乙女寄り天使とすることに挿絵とすることで
「はぁ、デヘヘー旦那様ぁ、だめ、旦那様ぁ――――――あぁっ」
吐息交じりの甘い声。そんな声が聞こえた気がしてつい目を覚ましてしまった。
ベッドには、自分の体に腕を回し寝ているデーニャの姿。結んでいた髪はほどかれていたため、一瞬、誰だか分からなかった。
一人で寝ていたはずなのだがいつの間に……。
本人はまだ寝ているが、しがみつく腕を静かに振りほどき、部屋を出ようと扉を開ける。
「――――――わぅ!?」
その時、驚きめいた声を上げた女の子が部屋の前に立っていた。大きく目を開き、後ろに軽く仰け反っていたのはシリアだった。
「お、おはよう。今、クロアチアにいたずら……起こしに来たところなんだよ!」
シリアは焦った様子でそう言うが、起こすも何も少し早すぎる気がした。時間帯的にも外の明るさ的にもまだ早朝にあたる。
訝しげにシリアを見つめる。本人は顔を下に向かせたかと思えば、腕を伸ばし、僕のシャツをクイッと小さく掴む。
「ちょっと、朝から一緒に行きたい所があって……駄目かな」
そう言われ、断ろうとしたが、寝床に戻ろうにもデーニャが配置されている。
気づけば、体は勝手に出掛ける用意をしていた。
静かな外の世界。太陽光を浴び始めた植物や建物をすり抜けた風が肌に触れ、涼しい。
ベラの姿はなく、セルビアもいない。ということは伝えてないのか来ないのか。
思えば、誰かと二人きりというのは珍しい気がする。普段、ベラやシリア、時にはセルビアも一緒に行動していたため、少し慣れない。知り合ってからまだ期間が短いことを思い知らされる。
「あの、聞いてほしいこともあるんだ」
時々、シリアはこちらをチラッと見ては正面に目を向かせる。その素振りはいつもの気ままな姿とは変わり、しおらしく頬を紅潮させた彼女が垣間見えた。
「クロアチアには、今まで散々な事を言ってきたけど……全然そんなこと思ってなくて。ほら、天使ベラルーシも近くにいたりしてるわけだし、悟られるわけにはいかないんだ」
突然、何を言い出すかと思えば、よく分からない弁解から始まった。
散々な事というのは例えば、人を気持ち悪いだの吐き気がするだのという悪口のことだろうか。ベラが近くにいることで不都合なことでもあるんだろうか。
「こんな気持ち知られたら、きっと弄ばれる……それだけは避けないと」
何にしても未だに話の全容が見えない。
「クロアチア……本当はね、感謝もしてるし、近くにいて楽しいというか、もっと近寄りたいような感じで」
彼女の声は最後の方だけ細く小さくなった。
「その、似てるんだよ。私が子供の頃に読んでた聖典の一つに、クロアチアに似た王子様が出てくるんだけど……」
天使にもプリンスが存在するのか。
「初めてクロアチアに出会った時に、その王子様のイメージそのものでつい、それっぽい雰囲気の名前が頭に浮かんできたんだ。あ、聖典に出てくる王子様の名前は“スロバキア”だよ」
うーん、母音は合ってる気がする。王子とはまた程遠いイメージだけど。
「スロバキア様はね、ある時、貧民層の女の子に恋をするんだけど、立場上、婚約することは出来ないんだ。それでも、その女の子に会いに行ってはお話ししたり、女の子が悪魔に襲われそうになっても助けたり……結局、王子様は悪魔に心を利用されてしまうんだけどね――――――」
しっかりと内容を語るシリアの目は悲しく儚げで、人物の物語に奥深い趣があることを語っていた。
話を最後まで聞くに、悪魔に変えられた王子は国を騙し、民を殺し、反逆罪に問われる。それでも女の子に対する気持ちだけは変わらずに、心の奥底に残っていた。国の軍隊は王子を追い詰め、殺そうとした。それを女の子が身を挺して庇い、命を落としてしまう。王子は絶望と湧き上がる怒りから軍隊もろとも国を滅ぼしてしまう。最後はすべて朽ち果てて終章を迎える。
「感動的なのがそこから、生まれ変わって女の子は天使に、スロバキア様は悪魔から堕天使にされて、再び二人は巡り会うんだよ!」
シリアはいきなり腕にしがみつき、輝き潤う水色の瞳で大きく主張する。
「あっごめん……」
掴んでいた腕をパッと離し、後ろに一歩下がるシリア。恥ずかしそうに身悶える。
誰よこの天使。変な物でも食べたんだろうか。
「今回のことで、地上に降りるまでそういう出会いはなかったし、クロアチアに出会えたのは偶然じゃないって思ってね。うん……ただの憧れをクロアチアに押し付けてただけ。でも、あの時、天使ベラルーシや町の人は気づいてなかったけど、私にはクロアチアが助けてくれたのがわかったんだ」
本当に自分が堕天使の力を持っていたり、存在自体が細かく謎のままだったり、複雑な心境である。
助けようと思った心意気ですらデーニャのこともあるし、怪しいものだ。
「だから……ありがとう、王子様――――――」
ふふっとシリアは、はにかみ笑う。それを見て余計に何も言えなくなった。
自分が例え不可解な存在であっても、認めてくれる相手がいる。何かの希望になれているのなら、事実が何であれ、そういう世界があってもいいのかもしれない。
「着いたよ」
街の外れまで歩いていた足は、草の生い茂る緑地、緑に混ざり色彩放つ花々の地へと到着していた。それらは風で左右に揺れ、大自然が織りなされていた。
「セルビアから、ここの周辺に咲いているアネモネっていう花を摘み取ってきてほしいと頼まれたんだ。香水の香料にするためらしくて、一応『オプショナルミッション』だから報酬もあるし、セルビアには感謝だね。それに、天使ベラルーシには迷惑を掛けたし、少しでも多く私が頑張らないとだから」
シリアは茶色の布袋を取り出し、花を探し始める。
ベラを連れてこなかったのは、二人きりで話すため以外にベラへの罪滅ぼしの意味合いも込められていた。
そんな彼女の優しい一面を見れたようで嬉しくなった自分がいた。気づけば、シリアの頭の上に手を置き、撫でていた。
「――――――ふぇ!? んん! な、なんだいクロアチア……?」
十分に撫でてから、一緒に花を集めるため、腰を下ろす。
「……ずるい」
シリアの照れたような声を最後に、お互い無言ながらも心地良い時間の流れを過ごした。
昼近くになっただろうか。作業を終え、宿近くまで帰ってきた。
すると、遠くから走ってくる少女が見える。動く体に同調して上下に揺れるサイドの結ばれた髪。
「旦那様ー!」
やはりデーニャだった。
「あれは……天使おサルデーニャ!」
シリアも彼女の姿を確認するなり声を出した。そして、デーニャが目の前まで来るとそのまま道を塞ぐように座り込む。
「――――――はぁ、はぁ、だんっ、な、さまぁ! どうして、はぁ、お子様シリアルと、一緒、なの!」
息切れ交じりにデーニャは軽くこちらを睨めつける。
「君には関係ないよ、行こうクロアチア」
シリアは僕の腕を引っ張り、デーニャを避けて通り抜けようとする。
「関係ないわけないでしょー! わたしの旦那様なのにぃ! シリアルその手を離しなさいってば!」
今度はデーニャが僕の脚を掴み、離そうとしない。
「ちょっとは空気を読んだらどうなのさ! この妄想天使ぃぃぃ!」
「読めてないのはシリアルじゃない! 旦那様連れ回して何してたのよ、泥棒猫天使のくせにぃぃぃ!」
あー何この修羅場ぁぁぁ。
「アンタたち何してんのよ……んぐ」
すると後ろから声がして、振り返ると細長いパンの入った紙袋を片手に、何かを飲み込んだベラがいた。
なぜにフランスパン。
「なによクロ。パン欲しいのかしら? ふっふー、あげなーい!」
いらねーよ。
「天使ベラルーシこそ、何でこんな所に……」
腕を離さないままシリアは、ベラに尋ねる。
「起きたらアンタたちもいないし、サルデーニャはクロ探しでどっか行くしで……そしたらセルビアに買ってくるように頼まれたのよ。ついでに一つ食べてもいいって言うんだから断る理由なんてないわ。それより、シリアもサルデーニャみたいにクロに引っ付いてるのね。その男の何がいいのかしら」
「――――――あっ! 私に触れるな天界の汚物ーぅぅぅ!」
エエェー!? お、おぶー!?
「え? だ、旦那様危な――――――ぁにゃ!?」
シリアは掴んでいた僕の腕を勢いよく振り払い、それにより僕はバランスを失なった。足にしがみついていたデーニャごと地面に倒れる。ついでに後頭部への地面打撃ダメージがクリティカルヒット。
「あらら……クロ大丈――――――って、ちょっっっと!?」
真上にはベラが立っていた。一瞬、ワンピースの裾がふわりと内側を見せ、下から見上げたベラの脚。その終着点にシンプルデザインの何かがあった。そのままベラが片脚を上げたかと思うと、顔目掛けて振り落としてきた。一瞬にして景色が靴底へと変わった。
それでゴキッとどこかのパーツの音がしたわけだ。
「あぁ! 旦那様ー!?」
ツーンとした痛みとデーニャの叫ぶ声を最後に、意識だけは天界に行くことができた。
死んではいない。




