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鍛錬とすることに

 ここ数日間は平和的に過ごせている。起床時の日課は、勝手に寝床に入り、しがみ付くように寝ているデーニャを体から剥がすことから始まる。部屋を出てから、洗顔等の身支度を済ませるため、一階に降りる。それから色々と済ませた後、セルビアのいる宿のキッチンへと向かい、用意された朝食をありがたく頂く。そして、今日もありがたい雑用をそこはかとなくこなし、あっという間に夜を迎え、何度目かの眠りへと誘われる日になるだろうと思っていた。


 睡眠から覚めた時、体はベッドではなく、椅子の上だった。そして、手足をロープで縛り付けられていることに困惑する。


「君のことは今後、“堕天クロ”と呼ぶ。いいね?」


 そう確認を取りながら、目の前に立つネイビーのスーツを着た男。

 いつもの部屋ではないことは確かだ。室内を照らす天井ライトは薄暗く、広さはそれほどない。コンクリートの壁で囲まれた質素な場所だった。


「セルビアさんから訳は聞いた。綿密な今後のスケジュール上、時間は限られている。だが、何よりお前は誰かを守るための力が必要なんだろう。その気持ちは理解できる」


 掛けていた眼鏡を取り、上着を脱いで、シャツの袖を捲る男。依然、僕は拘束のされたまま、身動き出来ずにいる。


「俺のことは“ルクセン”でいい。形式上、メノルカのマネージャーとはなっているが、俺が親代わりとしてあの子を見守らなくてはならない立場にある……」


 一応、僕らは面識があったようだ。思い出してみれば、宿屋にメノルカが訪れてきた時に一緒にいた男。

 話を聞いていれば、メノルカ両親には返しきれない恩義があると彼は言う。両親を亡くしたメノルカを支える一人だ。過去に何があって、その経緯までは細かく教えてくれなかったが、意志は真剣さそのものだった。

 今の状況自体に危機性がないのは安心だが、セルビアの身近で、護身術を頼んでいた相手がまさかこの人だったとは。しかし、なぜこんな再会……。


「こっちに来て、わざわざセルビアさんの前で騒ぐのは迷惑が掛かる。こっそり客として装い、君が就寝するために部屋へ入るのを待った。寝た頃合いで無理矢理、椅子に縛り付けて、移動させてもらった」


 いや、すごいな。全く気付かなかった僕も鈍感だが、していることが忍びの達人すぎる。どうやって運んだのか、ここはどこなのか、デーニャがいて気付かれなかったのかとかは訊かない方がスムーズか。


「早速だが、まず基本的なところを君の体に慣れさせる必要がある」


 もう始めるつもりらしい。


「当然だが、すぐにマシな動きが出来るようになる訳ではない。だが、敵対する相手の動きを予測、回避できる力は欲しい。特に相手の攻撃を見切り、流れに沿うように避ければ、万が一当たっても部位の負担は最低限、軽減できる。そこで、第一関門の鍛練として、この球を使用する」


 ルクセンはズボンのポケットから白い球を出す。見た目は小さく軽そうだった。その球を握り、右腕を後ろに構えたかと思うと、何の迷いもなく、こちらに投球してきた。


 ――――――息が止まる。


 球を中心にして、空気の渦が帯びたような勢いで右頬をかすめていった。数秒後、ジワジワとその部位が線上に熱くなる。


「安心してくれ。こいつはプラスチック製で当たっても地味に痛いだけだ。今から、球があらゆる方向から飛ばすための機械を複数、作動させる。まずは、不規則な物体の動きに慣れることだ」


 いや待てよこの状態のままで!? 慣れるも何も良い的にしかならないんじゃ……。


「俺がこの場所から出ていけば作動する。では、数時間後に戻る。さっきも言ったが、忙しくてな」


 ルクセンは僕の後ろに回り、ギギィーと何かを軋ませながら、扉らしきものを閉める。そして、ビビビーッと警報と周りからメカメカしいモーター音が鳴り響いた。


 なるほど……。数時間後って言ってたな。いよいよ、この後、肉片が残ってるかどうかの話になってきた。


 何かを突出したような音と同時に体にそれがヒットする。


 ――――――痛ッッッた。











 数時間後――――――。


「……相手の動きを読み取るだけでは意味を成さない。読み取ってから受けるのも避けるのも戦術だが、その瞬間が反撃できる最大の好機とも言える。ここから第2関門だが、お前には相手の攻撃を“受け身返し”できるようになってもらう」


 僕の拘束は外され、ちょっとの握り飯とお手洗い休憩を楽しんでから間もない発言だった。コンクリート部屋から出た時、そこは広い廊下と天井のランタンだけが並び、それ以外は暗く見えなかった。とても今いる建物の構造を把握できるわけもなく、案内された部屋は、先ほどの陰湿とは打って変わってダンスフロアのような場所だった。

 ルクセンは話し続ける。


「口で説明して簡単にそれが習得できれば、苦労はないんだが無理な話だろう。堕天クロ、相手の攻撃を避けようと思うな。まずは受ける、受けてから流しつつ、力を返還するつもりの感覚でしばらくはいるといい」


 そもそも、第一関門に受けた鍛錬も意味があったのか分からない。球を受け続けていただけで、それはもう惨めな時間だった。そして、次は避けずに攻撃を受けて返す、か……。


「え、どうしてその人が来てるの?」


 不意にあらぬ方向から声が聞こえる。見れば、セルビアの義妹、ダンスウェア姿のメノルカがいた。


「マネージャー、もしかして、セルビア姉が言ってた私の『友達』になれそうな人って……」

「堕天クロの他に来客予定はない」


 何かを理解し、項垂(うなだ)れるメノルカ。


「セルビア姉、何考えてるんだろ……」


 閃いたように顔を上げ、こちらを向くルクセン。


「丁度いい――――――メノルカ、今日の練習メニューを変更して、堕天クロの相手をしてくれ」

「……はぁ!?」


 メノルカの反応に同じく、僕もビックリ。


「堕天クロ、メノルカはアイドルではあるが、ある程度の体術を身に付けている。もしもの事態に備えてな。さっきも言ったが、受けて返す感覚を体に……」

「ちょっと待って! まだ私がするとは言ってない……!」

「そう言うな。普段、色々と抱えているメノルカにとっては、うっぷん晴らしにもなるだろう。あわよくば“友達”に……」

「無理って! そんな状況でどうして“友達”になれるの!? てか、その件はもういい!」


 メノルカが攻撃してくるって解釈でいいのだろうか。戦うアイドル……想像を絶するな。


「そうか。どの道セルビアさんに頼まれたことだ。堕天クロを鍛える方向性が変わる訳でもない。引き続き、練習に励んでくれ」

「……セルビア姉は何でこの人をそこまで信頼してるの。どうして傍にこんな……。私がいないことをいいことに、この人もこの人でしょ」


 計画を切り替えたルクセンが、振り向き、僕に何かを言い掛けようとした。


「はぁ……。わかった。相手をすればいいんでしょ?」

「……よし、頼んだ」


 ルクセンは壁際へ移動し見守る。中央に立たされ、正面には見据えたように身構えるメノルカ。


「言っておくけど、ただの女だと思ったら、君――――――怪我するから」


 次の瞬間、間合いを急激に詰められ、視界が反転し、背中に衝撃を受けたのだった。


 僕はその痛みに悶えることを忘れ、ただただ天井のライトを見つめ、茫然とするより他はなかった。

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