い掛けにそう答える栗栖。藤塚警視は「わかりました」と答えると、ルーツィアにタブレットPCを手渡し、左の路側帯に寄せて停めたクルマから降りると、運転席の栗栖に軽く頭を下げてから長村警部を伴い、県道の方へと歩いて行ったのだった。
それを確認すると栗栖はルーツィアに手渡されたタブレットPCを操作し、桜川市の観光案内所の電話番号を検索し、カーナビに表示された電話番号を打ち込み観光案内所までの道程を表示させると、再びクルマを発進させるのだった。
市内をあちこちと巡りつつ向かった観光案内所で観光マップとパンフレットを貰いながら、常駐しているスタッフに桜川市の観光名所とホテルの情報を聞くと「近くにある神宮が桜の名所」である事、神宮の2キロ圏内に幾つかホテルがある事を観光マップを使い案内してもらった栗栖とルーツィア。
場所的な事を考え、少し戻る事にはなるが先程藤塚警視らと別れた交差点近くにある川沿いのホテルに泊まる事にし、案内所から電話を掛けツインルーム1つとシングルルーム2つ取れるかどうか確認すると運良く空いているとの事だったのだが、丁度正午を過ぎた時間でチェックインまでまだ3時間あり、それならとホテルの駐車場に車を置かせてもらいたい旨を頼むと快く了承してくれたので、栗栖達はスタッフに礼を言うと案内所を後にホテルへと向かった。
程なくしてホテルに到着し、パーキングに車を停めるとフロントに声を掛けて荷物を預ける栗栖。そうして徒歩で昼食がてら桜の名所たる神宮へとルーツィアと2人で向かう事にした。
藤塚警視達にはその事も含めたメールを送信済みであるのは言うまでもない。
国道沿いをゆっくりと徒歩で神宮へ向かう途中、ルーツィアたっての願いで神宮近くにあった定食屋へと入り昼食をする栗栖達。
栗栖は名物とり天定食を、ルーツィアはカツ丼をそれぞれ頼んだ。何故ルーツィアがカツ丼を選んだのか不思議に思った栗栖の問い掛けに、少し恥ずかしそうに「米国を発つ前に日本食をリサーチしていたらカツ丼の記事を見つけて気になっていた」とカミングアウトをするルーツィア。そんなルーツィアを微笑ましく思いながら食事を終えると、定食屋を後に案内所で薦められた神宮へと向かう2人。
そこにはルーツィアの「日本の文化を出来るだけ体感したい」と言う願いを叶えさせたいと言う栗栖の配慮があった。
ホテルから徒歩で40分、並木道を抜け桜が咲く仲見世通り側を脇に見ながら奥へと歩みを進めると、朱色の大鳥居と共に咲き誇る桜が目に飛び込んでくる。
「ふわぁ……」
その見事なまでのコントラストに目を奪われるルーツィアを促して大鳥居を潜る栗栖。
大鳥居を潜り抜けた先には荘厳な朱塗りの社殿が見え、栗栖達はそのまま参道を歩き、手水舎で手と口を清めると左へと進み、緑生い茂る参道を上宮を目指して歩く。
栗栖がルーツィアに参拝作法をレクチャーしている間に別の朱色の鳥居が見え、それを潜り上宮に到着する2人。上宮の左手の一之御殿から順に参拝を始めるのだが、勿論ルーツィアはレクチャー通り二礼四拍手一礼を守っている。やがて上宮の三之御殿まで参拝すると、今度は下宮に向かい上宮と同様に参拝する栗栖とルーツィア。そして──
「ふわぁ、これが桜……」
神宮での参拝を終え、仲見世通りの川沿いにある桜並木を歩く栗栖とルーツィア。その淡いピンク色の花を仰ぎ見ながら
「クリス、桜ってとっても綺麗ね! それに可愛い♡」
と燥ぐルーツィアを優しげに見つめる栗栖。
「ん? そう言えばルーツィアは米国の桜を見ていなかったのか?」
確かにA・C・O本社が置かれている米国の都市にも桜はあった筈なのに、と疑問に思う栗栖の問い掛けにルーツィアは
「うーん、見た記憶が無いわね。多分その頃ってA・C・Oの入隊訓練に明け暮れていた頃じゃないかしら?」
恐らく精神的に余裕が無かったから周りが見えていなかったかも、と苦く笑うルーツィア。
「そうか……」
栗栖もつられて笑うと桜へと視線を向ける。頭上には今を盛りに咲き誇る桜の花。ふと視線を自分の横に向けると、そこには桜の花にただ見入るルーツィアの横顔があった。
その時不意に強い風が桜並木を吹き抜け、風に煽られた桜の花弁が春の淡雪の様に舞い踊る。その様子に更に瞳を輝かせ魅入るルーツィアを、栗栖はただ優しげな眼差しで見ているだけだった。
──プルルルル
そんな平穏な空気を破るかの如く、栗栖のポケットの衛星通信端末が着信音を鳴らす。取り出し見ると発信者は藤塚警視だった。
「──もしもし?」
今だ桜の乱舞に夢中なルーツィアをそのままに電話に出る栗栖。
『あっ、もしもし黒姫さん?! 被疑者が特定出来ました!』
藤塚警視の慌てた、そして気が急いた様な声が栗栖の耳に飛び込んで来たのだった。




