貧困とすることに
暖かい宿の中。正面の看板に“ビアアーナ”と記されていたが、この宿屋の名前だろう。中の構造は、左手前にフロントカウンター、中心にロビー兼レストラン、いくつかある木製の丸テーブルと備え付けられた丸椅子。奥には二階に続く階段があった。
空いている席に僕たちは腰を掛ける。
一人一泊、通貨コイン3枚消費。無事全員が受付のお姉さんから部屋の番号札が付いた鍵を手に入れた。レストランは一食分はタダのようで、さっそく夕食にあてた。
「美味しい。人々はこういうのも食すんだね」
夕食のスープを丁寧にスプーンで掬い、口に運ぶ天使シリア。
「私の、コイン……あと1枚、天使に、味方……いない」
夕食のスープをぞんざいにフォークで掬い、口に運ぶ天使ベラルーシ。目は死んでいた。
安心したのと、空腹を満たしたおかげか、今の現実を少し理解する余裕ができた。
この世界には天使が存在していて、人々も平和に暮らしている。なぜか帰れない事情を持ち、今いる二人と協力関係を結んでしまった。
これまでの自分の暮らしも気になるが、堕天使と呼ばれることが意外に恐ろしい。シリアと出会い、名前を訊かれ答えようとした。彼女は顔を歪め、自分のことを話すタイミングをわざと阻害したように見えた。それはいい。だが、天使だった覚えがない。堕ちた覚えもないし、それ以前に僕は人間だ。
シリアは言っていた。意図して三人がここで出会った可能性があると。それは人間が干渉しても起こり得る事態なのか。
「ねーシリア。気になってるんだけど、本当のところ、どうしてこいつが堕天使だと見抜いたのよー」
ベラはフォークを置き、気怠げそうに平坦なトーンでシリアに尋ねる。
平凡だの草食だの悲惨な言われようだったことを思い出す。
茶番とはいえ、とんでもない言いがかりで勝手に堕天使にされたのは気に食わん!
シリアは手のひらサイズと同じチキンにかぶりつき、モグモグと咀嚼している。
「わかったわ! どうせあれでしょ、こいつから堕天使のオーラを感じ取ったとか! それか、シリアは実は天使の裏組織に所属する幹部ってやつで、すべては仕組まれた罠だったりとか!」
馬鹿な、僕はそうなのか。天使だったなんて信じられない。
ベラは意外にも勘が鋭いのかもしれない。シリアは真実を語る。
「うん、そんなとこだよ」
――――――え。
軽い。ずっと前から僕とシリアは兄妹で似たオーラを感じるとか、幹部として人々の町に追放された天使、堕天使との接触を図り、監視しているとか、そういう詳しい話を長々と語るシリアを期待していたのだが。
あれか、チキンに負けたのか。そうだよ、さっきから食べ続けてるもの。
「ふっふぅー! 予想を的中しちゃったわー! もう大天使にでも進化しようかしら!」
ご機嫌そうにベラは鼻歌を口ずさむ。
あなたが二つほど予想をしてくれたおかげで、どっちなのか判らないんですが。
このままでは、解消されない事実関係に気持ち悪くなってしまう。
まて、シリアが故意に誤魔化した可能性は――――――あぁもう辛いややこしい考えたくないこんちくしょう!
「はぁ、ごちそうさまでしたっと」
お皿にあったチキンたちを平らげ、満足そうな笑みを浮かべるシリア。
「天使ベラルーシ、堕天使クロアチア、今後の私たちがすべきことだけど」
明日からの行く末はわからない。今後というのは確かに重要だ。奇妙なことにここでの生活知識をすべて知っているわけではない。
「宿のお風呂は誰が入れるのかを決めないと」
鼻歌を止め、バンッとテーブルを叩くベラ。
「決めるって、全員入れるんじゃないの!?」
「入れないよ、ここは大浴場が別にあるらしくて、部屋にお風呂はないんだよ。そして大浴場は一人通貨コイン1枚を消費しないといけない」
「ええぇぇぇ!?」
宿の経営者は生活に困窮でもしているのか。1枚くらいこの世界では大したことないのかもしれないが、手持ちのない現状からすれば、なかなか手厳しい話だ。
ん、今重要なのかこの話。重要か。
「ま、まぁ決めるも何も、残り1枚のコインは当然! 私が使っていいに決まってるわ!」
確かに、天使のコインで泊まる場所を手に入れている身、特に異論はない。
黙っていないのはシリアだった。
「天使ベラルーシ! 君は私に臭くなれと言っているんだね! 見損なったよ!」
「見損なったのはこっちよ! 寛大な美少女天使が快く部屋を提供してあげたんだから、臭くなるぐらい我慢しなさいよ!」
「どこが寛大で快くだよ! 全然そうは見えなかったじゃないか!」
「いや! 引っ張らないで!? 見えちゃうから!」
「ちょ、天使ベラルーシ! どこを触っているんだよ!?」
ベラとシリアは互いにワンピースの裾とお尻を掴み、抱きしめ合っている。
天使も貧しくなると争いは起きるらしい。
しばらく、この光景を堪能しながら、客室があるとされる二階に行くとしよう。たぶん、話は進展しない。