〖act.16〗傭兵、病室の虜囚になる
作戦『正鵠』から二週間──栗栖はA・C・Oのメディカルセンターに入院していた。今回の作戦で無理をしたので療養の為である。
「また随分と無理したね、クリス」
シモーヌ・ヘルベルク博士がベッドの上で上半身を起こしている栗栖に笑いかける。
「まあ必要に迫られて、な」
一方の栗栖は対象的に苦笑している。
「しかし……本当に久しぶりに使ったね、『思考行動加速』」
「ああ」
「良く生身で発動させたものだね。身体強化剤も使わずに」
今度は呆れた様に話すシモーヌ。そもそも『思考行動加速』は人の肉体能力・思考能力を念動力で無理矢理加速させる事なのだ。
なので当然身体にかなりの負荷が掛かるので、筋力増強剤や神経刺激剤を組み合わせた身体強化剤と言う薬剤を無針圧力注射器で投与しなくては、発動後に反動に苛まされる事になる。
「今回は無針圧力注射器を持っていかなかったからな。ただ──」
「わかっているわかっている。アレを使わなかったら被害が拡大していたからだ、だろ? しかし君はもう少し自分の事を大切にすべきだと思うんだけどね」
栗栖の台詞を聞いて心底呆れた様に両手を広げ肩を竦めるジェスチャーをするシモーヌ。因みに身体強化剤はシモーヌが調合している副作用無しの逸品である。但し効果は現実時間で5分間しか無いが。
「まあ暫くは大人しく寝ていたまえ。これは君の主治医としての意見だからね」
「ああ、そうさせて貰うつもりさ」
シモーヌの忠告に素直に頷く栗栖。その眼はまだ充血している。そんな話をシモーヌと繰り広げていると、病室のドアを誰かがノックする音が響き栗栖は「どうぞ」と声を上げる。ドアが開けられ顔を覗かせたのはルーツィア。
「クリス! ……あっ、シモーヌも居たのね?」
「……私はお邪魔かい、ルーツィアさん?」
ルーツィアの物言いに態とらしく肩を落とすシモーヌ。
「えっ、えっ? そんな意味で言った訳じゃないんだけど?!」
そのシモーヌの様子を見て慌てふためくルーツィアを揶揄うように
「クリス〜、ルーツィアさんが私に冷たいんだよ〜」
と泣き真似をしながら栗栖に態とらしく抱き着くシモーヌ。それを見てルーツィアの表情が強ばった。
「……シモーヌ、巫山戯過ぎだぞ。ん? ルーツィアどうした? 【猛炎弾】なんか出したりして」
シモーヌはクリスの台詞に慌ててルーツィアの方を振り返ると、そこには顔を真っ赤にして肩を怒らせているルーツィアの姿があった。だが魔法術は発動させていない。
「ぷッ、ぷふふ、あはははは!」
いきなり吹き出す栗栖に自分が担がれた事に気付くシモーヌ。
「ク〜リ〜ス〜?!」
「あはは、悪かった悪かった。だがこれでルーツィアとお相子だろ?」
「ゔっ!」
栗栖を咎める様な声を上げたが、逆に言いくるめられて言葉に窮するシモーヌ。そしてギブアップとばかりに両手を上げる。
「ああ! わかったわかった! 私が悪かったよ。だから許してくれたまえ!」
「それは俺に言わないでルーツィアに、な?」
「ルーツィアさん、ごめん! 君とクリスがいちゃついているのを見るとつい茶化したくなってね……悪ふざけが過ぎたようだ! 本当に御免なさい!」
栗栖に言われ、ルーツィアに謝罪の言葉を告げるシモーヌ。そうして何度もルーツィアに「ごめんね」と謝りながらシモーヌは這う這うの体で病室を出て行くのであった。
慌ただしくシモーヌが去った後、まだ直立不動でいるルーツィアを怪訝そうに見やる栗栖。良く見ると「シモーヌったら……いちゃついているだなんて」と今度は羞恥に顔を紅く染めている。このままルーツィアの百面相を眺めている訳にもいかず
「それでどうしたんだ? ルーツィア」
と気付かぬ振りをして声を掛ける栗栖。
「ハッ?! あ、えと、な、なにかしら?」
栗栖から声を掛けられ現実に引き戻されたルーツィアはしどろもどろである。その反応に思わず苦笑しながらも
「ルーツィアは俺に何か用事があるんだろ?」
と聞き直す栗栖。それを聞いて「特に用事とか無いんだけど……ね」と曖昧な笑みを浮かべ
「それは貴方の事が気になってなんだけど……」
と小声で呟くルーツィア。因みにルーツィアは栗栖が入院して以来、2日と空けず病室を訪れている。
「ん?」
「ッッ! な、何でもないなんでもない。そ、それより具合はどうなの?」
「ああ、少し良くなって来たよ。まだ節々が痛むけどな」
慌てて話題を変えるルーツィアを微笑ましく思いながら、振られた話題に答える栗栖。
「やっぱり……あの時【癒し】を掛けたけど、効果が薄いわね……」
実はルーツィアは『思考行動加速』を使った直後の栗栖に、治療魔法術【癒し】を掛けてくれたのだが思いの外回復しなかったのである。
急に真顔になり呟くルーツィアに栗栖は気になった事を聞いてみる。
「なぁルーツィア、1つ聞いていいか?」
「なに?」
「その【癒し】なんだが、どう言った魔法術なんだ? こっちの世界だと想像の産物なんだ」
「そっか、クリスには馴染みが無いからその質問は当然ね」
栗栖の質問に自分の思考を止め向き直るルーツィア。
「【癒し】って言うのはね、主に薬が飲めないとかの場合に、体調不良や病気を治療する魔法術なのよ」
「つまり医学的に言うと内科的処置になるのか……」
ルーツィアの説明を聞いて自分の考えを口にする栗栖。それを頷きながら聞いていたルーツィアは
「確かに医学的に見るとそう言う事になるわね」
栗栖の考えが正しい事を是認する。
「すると……俺のこの『思考行動加速』による弊害は内科的な物じゃないって事だな……」
「そうね……クリスの症状を見て【癒し】を使ったんだけど、効果が薄いって事はそう言う事よね…………?……アレ?」
栗栖の呟きに何かを感じたルーツィアは再び思考の海に沈降する。
「……私はクリスの様子からそう判断したんだけど……もし内科的要因じゃなく外科的要因だとしたら…………! あ、あああ!」
思考の海から急浮上したルーツィアが大きな声を上げ、それに驚く栗栖。そんな栗栖にお構いなくルーツィアは手をポンと叩くと
「そうよ!すっかり失念していたわ! この場合なら【治し】なら効果があるかも知れないわ!」
難解な問題が解けたクイズの解答者みたいに1人で納得している。
「ちょっと待て。何なんだい、その【治し】って?」
「論より証拠、やればわかるわ。──【治し】」
栗栖の質問に実践して答えるルーツィア。彼女は栗栖に対し手を翳すと短く詠唱し、翳した手から生まれた円環が栗栖を頭上から透過して行く。次の瞬間!
「ぐっ!? ぐうぅぅぅぅぅぅ!?!」
栗栖の全身を激痛が襲った!
「?! クリス?!」
あまりに突然の出来事に悲鳴に似た声を上げるルーツィア。彼女の目の前にはベッドに蹲る栗栖の姿があった。
あまりの痛さに顔を歪めるとベッドにドサリと横たわる栗栖。
「クリス!? クリス?! 大丈夫?!?」
こんな事態になるとは予想していなかったとは言え、自身が掛けた魔法術で苦しむ栗栖を見て泣きそうな顔で慌てて容態を確認してくるルーツィア。
「……大丈夫……だ。少し痛かっただけ……だ」
漸く身体の中を駆け巡った激痛が収まり始め、何とかそれだけ言葉を発する栗栖。
「ごめんなさい! こんなにクリスが苦しむなんて思いもしなかったわ!」
目に涙を溜めながら謝罪の言葉を口にするルーツィアの頭に手をポンと乗せて「大丈夫だよ」と優しく言う栗栖。
暫し時間が経ち、お互いに落ち着きを取り戻した栗栖とルーツィアは、先程の起きた現象について話し合い始めた。
「本当に大丈夫なの、クリス?」
「ああ、痛みはすっかり引いたよ。もう大丈夫だ」
先程の苦しげな表情から一変、笑顔で答える栗栖。
「それにしても【治し】でそんなに激痛が起きるなんて今まで聞いた事が無いから本当に心配しちゃったわ……」
「そうなのか? 何が原因だったんだろうな……俺はてっきりこうしたのが普通かと思ったんだが……」
「ううん、普通は激痛が走る事なんか無いわ。本来【治し】は怪我人の治療に使われる魔法術で、怪我の治すのはもちろん怪我により失われた部位を修復させる効果があるのよ」
「……つまり内科的な【癒し】に対して外科的な【治し】と言う訳か」
「そうね。クリスから聞いた話と様子から怪我に近いのかなと思って使ってみたんだけど……これは駄目ね」
目に見えてがっくり落ち込むルーツィアに栗栖が声を掛ける。
「いや、そうでも無いぞ」
「?」
「ルーツィア、俺の目を良く見てくれ」
「うん? あっ! 充血が消えている!?」
「【治し】を掛けられてから目にあった違和感が無くなったから、もしやと思ったんだが……やっぱりか。そもそも眼球の結膜下出血は完全に消えるまで二ヶ月は掛かると言われていたんだよ。それに身体の具合もさっきよりかなり良い感じだ。何と言うか……今まで噛み合わせが悪かった歯車が噛み合った感じと言えばいいのか……頭の中にあった靄が少し晴れた気がするよ」
そう言って肩を回して元気さをアピールする栗栖。ルーツィアが栗栖の為にしてくれた事で栗栖に苦痛を与えた事を、ルーツィア自身が気にしない為のアピールである。
「そうなのね! 効果はあるのは嬉しいんだけど……でもそうしたら益々さっきの痛みが何なのかわからないわね。何が痛覚を刺激を与えたのか」
「それなんだが、仮説なら立てられるぞ」
「うん? どう言う事?」
「俺を精密検査したシモーヌの話を思い出した。俺の体内の神経の何ヶ所かが『思考行動加速』の影響で損傷を受けていたんだよ。恐らく検査で判別がつかない末端の神経組織なら更に損傷の数が多いんじゃ無いかと」
栗栖がそこまで言うと天啓を得たみたいにルーツィアが、その台詞の続きを口にする。
「わかったわ! その損傷の受けていた多くの神経組織が魔法術で急激に治ろうとして、結果としてそれが痛覚として知覚されたって訳ね!」
「恐らくは、な。身体中の神経組織が一斉に治ろうとしたからこそだと思う。もしかしたら本来は【治し】や【癒し】でも神経組織の痛みはあると思うんだが、病気や怪我の体調不良から気付かないだけかも知れないな」
栗栖は自分の推論を述べ、ルーツィアがそれに相槌を打つ。
「なるほどねぇ、そうした事は実験した事が無いから気付かなかったわ。そもそもそんな事を前提で考えないし──でもクリスが言う通りだとすると、【癒し】や【|治し《ヒール
》】もまだ改良の余地があるって事ね」
そう言うと目を爛々と輝かせ「これは早速設計しないと」と興奮気味に話すルーツィア。まさに技術者の顔である。
「ありがとうクリス! 貴方のアドバイスって最高に素敵だわ♡」
「喜んでもらえて何よりだよ。だけど──」
笑顔で答える栗栖が急に言い淀む。
「だけど、何?」
「その改良した魔法術の実験台は俺じゃないだろうな?」
栗栖の台詞を受け、一瞬キョトンとするルーツィア。少し間を置き、どちらともなく笑い出す2人。
病室の中に栗栖とルーツィアの明るい笑い声が響くのだった。
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