異質とすることに
「クロの部屋にも……いないみたいね」
僕たちは大浴場の掃除から、デーニャがいつまでも姿を見せないため、宿全体を探し回っていた。まだ寝ていると思ったのだが、ベラの言う通り、部屋にもいないようだ。
ベラに続いて、部屋に入ったシリアが振り向きざまに訊いてくる。
「クロアチアが起きたときは、天使サルデーニャはいなかったのかな?」
朝起きると、知らぬ間にデーニャが布団に忍び込んでおり、僕に許可なく一緒に寝ていることが続いている。しかし、今日はよく確認せずに部屋を出たし、毛布内にデーニャが包まっていたような、そんな膨らみがあった気はしないでもない。確証ないけど。
「覚えてないって顔だね……」
「前にも似たようなことがあったけど、行く先々にクロがいるからこそでしょ? どこ消えたのよ」
正直、なぜ今ここにいないかは気になるが、そのうち顔を出すだろう。
そんなことより、今後のこともある。町で受注可能な『オプショナルミッション』がないか、探しておきたいところだ。いやでも、体中、悲鳴を上げるような痛みを伴いながらの行動は無謀か。やはり、今日のところは大人しく、ゆっくりしておくか……。
「さっきから、あんまり積極的じゃないわねクロ……」
「天使サルデーニャが気にならないのかい、旦・那・様?」
呆れ顔と、ささやかな圧を送ってくるベラシリア。
仲間思いなのは良いことだが、あの天使は見つけたら見つけたで色々と問題発言を――――――。
「さてと、レストランで談笑してる人たちの悩み相談でも受け持とうかしら。シリアはどうする?」
「私は……セルビアの様子でも見てようかなって」
宿の営業で出来る限りの仕事は、ベラの『綿あめ』が動いてくれている。
となれば、僕はこのまま、自分の部屋でしばらく休憩を頂いてもいいだろう。
「クロは、サルデーニャ探してきてくれる?」
「頼んだよ、クロアチア」
二人のこの微笑み、同じ天使への優しい気遣いを見せたと思った矢先、誰よりも一番冷たい対応してないですかね……。
ベラたちを残し、僕は外に出た。
しかしながら、今の宿屋から遠くまで離れようものなら、たぶんまた迷う。
この町の建造物は、周囲を見渡しても、所々似ている。少しでも道を間違えれば、違う場所に辿り着いてしまうだろう。それこそ、町内イベントに使われた広場や比較的直線上にある道のりの施設ならまだ助かるところだ。
宿を中心に、周辺を歩き回る。洗濯物を干している住人、街をウォーキングする老夫婦、家庭菜園に励む男性、タープテントの下で多色な花々、野菜や果物などを売る広場に集まる人々で喧騒としている。
これでデーニャの姿があれば即任務終了だが、近くにいる気配はやはりしない。テレパシーのように話しかければ、デーニャに意思が伝わらないだろうか。あの天使のことだからきっと……出来そうなものだ。少し恥ずかしいが、わずかな希望にかけてやってみるしかない。
「さ、サルデーニャ……さん? この声が聞こえないですよねそうですよねー……」
我ながら挙動不審にも、周囲が気になり、小声になってしまう。そう、一応断っておくが、しゃべれないわけではないよ? 普段、出せないのは何かしらの妨害と無駄なエネルギーを消費しないための予防策で……何言ってんだ。
勇気を振り絞った一声が届いたかどうかは分からない。ただ、歩いていた道に立ち並ぶ家々の隙間から、人影のようなものが見えた。すぐに隠れてしまったが、わざと僕に見つかるように、動いた気もした。それをどことなくデーニャの影じゃないかと思ってしまう。
影が隠れた場所をすぐさま確認するが、誰かがいる様子はない。気のせいかと道に戻ると、また同じように、奥の塀で蠢いている影が目に入った。
誘われるように僕はただ、影を追いかけていくだけだった。
やがて行き着いた先は、開放的な外観の酒場だった。それも以前、ベラと共にセルビアの頼みで、注文品を取りに来たところでもあった。看板には“ルマンディー”と表記されていたことを知る。
早速、デーニャらしき影が、店内にいないか端から見回す。
「オイィ店主……! 客に対して酒が出せねぇとはどういう神経してんだァ゛!」
突然として、酒場に響き渡る威圧的な声。老いた男性店主らしき人に向かい、ジャラジャラと装飾品を身に付けた大男が、中央付近の席で怒鳴り散らしていた。その大男は立ち上がり、人間とは思えない特大の拳で、設置されていたテーブルを叩き壊した。原型は大きく崩れ、木の破片が飛ぶ。
「うっ……誰が……誰がッ、オマエのような乱暴者に接待なんかするかッ! また戻ってきやがって……もう出て行ってくれェッ!」
「……何だとォ。随分とした口調を叩くようになれたもんだなァ腐れ老人。大した味も出せねぇモンに支払う代金があるのかよ? あ゛ぁ?」
大男が店主の両肩を持ち、体ごと掴み上げる。その時、大男の横顔が見えた。
ただの客ではなかった。その見覚えある顔に――――――背筋が凍る。
「も、もうお前に頭を下げ続ける生活は御免だッ! この町にいる者でお前を吹き飛ばしたという噂を耳にしている! 天罰が下ったんだ……こんなことをしているからッ」
「ジジイィ……一番気に障ることをォ……」
数日前の出来事。人よりはるかに凶悪な肉体を持ち、その横柄な態度と容赦のない力で、シリアに危害を加えた大男がいた。“ブルガー”と呼ばれていたことに記憶がある。しかし、デーニャの精霊の力を借り、ブルガーは空へとかなり飛ばされたはずだ。てっきり、ブルガーは天界にまで到達して、処罰でも受けている……と都合の良い解釈をしていた。
何にせよ、目の前にブルガーがいることには変わりない。この場を去りたい思いでいっぱいだが、酒場の店主を見放すなんてことは……出来ないだろう。
地面に靴をすり合わせ、片足を前に、店主たちとの距離を詰めていく。ただそれだけで、後のことは考えてない。
「お……お、おい! そこのあんた! ここは危ないんだッ、近寄ってはいけない!」
「あ゛あ゛ん? 何だお前はァ!」
ギャーッ! って、ブルガー本人は僕のことを覚えてるわけじゃない……? あの時、一番目立っていたのはベラたちだし、それもそうか。
「おいガキィ。こいつは劇じゃねぇだァ。立ち去らねぇと店主よりも先に、上半身のあらゆる骨を粉々にするがァ……?」
マジカヨ……。なぜ、こんなことに。出来ることなら店主を助けて逃げたい。
「そこの人ッ、早く逃げてくれェッ!」
どうすれば……! デーニャ……! 他の誰かでも――――――!
「クロー!」
僕を呼ぶこの声は、ベラか……? なぜ今……?
ブルガーに注意を向けつつ、視線をずらすと、こちらへ走ってくる天使の姿があった。
「ッ――――――! ッァア゛ァア゛ァア゛ァア゛!?」
瞬間、店主の凄惨な叫声が響いた。
「おっとォ……関節ずれちまったかァ?」
ブルガーは両手を離す。床に倒れた店主の両肩の位置が、不自然に前へと出っ張り、気絶しているようだった。
「え、何! 誰の声……!?」
近寄ってきたベラが酒場の状況を見てしまう。
「あれだけの悲痛な叫びを聞いたら、住人どもが集まってくるかァ……ンン゛? あの女のガキィ……」
何かに気付いた……?
僕はベラの腕を引っ張り、防ぐ形で前に出る。背中から、少し震え気味でベラが訊いてくる。
「ねぇ……クロ、あそこにいるのって……」
やっぱり覚えてるか……。
「何で……。何でアイツがここにいるのよぉ……。倒れてる人、店の人じゃないの……ねぇ?」
衣服の腰当たりを強く握り、その手まで震えていた。
ブルガーが近付いてくる。
「ハッ。そうかァー……もう一人二人、いないようだが。くだらねぇ世話になったんだったなァ、ガキども」
目の前まで来ると、その圧倒的体格さを痛感させられる。同時に体の痛みなのか、身動きが出来なかった。
「どけぇッ」
――――――ッ!
「あぁっ!? クロっ!?」
左半身に激震が起きたと思った瞬間、地に付く足が浮いた。浮いてから右腕、右脚あたりを中心に摩擦による熱さをひどく感じた。
「オイ……! もう一人の潰し損ねたガキはどこだァ?」
「ひぁ……やだ、やだ、知らない……っ」
「フンッ、そうかァ――――――」
蹴り上げられたところが痛み始める、助けないといけない、動かないといけない、止めないといけない。必死の思いで二人を見た。ブルガーはベラの片手を掴み、もう片方の腕を振り上げ、今にも手を出す寸前だった。
ベラ……ッ!
『――――――待て』
唐突に気持ちの落ち着かない、圧迫された空気を体感する。重圧を帯びる低い声質、立ち籠める蒸気と羽根が舞う。ブルガーは既に動きを止めていた。その真横に現れ、尋常ならぬ存在感を放つ者は、ブルガーより凶悪な肉体を持ち合わせているわけでもない。ただ、その身は黒々しく重厚な甲冑を装備している。その質は板金の鎧というより、硬質な一枚の黒い羽根を何重にも圧縮して、造られたような感じだった。羽根に覆われた頭部と胴部に重ねられた羽根の隙間から、蒸気が吹き出し、より一層の戦慄が走る。
『――――――まだ殺るな』
「親父ィ……」
ベラがブルガーの手を逃れ、こちらに駆け寄ってくる。
「はぁっ、はっ、クロっ、立てる……? 早く、ここからっ……!」
体は言うことを聞かない。危機的状況から逃れることができない証拠に、異質な雰囲気を持つ者が歩いてくる。先の鋭い巨大な黒羽根を浮かせながら……。
『――――――貴様か、例の力を眠らせる者は』
尖った羽根の切っ先を向けられる。
『――――――それが目覚めた時、再び相見えよう』
異質な雰囲気を放つ者がそう言い終えると、蒸気が広がり、先にいるブルガーとともに姿を消していく。
ベラも無事だし、どうやら危機は去ったらしい……。ちっ……くしょ……始終、訳の分からないことを。
「落ち着かなきゃ、落ち着かなきゃ……私」
ベラはいつもの調子を取り戻そうとしているのか、自分を言い聞かせている。
「クロ……! 待ってて。まず、ここの店の人に『大天使様の涙薬』垂らしてこないと」
……一つ気掛かりがある。先ほどから全く、近隣にいるはずの住民が集まってこないことだ。この場所を避けるように、周辺を見渡しても人はいなかった。
「よし――――――ごめんクロ。……っと。ここに、寝てくれる?」
戻ってきたベラは僕の頭近くで正座し、自分の腿を軽く叩く。そう、それが膝枕と呼ばれるものだとは思いもしなかった。頭部をベラの腿に預ける。すかさず、持っている小瓶の水を両目に垂らしてくれる。ポタポタポタと頬や額にも水滴は当たり、ふざけているのかとベラと視線を合わせる。
落ちてくるのは、小瓶の水などではなく、ぽろぽろと大粒の涙。
「……んく」
――――――シリアの時も彼女はそうだった。僕が思っている以上に彼女は優しい心の持ち主だ。会ってから数日の関係であっても、疑いもせず、忌み嫌わず、辛い状態に陥っても、平然を装って、誤魔化して……仲間と認めた存在を無償に気遣う、優しさだ。
僕はゆっくりと片手をベラの頬に当てる。
「……クロ」
彼女は目を閉じ、そのまま地面へ倒れ込む。
「ベ……ラ?」
不自然に倒れたベラに、自分の体を無理矢理起こす。そのタイミングで、とてつもない眠気が襲ってくる。
そうして、薬の副作用が、僕の意識を完全に奪っていくのだった。




