堕天使とすることに(2)
やっと宿から外に出れたのは、昼近く。
救援者たるものを探し歩いているが、街の人たちは至って穏やかな雰囲気だった。
「私思うの。アンタがそこら辺にいる人を襲えば、手っ取り早いと思うわ」
ベラが僕の方を向き、いきなり何を言うかと思えば、とんでもない内容だった。
「確かにね。ここは平和すぎるし、堕天使クロアチアが一肌脱いで騒ぐことで、助けを求める人が出るかもだし……」
冷淡すぎやしませんかシリアさん。
こういう時だけは二人の主張に、食い違いのないことが腹立たしい。
「堕天クロさんに人を襲わせるのは良くないと思いますが……」
普通にメンバーとして加わっちゃっているセルビアお姉さんは細々とした声で、会話に参加する。
さり気なく堕天使クロアチアの名を略称され、密かに感じていた名前の迫力や凄みが一気になくなってしまった。
「どうすればいいのよ。このままじゃいつまでも帰れないし、稼げないじゃない」
「この町を離れて、他の町にも移動するような資金すら持ち合わせてないからね」
「もっとたくさん困っている人がいて、声を掛けてくだされば……」
三人の元気はなくなるばかり。天界は非常に残酷な試練を与えたようだ。
先の見えない現実に落胆していると目の前からドカドカと歩いてくる男が見えた。
女性や子供は到底、比べ物にならない。成人の男性の倍はあるだろうか。凶悪なまでの筋肉と横長な体格の大男。いかつい顔立ち、体の様々な部位に大量のアクセサリーを身に付けている。
「なんだァガキども……この俺の通る道を阻むとはいい度胸してるじゃねぇかァ! さっさとどきな」
大きな影に飲まれ、声を荒げる大男。どちらも歩く道を譲らず鉢合わせになってしまった。
流石に抵抗するには不利すぎる。潔く頭を軽く下げつつ、道を譲ろうとした。
「……邪魔よデカブツ。でかい態度のあんたを相手にしている暇はないわ」
「うん、いきなりで失礼にも程があるよ。君が道を譲ればいいんじゃないかな」
恐れ知らずと言うのだろうか。ベラとシリアは慄然とする様子もなく、ナチュラルに言い返す。
「あ、ああ、あのベラさん! シリアさん! この方はブルガーさんと言って、街でも横暴な性格の一人で、怒らせると何をするか分からない人なんです!」
焦ったセルビアが二人に忠告する。
「その姉ちゃんの言うとおりだァ。俺が気に入らないやつは女でも許さねぇ」
大男はニヤニヤとしながらも、こちらを睨みつけていた。
「な、何言ってるのよ! いい? セルビア、こんなのよくある見かけ倒しだわ! 試してみましょ! ほら、これにっ――――――ヒビでも入れてみなさいな。まぁ無理でしょうけど! 今のうちに謝っといた方がいいんじゃないかしら?」
ベラはそう言って、大男に『綿あめ』から取り出した大きめのリンゴを差し出し、受け取らせる。
リンゴと言っても、よく知る物以上の大きさだった。人の頭ほどのサイズはあるだろう堅そうな代物だ。
いったい何を考えているのかと、ベラを見ると、セルビアとコソコソと囁くように話しているのが聞こえる。
「……さっきの話、本当なのかしら? もしかしてこの大男……結構危険?」
「嘘ではありません……! 彼の噂はよく聞きます。被害の多い話ばかりです。ここは素直に謝罪をされたほうが――――――」
「できるわけないじゃない……! でもまぁ……そういうことなら安心しなさい。あの果物に手こずっている隙に逃げるのよ……!」
察するに一応、彼女の作戦立てられた逃げる気満々の案らしい。
「ふんんッとォ! これでいいのかァ、お嬢ちゃん」
しかし、大男はあっさりと片手で粉砕機のごとくリンゴを握りつぶした。うんもうあれは人じゃない。
頭の上にポタポタとリンゴの汁と破片を落とされるベラ。
「ちょ、嘘!? 怪力ってレベルじゃないんですけど!?」
さっきまでの余裕は消え、顔の色が蒼白に変わるベラ。
「オイィ……馬鹿にしすぎだよなァ?」
拳を握りしめ、腕を上げる大男ブルガー。
「天使ベラルーシ、セルビア」
シリアが二人の前に立ち、ゴソゴソと服のポケットに手を入れ、何かを探る。
「シリア……?」
「確かにあれを砕いたのは予想外だったよ」
そう言ってシリアはブルガーに小さな袋を見せる。
それはセルビアから受け取った通貨コインの袋。
「……何のつもりだァ? そいつはァ」
「コインだよ。君の才能に祝杯の意味も込めて渡すから、これに免じて早く立ち去ってくれないかな」
よく見ればシリアの小さな手は小刻みに揺れている。
ブルガーは鼻で笑い、袋を取った。が、大きく腕を上げ、地面に叩きつける。辺りは通貨コインで散乱した。
「ハァア……舐めんなァ゛ァ゛ァ゛!」
「――――――っ!」
そして、シリアの頭を掴み、宙に持ち上げる。
「さっきのより砕きやすいなァこいつはァ」
「うぁ……ぁあ!?」
シリアは掴まれながらも、ブルガーの大きな片手から両手で抜けようとする。
しかし、抵抗は空しく、手の中からはシリアの痛々しい呻き声が聞こえる。
ベラは完全に立ち竦み、たまたま周りにいた人も何もしようとしない。ただ見ているだけ。
何もできなかった。自分のことも含め何もできず、ただただ苦しむシリアを見て、早く終わってほしいと願うしかなかった。
「やめてください! お巡りさん……呼びますよ!」
一人だけ、その勇敢に叫ぶ声はセルビアだった。
「フンッ。とっとと呼ぶんだなァ。今更あの腰抜けどもに何かできるとは思えんがァ」
ブルガーは拳を握りしめ続ける。
「――――――貴方が、その天使を、守りなさい」
突然、その声は頭に響き渡った。
近くにいる誰かというわけでもない。
『ヤットシャベレール装着イメージシーケンシャル開始。完了。インスト』
不思議な音声と共に自分の身体から羽のような光が発せられる。黒い羽だった。
「――――――放ちなさい」
声に釣られ、思わず言葉が出る。
「放つ……?」
「なんだこれはァ!? 身体が、勝手にィ!」
大男ブルガーは宙を舞う。その拍子に掴んでいたシリアを離し、シリアは地面に倒れ込む。
「――――――飛ばしなさい」
「飛ばす……」
「ドワァァァァァァ!?」
ブルガーは天に向かって飛んで行ったのだった。
黒い羽根に乗せられて。