堕天使とすることに(3)
この目で見た黒い羽や聞こえてきた声、妙な力。そのことを深く考えるのは理解できないのでやめた。
大男ブルガーを空の果てへと飛ばし、周囲は安堵と困惑で入り乱れた。しばらくしてから何を思ったのか、一人の拍手が起こった。そこからまた一人、二人三人と次々に増え続ける拍手と喝采。
やがてそれは、シリアへの称賛を意味していたことに気づいた。シリアを称えているかのような光景。シリア自身が起こした奇跡が大男を空の彼方まで飛ばしたのだと人々は判断し、拍手したのだろう。
こちらから見る限り、シリアに致命傷たる怪我はなさそうで、小さなアザが顔に残る程度で済んだ。そして、平気そうに軽く片手を上げ、人々に振る舞う。
ベラは、目に涙を溜めつつも笑顔で、座り込むシリアに抱きついていた。
セルビアも緊張が解けたような表情を浮かべ、二人に近づく。
「皆さん……一度、戻りましょう。堕天クロさん、すみませんがシリアさんを背負っていただけますか」
シリアを背中に担ぐようにセルビアに促される。
首を横にフルフルと振るシリア。
「大丈夫……歩けるよ。堕天使クロアチアに迷惑を……じゃなくて、ふ、触れたくな――――――痛っ!」
そのまま立ち上がろうとしたが、痛そうに顔をしかめる。フラッと足がおぼついた瞬間、ベラがシリアの両肩を支える。
「早く背負いなさいよ。クロ、アンタの役目よ」
鼻声のベラに通告される。背中をシリアに向け、しゃがみ込む。
シリアは動かず渋っていたものの、しばらくして無言で僕の首に軽く腕を回し、身体の体重を預けてくる。天使の重……軽く柔らかな感触を背中に感じつつ、シリアの両脚を両腕で持ち、立ち上がる。
「あ、あれ……ちょっと待って。天使ベラルーシ、私の……見えてないかな……?」
隣にいるベラに向かってシリアが声を出す。
セルビアが先に宿の方向へ歩き始めた。後に付いて行く。
「大丈夫よ、『綿雲』でちゃんと隠すから安心するといいわ」
「うん……でもさ……。あっ、堕天使クロアチアは……気にしなくていいからね。これ以上は、聞こえないように耳を塞いでおくよ」
さっきから君達は何のことを言っているんだい? 堕天使クロアチアさん気になっちゃ―――ギャアァァァソレ目玉ァァァ!
「これで、問題ないね」
不意の目つぶしを食らった。
丸聞こえだったが、激痛でそれどころではなかった。
――――――ともあれ歩き続け、目玉以外は無事にセルビアの宿に到着することができた。
セルビアに大きなベッドのある部屋に案内され、そこにシリアを寝かせる。
「シリアさん、待っててくださいね。今、近くのお医者さん呼んできますから」
セルビアはシリアに優しく呼びかける。
「その必要はないわ、ここは私の出番じゃないかしら?」
ベラは『綿あめ』からゴソゴソと手を突っ込み、透明の液体が入った小瓶を取り出す。
「ベラさん、そのお水は?」
「これは天使の必須アイテムの一つでもある『大天使様の涙薬』よ」
そう言うと小瓶の蓋を開け、胡散臭い名前の水を一滴ずつ、シリアの両目に垂らす。目薬をさすのと同じ感覚だろう。
そこにはいつになく真剣なベラの姿。
「この薬は、どんなに重い病気や大怪我、身体に対するダメージを治す効能があるの。ついでにそのアザも綺麗に消えちゃうとっておきなのよ。ただ、副作用があって極度の眠気ですぐに眠ってしまうことね。まぁそう心配しなくても、ちょっとしたお昼寝みたいなものだと思えばいいかしら」
少し切なそうにも聞こえる声音は、不思議と彼女を凛とさせる。
「天使、ベラルーシ……恩に着るよ……その、雲にね」
シリアはさっそく薬が効き始めたのか、いつもより少し弱い声だった。
「一言多いってのよ……まぁいいわ。私は少し休ませてもらうことにするわ。セルビア、お部屋貸してくれないかしら?」
「え……あ、はい! ただいまご用意いたしますね。シリアさん、またすぐに来ますから」
バタンッと扉を閉め、二人は部屋を後にする。
シリアはしばらく安静が必要だろうし。
続けて部屋を出ようとした。
「……待って」
扉に手をかけたところで引き止められる。
「助けてくれたんだね――――――クロアチア……」
その言葉に、驚き振り向いた。
しかし、シリアは静かに寝息を立てるだけだった。