〖act.23〗魔法使い、白銀と招宴と感涙
慌ただしかった月も移ろい、新しい月を迎えた。寒さは厳しくなったが例年に比べ積雪は少なく、まだ今年は凌ぎやすかった。
「今日は積もったな……」
それでも偶にこうした風に雪が積もるのはやはり季節なのだと、栗栖は部屋の窓から眼下に広がる雪景色を見ながら思うのであった。
(それでも20年前よりは暖かいんだがな)
栗栖が子供だった20年前は地球温暖化が声高に叫ばれていて、事実この20年で地球の平均気温は1.5度上昇しており、米国や孟加拉国、中国、埃及、印度、印度尼西亜、日本、比律賓、越南では、気温上昇の所為で海面上昇が起こり約5000万人が沿岸部の浸水拡大で移住を余儀なくされていた。
他にも温暖化による経済的損失は世界各国満遍なく起こり、世界情勢は決して安寧秩序とは言い難い状況であった。
(まぁだからこそ奴等が生まれるんだがな)
その最たるのが『深緑の大罪』なのだ、と思う栗栖。だがそこまで考え軽く頭を振る。
「……俺は一体何を考えているんだ?」
何れ奴等とは決着をつけるにせよ、思考が直ぐにそちらの方向に向くのはもはや厭世的思考だな、と窓に微かに映る自分の姿に突っ込みを入れる栗栖。そして大きく息を吐いて両頬をパンッと自分の手で叩き、気持ちを切り替えるとA・C・Oに出社する準備を始めるのだった。
「綺麗な雪景色ねぇ……」
4WDの助手席でポツリ呟くルーツィア。
「向こうの世界でも雪は良く降るのか?」
ハマーのハンドルを握りながら、その呟きに質問を重ねる栗栖。摩天楼のビル群はその上にすっかり雪を被り、無機質な灰色に雪の白が映えている。
「そうねぇ、私が暮らしていたクレティアの王都も結構積もっていたわ。私はこの白い雪が好きなの。白くて穢れの無い白い雪がね。あの中に埋もれたら自分自身が一片の穢れ無く浄化されそうな気がするのよ」
そう言って笑うルーツィア。そして続けて「まあ、自分がそんなに穢れているとは思ってないんだけど」とも言う。
「そうか……俺が暮らしていた所は降るには降ったがあまり積もらなくて、大した遊びも出来なかったんだけど、日本の本州北の地方やその更に北では色んな遊びや行事が行われていたよ」
片や栗栖は日本での雪の楽しみ方を話したりする。
「へえ?! どんな遊び?」
「うん、雪が多い地方だと『かまくら』と言って雪を丸く少し積んで水を含ませ、スコップで突き固めその上にまた雪を積んでを繰り返し、人の背丈ぐらいドーム状に積み上げてから、中をくり抜いて『家』を作ってその中で料理を楽しんだりお喋りしたりするんだ。あとはもっと多く大量に積み上げて『雪像』を作ったりするのもあるぞ」
黙って話を聞いていたルーツィアは、栗栖が語り終えると目を輝かせながら
「『かまくら』に『雪像』かぁ……この目で見てみたいわねぇ」
まだ見ぬ風景を想像し思いを馳せる。
「そこは以前約束した通り、俺が責任を持って連れて行ってあげるさ」
そんなルーツィアを微笑ましく思いながら、彼女にそう言葉を掛ける栗栖。
「えっ?! あ! そう言えば前にそんな事話してたわね!」
その言葉を受けルーツィアは思い出したらしく、期待に声を弾ませる。
「それじゃあ、クリスに日本に連れて行ってもらえるまでは向こうに帰れないわね!」
「おいおい、それじゃあ俺が君を引き留めているみたいに聞こえるじゃないか?」
ルーツィアの台詞に思わず突っ込みを入れてしまう栗栖。車内は2人の明るい笑い声に包まれるのであった。
「そう言えば」
A・C・Oに着いてディビジョンSの事務室に向かう廊下の途中、ルーツィアが何かを思い出したみたいに話し掛けてきた。
「なんだい、ルーツィア?」
「明日は何の日か覚えているかしら?」
そう言うと何やら期待に満ちた目で栗栖を見やるルーツィア。その質問の答えに直ぐにピンと来たが
「明日? 何かあったか?」
と態と調弄す様に恍ける栗栖。するとルーツィアは頬を膨らませると
「えー?! 何で覚えていないの?! とっても特別な日じゃない!」
偉く不機嫌な声色で栗栖に抗言して来る。あまり機嫌を損ねる訳にもいかないので栗栖はニコリと笑いながら
「ちゃんと覚えているよ、ルーツィア。君がこちらの世界に来た日だろ?」
彼女が求める正解を口にする。栗栖のあまりにも見事な小芝居に一瞬キョトンとしたルーツィアは、自らが担がれていた事を悟ると
「何よ〜、覚えていたじゃない!」
両目を細め栗栖の事を睨みつける。
「あはははっ、悪い悪い。ちょっと揶揄ってみたんだ」
「んもう、知らない!」
言葉と違い悪びれた様子で無い栗栖に、抗議の声を上げそっぽを向くルーツィア。2人の様子を怪訝そうな顔で他の部署の隊員達が眺めながら通り過ぎて行く。
「ま、まあ、その話は後でな」
ルーツィアの態度に慌てた栗栖は、そう言うと彼女の手を取りオフィスへと急ぐのだった。
「クリス中尉」
慌ただしくルーツィアと共にオフィスに来て、仕切り板で仕切られた半個室のデスクで回って来た書類を片付けていた栗栖に、横合いから声が掛かる。顔を向けると自身の小隊のコナー・オーウェル中尉であった。ルーツィアは隣りの椅子に不機嫌そうな顔で座って黙々と新しい【言霊回路】の設計をしている。
「何だ、コナー中尉?」
「はい、明日の作戦に関して確認をお願い致します」
「? そんなオペレーションが有ったかな……」
疑問を抱く栗栖にコナー中尉はB5サイズの一枚の紙を差し出す。栗栖は首を傾げながらその紙を受け取り目を通すと、ふむ、と呟き
「……なるほど、了解した。するとグエン中佐には?」
「はい、既に確認済です」
真顔で読み終えた紙を返しながらそう確認し、あちらも真顔でそう答える。その一連の動きを隣りに居たルーツィアは怪訝そうな、そして不機嫌な顔でただ見ているだけだった。
そんな事があった翌日、普段より遅く栗栖と共にA・C・Oに出社したルーツィア。車内は勿論、会社に着いてからも昨日に引き続きご機嫌斜めである。
特に今日は自分が地球に転移して来た日だと言うのに、何時もと変わらない栗栖の様子に少し苛立ちを感じていたからだ。折角誘われても良い様にドレスアップして来ているのにと言うのもあるが。
そうは思いながらも栗栖の後を黙って付いて歩くルーツィアは、ふと栗栖がオフィスに向かっていない事に気付いた。
「……ねえクリス、オフィスは向こうよ?」
「いや、今日はこっちで良いんだ」
今日初めての言葉を素朴な疑問として口にするルーツィアに真面目な顔で答える栗栖。それを聞いたルーツィアが頭を捻っているうちに「着いたぞ、ここだ」と言う栗栖の声に気が付くとそこは──
「会議室?」
「そうさ。さあ入った入った」
何事かと戸惑うルーツィアを中へと促す栗栖。ルーツィアは顔に疑問符を貼り付けながらもミーティングルームの扉を開ける。すると──
『Thank you for coming to work party!』
入室したルーツィアに向けて一斉に拍手が巻き起こる! そこにはグエン中佐が、シモーヌ博士と研究区画の研究員達が、アンネリーゼ少佐とディビジョンAのメンバー達が、D.Dが、そして栗栖の小隊のメンバー達が皆でルーツィアを拍手で出迎えたのである。
突然の事に目を見開き硬直するルーツィアを尻目に後ろから栗栖が笑いながら事情を話し始めた。
「実は皆が今日と言う特別な日に備えて色々と準備をしていてくれたんだ。俺も昨日教えられたんだけどな」
「まあ会場はグエン中佐が上と掛け合ってくれたんだけどさ。私達は会場の設営をしたりお金を出し合って配膳提供サービスを手配しただけなんだけどねぇ」
栗栖の言葉をシモーヌが笑いながら引き継いで説明してくれた。その説明を受けたルーツィアは再起動して目を瞬かせると──その瑠璃と紫水晶の瞳を潤ませる。
「本当は俺だけで今夜君を正餐に誘うつもりだっただけどな」
そんなルーツィアの様子に気付かず自身の思いを口にする栗栖が振り返ると、ルーツィアが両目から涙をポロリと零していた。
「ルーツィア?」
「あっ、えっ、あれ?」
自らの落涙に驚くルーツィア。慌てて手で涙を拭うと
「ご、ごめんなさい、驚かせちゃって。本当にありがとう、皆んな。とっても嬉しいわ、もう涙が出ちゃうくらいにね♡」
会場の皆んなに涙で濡れた目のまま、少し戯けて見せる。
「さあ、こちらに来てルーツィアさん。今日は貴女が主役なのだから楽しんでくださいな」
アンネリーゼが気を利かせ、そうルーツィアに声を掛ける。
「そうだぞルーツィア。折角の上手い料理が冷めちまうぞ!」
D.Dも陽気な物言いでこちらに来るように促す。
「ルーツィア嬢」
グエン中佐が穏やかな声で彼女の名を呼ぶ。
「事故でこの世界に来てしまった君にこの言葉は適切では無いのだが──我々は君と知り合えた事を本当に感謝しているのだよ。だから敢えてこの言葉を贈らせて欲しい。『本当にありがとう』と」
そう言うと軽く頭を下げるグエン中佐。そして彼女に笑顔を向けながら
「さあ、アンネリーゼ少佐も言ったが君が主役なのだ。こちらに来て乾杯の音頭を取ってくれたまえ」
そうグエン中佐に誘われ、涙に濡れた顔で笑みを浮かべたルーツィアは栗栖と共に皆んなの輪へと加わるのだった。
感涙に咽んだサプライズパーティーも終え、本社をあとにする栗栖とルーツィアの2人。栗栖は言った通りディナーを予約したレストランへとハマーを走らせていた。
「とっても楽しかったわぁ……」
ハマーの助手席でまだ余韻に浸っているルーツィア。皆んなからの祝福が本当に嬉しかったみたいである。
「凄く喜んでもらえて良かったよ」
それを見て笑顔を見せる栗栖。出社した時は気付かなかったが、ちゃんとスーツを着ていた事に改めて気付いたルーツィアは
「クリス、ごめんなさい。クリスはちゃんと色々と考えていてくれていたのに、私ったら些細な事でへそ曲げちゃって……」
と申し訳無さそうに項垂れる。その肩に優しく手を掛けると
「俺は気にしてないから。だからそんな顔をしないでくれ、ルーツィア」
笑顔でそう告げる栗栖。勿論運転には注意を払っている。
「それに俺も巫山戯たのが悪かったんだからお互い様だよ」
「うん……ありがとうクリス……」
栗栖の台詞に漸く愁眉を開くルーツィア。潤んだ瞳で栗栖を見つめている。
「と、兎に角アレだ、ディナーにはこの辺でも有名なフレンチ・レストランを予約しておいたんだ。これでも奮発したんだぞ?」
その様子に心臓の鼓動が跳ねたのを隠す様に、別の話題へと無理矢理持っていく栗栖。心做しか頬が熱い。ルーツィアはそんな栗栖を瞬がずに見入っていたが
「うん、とっても楽しみだわ♡」
と花が綻ぶ様な笑顔を彼に向けるのだった。その笑顔に更なる胸の高鳴りを感じた栗栖は、誤魔化す様にわざと正面を向いて運転に集中する素振りを見せる。
今宵の月は煌々と、2人を祝福する様に雪化粧の摩天楼を白く照らしていた。




