淵源とすることに(1.5)
ふと、周りを見渡すと、私がいた場所は天界ではなく、人の暮らす世界だった。どこかの町の路地。降りる予定は特になかったはずなのに、直前までの記憶を思い出そうとすると、何かに阻害されるようにノイズが走る。だから、天界にも戻ろうと何度も意思を念じたが、弾かれてしまう。ただ一つだけ、返ってきた思念は、この世界で、私が天使である意味――――――。
町を散策しながらも、途方に暮れていた時、私はクロアチアと天使ベラルーシに出会った。
あの時は、不思議とそこにいたクロアチアに懐かしさを感じ、つい声を掛けていた。それからのことは……。
「シリア、見てくれる?」
宿の仕事服を慣れたように着こなし、ふふんっと自慢げに訊いてくるストレートな黒髪の天使、ベラルーシ。
「……元々、私たちは人の衣服を好んで着ているわけだし、違和感もないね」
天使とは言っても、特異的な資質を複数に有していることは少なく、本来の姿は身体上の変異よりもその服装に恥じらいを覚える。
天使の皆誰もが布地の少ない、特徴的なあの姿になると思うと……。
「シリアも着なさいな、きっと似合うわ」
天使ベラルーシに至っては、何よりも背中にある二つの“雲”の存在が不可解でならない。その能力も多岐にわたるようだし。もう気にすることでもなくなったけど、他の天使とはまた違う、例を見ない天使だとは思う。それを気にすれば、天使サルデーニャにしても、通常の聖霊とは異なったオーラを身にまとっていることがある。
身の回りに何が起きているのか、不安が募る。
私は寝間着を脱ぎつつ、渡された宿屋の制服に着替え始めた。
「それにしても、あの三人で大丈夫なのかな」
「事情が事情だもの。私たちが天使である以上は、もしものことで堕天使化でもしたら変になっちゃうし」
クロアチアとセルビア、それと忌々しい天使おサルデーニャは、クロアチアの持つ力の“訓練”という目的で遠くに行って、宿屋にはいない。
セルビアも同行している以上、懸念していることは少ないけど、宿の経営は私たちに任された。
「うんうん、やっぱり似合ってるし、私と五分五分ってとこね!」
天使ベラルーシは、着替えた私を見るなり、なぜか張り合ってくる。
「ふうん。って、別に勝負はしてない……」
けど……クロアチアが見たらどんな反応……。
「シリア?」
はぁ……。だめだ、また考えてる。
「っ、それでセルビアに店の営業以外で頼まれたことはあるのかい?」
何かを疑った天使ベラルーシに、咄嗟に誤魔化しを利かす。
「……特に無いと思うわ。とりあえず、大浴場と各フロアの掃除は『綿雲』に任せてあるから、出来るのは宿を出る人の見送り、朝食の提供かしらね。準備出来たなら行きましょ」
天使ベラルーシは私の泊まっていた部屋から出ると、そのドアを開けながら待っていてくれる。
部屋を後にし、階段を降りる。レストラン内はまだ閑散としていて、足音が響く。
そこで浮かんだ気掛かりを声に出す。
「あ、昨日のことで聞きそびれたことがあるんだ」
「昨日の話……? その、お手柔らかにね」
少し気まずそうに返してくる。
「誰が指示したのかも気になるけど、酒場で君たちに何があったのさ」
「うっ……確かに詳しくは言ってないわね……」
しばらく唸り始める天使ベラルーシ。どんな出来事を目の前にしたら、気を失いながら、あの“雲”と共に、宿に戻ってくるのか。クロアチアが如何わしいことをしたらだったら、説明はつくのに、そのクロアチアですら、眠っていたんだから訳が分からない。
「あれね、お堅い話をする前に、セルビアが朝から用意してくれたご飯を食べてからにでもね! あと、いい加減シリアも私のこと天使天使って敬称みたいなの付けて呼ばなくてもいいわよ」
何だか誤魔化し返されたのは気のせいか。
「……じゃあ、天使ベラと呼ぶよ」
「付いたまんまじゃない……」
レストランのキッチンにまで入り、すぐに良い香りがした。テーブルには、いくつもの専用のミニバスケットに、山のように盛られた丸型のパンと果物ジャムの瓶。真横の焜炉に置かれた業務用鍋には、色彩豊かな野菜が煮詰められたスープ。
「ふふぅー、地上も悪い事ばかりじゃないのよね。シリア、私のお皿にスープよそってくれる?」
置かれた二枚の深皿を手に取り、そのまま渡してくる天使ベラ。
「これ、お客の人にも出すんでしょ? 私たちが先に手を付けるのって良いのかな……って自分の分は盛りなよ」
「はむっ、んむ、何、言ってんのよ゛、先に食べなきゃ、んぐ、無くなっちゃうかも゛っしれないでしょ。はむっはく゛、地上にこうして居る間は食べない゛と、元気も出ないしっ。ごくっ、宿泊客のことよりもまず、私は食べるので忙しいのよ、早くスープぷりーっず!」
「もう手、出してるし。その食い意地は何なのさ……今、やるけど」
私は焜炉に近付き、まだ湯気の漂う野菜スープをレードルで掬い、深皿に盛り付け、木製スプーンと共に天使ベラに渡す。
「ありがと。シリア、口開けて?」
「え――――――あ、んんっ!?」
不意に咥えさせられたパンを肩手で押さえ、人かじりする。ふっくりとした食感に合わせて、付けられた果物ジャムの絶妙な酸味と甘さが、残ったかけらのパンをすぐさま口に運ばせる。
「仕入れてくるパンとかも良いけど、セルビアが作ったパンもジャムも負けないくらい美味しいのよね、はぐっ」
「……うん」
こうして、人の暮らしに触れさせてくれるセルビアのおかげで、天界にはまだ戻れなくても、良い心地のままでいられる。
もうしばらく、こんな日々が続けば、と思いつつ、目覚め始めたお客の人たちの接待、対応に追われていく。
ある程度の人が出入りし、少し余裕が出てきた頃、レストラン側から妙な視線を感じた。
「シリア、ちょっと……?」
同じく、キッチンにいた天使ベラも感づいたようで、私をこっそりと手招きしてくる。
「さっきからあの子たちがシリアの方をずっと凝視してるんだけど……。あれかしら、朝食、シリアル系じゃなかったからその不服申し立てとか……シリアだけに」
後半の弄りはともかく、修道に身を投じているような服装の子供が、確かに二人いた。異性の判別は難しく、髪や手は服で隠れ、唯一、露出された顔と脚は褐色。ここで既に、お互いの存在を認識しているはずなのに、二人の表情は変わらず、冷徹にこっちを見ている。
クロアチアと初めて会った時みたいな印象。
「あの二人、何となく、私たちと似ている気がする」
「似てるって……もしかして、同じ天使ってこと? それでさっきから睨んでるってわけ?」
すると、二人が急に口を開き、会話が聞こえる。
「きづかれた。Gialla」
「……?」
「ジアラ、せつめい」
「Sau もやればいい」
「やる。……あの、シリアさま。シリアさま」
面識もないのに、私に向かって名前を呼んでくる。
「え! 何で呼ばれてるのよシリア! しかも、様って何?」
「分からないよ」
私は天使ベラと顔を合わせながらも、二人の子供に近付き、話し掛ける。
「……何か、悩み事かい?」
相変わらず、距離を詰めても、異性などの特徴が掴めない。
「シリアさま。おれはサウっていうんだ。こっちのずんぐりはジアラ」
「ねえサウ。ずんぐりやだ」
見分けが付きにくい以上、名前を言われても困るけど。声質も高く似ている。
スゥーっと一呼吸。
「サウとジアラ……。一つだけいい? 君たちって、天使だったり、するのかな」
私がそう言うとサウが少し驚愕しながらも、その返答は早かった。
「おれたち、こうやって、でてないけど、シリアさまはわかるんだ」
「シリアさま。われわれは、ある“してんし”さまのめいれいでここにきた」
「……え? 待って、し、“熾天使”、様……?」
私はジアラの言う言葉に耳を疑う。
「天使ベラ、ちょっと……!」
「へ?」
こっちを眺めていた天使ベラを呼んでから、再び、私たちはサウとジアラに話を続けてもらう。
二人は交互に説明しつつも、丁寧に聞き取り、解釈する。
そもそも、私たち天使には役職階級があって、さっきの“熾天使”は最も高い位に位置する。高貴なため、私や天使ベラ、サウとジアラでも、その姿、存在を拝めることが限りなく少ない。そんな幻影同然の存在から、サウとジアラは熾天使様直属の隠密部隊として編制され、なぜか、地上での私の護衛という使命を受け持ったという……。
「すごいわね……ある熾天使様の存在っていうのは置いといても、普通、こんな子供に護衛させる? 逆じゃないかしら……」
天使ベラの表情は、呆れとも怒りとも取れない微妙な感じだった。
「これでも、おれたちは『うえ』のかいきゅう。ジアラは“だいてんし”。おれは、そのつぎのつぎに『うえ』。あと、ここにいない “Bier” がつぎのつぎのつぎに『うえ』。そして、つよい」
「え゛? アンタら私より偉いわけ……なんっですか? サウとジアラ以外にももう一人……? それなのにシリアを様付けっていうのはどういうことなのでしょう……? シリアって、実はとっても偉い……ですか?」
かすかに怯えながら、天使ベラは聞き慣れない言葉遣いをする。
当然、私自身も立場の自覚は特になかった。何より、直前どころか、所々、記憶がノイズで乱れ、阻害されているモノが多いかもしれない。
でも、そこを考えるよりも今が大事。
「天使ベラ、その喋り方は困るよ。同じ仲間、同じ天使の関係なのは変わらない。私はこのままだし。だから、ちゃんと、いつもみたいに、これからも話してくれないと……嫌だよ」
「シリア……。でも……本当の話なら、シリアは……」
私たちの間に重苦しい空気が漂う。
「ねえシリアさま。こんご、シリアさまのからだがあぶないとき、またくる」
「そこのてんしだけだと、あのてきから、シリアさま、まもれない。そういわれた」
二人の雰囲気からして、この宿から立ち去ろうとしていた。
「え、敵って何さ……! 護衛ってそのための? それに他にも、私のことも含めて、気になることがあるんだ!」
「シリアさま。シリアさまに、なにがあったのかは、かんしょうできない。てきのことは、そこのてんしから、きいて」
サウがそう言い残すと、不自然さもなく、一瞬にして二人は姿を消した。
私は天使ベラの方へ向き直り、
「ねぇ、今の話と酒場で起きたことって――――――?」
と、その先を言わないでいると、天使ベラは、ばつが悪そうに答える。
「……んっと、シリアを酷い目に合わせた大男ブルガーが街に戻ってきてたのよ……あと、何かヤバそうな奴も一人増えてた……。危なかったけど、クロも私もこうして無事に済んだ。でも、また会うかもしれない……。ごめん、怖がらせたくなくて」
「そう、なんだ」
私への気遣いで、詳しく話さなかったことには、大体、悪い出来事があったとしか考えられなかった。
恐れがないわけじゃない。さっきの話も、今後も、クロアチアのことも、知りたいことはいっぱいある。それを把握するのに勇気がいる。でも、勇気を持とうとしていることは、その事実に、目を向けない無責任さという臆病を断ち切りたいと思う私の意志。
天使ベラだって、怖い状況を経験した後で、平常を保とうと無理してたのは伝わった。それでも、脅威は無くならないし、いつかは対面しなければいけない。その時、私は――――――。
「私のことは、大丈夫だから」
多分、私の頬も緩んでいたのかもしれない。
少しでも、天使ベラ自身が無意識に抱いている仲間への不安が解れて、安心に繋がったのか、一つのことを急に思い出したような顔に変わる。
「……シリア。あのね、早く言えば良かったんだけど……」
「何さ?」
「ほっぺにジャム付いて……ぷふっくく!」
言われて、手で拭い、確認した後、自分の耳や身体が熱くなっていくのを感じた。
「い、いっいっいつからッッッッッ!?」
宿内に響くのは、天使ベラの高々しく、楽し気な笑い声だった。




