使命とすることに(5)挿絵とすることで
体を動かすと節々に軽度の痛みが伴う。壁や物などに強く打ち付けた記憶は特にない。心当たりがあるとすれば、昨日の後片付け作業が、体に更なる負担を与えたのだろう。こうなるとよほど、以前から、僕は怠惰な生活を送っていたらしい。自室から一階まで下りるのに、軽く時間が掛かった。だが、まぁこれから一日過ごすのに支障はな……やっぱりあるかもしれない。
そんなことを考え込みながら、しんとした一階レストランの適当なテーブル席に近寄る。
そのタイミングで、宿の扉がガタッと揺れ、ゆっくり開かれた。
入ってきたのはスウェット姿のセルビアで、おぼつかない足取りから察するに、あちらも起きたばかりのようだ。
しかし、なぜ外から……お日様でも浴びていたのかな。
「あ……れ? クロ、さん? お早いです、ね」
寝起きの彼女は、言葉も朧気だった。
「私……朝食の準備を、してきますね――――――」
セルビアは僕の真横を通り抜け、キッチンの方へ向かっていく。
いや……違――――――うっ!?
「ん……くぅ」
小さく辛そうな声を漏らすセルビア。
思わず、横から抱きかかえてしまったが、いやあのね? 何しろ、ふらつき、前方に倒れ込みそうだったから、最前の処置を取ったまでで――――――。
「すみません……っ」
……具合が悪そうだが。倒れそうなくらいってことは、相当重症なのでは。
「もう――――――大丈夫でっひぅっ!? んぅ、あっ、あの! クロさんっ……!」
しかし、こうして会話してるし、そこまで深刻ってわけでもないか。
「そんな、にっあ、掴ま……ないで……!」
ついでに言えば、生地の上からでも、弾力の良さが伝わるこれは……?
自分が無意識に……いや、無意識のはずなんだが、セルビアを支えた片方の手が、彼女の胸部に触れているのに気が付き、即座に手の位置を腰に変える。
「……っ」
火照ったような表情からも今の状態を悪化させてしまったことは理解できる。
まずい、これは憤怒を交えた鉄拳が飛んでくる? そうなれば謝ろう、光の速さで。
「ク、クロさん……私を、このまま……救護室まで、連れていってもらっても、いいですか?」
……飛んでこない。
とりあえず、これ以上、粗相のないように注意しつつ、言われたとおりに救護室まで引き連れる。
部屋まで来ると、近い距離にあるベッドに、そっとセルビアを座らせた。
諸君! これより、いつでも土下座できます態勢に入る!
「ありがとうございます……。不覚、ですけど、風邪を引いたみたいで」
ただの風邪でふらつくだろうか。
「でも、大丈夫です……! もう少しだけ、軽く横になればきっと……」
セルビアも日々の仕事に疲労が取れきれず、蓄積しているのかもしれない。今でも横になると言っておきながら、寝る様子もない。目を離せば、朝食の支度をするために、動く可能性は高い。
思い返せば、他の従業員というものもこの宿では一切見ない。となると、経営者自身が一人で業務をこなしているのか……?
いや、詳しいことは後で考えるとして、このまま彼女に何もしないのは気が引ける。だからと言って僕ができることは限られているし。せめて、宿にいる天使が役に立てば……ってそうかそうだった。
一つの重要なことを僕は思い出した。
「え、え? 待っていれば、良いのですか?」
まだここにいるようにとジェスチャーでセルビアに伝え、鞭に打たれるような体の痛みに耐えながらも、ベラのいる二階の部屋へと急ぐ。
僕の記憶上、ベラの持っていた……確か、『綿あめ』に収納されてた、名前が胡散臭くて、見た目が簡素なあのアイテムを使ってもらえば、セルビアも元気になるはず。
とはいえ、ベラがどこの部屋で寝ているのかまでは知らない。何とか、二階の渡り廊下まで来れたのはいいが、困った。
一部屋ずつ音を立てないように、ドア手前まで近付く。勘でベラのいる部屋が分かるのではと小さな希望を抱き、地道かつ慎重に動く。
ウーン……勘関係ないなこれ。
部屋をいくつか通り過ぎた時点で厳しい気がした。半ば諦めて廊下の奥を見据えると、一部屋だけ、ドアの前に謎の物体が浮いていた。
興味本位で心拍数が上昇しつつも、奥へと進んでみる。やがて、物体の輪郭をはっきり捉えると、物体には木製の箸が刺さっていた。それは、普段よく見る『綿あめ』であり、その持ち主の部屋であることは明確だった。
まてよ……直接、本人に頼まずとも、この『綿あめ』に手を突っ込めば何かしらアイテムが出てくるんじゃないのか? 少し借りるだけだし、ここは入っていることを願うばかり!
僕は『綿あめ』に手を伸ばし、触れようとした。だが、いくら手を伸ばしても、届くことはない。体ごと、その次に一歩多く踏み入れ、さらにと動き、手を振り回す。
くっそ、なぜ捕まえられないんだコイツ、体痛……。
ユラユラと浮遊中の『綿あめ』が、一見、挑発しているようにも見えた。今度は、全身の力を両足に込め、素早く飛び掛かった。
目の前にいた『綿あめ』はフッと消え、白いベッドが目に入る――――――。
そう。僕は、既に部屋へと入っていて、あろうことか、寝ているベラにダイブしていた。
「ふっにゃ!?」
うつ伏せな状態のベラに覆い被さる形で、当人も起きてしまう。この状況は、端から見ても僕がベラを――――――。
「クロ!? 何勝手に後ろから襲おうとしてるの!? スケベスケベスケベクロ~~~!」
下敷きのベラはジタバタと手足を動かし、僕を退こうとする。
こうなれば、考えていた計画とは違うが、とっとと連れていこう。
「ちょっ、いきなりどこ行くのよ! 私に興奮しすぎじゃない!?」
いや、全身の筋肉が痛くて、無駄に息が上がるんだって。
「あの、クロ? あんまり乱暴は良くないと思うのよ……! そうだ、今日一日、私のために尽くせる権利を与えるっていうのはどうかしら! ねー!?」
寝癖がついたベラをどうにか、部屋から引っ張り出す。ベラの腕を持ち、渡り廊下、階段、救護室へと誘導を完了する。
「ここで何するの!? 何されるの! って……セルビア? なんか、顔色悪くないかしら?」
ベッドに座るセルビアが目に入り、気遣うベラ。
「あぁ、ベラさん。おはようございます」
「セルビアにもクロの毒牙が!」
「いえ、クロさんは、風邪を、こじらせた私を心配してくれて、ここまで……」
眠たそうに優しい表情をしたセルビアが、ベラの服をそっと掴む。それを見て、何かに気付いたベラが口を開ける。
「……ふーん。つまり、クロは、超実力派美人天使であるこの私に頼って部屋に来たってことね。事情は把握したわ。具合が悪いなら治さないと! そんなわけで早く横になりなさいな」
その状況理解度は、手元に近づいた『綿あめ』から、小瓶を取り出しているため早かったようだ。
「ベラさん、それって、前にシリアさんに使ってた薬……」
「そう。『大天使様の涙薬』ね」
「でも、眠くなるんじゃ……これからお仕事なのに」
ベラは黙る。そこから次の言葉が出るのに時間は掛からなかった。
「セルビアの身に何かあってからじゃ遅いでしょ? 寝ときなさい。宿のことなら大丈夫よ! 私たち天使が責任をもって切り盛りするから!」
感慨を受けたように目を潤ませるセルビア。
「ベラさん……。お言葉に甘えます。でも、何か困ったことがあったら」
「大丈夫よ。ほら、動かないで」
ベラが彼女に目薬を差し、副作用で眠りにつくのを待つ。起きたばかりでも関係なく、眠たくなってしまうようだから少し怖い。
しばらくして、セルビアが寝始めたのを確認すると、僕たちは救護室を出た。
「とりあえず、あと二人の天使が起きてくるまでは、私達で宿を何とかしないといけないわね」
……達? あぁ、僕もか。
こうなってしまったとはいえ、宿の仕事内容以前に経営やら接客といったものですら、初めての試みだ。基礎を習っているわけもなく、上手く一日乗り切れる気はしない。
再び、多数の席が備え付けられた宿中央のレストランに足を踏み入れる。他の宿泊客も起きてくる様子はないし、まずはこの辺一帯の掃除からだろうか。
「朝御飯の用意と掃除は、テキトーに『綿雲』がやっといてくれるからいいとして……」
ベラの『綿あめ』の一つは、掃除用具を持ってレストラン内を駆け回っており、もう一つはキッチンで冷蔵庫から野菜やら肉やらを取り出しては、長く大きな鍋に詰め込んでいた。調理工程は気にしないことにして、僕、要らないみたい。
「浴場の掃除は流石に楽出来ないか――――――まぁシリアたちが起きてくるまでだし、どこかのクロさんに無理矢理犯……。んっん、起“こ”されたからまだ寝足りないのよね!」
ベラが近くの席に座るとテーブルに頭を突っ伏した。
それより、なぜ最初“か”になった……。故意なのか言い間違えなのか、いずれにしても悪意しか感じないぞ。このまま黙って立ってられるか、座る!
丸椅子に腰かけ、頬杖をつく。それから、不思議と体の力が抜けるように意識が消えていった。
「――――――とも――――――二人とも、起きてよ。この状況は何さ」
肩を揺らされているのを夢の中でも感じた。目を開けば木製のテーブルが映る。その真横にはシリアが立っていた。
どうやら正面の天使に釣られて寝てしまった。その広がった黒髪の頭部もシリアの揺さぶりにより、グーンと上がる。目は虚ろだった。
「……シリアじゃない。おはよ」
と言いつつ、また寝ようとするベラ。
「あの雲は天使ベラルーシのだよね? セルビアはどうしたのかな」
指を差された方向を見ると、宿を出発する人の見送り、朝食を済ませに来た人への応対を丁寧に行っていた『綿あめ』の姿があった。
「具材がハチャメチャのスープだが意外に美味しいなァ」「この毛だまりはどうして浮いているのかしらネェ」「そこの白いコック! スープのお代わりを頼みたいのだがネ」「よく眠れたワ、セルビアちゃんにまた来ると言っておいて、可愛いアルバイトさん」
……宿泊客には絶賛、盛況なようです。
「ん……セルビア、具合悪そうだったから、休んでてもらうことにしたのよ。代わりに宿の経営は私たちでって感じかしら」
「ふ、ふーん」
キッチンに戻ろうとした『綿あめ』が、主の起床に気付き、急いで朝食を運んでくる。器用にも四方を盛り上がらせ、皿は安定を保っている。
「あら、ありがと。私ってば完璧」
続いてシリアの分、僕の分とテーブルに置かれた。スープの色は赤と茶が混ざったような色合いだったが、香りは悪くない。
「そうよ、シリア。サルデーニャはどうしたの?」
「知らないよ。エロアチアの部屋で寝てるんじゃないのかい」
おいまて名前変わってない? おお、さっきの人も言ってたが、スープ美味い。あと名前変わってない?
「うん、起きたらクロのところに来るわよね。その時に手伝ってもらうことにするわ。クロ、シリア。見ての通り、私の『綿雲』は忙しいでしょ? そうなると、いつも簡単に終わってた大浴場の掃除は、自ら頑張らないといけないのよ」
「そうだね」
宿の浴場は途轍も無く広々としているのは、浸かる度に認識する。
「そこで! 誰がその役を担うかの賭けを――――――」
言葉の途中でシリアがベラの腕を掴む。
「クロアチア、もう片方の腕を持ってくれると嬉しいな」
……了解しました。
「シリアたち、いつの間にこんなにも結束力が上がって……ってまたどこ連れてくのよぉ!? まだ一口もスープ飲んでないのよ! 嫌ァァァァァ!?」
ベラを二人で引っ張りつつ、宿の大浴場へと向かった。着いたと同時に観念したのか、渋々、掃除用ブラシを手に取っていた。
「天使ベラルーシ」
「……分かってるわよ、セルビアから預かってる服でしょ?」
どこから取り出したのか、いつかの体操服をシリアと僕に渡すベラ。
「クロアチア、こっちを見ないようにね」
「はぁ……頑張ろ」
こうして、二人の天使と大掃除に取り掛かっていくわけだが――――――。
その作業が終わるまで、もう一人の天使、サルデーニャがこちらに来ることはなかった。




